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第42話 『九日月の人さらい』

「やぁ! 放してぇっ!」


 亜里沙は必死に暴れるが、背後から強く組み伏せられていてじたばたともがくことしか出来ない。

 例の中年男は力が強い上に武術の経験でもあるのか捕らえ方にも無駄がなく、背中に回された腕間接を極められただけで彼女は完全に無力化してしまった。


 この前の、始めてこの世界に来た時のあの魔法使いの老人に強引に押し倒された時と全然違う。なんというか人体の構造というものをよく弁えている手練なのだ。


「兄貴、なんでこんなコ捕まえたんだ?」

「ま、まあ確かに可愛いけど……」


 じろじろと背中越しに注がれる無遠慮な視線。

 少女はぞわりと背筋を総毛立たせて思わず身をすくめる。


「バカお前ら、コイツの耳をよく見てみろ」

「耳……? あー! なんだこれ! すげえ!」

「ホントだ! 人間なのに! ニ、ニンゲン……だよな?」

「ああ。どうやら噂に聞く人狼混じりっつー奴らしいな。こんな綺麗に一部だけ特徴が出てる奴なんて始めて見たぜ」


 どんなに暴れても隙を見せないその男相手に、少女はもがくのをやめた。

 そして荒い息を必死に整えながら彼らの会話に耳を傾ける。

 力で敵わない以上何か脱出のための手がかりを掴まなければ……そのために必要なのは何よりもまず相手を知ることである。


「で、どうするんでさ兄貴」

「決まってる。旦那のところに連れてゆく。ほら、立て!」

「きゃんっ!」


 ぐい、と強い力で無理矢理立たされる。

 逆らおうとすれば間接を極められて痛みで従わざるを得ない。

 けれど返事をしてはダメだ。迂闊な応対は首輪を反応させかねない。だから返事をせず、しかしなるべく反抗的に……


 少女は男たちを強い瞳で睨みつけ、うう~、と精一杯の威嚇をする。

 彼女の考えは間違っていない。素直についていっては間に合う助けも間に合わぬかもしれぬ、なるべく言葉を発しないようにすればそれだけ首輪が発動する危険は減る。


(可愛いな……)

(……子犬みたいだな)

(威嚇する女の子、いい……)


 ただ誤算があるとするならば、野生の欠片もない少女の威嚇はむしろ子犬がするそれに似ていて、本人の意思とは裏腹に彼らの興趣が増すばかりだというところだろうか。


「しかしなんスかねこの真っ赤な背負い袋」

「確かに……ここらじゃ見たことねえ奴だな」

「も、もしかしたら魔法の品かも!」


 おお、とどよめくならず者ども。


「バカなこと言ってねえでとっとと連れてくぞ!」

「「「へーい」」」

「んにゅっ! わんっ!?」


 腕を前に回されロープで縛られて、突き押されるようにしてよたよたと草原を進む。

 周囲には三人の男ども。これでは簡単には逃げ出せそうにない。


(何か残せないかな、こうおやつとか? ダメか……)


 昔話で道をたどる方法として食べ物などを地面に落としてそれを目印にした話などを思い出すが、そもそも落とせるものをもっていない。

 ランドセルの中には今日の戦利品が色々と入ってはいるがこの状態では相手に気づかれずに留め金を外して中身を落とすのも無理な話だ。


 いくら考えても何も浮かばず……少女は、結局彼らが『旦那』と呼ぶ男のところまで連れてゆかれてしまった。


「ほほっ! ずいぶんと時間がかかったようだが……ほほう、これはこれは」


 それは少々赤を基調とした少々悪趣味で華美な服を着込んだ丸顔の男だった。

 頭皮は薄く、額が広く、腹周りはでっぷりと太っていて脂汗をかいている。

 いかにも飽食で体型を崩したお金持ち、といった風情である。


「旦那なら気に入ると思いまして」

「きゃぅんっ!?」


 中年男に首の後ろを掴まれ、苦悶の叫びをあげながらよたよたとその商人の前まで歩かされる亜里沙。

 その商人はなんともいやらしく下卑た笑みを浮かべながら少女のおとがいを掴み、己の方へと強引に顔を向けさせる。


「ふむ、器量もいいねえ。それも人狼混じりとは! これは高く売れるぞ……? おいシュルツ、こやつは人語を解するのかね?」

「は、一応会話できることは確認してあります」

「よろしい。なあに、言葉さえ通じればこのパントス、小娘に言うことを聞かせる手段など幾らでもあるのだよ。ぐふふ」


 いやらしい笑みにぞくりと身を竦ませながら少女は後悔した。

 言葉が話せないと思われていた方がよかったかもしれない。

 最初につい反射的に離せと叫んでしまったことが悔やまれる。


 しかし……それ以上に彼女の脳に警鐘を鳴らしている言葉があった。


(この人……さっきなんて言ったっけ? 高く売れる……そう言ったの?)


