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第49話 『宵待月(よいまちづき)の朝練』

「お、水汲みか」

「うん! あーるう゛おはよっ!」

「おう。今朝は早いな」

「そう? 最近は早く目が覚めちゃうんだー。あーるう゛こそ今日は遅いね?」

「ああ。朝の狩りは今日はナシだからな」


 んー、と大きく伸びをしながら人間形態のアールヴが家から出てきて、水桶を持った亜里沙と挨拶を交わす。


「朝から人の格好なのも珍しいねー」

「ああ、なんのかんので時たまちゃんと変身しとかねえと体が忘れっちまうからなあ」


 手足を伸ばし、体を曲げて、体の各部の調子を確かめながら動かしてゆく。

 彼のそんな所作は時間的なことも相まって、少女にラジオ体操を彷彿とさせた。


「ふーん、そういうものなんだ」


 水汲みが終え、水桶を置いた亜里沙がとてとてと広場へ戻ってくる。


「忘れちゃうって、変身できなくなるってこと?」

「まあ完全にできなくなるわけじゃあねえけどな。変身するまでに時間がかかるようになったり、してえ変身ができなくなったり、月の満ち欠けで変身が制御できなくなったりとか、ま、色々面倒くせえことになる」

「へー、結構大変なんだね」


 寝転がってストレッチをしていたアールヴはよ、っと声をあげると跳ねるようにして一瞬に起きあがり、亜里沙が目を丸くして歓声を上げる。


「あんま見ても楽しいもんじゃねえだろ」

「ううん! 楽しい! すっごく楽しいよっ!」

「……変わった奴だなあお前」


 呆れたのか感心したのか、いずれにせよアールヴはそれ以上追求はしてこなかった。


「へー、わー、うわー……!」


 一人身体を動かすアールヴは……やがて体操のような動きから徐々にその所作を変化させ、より躍動感の満ちたものへと変えてゆく。

 拳打、蹴り上げ、肘打ち、回し蹴り……それはあたかも徒手空拳での武術の演舞のようで、亜里沙は瞳を輝かせてそれに魅入っていた。


「すごいすごいあーるぶ! かっこいいー♪」

「アールヴ……だっつの! あとジロジロ見んなやりにくい」


 きゃいきゃいと腕を振り回しながら観戦している亜里沙を怒鳴りつけようとして、首輪に目を止めて語調を抑えるアールヴ。


「ぶー、別にいいじゃん減るもんじゃなしー」

「そりゃ減りゃあしねえが……あー、お前が前に言ったセリフの意味が分かった気がするわ……」


 半ば諦め気味にそう呟いて、再び体を動かし始めるアールヴ。

 亜里沙は飽きもせず、むしろ実に愉しげにそれを見学している。

 体を動かすのが好きなその少女は、他人の派手なパフォーマンスを見るのも大好きなのだ。


「……なんだ、お前もやってみたいのか?」

「ふえっ!?」


 アールヴの演舞を見ながら瞳を輝かせ、無自覚に体をゆさゆさ耳をぴくぴくお尻をふりふりしていた亜里沙は彼の言葉にハッと我に返る。


「え、えーっと……どうなんだろう?」

「いや俺に聞くなよ」


 ぽて、と両足で軽くステップした少女は、そのままぽててて……と小走りにアールヴの足下まで駆け寄ってくる。


「体を動かしたいのはホントだけど……その、私にもできるかな?」

「そりゃやってみねえことにはな……やるか?」

「うんっ!」


 毛皮造りの時以外でずっと人間の姿でいる彼は珍しく、亜里沙は見上げるようにしてアールヴの言葉にぶんっと大きく肯首する。


「つっても本業の武術家とかじゃねえからな。まあ好きに拳なり蹴りなりを出しゃあいい」

「こ、こんな感じ?」


 へにょ、と突き出されるパンチにアールヴは頭を抱える。


「ちげえ、そうじゃねえ。好き勝手つっても最低限ちゃんとした動きをしろ。こう脚がこうなって……インパクトの瞬間に、ほれ」

「おおー!」


 アールヴのお手本を亜里沙なりに解釈し、要点を飲み込む。


「なるほど。要は脚先から拳に力を伝えればいいんだ。それでその力が後ろに逃げないようにして……」


 ぶつぶつと呟きながら構えを取る亜里沙。


「こうして……こう?」

「おお、そりゃいい動きだ。さっきとは見違えたぜ」

「へへ、えへへ♪ そう? じゃあ蹴るときは……こんな感じかな?」


 少女は格闘こそ素人だが格闘技ならテレビなどでよく目にしていたし、様々なスポーツの経験から基本的な体の動かし方は知っている。

 元々センスがいい上に飲み込みの早い彼女は、単なる教師役の猿真似ではなく、その動きの意図と意味を自分から読み取ろうとしていた。


「よーし、それくらい動けりゃ十分だろ。じゃあ行くぞ!」

「わ、いきなりそんな……わ、きゃっ!?」


 ぶんっと大きく放たれたアールヴの突きに一拍遅れて亜里沙のパンチが飛んだ。


「ダメだダメだ! そんなんじゃ蠅も殺せねえぞ!」

「は、蠅を殺すのは結構大変な気がするのー!」

「……理屈だな」


 とはいえ今のは咄嗟のことで腰の入っていない打突であり、その事が少女自身にもよくわかっていた。


「ええっと……こう!」


 だが自分の動きに集中するとアールヴの動きに合わせられない。


「俺の事は気にすんな! お前はお前のやりたいようにやれ、アリサ!」

「うん、わかった!」


 ぽう、と僅かに光った首輪は、けれどすぐにその輝きを消した。

 命じられるよりも先に、御主人様の意図を理解したのだと判断されたようだ。


 パンチ、エルボー、ラリアット。

 ローキック、ニー、ハイキック、ローリングソバット。


 だんだん気分が乗ってきた少女は独楽のようにくるくる、くるくると回りながら自由に動き回る。

 初めの内はバラバラだった二人の動きは、やがて自然に同じリズムを刻んで、練度の差こそあれ実に綺麗なユニゾンを生み出していた。


「なんか楽しいねえ!」

「ま、満月が近ェからな。身体が動きたくってたまらねえのさ!」

「あー、そっかー。これ満月のせいかー!」

「おうよ! 俺たちゃ人狼だからな!」

「そっかー、人狼じゃあしょうがないねー!」

「ああ、しょうがねえ!」


 互いに激しく動きながら、相手に聞こえるように大声で叫ぶ。

 陽が高くなる頃には……二人はすっかり汗だくになっっていた。





 亜里沙とアールヴがそのまま川に水浴びに行ったのは言うまでもない。






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