意識と無意識の境界線 〜 Mia loko
“わたし”はひとり、縁に座り庭を眺めている。
今宵は月夜で庭は独特のほのかな青白い光で満たされ、幻惑的な景色を作り出している。
(きれい・・・)
辺りは静寂に包まれている。
騒がしい音を立てるものなど一つもないーーーそこは完全に静寂が支配をしていた。
月明かりに照らされている木々や花々もどことなく怪しげな気品を醸し出している。キラキラと空間が揺れて見えるのは、月明かりに誘われた精霊達だろう。時々、“わたし”の目の前までやってきては、クルクルと舞い踊っている。
ここは好きな場所だ。この場所は私の心を洗い流してくれる。
何も言わなくても良い。流行や異性の話などしなくてもいい。無理して相手の機嫌を取る必要も無い。ただ居るだけで全てが私を受け入れてくれている。
(別に逃げて来ている訳じゃないんだけどね)
内心、言い訳めいた事を考え、記憶を遡った。
昼間の私と夜の“わたし”は同じであって同じでない。だけど、両方とも紛う事無く“わたし”だ。
物心ついた時から眠れば必ず違う世界に居た。最初はその状況を全く意識する事なく過ごしていたが、少しずつ夜の“わたし”の方の意識が強くなってきた。昼の間は夜の事は全く思い出さずに過ごしているが、今では夜の“わたし”は昼の私の事をそっくり思い出す事ができる。そして、それが自分と同一人物だということも年齢を重ねる毎に受け入れることができるようになってきた。
ただ、あまりにもショッキングな夢を見た時だけは、体が反射で覚えている。危機迫るものは特に。
成長するにつれ自分以外の夢の中にいる事がわかってきた。ヒトの見る夢であったり精霊の見る夢であったり、夢の主は多岐に渡る。夢に入る事は誰かに教えられた訳ではない。説明する事は非常に難しいが何かが私をそこへ導いているのだと思う。
様々な人の夢を見てきた。幸せな夢、悲しい夢、楽しい夢、苦しい夢、不可思議な夢・・・それこそ人それぞれ、悲喜交々な感情が交錯する。
だが、そこで“わたし”は何をするわけでもない。ただただ、夢の主に寄り添っているだけだ。苦しんでいるヒトであれば苦しみの原因が無くなれば良いと思うし、嬉しそうなら一緒に笑ってあげたい。それだけだ。不思議とそれだけで夢を見ているヒトは落ち着きを取り戻すようだ。夢の中で『自信』と『自身』を取り戻し現実の世界に向き合う活力になっていればいい。
昼間の私ももそんな中のひとりだということが最近分かった。昼間の私の心が疲れた時、だいたいこの部屋へと来ている。
私は昼間は、とある企業に勤めている会社員だ。大学卒業後から勤めていて、最近では新入社員のトレーナーになる事がある。去年から同じ部署に配属された二人の新入社員を受け持っている。男女で区別する事はないが今年はたまたま二人とも女性だった。新入社員全体の教育、本部での教育などを経て、ようやく現場配属になりやってきて約1年経過した。
私のいる部署は一言で言うと忙しいところだ。メールだけでなく電話での対応も多く、それに時間をとられることもしばしば。そして新人であれば補佐的な部分も多々あるが、基本は自分で仕事を進めなくてはならない。フットワークの軽さも求められる。体力勝負で言えば男性社員には負けるが、私はそれでも喰らいついて行けるつもりだ。
去年、新入社員として入ってきた彼女達も1年が経過して仕事の流れ、部内の雰囲気にもすっかり慣れ、このまま戦力に・・・なるはずだった。少なくとも私は期待していた。だが、何がどうなったのか徐々に彼女達の態度に変化が出てきた。
今年度初めから私たちは分散し違うグループに配置された。若い女性ということもあり、担当になったグループの男性社員達はひどく喜んでいたようだ。
教える事はこの1年間しっかり教えてきた。彼女達も能力があり吸収するのも早かった。だからそのままうまく溶け込んで欲しいと思っていた。
それがゴールデンウィーク後から徐々におかしくなってきたのだ。その頃から、なぜか再び私に仕事を振られる事が増えてきたのだ。業務量が増え、増員して欲しいと切に願っての彼女達の配属は私にとっては喜ばしい事だったのに・・・。
(なのになぜ? どうしてこうなる?)
