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第35話 『上弦の謝罪と対価』

「え? ええええっ?!」


 自分が? アールヴの?

 目をぐるぐると回しながら亜里沙の理性が混乱の縁に立たされる。

 真っ先に脳裏に浮かんだのは自分が犬のように座り込んで首輪から鎖を伸ばし、その先端を隣にいるアールヴがくわえていて、そこで自分が実に嬉しそうに「わんっ!」と吠えている光景だった。


(え? ふええ? いやなんか似合ってるかも似合ってるかも! ってあれ? でででもこれも首輪の力なのかな? かな?!)


 みるみる頬を染め両手でほっぺたを押さえる亜里沙。

 口はみっともなく半開きになって、だだ漏れる妄想が止まらない。止められない。

 だって彼女の常識的には人間が首輪をつけた犬を飼うのが正常であり、まかり間違ってもその逆は無いはずだった。

 だのにこれでは立場が逆ではないか。確かに彼は犬ではなく狼だけれど、それにしたって獣の方が主人で人間を従わせるだなんて。それもよりにもよってアールヴと自分が、である。


(えーっと、えっと、な、なんかよくわかんないけどえっちでいけないことだよう……っ)


 流石に小学生だけあって倒錯的、という単語はすぐに思いつかなかったらしい。

 けれどそれが何やら後ろ暗い、倫理的によからぬものだというのは肌で感じたらしく、亜里沙はますます頬を赤らめ、その犬耳の先端がへにょりと垂れた。


「バァカかゲルダ。なんで俺がこんなチビガキの御主人様だかなんだかにならなきゃいけねーんだ」

「あー! またチビガキって言ったー!」


 いつの間にやら狼の姿に戻ったアールヴの嘆息しながらの台詞に思わカチンと来る亜里沙。


「チビでガキをチビガキ言って何が悪い」

「チ、チビは否定できないけどガキじゃないもんっ! 私だってちゃんとめーれーくらい聞けますー! い、今は無理なものでもちゃんと全部覚えるんだからっ! だ、だから、えーっと……!」