 とするならば、少女は最悪の相手に捕まったことになる。

 そう……彼らは人さらい、あるいは奴隷商人と呼ばれるたぐいの連中らしい。


「メイムーを探しに来て思わぬ拾いものをしましたね。よしよし、お前たち少し離れていなさい」


 商人……パントスの言葉がきちんと翻訳されず、ただメイムーとのみ聞こえる。

 それはつまり彼女の知識にそれに該当する存在がいないということで、一体彼らは何を探しに来ていたのだろう……などとつい下らぬことを頭にのぼせる。


 パントスは懐からなにやら精巧なミニチュアを取り出した。今にも動き出しそうなほどいきりたち竿立ちとなった馬二頭に引かれた見事な馬車である。

 それは本当に見事な造りで、亜里沙は思わずまじまじと見入ってしまった。


 パントスはそれを丁寧に草原に置くと、口の中で何かを呟く。

 すると……次の瞬間、激しいいななきと共にそこに二頭の馬と豪奢な馬車が現れたのだ。

 驚きに目をまんまるくする少女。どうやら先刻のミニチュアが大きくなったものらしい。


 やっぱりこの世界には魔法があるんだ……などと妙なところで感心する亜里沙。実際には関心している余裕などないのだけれど。


「さ、乗れ!」

「きゃ……っ!?」


 強引に馬車に連れ込まれ、床に転がされる。

 素早く馬車に乗り込む面々、ならず者の内の一人が御者台に乗り、馬に鞭を入れる。


 ゆっくりと動きだし、速度を上げてゆく馬車。

 ここは街道でも何でもない草原の上だというのに、なぜか不思議と揺れは少ない。


「あ、やだ、やだやだやだ……っ!!」


 床に這い蹲りながら太めの眉を曇らせ泣きそうな顔で呟く。

 たった一週間程度しか過ごしていないはずなのにまるで自分の家かのように錯覚していた森がどんどん遠ざかってゆく。


 少女の心は張り裂けそうだった。

 こちらの世界に無理矢理呼び出されて、苦労しながらやっとのことで希望を持てたというのに、このままどこかへ連れてゆかれてしまえば、誰かに売られてしまえば、元の世界に戻れなくなってしまう。いや、それどころかうっかりその首輪が発動してしまえば決して逃げ出せぬ隷従の身となってしまう。


 そして終いには……そんな現状すら幸福だと思い込むような“何か”に仕立て上げられてしまうかもしれないのだ。

 この……呪わしき首輪の魔力で。



 けれど少女が、亜里沙がそのとき思ったことは、そんな身に迫る危険などではなかった。



 がたん、と馬車が大きく揺れた瞬間、手を縛られたまま少女は跳ね置き、扉目がけて走る。

 途中バランスを崩して壁に体当たりしてしまい肩に鈍痛が走るが、そんなことはお構いなしだった。


「くそっ! 暴れるな小娘がっ!!」


 シュルツが強引に亜里沙を掴み、すんでのところで窓からの脱出を阻止する。

 亜里沙は彼の腕の中で必死にもがきながら、大声で、自分でもびっくりするほどの大声で叫んでいた。


「あーるぶ! あーるぶっ! あーるぶぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!」


 そう……少女は、元の世界に帰れなくなることより、奴隷に身を堕とすことより、その首輪に隷属を強いられることより……



その時は、ただ人狼アールヴに会えなくなること、それのみを恐れていた。



 うぉおぉぉぉぉぉぉぉん……っ


 どこか遠くから遠吠えが聞こえた。

 まるで仲間の咆哮に合わせるかのような長い、長い遠吠えだった。


「なんだ?」

「狼ですかね」

「この人狼混じりの仲間か……?」


 ざわりとざわめく人さらいども。

 その内の一人、シュルツの腕に拘束されながら……少女、亜里沙はぽろり、ぽろぽろりと涙を零していた。



 その遠吠えは、狼の叫びだった。

 少女はその叫びを、咆哮を、きっと生涯忘れないだろう。



 その場の誰にも聞こえていた遠吠えは……けれど人狼混じりの彼女にしか理解できぬ叫びで……こんな事を告げていた。











「アリサァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」











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