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第62話 『更待月の過去のこと』

「ええっと……あの、もしかしたらすっごい失礼かもしれないんですけど、あの……」


 どう言い訳したものかしどろもどろになっている亜里沙を見ながらゲルダは柔らかい笑みを浮かべる。


「私が暴れん坊だったっていうのが信じられない?」

「えーっと、その……はい」


 亜里沙の素直な反応にゲルダは目を細めてくすくすと笑った。ちょうど今日の日差しのような暖かな微笑みだ。

 少女にはどうひっくり返っても彼女が暴れている様など想像できなかった。


「あの、ごめんなさい。その、言いにくいことだったら別にいいですから!」

「う~ん、言いにくいと言えば言いにくいけれど、たぶん亜里沙ちゃんが思ってるのとはちょっと違うかな」


 ゲルダは机の上に先刻まで語学の勉強で用いていた白墨でカリカリと何かを描く。

 彼女の実験を手伝っていた亜里沙は、それがすぐに小さな魔方陣だと気づいた。


「ん~、目くらましは不得手なんだけど……どうかしら?」


 ゲルダは何かの黒い皮膜を指先で揉むように擦りながら小声で何かを呟く。おそらく呪文の詠唱だろう。

 彼女が指先で摘んでいた何かの羽らしき黒皮はその詠唱とともに見る間に塵と化し、それとほぼ同時に机上の小さな魔方陣が淡く輝きはじめる。


「わぁ……っ」


 その光は薄く、淡く、陽光の下では気づきにくいほどの弱い光ではあったが、そのまま方陣の上で何かの虚像を形作ってゆく。

 それはちょうど明るい部屋でスライドショーを見ているような感覚で、亜里沙は目を擦ってその光の結実に目を凝らす。


「何が見えるかしら?」

「えーっと、男の人……人間、かな?」


 少女が目にしたのは全長30cmほどの小さな人間の姿だった。半透明だが立体的な作りで、静止画ではなく微かにみじろぎをしている。

 亜里沙は目を丸くしてその精緻な姿に見入っていた。


 その立体像は人間族(だろう、きっと)の男性だった。

 魔方陣の上で微かに浮いている鼻下に八の字の髭を生やした禿頭の男性。


 紅蓮のマントを纏い、右手に二本の枝がねじくれ絡まったような杖を持っており、その先端には紅玉が埋め込まれている。

 軽装で杖を持っているところを見ると魔法使いなのだろうか。ただそれにしてはやけに体が頑丈そうに見えるのだけれど。


 比較対象がないのでよくわからないけれど、印象的には割と小柄な人物で、胸板と浮き出た腹筋からだいぶ体を鍛えているのが見て取れる。


 だがなにより特徴的なのは彼の体の『模様』である。

 手の甲から腕、首、頬、胴体……凡そ地肌が見えている部分にはこれみよがしに入墨が彫られていて、なんとも不気味でいかめしい印象を受ける。

 少女の知識ですぐに連想するのはいわゆる日本のヤクザだったが、それにしては何か竜なり花なりといった意味のある入墨にも見えぬ。

 一体この人物は何者なのだろう。


「ええっと……ゲルダさん、この怖そうなおじさんは、あの……」

「ふふ、わ・た・し」

「ふぇ?」


 亜里沙の怪訝そうな問いに、ゲルダは悪戯っぽく笑って答える。

 ただその意外すぎる答えに、少女はしばし思考停止に陥った。


「だから、それが、アールヴと旅をしていた頃の、私なの」

「ふぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?」


 彼女の爆弾発言に思わず奇声を上げ、慌てて先刻の虚像へと顔を向ける。

 そしてその後再びゲルダの方を向き、さらにさらにギチギチと虚像の入墨男へと目を向けた。


「ええっと、あの、あの、その……!?」


 頭上に幾つも?を浮かべた亜里沙がゲルダに解を求めるような、縋り付くような目を向ける。

 その翡翠の髪の魔女は己の髪の毛にティーポットを掴ませ黄茶のお替わりを注ぎながら苦笑していた。


「どうもこうもないわ。それが昔の私。前世の、ね」

「ぜ、前世?!」

「そ。前世ってわかるかしら?」

「えーっと、輪廻とか生まれ変わりとかそういう……?」


 己の世界の知識がどの程度適用されるのかわからなかったが、とりあえず思いつく事を返してみる亜里沙。


「あら驚いた。ふうん、そんな事まで知っているのね。凄いわ」

「そ、そうなんですか?」

「ええ。やっぱりアールヴのところに置いておくのは惜しいわねえ……ああごめんなさい。ともかくそれが私の前世で、当時の私の姿よ」

「へ、へえ……?」


 うん? と首を捻り腕組みしながら上体を傾ける亜里沙。

 今の話は少々おかしくないだろうか。

 確かさっきはアールヴと知り合って十年くらいと言っていたはずだ。そしてその頃には彼女はまだ前世(?)で、人間のおじさんだったわけだ(??)。

 そしてそれがいつなのかわからないけれど今の彼女に生まれ変わって……


「ええっと……ゲ、ゲルダさんって、お、お幾つなんですか……?」

「ふふ、女に年齢を尋ねるものではないわ」


 亜里沙の百面相を実に楽しげに眺めながら……ゲルダは髪の毛の毛先で器用につまんだティーカップから優雅に黄茶を啜りつつ、くすくすと笑っていた。


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