第67話 『下弦の干し肉』
「そういえばさ、あのいっぱいのお肉、いつもはどうしてるの?」
「喰う」
「いやそうじゃなくってさ。あんなにたくさんだと一人じゃ食べきれなかったんじゃない?」
「たくさん喰う」
実にシンプルかつ野生味あふれる答えを返すアールヴにがくりと肩を落とす亜里沙。
まあ実際に野生なのだからある意味溢れていて当たり前なのだが。
「……最後の方、腐っちゃったらどうするの?」
「それっくらいで壊すようなハラぁ持ってねえぞ俺は」
ふんす、と鼻息を噴きながら顔を斜め上に向ける巨狼。
雰囲気的には自慢しているというか得意げになっているというか、そんな印象である。
「んー、あーるう゛はそれでいいとして、私はじゃあその頃のお肉は食べないようにすればいいのかな」
「む……」
アールヴは僅かの間顔をしかめる。その状況は確かに彼の考慮の外だったし、彼が望む群れのありようとしてあまり望ましい状態とは言えなかった。
「んー……なあアリサ、お前保存食の作り方ってわかるか?」
「え? えーっと……ああお肉?! もしかして干し肉のこと?!」
妙に人間めいた所作でこくりと肯く巨狼の前で、少女は腕を組んで考え込む。
「んー、確かパパが昔本を読んで一度チャレンジしてたことがあったけどなー……どうだろ、やってみないとわかんないけど」
「残った肉の三分の一をお前のモンだとして、試しに好きにやってみろ」
「ふえっ!? いいの?」
少女は意外そうな表情でアールヴに問い返した。
生肉は彼の大好物であり、同時に大切な食料かつ栄養源でもある。
一方で現在の少女にははっきりとした成算があるわけではない。つまりは失敗して材料を無駄にしてしまう危険性も十分にあるわけだ。
それを加味した上で、彼は亜里沙に任せると言っているのである。
それはつまり……彼女を群れの一員として、単なる保護対象ではなく信頼してくれている、という事だ。
亜里沙は高揚と重責でぶるりとその身を震わせた。
もしこれに失敗したらまた呆れられてしまうだろうか。
嫌だ。それは嫌だ。
けれどせっかく任せてくれたのにそれを無理だと放り捨てるのはもっと嫌だ。
つまりは……この話題が振られた時点で、少女には選択肢などありはしなかったのだ。
「んー、干し肉干し肉……どうすればいいんだろう」
仕事を終えた後アールヴと別れ、倉庫に入ると腕組みをしながら肉の塊の前で一人考え込む。
未だ元の獣の形が若干残っていて、見ようによってはグロテスクな姿だが、少女はその手の事をまるで気にしていない様子だ。
どうやら皮なめしとそれに付随する肉の解体ですっかり慣れてしまったものらしい。
だがあまり悩んでいる時間はない。
放っておけばそれだけ腐敗が進む。やるなら今日から仕込みを始めなければ。
「要はお肉を切って、お塩すり込んで、乾かして、煙で燻せばいいのかな?」
少女の脳裏に浮かんだのは広大な大草原、青い空の下、物干し竿にクリップで留められた生肉が干され風にゆらゆらたなびいているという、どうにも幻想的なのだか世俗的なのだかよくわからぬ光景であった。
「~~なんか違う?!」
上体をぐぐいと斜め45度ほどに傾けながら再びイメージを膨らませる。
「まずお肉を保存しなきゃいけないんだから、表面だけに塩をまぶしてもだめなのかな?」
一計を案じた少女はとててて、と台所に行き深めの皿を取ってくる。
そしてそこに瓶から水を注ぎ、大切な塩を多めに投入、さらに森で採れた野草や果物をすりつぶして混ぜ合わせてゆく。
「んー、みりんとかお醤油とかお酒とかあれば楽なんだろうけどなー」
だがないものねだりをしても仕方がない。野草の内ではなるべく刺激の強そうなもの、あるいは甘味の強い果実などを重点的に選んでみた。
「この実と一緒に置いておくとあんまり葉っぱがしなしなにならないんだよね……」
