第20話 『五日月の焚き火』
「というわけで今日はステーキを作りたいと思います!」
朝の日課である水汲みも終わり、すっかり日が昇った頃、亜里沙は腰に両手を当ててそう宣言した。
「また唐突だなオイ」
「だって! だってだって!」
腕をぶんぶんと振って必死に主張する亜里沙。
今の彼女の挙動は年相応に子供っぽく、あまり無理をした感じがない。
なにより以前より少し我が儘というか……多少甘えた素振りに見える。
ただしそれは子供が大人に甘えている、というよりは、むしろ亜里沙がアールヴに甘えている、といった風情ではあったが。
「だって……なんだよ」
「あーるぶは森のその……動物たちを狩って食べてるんでしょ?」
「アールヴな。そりゃそうだろ。狼ってなあそーゆーもんだ」
「なら私もそのお肉を食べないと!」
「そりゃあ理屈だな、だが人間が喰えるようなもんじゃねえぞ……って、そうか、だから焼いて喰おうってのか」
ははーん、という顔をするアールヴ。
狼だというのにその表情の機微が亜里沙にはよくわかって、彼が獣の姿のままそんな顔をするのが妙に面白く、少女は噴き出しそうになるのを必死に堪えた。
「そんなに肉が食いたかったのか? まあガキだもんな。どんどん喰ってでっかくなる年頃か」
「ゆ、ゆうほどおっきくはならないと思うけど……」
2m半を越える巨体のアールヴを前にむー、とどこか不満そうな表情の亜里沙。
真意がわからずに首を捻るアールヴ。
「と、とにかく私も群の一員なんだから! ボスと同じものを食べるったら食べるのーっ!」
「ああ……」
遂に耐えきれず両手を掲げて本音をまくし立てる亜里沙に、アールヴがようやく得心する。
つまり彼女は、アールヴが己を群の一員扱いした事を受け入れて、なるべく彼に生活習慣を合わせようと努力しているわけだ。
ただ流石に生肉を食べるには抵抗があるので、とりあえず焼いて食べようというわけである。
「んで……ステーキを焼くにゃあ何が必要なんだ?」
「えーっと、お肉と……」
「そりゃ流石にわかる」
「あとはフライパンと……火? フライパンってこの世界にあるのかな」
「鉄製の平鍋か? そりゃあそれなりの街に行きゃああるんじゃねえかな。近くの村だと行商人が売りにでも来ねえと。あそこは鍛冶屋がねえからな」
「ふうん……あるにはあるんだ。ちなみにこの家には……」
「俺がそんなまどろっこしい喰い方すると思うか?」
「だよねー」
ふんすと鼻息を吐いた亜里沙は、再び腰に手を当てて宣言した。
「というわけで今から焼き肉を作ります!」
「切り替えはええなオイ!」
無論焼肉でもフライパンを使う事が多いだろうが、より原始的な作り方もある。
すなわち木串に刺した肉を焚き火で炙る方法だ。
「串は適当なのを森で拾ってくるとして……問題は火かー」
日本ならガスコンロのつまみをひねればすぐにでも火力が手に入るし、外でキャンプするにも携帯式の着火装置があった。ライターでいいなら100円の世界である。
だがこの世界だとそうそう簡単にはいかないだろう。
「ええっと、あーるぶは街の人がどうやって火を起こしてるか知ってる?」
「さあなあ、火口でも使ってるんじゃねえか?」
「ちなみにこの家には……」
「森の獣が好んで火を使うと思うか」
「……そっか。言われてみれば」
山火事が恐ろしいものだというのは知っている。所詮テレビで見た程度の伝聞知識でしかないけれど。
ただいずれにせよそうした危険をよく知っている森の獣が、好き好んで火を使う事はまずないだろう。
「だとすると……私の知ってる着火法っていうと……」
× × ×
「……ホントにそれで火が出ンのか?」
「たぶんー……っ!!」
乾いた枯れ木の板に小さな溝を彫り、なるべくまっすぐな木の棒をそこに垂直に突き立て、手で擦り合わせるようにして回転させる。
いわゆる錐揉式と呼ばれる原始的な着火方式である。
本当なら弓錐式や紐錐式の方が楽なのかもしれないが、適当な紐がそもそも見当たらなかったためこうして手回しで頑張っているわけだ。
「ん~~~~っ! んん~~~~~っ!!」
うんうんと唸りながら必死に掌で錐状の棒を回す。
掌が痛い。錐状と言いながらあくまで自然の木枝なのだ。凹凸が手に当たり色々とキツイ。
けれど……やっと彼女の努力が実ったのか、2,30分ほどして擦り合わせた部分から僅かに煙が漏れてきた。摩擦によって木が削れおが屑となり、それが摩擦熱で発火し始めたのだ。
「おっ!? なんか煙が出てきたぞオイ! 燃えるのか!? 山火事か!?」
妙に興奮した風のアールヴががうがうと吠える。尻尾がピンと張ってぶんぶん揺れているのは興奮してるのだろうか。
「ね、ねえあーるぶ、い、いき……っ」
「……息?」
「ふ、ふーってして。その煙出てるとこ……っ!!」
「おう、任せろ!」
大きく息を吸って。漫画のように頬を膨らませたアールヴは……
狼の口から思いっきり息を噴き出した。
「きゃああああああああああああああっ!?」
濛々と吹き上がる噴煙、舞い散る木っ端、吹き散らされるおが屑。
アールヴが激しく咳き込む音と共にゆっくりと視界が晴れてくると……
……2mほど離れたところに、亜里沙がばたんのきゅーと倒れていた。
× × ×
「でなんで俺が回してんだよ!」
「だってアールヴに種火任せられないんだもんっ!」
先刻とは立場が入れ替わって、人狼姿のアールヴが必死に木の棒を擦り、それを横から亜里沙が真剣に睨んでいる。
「ひー、なんか疲れるぞコレ。ちょっと休憩してもいいか?
「だ・め!」
「くそっ、俺は群れのボスとしてなあ……ん? なんかケムいぞ?」
「あ! そのまま続けて!」
流石に亜里沙よりはずっと早く、ほんの数分で種火ができる。
亜里沙が隣で枯れ木を削り作っていた木屑と砕いた枯れ葉を煙が出た当たりにそっと撒きながら息を吹き込んだ。
最初はただ粉が散るだけだったが、やがて小さな紅い炎が灯り……
「点いたー!」
「おお、すげえ、こりゃ大したもんだ」
ついに彼らの前に、焚き火の炎が出現した。
「わー、焚き火ってこうして作るんだー」
「今のはどう考えても大部分俺が作ってたよな? な?」
感慨深げに呟く亜里沙と、炎を見てなにやら興奮気味のアールヴ。
「あ、そうだ、森に燃え移らないように水の用意しておかなきゃ」
「おお、そうだな。山火事になったら大変だ」
わたわたと水の用意をしながら、亜里沙はようやくこの世界に来て初めての充実感を味わっていた。
アールヴの助けを借りたとはいえ、曲がりなりにも自分で何かが為し遂げられたのが嬉しかったのだろう。
× × ×
「で、肝心の焼いた肉の味はどうだ?」
「んー……微妙?」
もぐもぐ、と木串に刺した肉を頬張りながら素直な感想を告げる。
「ってオイ! そのためにわざわざ火ィ起こしたんだろーが!」
「だってなんの味付けもしてないんだもんっ! 香辛料とかないの!?」
「香……っ、そんな高いモン買えるかああああああああああああああっ!!」
……どうやら、世の中そうそう簡単になにもかも上手くはゆかぬものらしい。




