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第7話 『三日月の再会』

 少女……亜里沙が彼を見つめているように、彼もまた亜里沙を見つめていた。

 彼女が起床していることについては特に驚いていない様子だ。二階から響いた物音で既に気づいていたのかもしれない。

 それ程に大きな音を立てていた覚えはないのだが……意外に反響しやすい建物なのだろうか。


「あ、あの、この家の方ですか? 助けてくれてありがとうございます!」


 言葉が通じるかどうかはわからなかったし、そも彼が助けてくれたのかどうかもわからなかったが、とりあえずお礼の言葉を告げて頭を下げる。


 そして……同時に彼女のお腹が実に小気味いい音を立てて空腹を訴えた。


「あ、きゃ……っ」


 真っ赤になって慌ててお腹を押さえるが、なかなかに鳴り止んでくれない。

 少女はますます頬を紅潮させ、目尻に涙を浮かべその身体を震わせた。

 年頃の少女にとって、見ず知らずの相手に腹の虫を聞かれるのはどうやら相当に恥ずかしい事のようだ。


 一方で男の方は今にも泣き出しそうな彼女に驚き慌て、挙動不審げに左右を見回し、その後手にしていたものをずいと彼女の前に突き出した。それもかなりぶっきらぼうな手つきで。

 それは木製の皿だった。皿の上にはハムの乗ったパンが置かれている。


 がば、と顔を上げて男を見つめる亜里沙。

 皿を前に突き出している男は眉根を寄せ、口をへの字口に引き結び、なんとも不機嫌そうな顔つきだというのに、その頬は僅かに紅潮している。

 緊張してるのか、恥ずかしいのか。それとも単純に照れているだけだろうか。

 少女はそんな彼の表情を見て直感した。



 ああ、この人はいい人だ……と。



 おそるおそるお皿を指さし、小首を傾げる少女。

 無言のままこくり、と頷く男。


 亜里沙はそうっと皿を受け取ると、震えた手指でパンを掴み、少しだけ千切って口に含んだ。

 もぐもぐ。

 じっくりと咀嚼した後こくんと飲み込む。

 口の中に広がる僅かな苦味と酸味、そして旨味。

 少々皮が堅いが、紛れもなくパンの味だ。

 少女は安心してそのまま有り難く食事にありつく。


 もぐもぐ。

 なにせ一日半ほどキャンディーしか舐めていないのである。

 まともな食事らしい食事は実に久しぶりのことであった。


 もぐもぐ。はぐはぐ。

 最初の内は少しずつ千切って食べていたのだが、空腹が勝ったのかやがて直接かぶりついて食べ始める。

 空きっ腹がみるみる満たされてゆくなんとも言えない快味を、彼女はもしかしたら初めて味わったのかもしれなかった。


「ん、んん~~~~っ!!」


 ……が、少々がっついて食べ過ぎたらしい。

 パンの欠片が喉につかえ、苦しげに胸を叩く。


 その男は何やら動転した様子で両手を構え亜里沙の反応を窺っていたが、彼女が震えた手を伸ばしてきたあたりで何かを察し、どたどたと階段を降りて階下で大きな音を立てた後、しばらくしてコップに水を汲んでこれまたどたどたと戻ってきた。


 少女はお礼を言う余裕もなくそれを受け取り急いで口に付ける。

 木製のコップである。木の香が少し鼻につくが、比較的冷たい美味しい水だった。


「ぷはっ!」


 喉のつかえが取れ、食べ物と一緒に水分も補充できたことでようやく人心地が付いた亜里沙。

 そして心に余裕が出たと同時に、自分がしでかしたみっともない行為の数々に耳まで赤くなる。


「あ、あの、その、こ、これはその……す、すっごくお腹がすいてて……っ」


 わたわたと汗を飛ばし手をばたつかせながら必死に説明するが、男の方の反応はなんとも淡泊なものだ。やはり言葉が通じていないのだろうか。

 恥をかきながら弁明も許されないというなんとも無様な状況に、亜里沙は涙目になってしゅんと項垂れた。


「アー……」


 男は困惑したように二言、三言話しかけてくるが、やっぱり何を言っているのかわからない。


「……ったく、ならこれでどうだ、これで聞こえるか?」

「ほえ……?!」


 突然人の声が聞こえ、亜里沙はびっくりして顔を上げる。

 が、つい先刻まで目の前にいたはずの人間は忽然と姿を消してしまっていた。


 一体どこに行ってしまったのだろうか。

 ようやく言葉が通じる相手が現れたのに!

 少女は慌てて周囲を見回して……そして、視線を少し下げてようやく気づく。


 彼女の目の前には……先日見かけた、あの大きな大きな狼が佇んでいた。


「あれ、あの時の……わんこ、くん?」

「狼だっ!」

「きゃんっ! ご、ごごごめんなさい狼さんっ!」


 思わずぺこぺこと頭を下げてから……ぴしりと硬直する。




 あれ? もしかして、自分はこの狼と会話している……?




「って、ええええええええええええっ?!」


 驚いて目をまんまるに見開く亜里沙。迷惑そうに顔をしかめ、低い声で唸る狼。


「ふん、どうやら俺の言葉がわかるようだな」

「う、うん、わかる。わかるんだけど……ええっと、狼……さん?」

「なんだ」


 どこか不機嫌そうな声で返事をする狼。


「なんで人の言葉が喋れるの?」

「そりゃあ話が違う。逆だ逆」

「ふぇ?」


 逆、とはどういう意味だろう。

 少女は一瞬理解できず、腕を組んで首を傾げる。


「俺が人間の言葉を喋ってるんじゃねえ。お前が狼の言葉で話してるんだ、チビガキ」

「ちび……っ?!」


 驚嘆の事実を告げられたのに、それよりも最後の一言でついカチンと来てしまう。





 少女はまたも直感した。

 ああ、この人は根はいい人だけど……すっごくイヤなタイプかもしれない、と。






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