少女がつまんだ小指の先ほどの塊は、ある植物の根っこに付いていたものだ。とすれば人参や大根のような根菜に近いものだろうか。
或いは腐敗防止作用があるとするならば大蒜などに近い野生種なのやもしれぬ。
「よし、こんなものかな?」
額の汗を拭いながらどうにか味を調え、小指の先で舐めてこくりと肯く。
そしてミスリルの短剣で肉を薄くスライスし、その液体に漬け込んでみた。
「んー、とりあえずこれで明日までかな? よくわかんないけど」
……翌朝、少女は皿の中の肉の様子を確認し満足げな笑みを浮かべた。
どうやらたっぷりと漬け込まれたらしい。
肉を薄切りにしたのは薬液が中まで十分浸透するためと、この後の行程として干した時乾燥しやすくするためだ。
次に彼女は葉っぱに包んだそれらの肉を森の湧き水のところまで運び軽く水ですすいだ。
このままでは味が濃すぎると考えたのだ。
とはいえ保存用なのだからあまり落としすぎても困る。彼女は表面をさっと洗うと再び軽ーく塩を振ってみた。
「よし、これで試しに干してみよう!」
幸い乾燥のためのスペースは皮なめしのためにあつらえたものがたっぷりとある。
少女は薄切り肉をそこに並べてとりあえず日暮れ近くまで丸一日干してみた。
「んー、こんな感じ……かな?」
軽くひとかけら摘んでかじってみると思ったよりも旨味があって悪くない。少し塩っ辛いが。
ただ保存食品になっているかどうかはこの時点では検証が足りず不明である。
「お、やってるな、どんな塩梅だ」
日暮れ時に帰ってきたアールヴは、広場からもうもうと上がる煙に目を細める。
少女がなめした皮をいぶすための棒を用いて肉を薫製にしているのだ。
「んー、薫製二度目のチャレンジー! えっと、これ以上やると渋くなっちゃうから……これくらいかな?」
煙から外した肉を軽くナイフで切ってアールヴの口元に差し出す。
「はいあーるう゛、あ~ん」
「おう」
ばう、と小さく吠えたアールヴは尻尾を振りながら鋭い牙の並んだ口をぱくりと開ける。
けれど少女は特に怯える様子もなく、彼の口に出来立ての干し肉を放り込んだ。
「ふむ……ん、悪くねえんじゃねえか?」
「ホント!?」
手を叩いて瞳を輝かせる亜里沙の前でもぐもぐと口を動かしながら、見る間に人狼の姿に変わるアールヴ。
「ま、狼よりはニンゲンかこっちの姿のが美味いかな」
「よかった~、初めてだから不安だったんだよ~」
ほっと胸をなで下ろす亜里沙。
どことなく嬉しげというか、不思議と誇らしげな表情のアールヴ。
「初めてにしちゃあ上出来だろ。ま、ちゃんと日持ちするかはまだわからねえが」
「そうなんだよねー。そこのところがちょっと不安というか……」
太めの眉を寄せながら思い悩む少女。
厳密には単なる干し肉を作るだけなら彼女が試みたようなやり方よりもっと簡単な方法がある。
薄切り肉に塩を塗り込んで時折しみ出た水分を捨て、その後日光で乾燥させるだけである。
少女の作ったものは単純な干し肉というより、牛肉でこそないもののビーフジャーキーに近いものかもしれない。
ただいずれにせよ彼女が創意工夫である程度日持ちのする食品を作り上げた事だけは確かである。
「ふむ、じゃあ褒美になんかしてやるか。肉の分け前とか増やしてやろうか?」
「え? なんかってなんでもいいの?!」
「んー、あんまり無茶な要求じゃなけりゃあな」
少女はしばしの間思い悩んだが、やがて僅かに頬を染めて、そのつむりを下げてアールヴの方に突き出した。
「……あン?」
「撫でて!」
「撫でるって……こうか?」
彼女の頭に、人狼アールヴがぽんぽんと手を乗せて軽くなで上げる。
「よくやったなアリサ。偉い偉い」
「えへへ~、もっとほめてほめて~~♪」
ほにゃにゃ、と顔をほころばせた少女は、その後幾度もその人狼にそれをせがんだという。




