No.33 アリストゥサイド
出されたお題を元に、一週間で書き上げてみよう企画第三十三弾!
今回のお題は「ホラー」「無意識」「メニュー」
4/6 お題出される
4/10 プロットが固まる
4/11 が、何を思ったか筆が進まない
4/12 ついには気晴らしに打ち込み始めるクズの図
4/13 慌てて完成に持ち込む
忙しくてかまけてた頃の癖がすっかりついてる……よくないぞこれは(汗
その日、私は何食わぬ顔で朝食と思われる物を食べていた。リビングの食卓に座る私の前に、真っ白で妙にきれいな皿の上に黒々とした炭がモザイクのかかったアレみたいな扱いで鎮座して、それを私は何の疑問も挟まずに口に運ぶ。
向かいの席には新聞を広げる人……らしき存在が居る。私はそれが直感的に父だと理解していた。父は首から上がサーチライトで、まぶしい光で新聞を焦がさんばかりに“見て”いた。口にはタバコが10本ほど咥えられ、黒い墨のような煙を濛々と吐き出している。新聞は父の発する光を受けて煙を上げている。いや、上がった煙は父の頭の中に吸い込まれていく。サーチライトの灯りが瞬き、父がいつもの声で私に言う。
「悠美、学校はどうだ? すまないな、父さんが優秀じゃないから、悠美たちにはそんな飯しか食わせられない」
私はどこかで「またこの話しか」と思いながら、炭を口の中で音をさせながら噛んだ。
「いいよ。仕方ないんでしょ?」
サーチライトが私をまぶしく照らしながら言う。煙の臭いが口に含んだ炭以上に苦しい。
「ああそうだ! 今の政府が悪い! 汚染された食事しか国民に届けないのは、国家の衰退だ! 悠美、お前はこうなってはいけないよ。パパはお前の……身を案じているんだ」
サーチライトの熱が、私の何かをじりじりと焦がし始める。
私は咄嗟にいつもの口癖で返した。
「解ってる……解ってるよ。勉強を頑張って、優秀になればいいんでしょ?」
サーチライトは瞬き、また新聞を焦がす作業に戻った。
「ああ……よくわかってるじゃないか」
私が炭を口に運ぶ傍に、お椀に盛られた電子辞書のパーツを持ってくる母が来る。バラバラになった電子辞書の部品が、私には電子辞書の物だとなぜか解った。
母、首から上が鳥かごの人が言う。鳥かごの中には弱り切った鳥が横たわり、ハエがたかり、蛆が湧いているのが見える。
「そうね。優秀にならなきゃだめよ、悠美ちゃん。だから……“メニュー”を決めなきゃね」
「メニュー?」
私は母に聞き返した。
「ええ、メニューよ」
母の頭から飛び立つハエが、私の朝食の上に力なく落ちてくる。その朝食をまじまじと見つめる私をサーチライトがまたまぶしく照らす。
父が言う。
「なんだ、悠美はまだ“メニュー”を選んでないのか?」
「選ばないと駄目よ、悠美ちゃん。悠美ちゃんの為なんだから」
「そうだぞ、選ばないといけないんだ。今決めなさい。今」
サーチライトの灯りの中、腐敗臭のする鳥かごのシルエットが迫る。
「ま、待って、私、まだ先の事なんて……」
「何を言う! 今決めなきゃパパは安心できないぞ」
「そうよ! その方がママは安心だわ」
そして、父と母の声でそれらが続けて言う。
「「そうなったら私たちが安心できるじゃないか!」」
遠くで、けたたましくベルの鳴る音がし、私の足元の地面が消える。私はそのまま体が動かなくなり、世界が90°傾くような感覚を覚える。地面が私の頬を打つような感覚と共に、私はその悪夢から、目覚まし時計によって起こされた。
「おはよう……」
私は眠い目をこすりながらリビングに入っていった。
「ああ、おはよう」
父がタバコを吸いながら、食卓で新聞を読んでいる。
「あ、悠美ちゃんおはよう。今朝はスクランブルエッグが有るけど……ちょっと焦がしちゃったの。ごめんね」
母が忙しそうに朝食を食卓に乗せてくれる。
どちらも人間の、夢が夢であったと確信を持たせてくれる普通の家族だ。……まぁ
「やれやれ、また汚染だとよ。新聞にそう書いてある」
「あらやだ。でもパパが見つけてくれるから安心ね。そう言う記事はママは見つけられないから」
「でも早くここから引っ越さないとな」
夢が言いたいことは、なんとなくわかる。
母の作る朝食は美味しい。付け合わせに出てきたスープも温かい。父や母が言う事は……私にはまだ難しい。
「ところで悠美、進路は決めたのか?」
父が私を強い目線で見ながら言う。タバコの灰が新聞に落ちるのが見える。
「……まだ。大学に行ってから決めたんじゃダメ?」