彼女達へと仕事を振った分、別の仕事を担当していた私にとって過荷重な事態になった。
慌てて状況を確認すべく彼女達の担当する各グループの責任者に話を聞いてみれば、想像すらしなかった回答が返ってきた。
「仕事を振ると嫌な顔をするようになった」
「それは私の仕事じゃない、と言う」
「就業中に平然とプライベートの旅行や遊びのプランを友人達とスマホでやり取りしている」
「注意をするとパワハラだと言う」
私の知っている彼女達の姿とは似ても似つかないもので、つい「それは本当の事?」と何度も問いつめてしまった。
「とにかく多忙中の中でも多忙の時期になりつつある今、彼女達へ関わる時間が惜しいし、手に負えない」という。
「残業をしろと言っている訳じゃなくて、やる事をやってくれさえすればいいんだけどなぁ」とぼやいている。
「と、とにかく、状況は分かりました。ですが、彼女達の話も聞いてみたいのですがいいですか?」
私がそう言うのを待っていたのだろう、話をしてくれた二人とも「是非頼む」と言い残し、会議室を出て行った。そんな二人を見送った後、一人になり文字通り頭をかかえてしまった。想像がつかなかったからだ。
だが私がここで一人考えても仕方が無い。早速、彼女達に連絡をつけ会議室まで来てもらった。名目は『一人で担当することになって困った事は無いか?』という事にした。
「仕事中にわざわざごめんなさいね。気になっていたものだから、どうかしら? 困った事はない?」
トレーナーとトレーニーの関係に戻ったつもりで私は彼女達に質問を投げかけてみた。すると、二人とも問題ないという。
「本当に? 残業が多くなったりしていない? 仕事内容に支障はない?」
「やだ、先輩。あたし達はあたし達の仕事はちゃんとやってます。ただ、問題と言うか、あたしの仕事以外の事も言って来る人達がいるんで、そういうのは断ってます」
彼女のうちの一人が眉根を寄せて怪訝な顔を見せた。
「仕事以外の事? どういうこと?」
「客先に電話をかけて至急資料を送ってくれと伝えてくれとかぁ、会議に出て議事録を作成しろとかぁ・・・」
「私は逆で資料を届けてくれって言われてぇ頭に来ました。だからそれは私の仕事じゃないって言いました」
もう一人は奇麗に塗られたマニキュアを気にしながら答えた。
(臨機応変に対応することは大事だと、あれほど言って聞かせたのに)
内心呆れた事を表情に出さないように気をつけながら、違う角度から捉えるように促してみた。
「そうなの。でもね、そう言うのはチャンスじゃないかな。お客様と面識を持てるチャンスだし、議事録は進捗がよく分かるようになるわ。私はぜひ貴女達にチャレンジして欲しいと思うんだけど」
「えー。先輩は仕事が出来るからそう言うんですよ。あたしは仕事で昇進とかより彼氏大事だから」
「そうでーす。先輩もいいかげん彼氏作ったらわかると思いますよ。今度、医者との合コンがあるんですけど、先輩行ってみませんか?」
私は撃沈した。
(いや、でも1年前、彼女達は何て言ってた? 『頑張って、皆に認められるように精一杯頑張る』と言っていなかった?)
「いや、折角だけどそのお誘いはちょっと・・・。それは是非、貴女達だけで楽しんで来て。それよりもね、貴女達のいるグループはチームワークが大事なの。確かに忙しすぎて、急に頼まれる事もあるかもしれないけど、それは、貴女達が仕事ができるから頼まれるの。余裕があれば是非とも受けてあげて欲しいの。皆の雰囲気も良くなるはずよ」
「私たちだけって・・・先輩、枯れる前に彼氏の一人位は作らないと」
「チームワークって言っても、ご機嫌取るの嫌なんです。私は私の仕事をやるし、補佐的な事って正直、私のやりたいことじゃないんです」
軽く目眩を覚える。
「でもね、男女関係なくこの会社ではまず先輩の補佐的なところから学んで行って欲しいっていうスタンスなの。隣の部の部長だって実力で今の地位なのよ。だから・・・」
「あー、もう。先輩、会社の犬ですよ、犬。長い間、飼われちゃって見えなくなってるんですって」
「私たちの事は心配しないで下さい。そもそも、もうトレーニーじゃないですから」
彼女達との話は噛み合ないまま、終に終業時間にまで達してしまった。
「あ、もう仕事終りじゃん。帰ろ。じゃ、先輩、もう私たちは話す事はないんで、これっきりにしてください」
「ちょ・・・待って!」
私は最後に捨て台詞を言われ会議室に一人残されてしまった。
故意になのかそうじゃないの・・・、会話が通じないと思ったのは初めてだった。私の頭で考えられる限りのボキャブラリーを総動員してみたが結局失敗に終わった。
(今日のこの午後の時間って一体なんだったの・・・)
交渉は嫌いではない。こちらの要求と先方の要求をぶつけ合い、互いに歩み寄ろうとする姿勢が私はとても好きだ。だから、きっと彼女達にも通じるはずだと思っていたのだけれど・・・
(全く通じてなかった。気のせいじゃないよね。何か悪かったんだろう・・・)
急に悲しくなってきたが、凹むのはまだ先だ。頭をブルブルと振る。
(どうしても納得が行かない!!)
