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第47話 『十一夜月(じゅいちやづき)のおかしな空気』

「お、おはよう……」

「お、おう」


 翌朝、妙にぎこちない挨拶を交わした二人はそそくさと朝食を取ると、アールヴはそのまま出かけ、亜里沙は毛皮作りに精を出した。


「ふう、これであとは乾かして……っと。なめすのはもうちょっと待ってからかな」


 額の汗をぬぐいながら一息をつく。

 水汲みも終わったし、少しゆっくりできる時間だ。


「えっと、アー……るぶは出かけちゃったのか。そっか」


 普通に考えれば狩りに出かけたのだろう。それにしてはいつもよりやや早めだったけれど。


(それとも……場が保たなかった、とか)


 そこまで思い浮かべたところで、少女は突然顔を赤くすると、両手で頬を押さえながらその場にヘたり込む。


(わ、私、わたし、なんか昨日すごいことしちゃったんじゃ……?!)


 毛づくろいと言えば聞こえはいいが、要は男の体を舌で舐め回したわけだ。

 狼の姿だったからよかったものの、もし彼が人の姿だったらと妄想して少女は耳朶まで赤く染める。

 それがどの程度淫らがましいことなのか、という事に関して少女は未だ無知ではあったけれど、それでも昨晩の行為が倫理的にあまり宜しくない、背徳的なことであるという認識はあるらしく、額から蒸気を噴き出しながらのぼせ上がってしまう。


 とはいえ今の彼女は背徳的、という単語すら知らないのだけれど。


「わたし……イケナイこと、してた……」


 どきん、どきんと胸が高鳴る。

 あまりに鼓動が早すぎて息が苦しくなってきた。


 アールヴが早々に出かけてくれてむしろ助かったのかもしれない。

 場が保たなかったのは彼ではなく、むしろ彼女の方だったのだから。


 ……しばらく頭を冷やした少女はゆっくりと身を起こす。

 森の涼風が心地よく吹き抜けて、彼女も少しは落ち着きを取り戻せたらしい。


(で、でも、でも、私この首飾りがある以上あーるう゛に逆らえないんだし……そ、その、どんなめーれーだって、私……っ)


 あんな命令をされたらどうしよう、こんな命令をされてしまったら。

 あれとかあれとか、あんなのやこんなのや、ああいうのは流石に恥ずかしすぎるけれど……


 ……けれど、決して拒むことはできないのだ。


(あ、あんなことしろとか言われちゃったらどうしよう……は、恥ずかしくって死んじゃうよぅ……)


 ぎゅ、と目をつぶって己自身を掻き抱く。

 せっかく冷めた頭がまた沸騰しそうだった。


 決して逆らえない魔法の首輪……

 その首輪のせいでいらぬ自身の妄想に踊らされてしまう十歳の少女。


 けれど彼女が感じているのはあくまで羞恥であって、決して非難や拒絶ではなかった。

 通常なら己を従属せしめた相手にもっと拒否反応なり反抗心なりを抱いてもいいはずなのに。


 だのに……少女は、そうした気持ちを全く抱くことはなかったのだ。


 アールヴがそんなに酷い事を言うはずがない。

 自分が傷つき苦しむような命令を下すはずがない。

 少女はそう確信しているからこそ、存分に桃色の妄想に浸っていられるのだ。



 そう、出会ってからわずか十日の間に……

 彼女は、すっかりその人狼に心を許してしまっていたのである。



「ええっと……あとは森の中の探索、かな」


 毛皮のなめしを終えて一息つくと、森を歩いて色々と役に立ちそうなものを探すのが最近の日課となっていた。

 とはいえ先日の反省もある。亜里沙は決して彼の縄張りの外に出ないように注意しながら森の中を歩く。

 自分の心もしっかり把握しておかなければ。

 一昨日より昨日、昨日より今日の方が明らかに気分が高揚している。

 そしてその気持ちについて自問したとき……彼女は己が人狼混じりだと強く自覚する。



 ……そう、満月が近づいているのだ。



 それは不思議な感覚だった。

 自分の感情や自分自身が、月の満ち欠けという外的要因によって大きな影響を受けている。

 今まで他人の言葉で喜んだり傷ついたり、笑ったり泣いたりすることはもちろんあったけれど、そういうものともまた違う。

 なんというか、何か内側から湧き上がってくるのだ。


 人間なのに夜になると妙に体がうずうずする。

 妙にはしゃいだり動き回りたい気分になって、夜の散歩に出かけたくなったりする。

 身が軽くなったり、力加減が上手くいかなかったり、そんな細かい影響もあるけれど、とにかく総じて心が浮き立ち、活動的になるのは間違いないようだった。


「……あーるう゛はどうなんだろ」

「なんか言ったか?」

「きゃっ!?」


 いつの間にかに午後を廻って、アールヴが帰ってきていたらしい。

 狼ではなく人狼の姿である。


「あ、お、おかえりあーるぶっ!」


 つい先刻まで彼のことばかり考えていたからだろうか、思わず声が上ずってしまい、それを必要以上に自覚してみるみる頬を朱に染めてしまう亜里沙。


「アールヴな。どうした、風邪か?」

「はわっ!?」


 人狼のままこつんと額を当ててくるアールヴに動転し、真っ赤になったまま珍妙なポーズのまま固まる亜里沙。

 顔をしかめたアールヴは、しばらくしてああ、と得心した顔をして人狼から人の姿へと変わる。


「そうだったそうだった。毛深いまんまじゃ熱が計れねえよな。いや悪ィ悪ィ」

「きゅ~~ん……」

「……?」


 額から蒸気を噴き出しながら、上目遣いでアールヴを見つめる亜里沙。

 一体どうしたというのだろう。無論信頼はしていた。頼ってもいたけれど……先日まではこんな気持ちを覚える人ではなかったはずなのに。


「……やっぱり熱いな。風邪だろお前」

「だ、だいじょーぶだよ、たぶん」

「多分じゃダメだろ。寝ろ寝ろ。晩飯前には起こしてやるから。ほれ、一人で寝床まで行けるか?」

「う、うん……」


 アールヴに促されるまま切株の家へと向かおうとするが、頬が火照って少々足下がおぼつかない。

 風邪とは違うのかもしれないが、色々いらぬ事を考えすぎて知恵熱のひとつも出ているのかもしれない。


「ったく、まっすぐ歩けもしねーのか」

「わ、きゃん……っ?!」


 突然身体が浮いたかと思うと、気づけば人間の姿のアールヴに抱えられている。


(わ、わ、これって、これってば、もしかして……!?)


 そう、それはかなりぞんざいな扱いではあったが……俗に言う“お姫様だっこ”呼ばれる運び方あった。


「きゅ~~~~~~ん……」

「おいおい、ますます赤くなっちまったな。こりゃゲルダに薬もらってきた方がいいかぁ……?」


 段々と不安になってきたらしきアールヴを後目に、亜里沙は身体だけでなく心までふわふわしたまま藁の寝床に運ばれていった。


今日から心機一転また頑張りたいと思います。

皆様よろしくお願いします。 m(_ _)m

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