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第36話 『上弦の帰宅』

「んじゃあそろそろ行くぞ、チビ」

「う、うん、わかった」


 なにやら申し訳なさそうに幾度もゲルダへと頭を下げた亜里沙が、外で待っているアールヴの元へ向かう。

 少女はあの後さらにもう腕輪を一つもらっていた。

 炎の腕輪、と呼ばれる火を操る魔法の品である。

 これ以上ものをもらうのは申し訳ないと固持する少女に、その大柄な翡翠の髪の魔女は微笑みながら告げた。


「さっきのはお詫びの印。ならこれは友好の証、よ。大丈夫。そんなに高いものではないから。森の中で火を使うならあると便利でしょう?」


 確かに説明を聞く限りその腕輪には合い言葉を唱えると火の玉が飛んでいって相手を燃やしてしまう……のようなそんな大それた力があるわけではなかった。

 小さな火種を作り出せること、狭い範囲の炎の勢いを強くしたり弱くしたりできること、といった程度である。

 けれどその程度の力こそが、まさに今の彼女が欲しがっていた力でもある。亜里沙は結局何度も礼をしながらそれを受け取ることにした。


「それじゃあね。そんに悪いと思うなら対価としてこれからも時々はこちらにいらっしゃい。貴女の世界の話とか興味があるから、聞かせてもらえると嬉しいわ」

「ハイ! その時はよろしくお願いします!」

「ええ。いつでもいらっしゃいな。用件が済んだから私は当分家にいると思うわ」

「えーっと、本当に何から何までありがとうございました!」


 アールヴの傍らに立って、ぴょこたんと頭を下げる。

 この世界に来て初めて会ったあの老人と同じ魔法使いとは思えない。少々大柄なところに驚くが、なんとも素敵な女性だった。


 ……まあ、少し怖いところがあるのは否定できないけれど。


「ほれ」

「うんっ」


 アールヴが伏せて亜里沙に首で乗れと促す。

 少女はランドセルを背負い直した後、えいやっと彼の背中に飛び乗って、首にぎゅっとしがみついた。


「ふふ、まさか貴方が人間の子を背中に乗せるだなんてねえ」

「ほっとけ! ……チビ、しっかり掴まってろよ」

「うん!」


 ゆっくりとした歩調でその魔女の家に背を向けたアールヴは、最後に一度だけ振り返る。

 そして手を振るゲルダにがうっと吠えると、そのまま一気に速度を上げた。


「……あれ? 今のってもしかして命令?」

「どうした、おチビ」

「ううん、なんでもなーい!」


 風の音が五月蠅くて大声で叫び返す。

 アールヴとの会話に少し不安がよぎった亜里沙だったが、どうやらこの程度の強さでは首輪は命令と見なさぬらしい。

 少女はホッと安心したように息をついた。


「ねえねえ、あーるぶ!」

「ああん? 声が小さくてよく聞こえねえ!」


 ごうごうと渦巻く風に目を半分閉じながら、亜里沙がアールヴに話しかけるが、風の音が大きすぎて彼の耳にはちゃんと届かなかったらしい。


「ねーねー! あーるぶー!」

「アールヴだっ! で、なんだよ」


 もっと大きな声で叫んでみると、即座にいつもの返事が飛んできた。


「ゲルダさんってー、いい人だねー!」

「ああん? まあなー。だがだからって魔法使いをあんまり信用すんなよー!」

「ええー?! でもー、だってー、あーるぶはゲルダさん信用してないのー?」


 互いに叫びながらの会話なのでどうしても間延びしてしまう。

 木々が密生している場所にさしかかり、亜里沙は一層に体勢を低くしてアールヴにぎゅっとしがみついた。


「あいつは別だー! ただゲルダは魔法使いの中でもかなり例外の部類だからなー!」

「そうなのー?!」

「おー、大概の奴はお前が最初に会った奴の方に近いと思っとけー!!」

「うっわー、それはやだなー……」

