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第24話 『六日月の皮なめし』

「はわ、はわわわわわ……」


 まんまる白目の涙目で震える亜里沙の前でアールヴが滔々と説明する。


「こいつを平べったい皿に開けたら木の棒ですり潰して、水で若干薄めてから手で毛皮に全体に塗り込んでくんだ。だいたいそいつの脳味噌でそいつの毛皮一着分くらいの量がある」

「あ、あ、頭開いてのーみそ取り出し手塗るのーっ!?」

「? だからそう説明したじゃねえか」


 脳漿なめし、という技法がある。

 狩人などが昔使っていたという狩猟先の現地で毛皮を作るための手法だ。

 アールヴが皮なめしを教わったのは狩人からであり、そうした技法も一緒に学んだのだろう。


「ふぇ、ふぇぇぇぇぇ……」

「手足は切り裂けんのに脳味噌はダメなのか。面倒くせえなオイ」

「手足切り裂くとか言わないでぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」


 半泣きで抗議するものの言い分としてはアールヴの方が正しい。

 彼女もまた自分が言っているのが泣き言である事は自覚していた。

 彼の仕事が大変そうである事も、めげそうになる事も、全部覚悟の上で挑んだはずではなかったか。


「じゃあどうする。やめとくか? チビガキ」

「やるっ! せめておチビには戻すもんっ!」

「よぉしよく言った。んじゃあまず甕から水汲んで来なきゃな」


 か弱い少女……に見えて意外と強情っぱりな彼女のことを、アールヴはだんだんと把握してきたようだ。

 少女のプライドを刺激するような言葉で発奮させ、こちらに背を向け作業を再開した彼女を見ながら歯を見せてほくそ笑む。

 ただその笑みは、少女を騙した事による愉快さよりも、むしろ彼女の奮闘している背中に満悦しているそれに見えた。


「お、終わったよー! これからどうするの?」

「とりあえずこのまま干しとく。今日の作業は終了だ。明日になったら水で脳味噌落としてそいつを保存、柔らかくなった皮を棒で伸ばしてついでに取りきれなかった脂身を取る……かな」

「ふわぁ……けっこう手間なんだね。それで完成?」

「んにゃ。なめしが足りないとまだ毛がゴワゴワしてるからさっきの水で落とした脳味噌をもう一回塗って乾かして落とす。そしたら後は霧吹きして完成だ」

「霧吹き?」

「あー、霧吹きせんでも一応は完成なんだがな。そのままだと雨に濡れたらすぐ痛んじまう。そこを魔法の霧吹きでシュッ、とな」


 指先で霧吹きを押す動作をするアールヴ。


「ああ、防水スプレー! へぇー、そういうとこは便利だなー」

「つっても安かぁねえんだよなあ。いやこれに関しては銭金ってワケじゃねえんだが……あの魔法使いのアマ……野郎か?」


 なにやらブツブツと文句を呟きながら顎先に指を当てる。

 顔が狼だと言ってもそのポーズと態度はなんとも人間らしく、亜里沙は思わず軽く噴き出した。


「ん? そういやアレ使わねえでも防水する手段があったっけかな……?」


 片眉をひそめたその人狼は、何やらあくどい事を考えているかのような表情になる。


「そうだ、そういや火が起こせるんだった! それならタダじゃねーか!」

「へ? ど、どうしたのあーるぶ。って痛っ!」


 ばんばんと亜里沙の肩を叩くアールヴ。少し痛いが彼が喜んでいるのでわけもわからぬまま我慢する亜里沙。

「お、わりわり。いやな。確か毛皮を煙で燻すんでも防水できるって人間の狩人に聞いたことがあってな。俺ぁ火は起こせねえから仕方なく魔法使いの奴に手を借りてたんだが……」


