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第23話 『六日月のカワハギ』

「まず最初は皮と肉を分ける。短刀の持ち方は……そうそう、そうだ」


 毛皮作りでまず最初に行うのは当然ながら解体作業である。

 言ってしまえば獲物を骨と肉と皮に分ける工程だ。


 アールヴはもう一体兎を狩っていたらしく、そちらは自分で捌いてゆく。

 ただし短刀ではなく、その鋭い鈎爪を使ってだが。

 彼は爪先を器用に動かしながら手早く解体を進めてゆく。


「まずは切り込みを入れて……って何やってんだ」

「お祈りー!」


 両手を合わせてムニャムニャと兎の魂の成仏を祈る。

 けれど……と途中でふと我に返る。

 そもそもこの世界に仏様はいるのだろうか。いないのだとしたらこの祈りは一体誰に届いているのだろうか。


(もしかしてこの世界の神様なのかな……?)


 亜里沙は祈りながらふとそんな事を考えた。


「足の方から首筋に……ほらそこ、痛そうな顔すんな!」

「だってホントに痛そう、なん、だ、もん……っ」

「おっかなびっくりしねえの! 刃物扱ってるんだかんな!」

「う、うん、そうだよねっ」


 口調は厳しいがアールヴの言っていることはいちいちもっともである。

 それも獣ではなく人間の流儀としての厳しさだ。

 それがなぜか妙に嬉しくって、亜里沙は唇を綻ばせ肩の力を抜いた。


「こうやって首と足に切れ込み入れたら……ほれ、指先で皮と肉を剥がしてくんだ。上手くいかねえときは素直に短刀を使え。後のこと考えたらなるべく脂身は肉の方に残しとけよ……喰うときにもそっちのが美味えしな」

「ど、努力しするー!」

「よーしその意気だ」


 言われたとおりに指を突っ込んで、手先を真っ赤にしながら皮を剥いでゆく。

 もっと嫌悪感なり拒否感があるものかと思ったが、いざやってみると意外に平気である。


「なんだい、もっと泣き叫ぶのかと思ったぜ」

「家では……お魚とか、ずっと、捌いてた、もんっ! だからそれと同じって思えば……えいっ」

「ほお、そりゃなかなか立派なこった」


 魚と違って豚肉や牛肉などの肉類は大概元の生物の原形を留めずにスーパーなどに並ぶ。だから肉のことは単なる『肉』と思いがちだ。

 けれど今の亜里沙は目の前の兎を見ながら強く己に言い聞かせる。それは自分に都合のいい思い込みだ、と。


 彼らだとて成形前はれっきとした生き物だったのだ。単に肉の形にしたのが自分ではない別の誰かだというだけの話ではないか。

 だからスーパーでお肉を買って平気で食べていた自分が、兎の解体を不気味がったり嫌がったりするのはきっと自分勝手な理屈なのだ。


 それでもやっぱり兎のことは可哀想だと思うし、自分で刃を通すことに躊躇はあるけれど。

 手先が真っ赤に染まるのはあまり気持ちのいいものではないけれど。

 家畜と野生の獣を同じモノとして捉えるのは、大人からすればヘンなことなのかもしれないけれど。


「それでもきっと命を食べてるってことに……違いはないんだからっ」

「……ふん。偉そうなこと言うじゃねえか」


 そう呟きながらも、アールヴは同意を示すように尻尾をばふんと振った。

 とはいえ作業に夢中になっている少女はそれに気づかなかったけれど。


「あ、ご、ごめん。なんか気に障っちゃった?」

「うんにゃ。俺もそう思うぜ。誰だって死にたくねえし喰われたかねえ。俺はそれを追い回して狩って喰らってるんだ。逆に会った事はねえが俺を喰おうとする奴だっているかもしれねえ。そーゆー奴が現れたら俺だって逃げるだろうし、抗うだろう。もし敵わなかったら負けて、喰われる。生きるってこたぁそーゆーことだろ?」