「あら駄目よ、悠美ちゃん。進路はすぐに決めなきゃ」
「うん……」
両親は炭のような味しかしなくなった朝食を、学校に遅刻しないように口に運ぶだけの機械になった私に対して言う。
「今進路を決めておけば、大学に言った時安心だぞ」
「あなたの為なのよ、悠美ちゃん」
両親は決まってそう言う。酷い時は「とにかく高学歴な学校を出なさい」と私以上に不明確な未来のビジョンを私に押し付けてくる。
「解ってるよ……」
私はただ、そう返すことしかできなかった。
学校は相も変わらず、将来の事より近場のテストの事しか教えてくれず、唐突に将来の“メニュー”の決定を迫る。
正直……まだそう言うのって分からない。とりあえずの日々を何気なく続けるのが……学生という名の職業なのだろうとも思う。これで良いとは思えないけど……これしかないとも思える。適当に授業を受けて、適当に流行に乗って、適当に街に買い物しに友達と行って、適当に彼氏を作って遊ぶ……それが学生だと私は思う。これで良いとは思えないけれど……。
今朝の夢は、今日で見るのは五度目だ。日に日に内容が長くなってきている。妙にリアルな夢で、あの朝食……炭の味も覚えている。食べなれた感じすらする。日常の不平不満が無意識の形で出るのが夢だとは良く言ったものだ。
毎度この夢が来ると気持ち悪くて仕方がない。私は友達の放課後の誘いを断り、一人で帰ることにした。
「悠美、何考えてんだ?」
後ろから男の子の声がする。私が付き合っている彼氏、相田 慎二の声だ。
慎二は私の肩を抱き寄せながら笑顔で私の顔を覗き込んでくる。
顔には文句はない。頭も良いしスポーツも出来る。周りの女子の反応も良い。けれど、正直私は彼が苦手だ。なら何故付き合っているか……正直私にもわからない。告白されたから、としか答えられない。
「うん……ちょっと夢見が悪くてね」
「そっかぁ~ な、じゃあさ、今日おまえんち行っていい?」
ああ、あとこういうところも私は好きにはなれていない。まぁ、慎二と付き合っていること自体は、良いことのはずだ。みんなが羨んでるのだから。
「うん……母さんが居なかったらね」
「よっしゃマジ? うち両親居るからさぁ、ちょうどよかったよ」
「ああ……そう、なんだ」
何の気なしに答えた。
が、この時私は何か頭の中にモヤモヤした物が広がる様な感覚を覚えた。と同時に軽い頭痛。鈍く、それでいて頭蓋を押されるような頭痛。
こめかみを抑えた私に慎二が言う。
「大丈夫? もしかして今日ダメ?」
「え? あ、うん……ちょっと頭痛」
「○×◇&\♂♀××□」
慎二が私の返答に対して何かを言う。
「え? なに、なんて言っ」
私の目の前には、慎二が『あった』
慎二の顔を模した物を吊るした提灯アンコウが目の前に居た。
「ひっ!?」
私は咄嗟に後ずさりした。目の前に居る提灯アンコウは大きさ2mほどの大きさで、その提灯は万遍の笑みを浮かべる美男子の首で出来ており、その先には複数人の女性の体の欠損部位が入った口を開ける巨大なモンスターの姿が有った。
アンコウが何事か唸りながら、私へ迫る。私は咄嗟に鞄さえ投げ出してその場から走り出した。
まっすぐに家へ走り始めたところで、私は異変に気付いた。
人が居ない。私が見た夢の両親達にそっくりな存在がそこら中に溢れかえっている。
火のついたライターがコンビニ前でタバコと一緒に座り込んでいたり、公園には犬の糞が犬の散歩をしていたり、頭がメガホンの人や割れたカップ酒の者、更には頭の無い人々が普通に歩いている。
なんでこんな状態になっているのか、私には何が起きて居るのか分からなかった。とにかく、家にたどり着き、合鍵で家に入り込み、肩で息をしながら施錠する。チェーンをかけて扉の前に咄嗟に傘置きをずらして置く。
これは夢、なのだろうか? いつ夢を見始めたのだろう? きっと頭痛がキツ過ぎて気を失った、と考えるべきだろうか? だとして、どうしてこんな恐怖を煽る夢を見なくてはならないのか。
「なんなの……どうして……!?」
扉から離れた直後、ドアを強烈に叩く音が聞こえる。ドアが壊れんばかりに叩く音、その向うから聞こえてくる犬のような荒い息づかい。私は恐る恐る、ドアの覗き穴を覗いた。そこに見えたのは、万遍の笑みを浮かべる慎二の顔……いや、首だ。首から下が見当たらない。
思わず後ろに飛びのいた私は、玄関先に足を取られて後ろ向きに倒れ込んだ。その際、脹脛と後頭部を強く打ち付けた。
「いたた……」
痛い……夢じゃないのだろうか?
