第18話 『四日月の晩餐』
「ムニャ……あれ?」
目を覚ますとなにやらテーブルに突っ伏していたらしい。
ごしごしと目を擦りながら周囲を見回すと、どうやら家の一階のようで、あまり広くはないが昨日今日と朝食を取った場所とは別のようだ。
朝に案内された食堂……だろうか。
光源のあるなしでだいぶ印象が変わっているのか、いまいち確信が持てない。
窓は全て蓋がかけられて外の様子はわからぬが、薄明るい光が灯っているところを見ると既に日は暮れてしまったのだろうか。
ただあたりを漫然と見回してみても、その光源がどこにあるのかはわからなかったが。
「あそっか、私あのまま寝ちゃって……」
一通り思い出した後にがくりと肩を落とし、テーブルに突っ伏しながらはあああああああ……と溜息をつく。
あれだけ大言を吐いておきながらなんという体たらくだろう。
我ながらつくづく情けなくなる。
そして同時に自分がこれまでいかに文明の利器に頼り、親や教師と言った大人達に依存してきたのかを痛感した。
蛇口をひねれば水が出るのも、ガスコンロのつまみをひねれば火が出るのも、紐を引けば電気が点くのも、全部当たり前の事なんかではなかったのだ。
水を家に運ぶだけであれほどの重労働だったのである。他のことも自分にとって『当たり前』になるまでには、きっと色々大変なことがあったのだろう。
「うう、考えれば考えるほど落ち込むなあ」
「ん? なんだ、起きたのか」
ふう、と溜息をつきテーブルの上に顎を乗せたところに唐突にアールヴが現れる。
上半身が狼で下半身が人間の、いわゆる人狼の姿だ。
少々みっともない格好をしていた亜里沙は、赤くなって慌てて背筋を伸ばした。
「ほれ、晩飯だ」
「あ、ありがと……」
やけに堅い皮の、少々細長いパンである。
短めのフランスパンのよう、と言えばわかりやすいだろうか。
「これちょっと堅すぎない?」
コンコン、と表面を指の背で叩いて少し太めの眉を顰める。
「文句を抜かすな。喰えるだけ有り難いと思え」
「そりゃ感謝はしてるよー。えっと、食べてもいい?」
「喰いもんは喰うためにあるんだ。遠慮なんかすんな」
「じゃあ……いただきまーす」
「おう」
はぐはぐ、とそのままかぶりついてみる。
皮はかなり堅いが、中身はけっこうふっくらとしている。
表面の皮も噛んでいるとなんとも言えぬ滋味があってなかなかに美味い。
幾度も噛まなければならない分少量でも腹に溜まりやすく、ある意味少ない食糧で腹を満たす工夫なのだろうか。
ただ確かに思っていたよりは美味しいけれど、事前に水の用意をするべきだったかな、などと乾く口内に閉口しながら心の内で呟く。
なんにしても電気もガスも水道もないこんな世界でもパンはあまり変わらないんだな、などと少女は少し感慨に耽った。
「あそっか。パンは窯で焼くから……窯さえあればあとは薪でできるのか」
「あン? そりゃパンは窯で焼くモンだろ」
「うん、そうだよね。そうなんだけど……」
返事をしながらまじまじとアールヴを見つめる亜里沙。
彼の姿はシルエットだけなら人間に近い。ただ人間より一回り大きく、やけに筋肉質に見える。
上半身は首から上が狼のそれで、首から腰あたりまでは獣毛で覆われた人間のようだ。
ズボンをしているから下半身はよくわからぬが、視線を下げてみると足元は狼のような足に長い爪が生えていた。
「ねえあーる、う゛。その姿って……」
「ん? ああ、人と狼の中間形態だな。狼の姿の方が素早く動けるが、この姿の方が力がずっと強くて……まあアレだ、一番戦うのに向いたカラダだな」
「ふうん。じゃあなんで今そんな姿してるの?」
「飯を運ぶなら人型のが楽だろーが」
「じゃあなんで人間……あっ」
そうだ、と亜里沙は唐突に思い出す。
人間形態の彼とはそもそも会話が成立しないのだ。
いやこちらの言うことは狼語として向こうに伝わるけれども、彼の言っていることはこっちにはさっぱりわからない。
だからわざわざ人型で狼語も通じるこの姿を取ってくれたに違いない。
「………………」
「ま、そうそう簡単にこの姿は取らねえけどな。まあ家の中なら大丈夫だろ」
亜里沙が少し落ち込んでいたのに気づいたのか、アールヴは肩を竦めながら話題を変える。
「あんまり取らない……って、なんで?」
「人狼以外にゃおっかねえ姿らしいからな。獣も人間もみんなブルッちまって逃げ出したり、酷い奴は気絶しちまったり……あんまりやりすぎると森から獣がいなくなっちまうし、人間どもに警戒されて追い立てられる危険もある。だから外じゃいざって時だけだな」
「へぇー、そんな怖いんだ」
まじまじ、と下から見上げるように彼の姿を見つめる。
少女の目から見たその姿は、体毛がもふもふしてそうで気持ちよさそうだし、狼の顔も愛嬌があってなんとなく親しみが持てるし……そんな印象で正直さほど怖くは感じられなかった。
(むしろちょっと……格好、いい……? ううん、かっこ可愛い、かな……?)
そんな事を頭にのぼせるが口には出さなかった。
前者を告げるのはなにか恥ずかしいし、後者は言えばきっと怒るだろうから。
「なんかあんまり怖くないよ?」
「そりゃそうだろ。お前にゃあ効かねえよ」
「なんで?」
「お前今は人狼混じりじゃねえか」
「あー……」
ぽん、と手を叩く。
そう言えばそうだった。
少しだけとはいえ病気に感染して人狼混じりになってしまった事に関しては色々と言いたいこともないではないのだが、ことこの件に関しては彼女はその病に感謝するのもやぶさかではなかった。
だって彼の今のこの姿を見て恐怖におののくだなんて、なんとなく嫌だったのだ。
「ところであーるぶの晩ごはんは」
「アールヴ! ったく。俺はこれだ」
彼がそう言いながら取りだした皿には肉だけが乗っていた。
300gくらいありそうな大きな肉である。
……ただし、それは血も滴る生肉だった。
「あ……っ!」
それを見た少女は思わず硬直し……
なぜかそのままとてててて……と家の外へと駆けだした。