 亜里沙は目をぱちくりとさせてアールヴを見た。

 自分が思っていたよりもずっと深い言葉を返された気がしたからだ。

 アールヴは人狼だが狼腹であり、その生態は人よりも狼のそれに近い。

 だから毎日の食事の殆どは自分で狩猟することで得ているはずだ。


 自分で食べるものを、自分にとって必要なだけ、自分の力で得る。

 なんとも原始的で野性的な生き方だ。

 その時に出た余りものの皮を加工して幾ばくかの賃金を得てはいるが、それも含めて随分と無駄のない人生ではないか。


 無論狩りが上手くいかないことだってあるだろう。

 そうした不安定さを克服するために人間は文明を発達させていった。

 そんな理屈は亜里沙にだってわかっている。わかっているけれど……



 ……それでも、亜里沙はその人狼の生き方を美しい、と思った。



 羨ましいとか、自分もそうなりたいとか、みんなもそうするべきだとか、そういう話ではない。

 ただその生活が、シンプルでわかりやすい生き方が……とても綺麗だな、と感じたのだ。


「なんだよ。人のツラじろじろ見やがって」

「ええっと……」


 なんだろう。なんと言えばいいのだろう。

 綺麗……と面と向かって言うのは何か変な気がするし、可愛いと言うのも違う(そもそも言ったらきっと怒られる)。

 一体どう表現すればこの気持ちが伝えられるだろうか。


「んーっと、えっと……ん~~……あ、そうだ! あーるう゛ってかっこいいなー……かな?」

「バッ! バカなこと言ってんじゃねえよっ!?」


 とりあえずそれらしい言葉を言い当てて満足した亜里沙の横から大仰に飛び退るアールヴ。


「……あれ? もしかしてあーるう゛、照れてる?」

「ちげーよ! そそそんなんじゃねーよ!」


 動揺するアールヴがなんとも可愛く思えた亜里沙は、珍しく自分が優位に立てたらしきことに嬉しくなる。


「へへー、あーるう゛かっこいー♪」

「よせっ、やめろって!」

「あーるぶかっこいいなー♪」

「よせっつってんだろ、コラッ! 近づくな! 手が止まってるぞ!」

「あ、ごめんごめんっ」


 慌てて作業に戻る亜里沙。

 迷惑そうに溜息をつくアールヴ。


「で次はそこまで切れ目を入れたら手足を切る。こうこのあたりに刃を当てて……」

「うわっ、すっごい簡単に切れる……次は?」

「次は首を切り落とせ。ミスリルはよく切れるからお前の力でもそのままいけるはずだ」

「な、なまくび……?!」


 流石に自分の手で兎の首を切り飛ばすことには抵抗があったが、刃を首筋に当てて目を閉じて息を整え、覚悟を決めてえいやっと刃を落とす。

 首は驚くほどにあっさりと切り落とされた。


「頭は後で使うから取っておけよ。じゃあ次はその皮をあそこの壁に打ち付けろ」

「は、はいっ!」


 壁に打ち付けた兎はぺろんと平面的に広がっていて、もはや生物ではなく毛皮なのだと認識できる。

 亜里沙はアールヴの指示に従い短刀を使って丁寧に内皮にこびりついた肉や脂身を削いでいった。


「へー……奇麗に取れると裏側ってまっ白になるんだ」

「おう。なかなか筋がいいじゃねえか。ここで皮を傷つけちまうと台無しだからな、気ィつけろよ」

「プ、プレッシャーかけないでよぉ!」


 細心の注意を払って肉を削ぎ取る。

 集めた肉片や脂身はそのまま後ろにいるアールヴのおやつと化した。


「脂っこい奴だとこの後水洗いするんだがな。まあこんなもんだろ」

「えーっと、これで完成?」

「馬鹿言え。このままだとすぐ毛がゴワゴワになっちまうしほっときゃ腐っちまうぞ。皮はちゃんとなめさにゃならん」

「なめす……あ、聞いたことある! いい毛皮はきちんとなめしてあるものだってママが言ってた!」

「ほう、物知りだな」

「えへへ……でも、どうやってなめすの? なんだっけ……ママに聞いた話だと確かミョウバンとかいうのを使うんじゃ……?」


 うろ覚えの知識で少女が尋ねる。

 まあ現在だと薬品による皮なめしも一般的ではあるが。


「ミョーバン? なんだそりゃ。皮なめしっつたらコレだろ?」


 アールヴは……先刻切り落とした兎の頭部を爪先で裂いて、その中身を亜里沙の前に突きつける。

 それは……兎の脳みそだった。


「え? ふぇ? ええええええええええええええええっ!?」





 少女の叫びが広場一体に響き渡る。

 それを聞きつける虫や小動物どもは……今は近くにはいないけれど。






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