「おい、悠美! 大丈夫か?」
扉の向こうからは慎二のいつもの声が聞こえた。
「慎二? ……本当に?」
「本当にも何もあるか、急に走り出してどうしたんだよ。心配したんだぞ」
きっと後頭部を打つ付けた痛みで目が覚めたのだろう。……つまり、白昼夢をみながら夢遊病のごとく家まで駆けてきた、という事なのだろうか?
なんにせよ……私はこの心を削るかのような悪夢を誰かに言いたかった。
「なんだ、あんたここで何してる?」
「あ、いえ、その……」
扉の向こうで更に聞きなれた声がする。父だ。
なにやら扉の向うでは彼氏と父の対面が行われているようだ。ともかく、悪夢は去ったのだろう。私はドアの施錠を外した。傘置きを脇にずらし開ける準備をする。思えば外開きのドアなのだから、この傘置きは意味が無かった。そうとう私はパニックに陥っていたようだ……が、何か嫌な予感がして、チェーンは外さなかった。……そんな夢遊病な状態で重い傘置きが移動できるのだろうか?
突如ドアノブが回され、ドアが勢いよく引かれる。チェーンが張り詰める金属音が響き、開きかけたドアの隙間から、煌々とサーチライトが顔をのぞかせる。
「こら、開けなさい、悠美。相田くんと私を家に入れなさい」
サーチライトがドアの隙間から私を照らし出しながら言う。
私は声にならない悲鳴のような音を漏らしながら、ドアをそのままに自分の部屋に走った。背後でチェーンが千切れる音がして、犬のような荒い息づかいと共に怪物が玄関に上がり込むのが、私には視界の端で見ることができた。
それを無視して私は自室に入り込み、鍵をかける。そして何を思ったのか、咄嗟に私はベッドの布団の中にクッションを詰め、クローゼットの中に入り込んだ。
「こら、なぜ逃げるんだ、悠美? なにを怖がっているんだ? さぁ、早く相田くんをパパに紹介しなさい。彼はどんな優秀な人間なんだ? 出身は? 学歴は? どんな子供ができるか、パパに見せてごらん」
サーチライトがドアを難なく開けて入ってくる。提灯アンコウのような息の荒い怪物を引き連れて。
私は必死に息を殺した。見つからないように、見つかりませんように。隠れている私の目の前を、サーチライトの灯りが薙いで行く。怪物はクローゼットの傍で荒い息をしながらこちらを見ている。吊るされた慎二の顔は相も変わらず人懐っこく微笑んでいるように見える。
「はは、いい年してかくれんぼかい? 悠美はどこかなぁ? はやく“メニュー”を決めよう。そうして早く……」
そして、サーチライトが布団に手をかける。
今だ! 私はクローゼットを開け放ち、怪物を押しのけて走り出した。背後から強い光が追ってくるのが分かる。
家の玄関は内側に押し倒され、外には難なく出ることができた。
私は何処へともなく走り出した。
どれだけ走っただろうか? 周りの人間はみな人間には見えない。コミュニケーションを取ろうと試みたが、会話らしい会話は出来ない。
お店に入りって見れば、商品は皆、炭か灰か、食べ物らしいものはなく、それどころかレジの店員も人には見えない。昆虫の頭をした輩が、食べ物らしきものをレジで貪っている。
公園には段ボールが20cmほどの蛆を頭の中に入れて、犬や猫の死体をそのまま貪っていたし、行く先々で人らしい人が居ない。
私は頭がおかしくなったのか、それともこれが本来の世界なのか。痛みでは目は覚めず、試しに安全ピンで刺した太ももは赤く色を付けて痛むだけだった。