私は自分のロジックを見直しながら、何がいけなかったのか反省していた。
「よ。お疲れさん」
「ダイレクター! それにマネージャーも!」
「聞こえてきてたよ、お前達の声。・・・大変だなぁ、全く、最近の子は言葉が通じんのか・・・」
ダイレクターがクククっと肩を揺らしている。
確かに後半は私も冷静さを失いかけていて、つい大声になっていた。恐らく全部聞こえていたのだろう、ダイレクターとマネージャーの何とも言えない表情が伺える。
「いいえ、恐らく、きっと、納得さえしてくれれば素直に仕事、してくれると思うんです!」
「そういうの『甘え』って言うんじゃね? 成人した、責任ある大人としての言動とは言えない」
「ですが!」
「お前はあの二人のトレーナーだったから思い入れがあるからな。だが認識は多少甘いと思うぞ」
「・・・」
マネージャーの、虚を衝く言葉に何も言い返せない。私は下唇を噛んで耐えた。
そこにダイレクターの声が被さってきた。
「適材適所ってのもこの会社の良い所なんだぞ。彼女達はプライベートを重視したいんだよな。で、どうやらルーチンワークだったらやって行けそうだ。だろ?」
「・・・はい。彼女達は能力はあります。あとは・・・やる気、だけなんです」
私はダイレクターの目を見ながら絞り出すように声をだした。ダイレクターは眉一つ動かさずに淡々と決定事項を口にする。
「いつまで待てばやる気になってくれる? とりあえずだ、このままだと非常にまずい。マネジメントの事はお前には言う必要は無いんだが、今回は言っておこう。あの二人をこの部から放出する。いいな」
「・・・」
「心配するな。金をかけてせっかく教育した社員だ、無駄にはしない。適正な、能力を生かせる場所を見つける為だ。それには今のうちに色々回らせてみるのも手だからな」
予想はしていたが面と向かって言われると意外とショックが大きい。呼吸をするのもやっとだ。
「何だ? 不満か?」
「いいえ。私には会社の方針に否を唱えることはできませんから」
「そ。ということで、第三クオーターの始まる頃に人事異動だ。それまで負荷をかけるだろうがよろしく頼む」
「・・・はい」
その後、ダイレクターの言った通り第三クオーターの始まる前に人事異動が発表された。名目上は色んな職種を経験させるためと言う事だったが、皆、その裏の意味を分かっていた。
異動後しばらくして女子更衣室にいたところ話が聞こえてきた。話しているのは更衣室で時々顔を見る子達だが、どこの部署かは知らない。
「ねぇねぇ知ってる? 庶務に異動になった子達が言ってたんだけど、前の部で女性の先輩からいじめられたって言ってたよ」
「本当? あの子達の前の部の女性の先輩ってあの人じゃない?」
コソコソと声を潜めて話をしているが丸聞こえだ。しかもこちらを見ているようだ。チクチクとした視線は何気に気力を削いで行くんだなと他人事のように思える。
「後輩をいじめるって最低じゃなぁい?」
「ねー。いかにも陰湿そうな雰囲気よね」
「自分は仕事できますって感じ? きゃはは」
こうやって色々尾ひれがついて噂は肥大化していくんだろうなぁ・・・と冷静に考える。
(庶務なのか。っていうか臨機応変そのものの部署じゃない!)
