大好き!
香奈ちゃんの言葉は、舞子にとっては衝撃で、ただただ驚きだった。
普段、あまり感情を表に出さない優希君。
優希君大好きオーラを24時間、365日放出し続けている私とは違い、好きという感情もまるで出さない。
そんな冷静沈着、大人な優希君が、舞子が少しばかり仲良くしていたからって、日比野先輩に焼きもちをやくなんてちょっと考えられない。
「本当に焼きもち……やいてくれたのかな……」
帰宅のため、上履きからローファーのシューズに履き替えながら零れ落ちた言葉にため息がのる。
スポーツ万能で成績優秀で、大人な優希君。
そんな優希君が舞子を振ることはあっても、振られるなんてことは有り得ないわけで……当然、嫉妬なんてする必要はない。
そのことは、普段の舞子の態度を見れば分かるはずだ。
だとしたら嫉妬などではなく、ただ単に、入部を待っていたという言葉にはしゃいじゃって、優希君の存在をすっかり忘れて先輩と話し込んでしまったことに苛立ち、怒ったのではないだろうか。
だって、仕方ないよね。
入部を待っていたなんて言ってくれる人がいるなんて、全然思ってなかったし。
誰だって、そんなこと言われたらテンション上がっちゃうよね。
まあ自分でも、ちょっとはしゃぎすぎちゃったかな……という感じがなくもないけど。
そのことが、大人な優希君には不快だったのかな。
その方が、優希君が焼きもちをやくより現実的な気がする。
でももし香奈ちゃんの言うとおり、優希君が焼きもちを焼いてくれたのだとしたら……ちょっと……というか、かなり嬉しいかも♪
というルンな気分は、長くは続かない。
確かに日比野先輩は、背も高くてイケメンだ。
そんな日比野先輩と舞子が仲良くしたからといって、完璧大人な優希君が嫉妬するなんて考えられない。
「……わかんないや」
昼休みから放課後までずっと頭の中をグルグルと渦巻いている考えに、この日、何度目か分からないため息が零れた。
「香奈ちゃんだったら……わかるのかな……」
中学一年にして、既に、恋愛経験豊富な香奈ちゃん。
その香奈ちゃんが出した ―焼きもち― という答え。
だからといって、その答えは素直に信じられるものではなくて……。
「まさか焼きもちやいてくれたの? なんて聞けないし」
聞けないもなにも、今は絶縁状態だ。
その現実に、再びのため息を零した舞子の名を、優希君が呼んだ。
どうやら優希君とお話したいと強く望むあまり、空耳まで聞こえるようになってしまったようだ。
「……重症だわ」
「舞子!」
ため息をのせた呟きを吹き飛ばすように大きく呼ぶ声に、反射的に顔を向ける。
「優希……君……?」
石造りの背の高い門扉の前に、左肩から提げたバッグを握り締め、仁王立ちする優希君の姿があった。
「……幻?」
優希君に会いたい・話したいあまり、とうとう幻まで見るようになっちゃったよ。
そんな切ない気持ちにホロリとする舞子の前で、幻の優希君が音がするような勢いで頭を下げた。
「舞子、ごめん!」
西日を受けた背中が見えるほど深く腰を折る優希君から伸びる長く濃い影に、幻などではなく現実なのだと気付く。
「えっ? ちょっ……優希君!?」
「日比野先輩に嫉妬した!」
戸惑いにワタワタとした動きは、大きく叫ばれた思いもよらない優希君の一言にピタリと止まる。
「本当に、ごめん」
膝頭をつかむ震える指先が、ズボンに食い込んでいた。
繰り返された謝罪に、驚きに瞳を瞬かせながら考える。
嫉妬の感情を抱いたことを認めるのは、嫌だったと思う。
私だって、小笠原さんに抱いた感情を嫉妬と認めるのは嫌だった。
認めるのが嫌だったんじゃない。
嫉妬してしまう自分が嫌だった。
多分、優希君も同じだろう。
砕けてしまうのではないかと心配してしまうくらい膝を握りしめる姿に、優希君の後悔や嫉妬したことに対する恥ずかしさを、はっきりと感じた。