私はかれこれ数時間、道端の街路樹の裏で、サーチライトと怪物、そして新たに加わった母の声を発する鳥かごの三名から逃げている。
諦めかけていた私の前に、その人はいた。道路を挟んで向うに。そう、人だ。私は恐る恐る、周りの存在の目を盗むようにその人に声をかけた。道路を走って渡って、一筋の希望に声をかけた。
「あ、あの……」
するとその人は何か納得したようにこちらを見て微笑んだ。
年齢は私より二、三年下に見える。身長は私とほとんど変わらないしきっと年下だろう。兎の耳のような房が付いたパーカーを被った眼鏡の少年だ。パーカーの下にはスーツ姿というミスマッチな外見だが、ちゃんと人の頭が有る。私は自分でも気づかないうちに、彼の頬を掴んで引っ張り、パーカーを脱がして頭をこねくり回しながらどこもおかしくないか確認した。……大丈夫、間違いなく人間だ。
「い、痛いんですが……」
彼の後頭部を無理やり見ていたが、私の手をどけながら顔を上げて少年が言った。ずれた眼鏡を直しながら少年が苦笑いしながら私に向きなおる。
少年が口を開くより先に、私は言った。
「追われてるんです! 私、夢から起きれなくなって、彼氏が怪物になって、人が居なくて食べ物も無くて……」
「お、落ち着いてください。まずは、落ち着いてください、ね?」
少年はペットボトルに入った水を私に渡してくれた。
「その水は大丈夫です。ちゃんと“現実から持ち込んだ物”ですから。水ですよ」
その言葉に、私は思わず泣き出してしまった。
少年があたふたしているのが分かったが、それでも安心感がひとしおで、涙は止まらなかった。少年は私の頭を撫でながら、道路から離れた場所へ手を引いて歩きはじめてくれた。少年がくれた水は、少ししょっぱく、けれどしっかりと水の味がした。
「あなたは“堕落させられて”しまったんです」
「堕落?」
少年は学校の空き教室まで私を導いた。教室も学校も誰も居ない。教室には兎のようなフードをかぶった少年と私が二人、教室に差し込む夕焼けの紅い光に照らされながら居た。
少年曰く、ここで人を待つとのことだ。彼は自分を『赤眼』と名乗った。彼はしきりに懐中時計を確認してはしまいを繰り返している。それが何の意味があるのか、私には分からない。
赤眼が私の質問に答えてくれる。
「この世界は、夢が元になっています。あなたの夢が元ですが、あなたの悪意や無意識の罪悪感などが、恐怖のクリーチャーを作り出しているんです」
「つまり……目が覚めればいいって事?」
「いえ、そうでもありません。この夢、繰り返し見てるでしょ?」
赤眼は眼鏡を直しながら言った。
「ええ……今回のはとびきり長い……というか、夢が現実になってる、でいいのかしら?」
「はい。あなたを夢が喰おうとしてるんです」
「……もうちょっと分かりやすく教えてくれる?」
「んーと……」
と赤眼が言葉を選んでいると、教室のドアが勢いよく開かれ、猫耳の青年とモノクルをかけた青年が現れる。猫耳もモノクルもどちらもスーツ姿だが、猫の方はスーツがボロボロだ。
その二人に対して赤眼が軽く手を上げて何か言おうとした直後、猫が教室の机の一つを持ち上げて赤眼に投げつけた。赤眼はそれを食らってそのまま盛大に倒れ込む。
「何しとんねん、おんどれは!」
猫耳の青年は関西弁のような口調で何事か赤眼を罵倒し、彼の傍まで行き胸ぐらを掴んで立たせて言う。
「さっさと追手を倒せば問題解決ってなもんやろが! 無関係な人に何を律儀に説明しようとしとんねん!」
