第58話 『寝待月(ねまちづき)の菜園づくり』
「菜園……ってなんだ?」
アールヴが首を傾げて問いかける。
確かに彼にとっては無縁な場所に違いない。
「ん~っと、野菜を作る場所……かな?」
「野菜を作る?」
ますます不可思議等に首を傾ける巨大な狼。
その様はなんとなく愛嬌があって、亜里沙は思わず口元をほころばせてしまう。
「え~っと、なんて言ったらいいのかな。ほらアールヴ人間の村とか街に行ったことはある?」
「そりゃああるが……それがどうかしたか?」
「その……村とか街の廻りにお米とか……はないのかなー、じゃあ麦とかそういうの植えられてたりしてない? それのお野菜版っていうか……」
ばうっ! とアールヴが大きく吠える。
随分と驚いた吠え声だ。
「畑か! お前畑作るつもりなのか!」
「あー、えーっと、うん」
「すごいな! アリサ凄いな!」
ばうばう、と吠えながらとっとっと……と彼女の周囲を軽く走り廻るアールヴ。
尻尾がばたばたと振られていて、だいぶ興奮しているのが見て取れる。
「そんなたいそうなものじゃないよ? もっと小さな……こう家庭菜園みたいな」
「へー、ほー、カテイサイエン! なるほどなー!」
意味がわかっているのかいないのか……いやおそらくわかっていないのだろうが、ともかくアールヴは感心したようにばうばう吠える。
はたから見ているとまるで構ってもらって喜んでいる犬そのものだ(スケールはだいぶ違うが)。
「ともかく、そーゆーことなので広場の一角を使わせてもらうね?」
「おう、好きに使っていいぞ!」
許可を貰った亜里沙は平べったい板のような棒切れで地面をよっこらしょっと掘り返し始めた。
一面丈の低い草が生えているので、地面を掘りながら草をどんどん抜いてゆく。
「えーっと……アールヴ?」
だが……やがて少女はその手を止めて、自分の背中にずっと視線を送っている相手に顔を向ける。
彼女の背後でお座りをしながらじぃっと作業を見守っていたアールヴである。
「なんだ? なんだ?」
ヘッヘッヘ……と舌を出しながら返事をするアールヴ。
心なしか尻尾がぱたん、ぱたんとその後ろで揺れている。
「もしかして手伝いたいの?」
「掘っていいのか? 俺も掘っていいのか?!」
「なんで二回言うのかな? かな?」
とったったっ、と小走りで駆け寄ってきて亜里沙の隣に座り込み、前脚でちょいちょい地面を掘る仕草。
亜里沙は思わず「可愛いー!」と叫んで正面から抱きつきたくなったが、せっかくの彼の機嫌を損ねるのもなんなので必死に堪える。
「んー、じゃあここからこの当たりを耕してくれる?」
「耕すってのは掘るって事か?」
「えーっと、掘り返して……どうするんだろ? んー、土を軟らかくしてお野菜が育ちやすくなるのかなあ?」
菜園を作るには土を耕さなければ、という知識はあった少女ではあったが、家が農家なわけでもなく、なぜそうしなければならぬのかその理由を真剣に考えたことはなかった。
確かに彼女の出した答えは間違いではない。土を掘り返して柔らかくし、土中に空気を入れることで作物を育てやすくするためにも耕すという作業は必須である。
けれど他にも耕すという行為には他にも幾つか意味がある。自ら経験することで、その内の一つに少女はすぐに気づいた。
「あ、そっか、草が抜きやすいんだ……!」
「どうしたどうした? なにか埋まってたか?」
がうがうっ、と吠えながら前脚を使って凄まじい勢いで穴を掘り進めてゆくアールヴ。
掘り返された土は瞬く間に後方へ溜まってゆき、これでは掘り返していると言うより単に掘っているだけだが……まあ盛られた土は後で埋めれば問題なかろう。
それよりも問題は草である。
雑草……という言い方も失礼かも知れないが、広場に元々生えていた丈の低い雑多な草たちだ。
畑を作る際にそれらを引っこ抜こうとしたのだが、これが案外面倒くさい。
けれど掘り返した後に土の中にある草を放り捨てるだけならばなんとも簡単ではないか。
「へー、耕すってこういう意味もあるんだなー……」