 ニンマリと牙を見せ笑いながら会心の笑みを浮かべる。


「上手くいきゃあだいぶ楽になるぞ。よし、早速明日試してみるか!」

「う、うん!」


 今日の仕事は終わりとばかりに人狼から狼へと変じ、尻尾を振りながら家路に向かうアールヴ。

 彼の喜ぶ様を見ているだけでなにやら亜里沙も嬉しくなって、とててとてと小走りで彼についてゆく。


「ねえねえ、その霧吹きって前に言ってた魔法使いさんにもらったの?」

「おう。ん? そういや……明日が上弦か。そろそろ奴が帰ってくる頃合かな?」

「ホント!?」


 もしかしたら家に帰れる手がかりを知っているかもしれない相手……

 少女の顔が一気にほころんで、アールヴは少し驚いたのか尻尾をぴぴんと立てた。


「大袈裟だなあオイ」

「大袈裟じゃないもん! 私の人生がかかってるんだから!」

「別に家になんざ帰らなくったって死にゃあしねえだろーが」

「そうだけど! そうだけどさ! でもやっぱり……」


 必死に反駁しようとして、だが徐々に口数が減ってゆく。

 口に出すことで次々と故郷の……地球の事を思い出し、望郷の念に駆られてしまったらしい。


「まあ、まだガキだからなあ。仕方ねえ、か。ほらよ……っと」


 しょんぼりと肩を落とし、無言でとぼとぼ歩く亜里沙にやや不機嫌そうに視線を走らせたアールヴは、少し歩を緩めると彼女の背後に廻り、そのまま股下に顔をくぐらせて彼女をその背に乗せた。


「わっ、きゃっ!?」

「つまんねえツラしてんじゃねえよ。こっちまで気が滅入っちまう」

「ご、ごめん……」

「たった二匹しかいねえ群れなんだ。片方がグズってたら群れの士気に関わンだろ」

「ぐ、ぐずってなんかないもんっ!」


 売り言葉に買い言葉で声を張り上げる亜里沙。

 けれど大声を出すことで、沈み込んでいた気持ちが少し和らいだ気がした。


「ともかくお前の故郷への道筋は明日奴に会うまではわからねえんだ。今悩んでたってしょうがねえだろ」

「そ、そうだね……うん、そうだよね」

「おう。だからまあ……なんだ、面倒なこたぁ遠吠えでもして忘れっちまいな」


 ぱちくり。

 アールヴの言葉に思わず目をしばたたかせる亜里沙。

 その発想は彼女にはなかったようだ。


「遠吠え……」

「そうそう、こんな感じだ」



 わぉおぉぉおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん……



 大きく、朗々としたアールヴの咆哮。

 それは言葉としての意味を持たぬ、魂からの叫び、獣性の発露であった。

 肌をびりびりと震わせ、間近で放たれる野生の飛沫を全身で浴びる亜里沙。



 ぞくり、と背筋が総毛立つ。

 意味を持たぬ、言葉で説明できぬ感動が……確かに、彼女の脳天から全身に走ったのだ。



「ほれ、やってみな」

「え? わ、わたしもー? む、無理だよう、あんなの……」

「いいから、ほれ」


 アールヴに鼻先で促され、しぶしぶと息を整える亜里沙。


「じゃ、じゃあいくよ。わ、わぉぉぉぉ……ん」


 頬を染め、その大きな狼の背に手をついて、目をぎゅっとつぶって彼女なりの咆哮を放つ。

 いや……それは咆哮というよりはむしろ鳴き真似と呼んだ方が相応しい代物だったけれど。


「ぶはっ!」

「あー! 笑ったー! ひどいよあーるぶー!」

「はは、はははははは! いやいや、なかなかにガキンチョらしい吠え声じゃねえか。いいんじゃねえの?」

「うう~、なんかすっごい馬鹿にされた気分だもん! もっとやる! やるんだからっ!」

「おうやれやれ。誰だって最初は下手糞なモンさ」

「わふー! やっぱりへたっぴだと思ってたんだー!」

「おいコラやめろ! 暴れるなっつの! 落ちるだろ!」


 少女が名前を呼び違っているというのに、珍しく咎め立てしないアールヴ。

 どうやら相当にご機嫌らしい。





 大きな大きな狼の背に乗せられて、少女は切株の家の中へと消えてゆく。

 その夜……切株の家の窓の一つの落とし戸が小さく開いて、そこからなんとも可愛らしい子狼の咆哮が幾度も近くの森に響き渡ったという。






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