ここでキレてしまっては大人げないので、さっさと着替えて出て行こうとスピードをあげる。
パタンとロッカーを締め施錠をする。基本的に私は私物はここには置かない。着替えだけをするようにしているので何かあってもあまり痛みは無いが、加害者を出すわけにはいかないので、ここはきちんとしておこうと施錠しておいた。
「あら、おはよう。相変わらず早いわね」
私のトレーナーだった女性社員が声を掛けてきた。
「おはようございます。今期が正念場なんですよ。足を引っ張る訳にはいきませんから」
「あなたのいる部署は安泰ね。意識の高いヒトがいれば自ずと周囲も影響されるものよ。でも、ほどほどにね。ちゃんと仕事を振りなさい。体を壊しては元も子もないんだから」
この人から教わった事はとても多く、私の今のスタンスはこの人のを踏襲していると言っても良い位だ。恐らく試行錯誤をして得た経験だっただろう事も、もったいぶる事無く教えてくれた。常に周囲との協調に重きを置く姿勢にぶれは無い。
複雑そうな事も噛み砕いて自分のものとして取り込み、分かりやすくアウトプットしてくれる。時々伝えたい事が多すぎたらしく脱線する事もしばしばあったが、それは伝えたい想いが溢れてしまった結果で私には全く問題ではなかった。むしろ、その姿勢は私に尊敬の念を抱かせた。
(認めてくれるヒトがいる)
それだけで心が奮い立った。
「はい!」
と力強く頷くと、さっきまでの沈み込みそうな気持ちが吹き飛び「お先に」と挨拶をして意気揚々と更衣室を出る事が出来た。
「ねぇちょっと、あなたたち・・・」と、背後で私の先輩が私の事を噂していた子達に対して何か話しかけていたようだが、気にならない。
暫くの間、私の噂が流れていたようだが、それも仕事に忙殺されている間に自然と聞かれなくなった。恐らく、先輩が何か対応してくれたのかもしれない。
(今度、飲みに誘ってみようかな)
最近の昼間の出来事を思い出しながら、クスリと笑ってしまった。目の前に広がる庭は相変わらず静かで“わたし”の笑い声だけが音として響き渡る。
「楽しい事でもあったのか?」
いつの間に来たのか“わたし”の横に青蓮が座っていた。
「ひみつ」
“わたし”は軽く握った手を自分の口元にあて再びクスリと笑った。
「そうか」
青蓮はそう言ったっきり“わたし”と同じ方向を向いた。そしてポツリと呟く。
「美しいな」
「ええ、本当に。とても幻想的」
会話以外の音がしない。雰囲気を壊しそうで互いに囁くように会話をしているが、それでも大きな音として耳に伝わって来る。
「瑠璃」
青蓮は“わたし”の腰に手を回して引き寄せると、後ろからそっと首筋に顔を埋めた。首筋に青蓮の微かな息づかいを感じる。くすぐったい様な気もするが、無理矢理引きはがそうとは思わない。青蓮のしたいようにさせていた。
「・・・そう言えば、最近来てくれないの」
月夜の晩には必ず大きなウサギが庭に現れていたのだが、最近は見なくなった。前回、私の護衛をしてくれているリクオ君に散々な目に遭わされたからだと思うが、大きな怪我を負っていただけに元気な姿を見たいと思っていた。
「誰が?」
気のせいか青蓮の声が固い。
「ウサギよ」
「ウサギ? どんな?」
「大きな・・・、“わたし”の腕で一抱えはあるような大きな大きなウサギ。ブルーグレイの奇麗な毛並みのウサギよ」
そう言うと、青蓮が息を飲み込むのを感じた。その様子を不思議に思い顔を向けると青蓮の顔が神経質そうに歪んでいる。
「どうかしたの? もしかしてウサギの事、何か知ってるの?」
「言いたくない」
今度は確信した。青蓮はかなり不機嫌になっている。
「前回、ここで大けがをしたの。この部屋に連れてきて治療をしたのだけれど、気がついたらいなくなっていて、その後、どうなったのか気になってるの」
「怪我ねぇ・・・。それでか・・・」
やはり青蓮は大きなウサギの事を知っているようだ。“わたし”はもう一度催促してみた。すると、渋々といった様子で青蓮が教えてくれた。
「ウサギはこの私たちの結界に入って来られないんだと思う。私か瑠璃だけの結界だったら、入って来られるのだろうけど二人で作り出している結界にはさすがに無理なんだろう」
ちょっと前に青蓮と“わたし”が互いの腕にブレスレットをつけた。その時、青蓮は「強力な結界ができた」と言っていた。きっとそれのことだろう。
「リクオ君が襲っていたけれど、もしかしてウサギは邪なものなの?」
少し心配になり尋ねれば
「邪ではないな。いや、邪でなく、正でもなく、正くもあり、邪でもある、そんな存在だ」
青蓮の言っている意味が分からなくて首を傾げて説明を求める。
「気にするな。気にしても始まらない。もし、ウサギがここに再び現れる様な事があれば私が対処する」
「対処?」
「排除」
「排除!?」
青蓮はニヤリと笑った。
「私は瑠璃だけがいてくれれば良い。だから瑠璃も私だけを求めて欲しい。瑠璃の居場所はココだから」
そう言うと、青蓮は“わたし”の腰に回している腕の力を入れた。
「もちろんよ青蓮。知っていると思うけど私は器用じゃないわ、お祖母様にも毎回しかられてばっかりよ」
「それは私も一緒だ。それに、恐らく瑠璃が思う以上に私は嫉妬深いし執念深い性質のようだ。覚えておいて」
再び青蓮は“わたし”の首筋に顔を埋めた。そして、後ろから強く抱きしめられた。
「誰にも邪魔はさせない」
ポツリと青蓮が囁いた。