「い、いや、苣、一応アフターケアとか考えてだね」
「関係ないわい! はよ次じゃ次!」
苣と呼ばれた青年は赤眼を前後に揺らしながら、何事かまたごちゃごちゃ言っている。
そんな私の目の前にモノクルをかけた青年が視界の前に出る。見るからに美形であり、緑のウェーブのかかった髪が特徴的だ。微かにタバコのようなにおいがする。彼が言う。
「初めましてレディ。私はビヨンドと申します。あなたのお名前は?」
「あ、っと、悠美です……フルネームは……」
「何カッコつけとんねん緑、お前もそないなもんに関わっとらんとやな」
「おいこら、レタス猫! ボクをその名前で呼ぶんじゃない!」
「ああ!? なんやと緑芋虫!」
「あ、あの……苣、早く離してほしんだけど……あと、ビヨンドさんも突っかかってないで……」
「やかましい! 元々誰のせいでこんな面倒なことになってると思ってるんだこの馬鹿兎!」
「な、なんですか!? それをわかってるからこうして呼んだんじゃないですか! 兎の暴行反対ですこの暴力レタスと口だけ芋虫!」
なんだか、急ににぎやかになりました。
私は三人がお互いに喧々諤々言い合う様に、どこか安心感を覚えました。そして、思わず笑ってしまいました。
「あ、ごめんなさい。つい……仲が良いんだなって」
この後三人とも何やら侃侃諤諤言ってきたのは言うまでもないことですが。
「さて、落ち着きましたか?」
「……おう、せやな」
「ああ、ボクは落ち着いた」
「はい。私も笑い終わりましたよ……ふふ」
赤眼が苣とビヨンドに足蹴にされながら、落ち着き払った声で言った。笑いを堪えるのに私が必死だったのは言うまでもなくだったけど。
踏まれたままの赤眼が言う。
「ともかくですね、あなたを追いかけてるあなたの“不安”を一時退けようと思います」
「“不安”?」
「ええ、あれはあなたの日ごろからの漠然とした不安感が怪物になったモノです。結果、あんあホラーじみた怪物になってるわけですね。もっとも、僕らなら退けるのは簡単です。僕らは元々“夢の世界の住人”でしたから……ともあれ、あなたを現実の世界に帰します。その後、現実の、あなた個人の問題にはあなたが、あなたの勇気を持って挑んでください」
「私が、私の、勇気を持って……」
私の不安の原因……きっと進路とか、彼氏への不満とか……そういう漠然とした、でもいつか降りかかる不安の事だ。でも、どうしたらいいのか、私には分からない。
「代わりと言っては何ですが、一つお願い事が有りますというかいつまで二人は僕を足蹴にしてるんですか怒りますよ!」
「おう、もう怒っとるやないけ。おーこわー」
「ふぅ、ま、ボクらの本題に入ろうというんだ。それなら、ボクは文句はないさ」
ビヨンドと苣が赤眼から足を退かし、赤眼は不満そうにパーカーについた泥をはたきながら立ち上がった。そして懐中時計を確認して眼鏡を直し、改めて私の方向を見る。
「僕らは女の子を探しています。お気づきとは思いますが、僕らはいわば『不思議の国の住人』みたいなものなんです。ほら、不思議の国の、っていうあの有名な作品の登場人物をモデルにした存在でしてってなんかいまいち解ってない顔ですね」
「あ、うん。私、アリスとか読まないのよ」
「解ってんじゃないですか」
「なんとなくしか知らないって」
赤眼が見るからに嫌そうな顔をした後、眼鏡を直してぎこちない笑みで話を再開する。私悪いことなんか言った?
