表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

或る兄弟の死闘

『ある兄弟の死闘』


空は薄い雲に覆われている。


風は凪いでいて、邪魔をするものは何もない。

生死を決するのは、己の腕だけだった。

互いに、相手の技は知り尽くしていた。

間合い、剣速、呼吸――余すことなく判っている。

才能にも――積み上げてきたことにも大差はなかった。


焼け焦げるような夏の日。身体から一滴の汗もでないほどに肉体を絞り上げた。

まつげも凍るような日。身体から蒸気をあげながら、剣を打ち合った。

双子の兄弟――同門の剣士。なんの因果で、こうして相対しているのか。

誰よりも親しかった二人の間には、冷たい光を湛えた真剣が並んでいる。


時は既に二刻ばかり経っていた。

始めた時は、日は中天に上っていたが、秋のつるべ落としに、日が雲を赤く染めていた。

機は満ちていた。

兄は大上段に構え、目は半眼に、弟を見つめている。

高く掲げられた剣先は、ゆらゆらと揺れていた。

弟にはそれが隙ではないことが判っていた。

剣先の揺れの幅は、指の一節にも満たなかったが、弟は己の攻めが尽く潰されているのに苦虫を噛みしめていた。

正眼に構えられた弟の剣先の微妙な動き、空気、呼吸に合わせて、兄の大上段は揺れているのだ。

兄の剣気が、弟の双肩に重石のようにのしかかる。

弟は平常であれば、三日三晩であっても構え続けられる自信があったが、尋常ではない緊張ゆえか、いまはもう諸手は刀を取り落とさんばかりに痺れていた。

どこで開いたのか、力の差は明白――されど逃げることはできなかった。いや逃げることは最初から眼中になかった。生きることは勝つことである。

弟は追っ手の同門十人を、すでに切り捨てていた。剣鬼として生きるなればこそ、負けることはすなわち死である。

追っ手は己の力を過信していた――十人がかりであるから勝てると踏んだ者たちは斬った――おごる者は刃の下に死ぬのだ。よく知った顔、幼き頃から剣を交え、競い合った同志。先輩、後輩。全て斬った。

親と慕った師を殺した弟を、憎悪の目で見詰める同志達を斬ることは、弟にとって過去の自分を斬ることにもにて、それが弟を剣鬼として業を積ませ、強くした。

俺はこれまでで最も強い――弟は確信していた。兄にも容易く勝てるはずだった。

――それがどうだ。

差を開けたはずの兄は、弟よりも遙か高みにあった。

されど逃げるわけにはいかなかった――弟は剣鬼なれば。


急に吹いた冷たい風が、一枚の枯れた木の葉を運んできた。

それが兄と弟との間に迷い込んだとき、弟は怪鳥のように前へ飛び、神速の突きを放った。

しかし、兄の剣が、事前に知っていたかごとく振り下ろされた。

その剣は、弟の突きよりも遙かに鋭く、重かった。

弟は明確に自分の死を理解した。

脳天唐竹割りに斬られ、それは勢い余って喉越え、胸を割り、心臓を絶ち、一瞬で絶命する。


弟は大きく息を吸い込んだ。

笛がなるような音が喉から聞こえる。


兄の刃の前に、確実死んだ。だから、弟は何故自分が生きているのか疑問だった。

ぴくりとも動かぬ兄の亡骸の上に、覆い被さるようにして弟は倒れていた。

恐ろしいほどの激痛に弟は顔をしかめた。

右腕が根元から斬られていた。

兄の刀は、最後の最後で逸れ、弟が兄の喉を突き破るのと同時に、弟の利き腕を断ち切ったのだ。


弟は立ち上がり、止血をした。

兄の首から脳にかけて、弟の刀が突き刺さっている。

血に染まった柄に左手をかけ、一気に引き抜く――軽い――刀は切っ先から四寸ばかりが折れてしまっていた。――いや折れたのではない。斬られたのだ。

刀は門派に伝わる宝刀で、弟はそれに魅せられ、無断で持ち去ったのであった。それは師を殺め、同門十人を斬り、また兄を突き殺した。


弟ははたと悟った。

兄は刀に囚われた弟の業を斬りに来たのだ。

はじめから殺す意図はなかったのだろう。利き腕を斬り、刀を折ることで、弟を救おうと考えたのだ。

弟の業は深く、そのような事をすれば、兄は死ぬだろう。死を覚悟し、兄は刀を振るったのだった。

弟は虎のように吠えて泣いた。


兄は無駄死にしたのだ。

弟は残った片腕で折れた刀を素早く一度振った。

短くなってしまった刀は、拵え直せば、この隻腕でも充分に扱うことができるだろう。

腹のなかに飼った魔物は、兄を喰らい、太りこそすれ、消えはしなかった。

刀はまだ弟を解放しないのだ――この業の道から。

双子故に、兄もそれを察していたであろうに。


そのことに対する疑問は、弟が真の剣鬼と成りはてた後も変わることはなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