 真っ赤になってまくし立てた亜里沙はその後の適切な言葉が浮かばずゴニョゴニョと口を蠢かせ、救いを求めるような目つきでゲルダを見上げる。

 その巨人が如き大女は、少女の視線に目をぱちくりとさせた後、すぐにその意を悟って目を細め助言した。


「……ああ、もしかして、御奉仕?」

「そうそう、それです! ちゃんとごほーしできるもんっっ!」

「てめーは奴隷になりてえのかなりたくねえのかどっちなんだあああああああっ!!」


 思わず大音声で吠えたアールヴが、剣呑な目つきでゲルダを睨む。


「てめーもウチの群れのもんにヘンなこと教えんな!」

「あらあら、ごめんなさいね」


 その大きな背丈を若干丸め、くっくっと笑いを堪えながら翡翠の髪の毛を器用に蠢かし口元を押さえるゲルダ。


「とにかく! 元々群れのリーダーは俺なんだから俺がこいつを躾るのも言うこと聞かすのも言われるまでもねーことなんだ。首輪がどうのとか七面倒くせえのは願い下げだぜ」


 なあ? と視線を亜里沙に向け同意を求めるアールヴ。

 これまでそうした事をされたことがなかったためか、一瞬どきりと大きな鼓動を鳴らす亜里沙の胸。


「う、うん……そうかも。そうだけど……ねえゲルダさん、このままだと危ないんですよね?」

「そうね。危険は潜在したまま、ということになるわ」

「危険もなにもあの家の近辺に来るヒトガタなんざお前かドルイドくらいだろ? まず心配ねえよ」

「それは……まあそうでしょうけど」


 どことなく面白くなさそうな顔をしたアールヴは尻尾をぼすん! と勢いよく床に叩きつける。


「まあお前がどうしても心配だっつーなら考えんでもねえが……どうなんだ?」

「あ、ええーっと」


 アールヴに問われ、亜里沙は答えに窮した。

 確かに誰かに絶対服従とか、命令遵守とか、そういうのは嫌だ。

 けれど……アールヴ相手なら、そんな悪いことにならないんじゃないか、という気もする。

 たった数日しか一緒に過ごしていないけれど、それでも彼がとてもいい人……もとい狼なのは少女にも十分すぎるほどわかっていた。

 このまま誰が御主人様になるのかわからない不安を抱えるくらいなら、いっそ……


「も、もう少し考えてみる」

「そうか。お前が納得する答えを見つけてみな」

「う、うん……」


 結局……少女は答えを出すことを保留した。

 あまりに急なことなので、覚悟ができていなかったのだ。


「そうね……貴方達がそう決めたのなら何も言わないわ。それじゃあ……亜里沙ちゃん、ちょっとこっちにいらっしゃい?」


 ゲルダが軽く手を叩き、その後亜里沙を手招きする。

 一瞬先刻魔法によって体を無理矢理操られたことが脳裏に浮かび身を硬くする亜里沙であったが、彼女が手招きをやめないので意を決して近づいてゆく。


「ウチのチビにヘンなマネしやがったら承知しねえぞ」

「あら、今度はチビなのね」


 くすくす、と微笑んだゲルダは手のひらに乗せたものを少女に差し出した。


「ええっと……イヤリング……?」


 そう、それは耳飾りだった。

 ネジのような金具で耳に留めるタイプの、白くて丸い真珠のような宝石が付いている。


「わあ、きれーい……」


 親に文系少女に育てられつつ運動少女に育ってしまった亜里沙は同世代の少女に比べてお洒落に少々疎かったが、それでもやはり女の子である。こうしたアクセサリーを見て心をときめかせないわけがない。


「耳を貸して。付けてあげる」

「え? これ付けてみていいんですか?」

「付けるというか、貰ってほしいの。さっき怖がらせたお詫び」

「え、ええええええええ?!」


 びっくりして目をまん丸くする亜里沙。

 そして即座に首をぶんぶんと振る。


「そ、そんなのいただけないですよっ! さ、さっきのはただちょっと怖かっただけだし!」


 ん~、と首を捻りながら腕を組んで自分の気持ちを反芻する亜里沙。


「い、今もちょっとは怖いかもですけど!」


 亜里沙のなんとも素直な反応に再びゲルダはくすくすと微笑む。

 なんともよく笑う女性である。


「そういう訳にもいかないのよ。魔法使いには魔法使いのルールがあってね。だからこれをもらってくれないとお姉さんとっても困ったことになってしまうわ」

「そ、そうなんですか……」

「そうなの。ああ、もちろん亜里沙ちゃんが私を困らせたいなら実に有効な戦略だけれど……」

「違います違いますっ!」


 慌てて首を振った彼女は、結局その耳飾りを受け取ることになった。

 ゲルダに取り付けてもらった亜里沙は、手鏡を受け取り自らの姿を映し出すと、恥ずかしそうに頬を赤らめる。


「ね、ねえ……あーるう゛、ど、どうかな……」

「んー? いーんじゃねーの」

「ぶー」


 そっけない返事に思わず頬を膨らませる亜里沙。それを見ながら苦笑するゲルダ。


「あらあら、本当に男ってこういうところに気が回らないんだから……良く似合ってるわ亜里沙ちゃん、素敵よ?」

「ホ、ホントですか?!」

「ええ。それとその耳飾りにはちょっとした効能があってね……アールヴ、ここで人の姿になれるかしら」

「ああん? そりゃなれっつったらなれるけどよ……」


 すぐさま人の姿になっってえぶつぶつと文句を述べるアールヴ。

 驚きのあまり目をまん丸く見開く亜里沙。


「へ? あれ? あーるう゛の言ってることがわかる……?!」

「ああん? そりゃおめえ当たり前の……」


 そこまで言い差して互いに顔を見合わせる二人。


「こ、これって、これってもしかして魔法の耳飾りですか!?」


 大慌てで振り返る亜里沙にゲルダが小さく頷く。


「ええ。人化したアールヴとお話できないのは不便でしょう? あった方がいいかと思って」

「そ、それは……それはそうですけど、こんなすごいものいきなりいただけないっていうか……」


 贈り物の素晴らしさに思わず躊躇してしまう亜里沙。


「あら、さっきもらってくれるって言ったじゃない」

「で、でもあの時はどんなものかよく知らなかったし……!」

 

 二人のやり取りを見ていた人の姿のアールヴが……目を細めて機嫌悪そうに呟く。


「チッ、おめーその耳飾りをコイツに渡すための帳尻合わせにさっきわざと脅かしやがったな」

「あら、なんの事かしら。ともかくそれはお詫びの印だから、受け取っておいてね?」

「え、えーっと……あ、ありがとうございますっ!」


 ぴょこたん、と頭を下げる亜里沙。

 微笑を崩さぬゲルダ。


「気にしないで。私の流儀に則っただけですもの。ただ……気を付けてね。人化したアールヴの言っていることがわかるということは、街に行ってもみんなの言葉がわかると言うこと。それは貴女の今の状況を考えると……必ずしもいいことばかりとは言えないのだから」







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