「僕らは『僕らを生み出したアリス』を探しています。彼女は……今も夢の世界に囚われています。どこかで……」
「せやでの、俺らはそのお嬢様を探し出さなあかんのやけども……これが見つからんねん」
「そこで、同じように夢の世界……悪夢に体ごと呑まれている人を探し出しては彼女じゃないかと当たっているのさ」
私は何気なしに聞いてみた。
「え、つまり?」
「アリスなら助けるよ。それがボクらの役目だ。その際見かけた後の人は放っておいていい、と僕らは『帽子屋』からは言われてるだけど……そこの阿呆兎は見捨てるべきじゃないと言って聞かなくてね」
「いやぁ、褒めないでください」
「おう、どう聞いたら褒めとんねん。長い耳はおまけか難聴兎」
照れたように後頭部をかいていた赤眼は笑顔のまま苣に殴りかかり、苣がそれに対して殴り返し、苣と赤眼は私の目の前でクロスカウンターの姿勢で固まった。
その間にビヨンドがやれやれと言いながら私に質問の続きを言う。
「つまり、君はアリスじゃないから見捨てても良いんだけど、どこかの馬鹿兎が、見捨てた事をアリスが知ったら悲しむから、と提案してね。だから、君が一旦不安から逃れるのを助けてあげる、といってるのさ。代わりに、少しで良い。アリスを知らないかい?」
「と言われましても……外見とか、特徴は?」
「自然と分かるはずだよ。……どこかでアリスと会ってるはずなんだ。でなければ“堕落させられた”りはしないはずだからね……」
私は必死に頭を捻ったが……そんな外見的特徴の情報も無いんじゃ……
私には三人の目線が痛いほど注がれている。が、私には思い当たる様な人は浮かばない。
「悠美ぃ……そこに居るのかい?」
突如、夕日とは違う白い光が教室に差し込む。父の声をしたサーチライトだ。
「さ、帰ろう。怖がらなくていい。そのまま、何も考えずに大人になることを、世界は望んでいるんだよ……何も考えられない大人になりなさい。そう、優秀な大人にね」
私は飛び跳ねるように赤眼の後ろに隠れた。赤眼が私を庇うように手で後ろにどけ、それに合わせるようにビヨンドがどこからか取り出した煙管を吸い、紫の煙を濛々と吐き出す。サーチライトの灯りを紫の煙幕が遮る。
赤眼が私の手を取って走り出す。
「こっちへ! 今のうちに距離を取りましょう」
その煙幕の中、赤眼に手を引かれて私は教室の出口へ向かう。
紫の煙で近くにある物の場所も釈然としない中、赤だけが私の行く道を先導していた。
その煙の中から、何かボール状の物が迫るのが見え、それが慎二の顔をした物だと見えた次の瞬間、煙を引き裂いて巨大な口をした化け物が私たちに向かってくるのが見えた。だが、苣が私たちと怪物との間に割って入り、怪物の口を抑え込む。
「うゎ、鉄臭っ!」
「ありがとう! 猫なんだし魚ぐらいなんとかして!」
赤眼に手を引かれて、私は教室から抜けだした。だが廊下はどこまでも続いていて、終わりが見えない。
無限に続く廊下を赤眼が私の手を引きながら走り、言う。
「逃げるのは成功しましたが、あくまで逃げてるだけです! なんか、無いですか? あなたの不安を解決できるような……何か!」
「そんな無茶な!」
私は考えた。けどそんな魔法みたいな解決策が出てくるわけもなく……
何も考えないで……ただ生きる。適当に大学に行って、適当に恋愛して結婚して、適当に子供育てて……そのことに不安を感じてるって……じゃどうすれば?
「簡単じゃないの、悠美ちゃん」
私たちの目の前に現れたのは、腐敗した鳥の死体を入れた鳥かごを頭にした、母の声で話す私の“不安”
「何がいけないの? 何も考えなくていいのよ。ただ腐っていけばいいの」
「で、でも……」
「自分で考えるのは辛いでしょ? 自分で責任を取らなきゃならないなんて酷よ」
「だけど……」
「さ、将来の“メニュー”を決めましょう、悠美ちゃん。ママみたく、結婚して飛べなくなって、腐って蠅すら餓死するほどに思考を放棄しましょう?」
腐乱した死体を収めている鳥かご頭が、ゆっくりと私たちに近づいてくる。
「あなたも、公園で段ボールに住んだり蛆を飼ったりしたくないでしょ? お店の前でタバコを学生の間から吸ったりしてはしたなくしたり、そのあと人生の行き場に困って商品を食べる虫にはなりたくないでしょ?」
言いたいことは……分かる。仕方ない。だってこれは、私が普段から思ってることなんだから。これらの不安は、私から出てる。逃げられない。
