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第40話 『九日月のお花摘み』

「あ、この葉っぱ使えそう! こっちはどうかな?」


 ランドセルを背負って森の中を歩きながら、何か面白そうなものを見つけるたびに歓声を上げ、いじり、試して、確かめてみる。

 亜里沙は森の探索にすっかり夢中になっていた。


 一見すると彼女が知っている元の世界の森となんら変わらぬように見えるが、それでも彼女の知らぬ新しい発見が驚くほどたくさんあった。

 植生や分布、習性や生態など、何か新しい発見があるたびに少女は瞳を輝かせ心に刻んでゆく。


 元の世界となんら変わらぬものもあれば明らかに違うものもあり、また少女にとっては新鮮であっても実は単に彼女がものを知らぬだけで元の世界通りのこともあったが、いずれにせよそれが10歳の少女にとって新鮮な体験であることに変わりはなく、彼女はそれらをみるみる己の知識や経験として還元させていった。


 それはちょうど……まだ幼い仔狼が好奇心旺盛に大自然に挑み、幾度も失敗を繰り返しながら学んでゆく様にどこか似ていた。


「なにこの蔓、甘ーい!」


 がじがじ、と木に巻き付いた蔓草をかじって驚きに目を見張り、その後一泊置いてから己の行為に吹き出してしまう。

 森の中でいきなり蔓草にかじりつく小学生の娘など両親や友人が見たらどう思うだろうか。


 一昔前の男子であればまだ多少はそういう手合いの野生児がいたかもしれないけれど、今は男でも森に分け入ってそういう馬鹿をするような輩はほとんどいなくなってしまった。

 というより、彼女の街にはもはや分け入るような大きな森自体がほとんどなくなってしまっていたのだ。


「あーるぶが聞いたら喜ぶかな? それとも怒るかな?」


 そんなことをつらつらと考えつつ森の探索を進める亜里沙。

 背中に背負ったランドセルにはいつの間にやら様々な草や枝や木の実などが詰め込まれていた。

 丈夫な蔦や漏斗状の葉っぱ、よく乾いた枝や食べられそうな木の実など、実に様々だ。

 途中でキノコもたくさん見かけたが、素人には食用キノコと毒キノコの見分けは付きづらいと聞いたことがあるし、なによりここは異世界である。どんな危険なものがあるのかまったくわからなかったので、それはスルーしておいた。


「ええっと……あれ?」


 突然開けた視界に少女は目をぱちくりとさせる。

 どうやらいつの間にか森の端までたどり着いてしまったものらしい。


「なんだ、もう終わりか……」


 なぜだか少しだけがっかりする。

 先刻まで感じていた充足がもっとずっと感じられると思っていたのだ。


 目の前に広がっているのは広大な草原……視界の向こうに幾つかの林が点在しており、以前訪れた森の外れとはだいぶ違う場所のようだ。

 アールヴに乗って飛び出したゲルダの家のある森の方角とも違う。


「っていうかうちうち! おうちの場所は……っ!」


 今更ながらの己の不注意に気づいて青くなる。

 彼女が現在住んでいるのはは両親がいる我が家ではなく暮らしはじめてたった一週間程度のあの切株の家なのだ。

 周囲の地理にも不案内だし、もし道に迷ってしまえば再びあの家に帰れる保証などどこにもないのである。

 亜里沙は慌てて周囲を見回して、あの切り株の家へと帰る経路を必死に思い出そうとして……


「…………?」


 そして、怪訝そうに森へと振り返り、若干太めな眉根をひそめた。


「あれ、わかる……?」


 そうなのだ、少女にはなぜかあの家の方角と帰る方法がなんとなくわかってしまったのである。

 それが正しいのかそれとも単なる勘違いなのかはわからないけれど、こうしている今もあの家のある方向がぼんやりと把握できた。


「これってもしかして、きそー本能ってやつ……?」


 初めて肌に感じるその感覚に戸惑いつつも、なんとなく得心する。

 今日森の中を歩いていて道に迷った気がしなかったのはきっとこの感覚のせいだったのだ、と。

 けれどこれならもう少し遠出しても大丈夫なはずだ。

 幸いまだ日は高い。この森は大きくて目立つし、ちょっと草原の先まで足を延ばすのも悪くないかもしれない。


「……あれ?」


 と、そこで亜里沙の視界は草原の先に奇妙に蠢くものを認めた。

 草をかき分けるようにして進む黒っぽい陰。一体なんなのだろう。

 興味を引かれた彼女はそのまま草原に一歩踏み出す。


 ……一歩、二歩、三歩。


 かつて恐怖にすくんで踏み出せなかったのが嘘のように、その草原はあっさりと少女を迎え入れてくれた。

 青臭い草の香り、足を踏み出すたびに草の間から跳ね飛ぶ虫たち。

 それはまるで彼女を歓迎しているかのようで、気が大きくなった少女は先刻の黒い影を目線で追い、少しずつそちらの方角へと歩を進めてゆく。



 ……もう少し少女が昔のままだったなら、必要以上に怯え警戒して森の外になど出なかっただろう。

 逆にもう少し彼女が野生に目覚めていたなら、見知らぬ存在にその本能がとりあえず警鐘を鳴らし、物陰に身を潜めやり過ごしていたかもしれない。



 けれど今の彼女にはそこまでの野生はなく、さらに慣れぬ人狼混じりの身ゆえ月齢によって気分が高揚し、その行動も大胆になっていた。


 だから……少女は結果として、自らの足で危険へと近づいていった。

 それを一概に彼女の責任と片づけることはできないが……





 それでも、愚かな行為には相応の報いがあるものだ。




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