「ああん、なんか言ったかー?」

「ううん、なんでもなーい!」


 あんな老人みたいなのばかりだとするなら、亜里沙は正直なところあまり魔法使いという人種を好きになれそうにない。

 ゲルダが例外だというのなら、その例外に出会えた幸運に感謝しよう、と亜里沙は目を閉じて何者かに祈った。


「……ここってどんな神様に祈ればいいんだろ」


 と、そこまで考えたところでとある疑問が浮かんだ。


「あーるぶあーるぶ! ゲルダさんって何が特別なのー?」

「んん? あー、あいつはドルイドどもと仲がいいんだ。ふつうの魔法使いだと仲が悪い事が多いんだがなー!」

「ドルイド……」

「おう。あいつが森の中にてめーの家持ってるのもドルイドに許可もらってんのさ!」


 そういえばこれまで幾度か聞いたことがあるような気がする。

 けれどドルイドとはいったいどんな人たちなのだろう。


「ああん? ドルイドだあ? 連中は森のまじない師だ」


 森を抜け、草原にさしかかったところで少しだけアールヴの速度がゆるむ。


「まじない師って……魔法使いとは違うの?」

「んー、俺も詳しくは知らねえが、魔法使いどもはいっつも研究研究ばっかりで頭でっかちな連中だな。ドルイドは森に住んで自然を大切にする奴らだ。獣の言葉を話したりもできるし、狼や俺ら人狼ともそんなりに付き合ってる」

「ふーん……?」


 少女にはあまりピンとこなかったが、自然を大事にして動物と話せる、といったあったりでなんとなく仙人かなにかのようだ、と勝手に想像を巡らせた。


「そういう人達と仲良しって事は、ゲルダさんも自然が大切! みたいな人なの?」

「んー、まあそういうわけじゃあねえんだろうが立場としてはそっち側、ってとこかな」

「……なんか複雑なんだねえ」

「まああーゆー連中の考えてることは俺もよくわからん。それよりまた速度上げるぞ」

「う、うん」


 亜里沙がぎゅっとしがみつくと、一拍置いてぐんと速度が上がる。

 びっくりするほどの速さ。けれど彼の背中にいると不思議と安心できて、少女は全然怖さを感じなかった。


「よーし、到着だ」

「ふう、たっだいまー!」


 縄張りたる森を一気に突っ切って切株の家のある広場へとたどり着く。

 少女は元気な声で挨拶しながらアールヴの背から降りた。


「ただいま?」

「うん、だって今はここが私のおうちだもん!」

「そうか……ああ、まあそうだな。うん」


 どこかぶっきらぼうな口調でそう告げたアールヴの尻尾は、だがやけに機嫌良さげにはさはさと揺れている。

 少女はなんとなく嬉しくなって、背後からその狼に飛びついた。


「って何しやがる! 邪魔だっつーの!」

「えへへー、ボスにじゃれついてるだけだもーん!」


 ぎゅー、っと背中から抱きしめつつ、跳ねるように駆けるアールヴに振り回され、きゃっきゃとはしゃぐ亜里沙。


「こら、やめろっつてんのに、ったく……!」


 迷惑そうな口調ながら、尻尾は素直にぱたぱたと振れているアールヴ。


「あのなあ……群れのガキがちょっかい出してきたらお前、どっちが優位かを示すのがボスの役目だぞ?」

「ほえ……ってきゃあああああ?!」


 アールブは体をひねるようにして横倒しになり、亜里沙を地面に引き倒すと、そのまま仰向けの少女の上にのし掛かり、前脚で胸を押さえつける。


「ほれ、こうやってな」

「ぷ……ふふ、あははっ、アールヴは強いねー!」


 きゃっきゃとはしゃぐ亜里沙に、怪訝そうに顔をしかめるアールヴ。

 いったいこの小娘は、何がこんなに楽しいのだろう、と。




 もっともそんな事を思いながらも、彼の尻尾は未だ左右に振れていたのだけれど。





 

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