「さ、籠に嫁ぎ入れば、死体になっても誰もその事を変に思わないわ。死体の面倒は旦那に見てもらうのよ。それが女の幸せって皆言ってるわ」
鳥かご頭の存在が、私の頭を掴んで、その中に有る死体を私に見せつける。それは私の死体だった。鳥じゃない。飼い殺され、圧し潰された私の死体がそこに有る。
「でも安心して。夢の、この世界なら何も考えなくていいわ。きっと、彼女も喜ぶ……」
その時だった。鳥かご頭が小刻みに震え、悲鳴をあげながら、見る見るうちに拉げて膝から崩れ落ちた。
「その情報を僕らは聞きたかったんです」
赤眼が懐中時計を手から吊るしながら、その名のごとく真っ赤な眼で鳥かご頭を見下ろしている。懐中時計の針はすさまじい勢いで回り、母の声でうめきながら、鳥かご頭は急激な速度で風化していく。
「さあ、教えてください。何を知っているのか……彼女、とは?」
「あ、ああ……あ、あ、あ」
私は咄嗟に赤眼と鳥かご頭の間に割って入った。
「……何してるんですか? それはあなたの母親じゃないですよ」
「ええ、解ってる。でも……そうね、解ったの」
赤眼は赤い瞳で私を見ながら、静かに聞いた。
「何を?」
私は答えた。
「この……私の“不安”が言った『彼女』って言うのは、私の母の事よ。これが私の不安の投影であるなら……私が思考放棄してただ従順な社会の人形になる事を選んで安心するだろうと、私がそう思ってるのは、他ならぬ両親なのよ。……両親みたく、思考放棄すれば、両親は安心するって……だから……だから、知らないの。私も、この子も……」
私の背後で、風化して崩れ落ちそうな鳥かご頭が静かにうめいているのが聞こえる。
赤眼は私をまじまじと見た後、ため息をついて目線を逸らした後、改めて私に微笑んだ。
「解りました。それじゃ、その後どうすればいいかは任せます僕らが欲しいのは、僕らの探し人の情報です」
「うん。……私は私の不安も受け止めて、私のこれからを……ちゃんと両親に言ってみる!」
「……良いんですね? 不安を、感じ無くさせることもできますよ」
私は少し悩んでから、赤眼に笑い返した。
「大丈夫。怪物が何なのか分かった以上、もう怖がる必要は無いもの」
突如、はるか先の廊下が白み、音をたてながら崩れて白い空間へと消えていくのが見える。その白さが徐々に私たちの方へ迫るのが見える。
私は鳥かご頭の手を取って言った。
「大丈夫。私は、ちゃんと私の未来を考えるわ。……それが、人としての幸せを掴めると、私は思うから……ごめんね。ありがとう」
遠くで、けたたましくベルの鳴る音がし、私たちは白い空間へと消える。私はそのまま体が動かなくなり、世界が90°傾くような感覚を覚える。布団が私の頬に触れるような感覚と共に、私はその長い夢から、目覚まし時計によって起こされた。
私は、いの一番に、両親に私の思っていることを言いに行った。夢を忘れてしまう前に。
この世界観、実は予め用意していた物です
他ならぬゲーム会社への企画書に出そうとしている内容だったりします
人間は誰もが本音や不安を隠して生きている。だが夢、無意識の深層心理の中ではその不安や恐怖、狂気が怪物になったりする。それは悪夢として夢を見ている者が魘されたりすることで姿を現すが、とある事件を境にその悪夢に人が堕ちてしまう事案が発生。
そこでは何も考えなくなった人々、堕落してしまった人々がただクリーチャーを生み出すだけの世界……WonderでもUnderでもなく……Sideという非常に近い場所にある世界……いつも誰かが堕ちていく世界……
そこで現実世界に逆に肉体を得て、アリス(と三人が思っている存在)の夢から追い出された不思議の国の住人(を元にした存在)が人々を救いながらアリスを探す……そんな世界観のお話
今回主人公だった悠美は、企画の世界観の中ではただのモブですw
ランダム形成ダンジョンの一つ程度の意味合いしかありません
なので苣はあんな態度でしたし、赤眼も決して100%救おうとはしていません。ビヨンドも態度だけ、と言った感じですしね
もちろん
件の三人もまた『アリス』が生み出した一種のクリーチャーだったりします
『アリス』の夢から彼らは追い出された、と彼らは考えているようですが現実が『アリス』の見る夢なのだとしたら……『アリス』とは何者なのでしょうか……?
とか色々夢が広がりんぐ☆彡
ここまでお読みいただき、ありがとうございました