そして、思う。
優希君も、同じなんだと。
舞子と同じように、嫉妬したり、そのことに後悔したり、悩んだりするんだと。
いつもより小さく思える背中に、震える指先に、はっきりと感じた。
感じた瞬間、零れ落ちた安堵のため息に、自然に口元が緩む。
「舞子もだよ」
安心の気持ちが表れたように柔らかくなった声音に、優希君は躊躇うようにして顔を上げた。
「舞子も小笠原さんに、嫉妬した」
綴った言葉に、見る間に優希君の額に皺が刻まれる。
「小笠原……? どうして」
「どうしてって……小笠原さん、美人で頭良いし。色だって真っ白で、身長も優希君にピッタリだし。舞子より全然お似合いだよ。みんなだって絶対にそう思ってる」
言葉にした途端、ツキリとした痛みが胸を襲った。
優希君が、舞子と日比野先輩の関係を心配する必要は何もない。
舞子と日比野先輩がお似合いだなんて思う人はいないから。
でも優希君と小笠原さんがお似合いだと思う人は、たくさんいるはず。
だって、舞子も思うから。
何でも出来る優希君には、小笠原さんみたいな清楚で可愛らしい美人な女の子が似合うって。
「みんなって?」
後ろ向きな暗い考えに引きずられるようにして俯いてしまった頭のてっぺんに、柔らかな声が降り注ぐ。
その包み込むような柔らかな声に、この一週間、優希君と話を出来なかった辛さや、一緒に帰れなかった寂しさが一気に心から溢れ出し泣きそうになる。
「……書道部のお姉さん方とか……クラスメイトとか……その他大勢」
涙を飲み込んで懸命に綴った言葉に、深く長いため息が耳に届いた。
「その他大勢が、どう思っているかは知らないけど、俺には舞子が一番だよ」
まるで予想もしていなかった言葉に、一瞬にして蒸発した涙に、驚きに勢いよく顔を上げる。
驚愕に見開いた瞳に、照れたような、困ったような笑みが届く。
「でなきゃ嫉妬したりしない」
「優希君……」
飛び跳ねたいほどの喜びに顔の筋肉が緩み、消滅したはずの涙の温もりを眦に感じた。
そんな表情筋を、これ以上ないほど緩ませる舞子とは対照的に、苦笑の笑みを閉ざした優希君がキリリと面差しを引き締める。
「だから、信じていいよな」
「えっ?」
「舞子にとっても、俺が一番だって」
「うん!」
叫び出したくなるような嬉しい一言に、顔中口になってしまうのではないかと思うほどの笑みを浮かべ、これまた首が取れそうな勢いで大きく頷いた。
そんな舞子から、優希君はなぜか怒ったように、ツイと視線を逸らした。
「今日だけだからな」
そう言って、舞子に向かって左手を出す優希君の頬は、西日を受けて赤く染まっていた。
それが西日のせいばかりではないことは、引き結ばれた唇から、逸らした視線から一目瞭然だ。
「うん!」
優希君、可愛い♪なんて言ったら、怒ったようではなく、本気で激怒しそうなので、大きな笑みで大きく返事をして、差し出された掌に掌を重ねる。
途端、優希君の右手が強く優しく舞子の手を握り締める。
普段、デートの時も、人前で手をつなぐことを嫌がる優希君。
その優希君が、手を繋ぐことを求めてきた。
同じ制服を着た人達の姿がある、学校の帰りに。
きっと謝罪の気持ちがあるのだろう。
そんな優希君の気持ちを、差し出された手に、握り締める指先に強く感じた。
それだけで、この一週間の悲しみや寂しさが、一瞬にして吹き飛んでしまう。
「優希君」
「んっ?」
「大好き!」
抱きつきそうな勢いで綴った言葉に、優希君はほんのりと明かりが灯るような笑みを口元に浮かべた。
「わかってるよ」
「うん!」
無表情な優希君が滅多に見せない柔らかな面差しや、強く結ばれた言葉に、形なんてないはずの愛情をはっきりと感じることが出来た。
大丈夫。
優希君が、わかっていてくれれば。
それだけで舞子は、幸せだから。
弾む気持ちにゆっくりと、優希君と二人、夕日に向かって一緒に一歩を踏み出した。