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第28話 『上弦の語らい』

「で、今回急ぎで来たのは何の用? やっぱりその子のこと?」


 一通りランドセルを調べ終えて満足したのか、頬杖をつきながらゲルダが尋ねる。


「やっぱりたあなんだやっぱりたあ」

「あら、違うの?」

「そうだけどよ」


 アールヴは椅子に座るのも面倒と後ろ脚で立ちあがって机の上に上半身を乗せている。

 一見すると家族に構ってほしそうな犬の所作そのもので、亜里沙は一瞬噴き出しそうになるのと必死にこらえた。


「ほれ、おめーが説明しな」


 傍目にはヘッヘッヘッと息を吐いているようにしか聞こえぬ狼の所作。

 だがその場にいる小さな娘と大きな女性には、彼の言っていることがよくわかる。


「う、うん。ええっと……」


 亜里沙はアールヴに助けられるまでに自分の身に起こった事をなるべく正確に話した。

 道を歩いていたら突然眩暈がして、気がついたら地下室にいたこと。

 謎の老人に無理矢理首輪をつけさせられたこと。

 隙をついて逃げ出したこと。

 森や草原を彷徨いながら行き倒れてしまったこと……等々。


「なるほど……ね」


 小さくため息をつきながらゲルダが片目を閉じる。

 少しだけ何かを考え込んでいるようだ。


「なンか必要か?」

「いいえ。貴方からの依頼だもの。助言程度はしてあげるわ。珍しいものも見られたしね」

「そりゃ助かる」


 二人の会話を聞きながら亜里沙は少しだけ身を固くする。

 考えてみれば無償や善意で手助けしてくれるとは限らないのだ。その事を彼女はすっかり失念していた。

 今日は大丈夫みたいだけれど、もしかしたらまた彼に迷惑をかける事になっていたかもしれない……そう考えたとき胸がちくんと痛んだ。


「ただちょっとだけ待ってね。念のため……」


 ゲルダは翻話の術がかかっているにも関わらずなお理解できぬ呟きを二言、三言洩らして、半眼となって少女を見つめる。

 思わず緊張して身を固くした亜里沙だったが、特に体に異常は感じない。


「……ええ、大丈夫ね」

「? ?? ふえ?」

「ああ、気にしないで。その首飾りが他の魔法使いのものらしいと聞いて一応魔力探知してみただけよ。確かに魔法の品だけれど、どうやら位置を告げる類の術はかかっていないわ。だから追跡される心配もない。安心していいわよ」

「あ……っ!」


 少女はびくりと肩を震わせ、慌てて己の首に指を這わせる。

 もしあの老人が本当に魔法使いだというのなら、確かにそういう魔法を使えてもおかしくはない。

 携帯電話に付いたGPS機能のように、こちらの位置を正確にたどれる魔法……少女はそんなこと発想すらできなかった。


「あ、あの、あーるう゛……!」


 泣きそうな顔でアールヴに向き直る。

 謝らないと。彼に謝らなければ。

 だってたとえ無自覚だったとはいえ、もしかしたら自分のせいで彼の棲家が知られてあの老人に襲われていたかもしれないのだ。

 そんな爆弾を抱えたまま……安穏と彼に甘えていたかもしれないのだ。


「気にすんな。別にお前は悪かねえよ」

「で、でも……っ!」


 それでもせめて言葉に出して謝りたい……そんな亜里沙の膝、その太ももに、彼の肉球がたしたしと叩きつけられる。

 それは狼の言葉ではなかったが、少女には彼の言いたいことがすぐにわかった。

 アールヴは己を元気づけようとしているのだ。


「何もなかったって言ってるじゃねえか。ならそれでいい」

「う、うん……」


 しょんぼりと肩を落とす亜里沙と、消沈する彼女を横目に少し不機嫌そうなアールヴ。

 ゲルダはそんな彼らの様子を実に興味深げに観察していた。


「脇道にそれてごめんなさいね。話を続けてもいいかしら」

「は、はい……すいません。続きをお願いします」


 ぺこりん、と頭を下げる少女に少しだけ目を見開くゲルダ。

 どうしてどうして。この年にしてはなかなかに礼儀正しい娘ではないか、と少し感心しているらしい。


「結論から言うと……その魔法使いは召喚師で、貴女を異世界から呼び出したのね」

「やっぱり……!」


 既にアールヴから聞かされていた事ではなるが、改めて突きつけられた現実に息を飲む。


「そ、そういう事って簡単にできるんですか?」

「そうねえ……普通は相手と合意の上でこちらの世界に招くものだけれど……」

「わ、私合意なんてしてません!」

「そう? まあ召喚専門の連中ならそのあたりを略式で済ませて多少強引に勧誘することくらいあるかもしれないわねえ……」


 う~ん、と少しだけ眉根を寄せ、人差し指を己の額に当てるゲルダ。

 巨体の彼女がするその様はどことなく愛嬌があって、亜里沙は不覚にもつい可愛いだなんて感想を抱いてしまう。


「本当に何もなかった? この世界にいたくないとか、別の世界に行きたいとか、そんな事を口にしたりしなかったかしら」

「あ……っ!」


 びくん、と少女の体が揺れた。

 そう、確かに彼女はそれに類する言葉を吐いたことがある。

 母親の教育方針と対立し、また喧嘩するのかと嫌気が差していた帰り道。家に帰りたくないと、別の世界に行きたいと、そんな願望を口にした。

 目の前の問題から逃げだそうとした、逃避のための言葉だった。


「……心当たりが、あるのね?」


 ゲルダの声に、真っ青になって震えながら頷く。


「なら多分それが原因だわ。召喚者……貴女の言うその老人ね、そいつの目当ての条件を備えた相手……おそらく貴女の場合は性別や年齢、容姿などがそれに当たるのでしょうけれど、その相手が元の世界に対する不平や不満、或いは脱出を望んでいるかのように受け取れる発言をした際に、それが略式の契約になるように術式を組んでいたんだわ。まあ……言ってみれば詐欺に遭ったようなものかしら」

「そんな……っ!」


 まさか……自分が悪かったのか

 あんな軽はずみな言動が、今の自分の状況を招いてしまったというのだろうか。

 少女はあまりのショックにすっかり蒼白となっていた。






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