亜里沙は経験から得た知識に感心する。
実のところ草を取り去らなくとも土を葉の上に被せるだけで弱い草は枯れてしまったりする。
土を掘り返す意味はそういうところにもあるのだが、流石にそれは幾度も経験しないとわからないだろう。
ともかくアールヴの助けもあって畑作りは急ピッチで進んだ。
そうして作業を進める内……亜里沙は改めてその同居人(正確にはこちらが居候させて貰っているので大家さん、だろうか)の事について今更ながら色々と気づくことがあった。
人狼アールヴは年齢的には立派な大人なのだが、時折妙に子供っぽいところがある。
穴を掘ったり遊んだりしているときは特にそうだ。
けれど亜里沙は考える。よくよく考えてみれば彼が特段に子供っぽいわけではないのではなかろうか。
犬だって生まれて1,2年で大人になると言うけれど、いつまでたってもボールやフリスビーで楽しそうに遊んでいるではないか。
彼は元々狼なのだ。だから人間からみれば子供っぽく見えるところも狼からすればそうでもないのかもしれない。
そもそも人間の大人だってまーじゃんとかごるふとか色々なレジャーで遊んだりするわけだし、そういう大人の遊びと子供の遊びの区別が犬や狼にはないだけなのかもしれない。
「「できたー!」」
亜里沙とアールヴが同時に快哉を叫び、当初の予定よりだいぶ大きくなった畑が完成する。
まあ主にアールヴが張り切りすぎてしまったせい(お陰)だが。
少女は土の堅さを確かめるように幾度か指でこね、その後納得いった様子で種や苗を移植してゆく。
これまで森で採取した植物の内食べられそうなものに、さらにアールヴの鼻で鑑定して貰って問題ないと判定してもらったものである。
「……これで大きくなるまで待つのか?」
「まあ普通はそうだね」
「それ森で採るのとどう違うんだ?」
ばうばう、と素朴な疑問を投げるアールヴ。
確かに品種改良した作物ならいざ知らず、森にあるのとまったく同じものではさほど有り難みはない。
需要がたった二人(アールヴは狼の姿でいる限り肉食なので、実質一人)ではさらにその意味は薄いだろう。
「えへへー、でも一番最初には意味があるんだよー」
「あン?」
亜里沙は何やら小さなガラスの小瓶を取りだし、泉から自分用の水桶に水を汲んで持ってくる。
そしてその小瓶から緑色の液体を一、二滴垂らし水に混ぜると……良くかき混ぜて畑に撒いた。
すると……
「うおっ! な、なんだこりゃ!?」
アールヴが驚くのも無理はない。畑に植えられた種や苗がみるみると生長し、瞬く間に鬱蒼と茂ってしまったのだ。
「あちゃ……植える間隔が狭すぎたかも?」
「おい、アリサ、なんだコリャ!?」
「あー、えっと、この前ゲルダさんの家に行ったときに無理矢理持たせてくれたものー」
そう、恐縮するアリサにゲルダが持たせてくれたものは、植物の育成を爆発的に助ける不思議な薬であった。
「……なんかゲルダらしくねえっつーか、魔法使いらしくねえな」
「そうなの? なんかドルイドさんからもらったんだけど自分には不要なものだからとかなんとか言ってたけど」
「ああ……それなら納得だな。ドルイドってなあこーゆーのが得意なんだ」
「ふうん……?」
少女にはよくわからなかったようだが、魔法使いが世界を学術的に解き明かそうとする学者だとするなら、ドルイドは大自然と共に生きてその調和を守るまじない師のようなものである。
ゆえに動物や植物、天候などに関わる力を操るすべを知っているのだ。
植物の育成を助けるなどその最たるものだろう。
「んー……これも食べられる、これも大丈夫かな……?」
何枚か葉っぱを取って口に含み、味を確かめる亜里沙。
そして……その横で実を付けた植物に、彼女は瞳を輝かせる。
「種だー! これでいつでも育てられる!」
もらった薬はとても素敵なものだけれど、その量には限りがある。
ゆえに彼女はこうして種を集めておいて、いつでも作りたいときに作れるように……そう、栽培できるように準備をしておきたかったのだ。
森に来てから半月……少女は、自らの菜園を手に入れた。




