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第11話 『三日月の情動』

「えと、あの、そ、それじゃあその、あーる、う゛は人狼さんで、生まれたときから人狼で、ええっと……ご両親は?」


 何の気のない質問だったのだが、アールヴの顔が明らかに険しくなる。

 狼の表情なんて殆ど見たことのないのに、亜里沙にはなぜかそれがすぐにわかった。


「ご、ごめんなさいっ! 気に障ったなら謝ります!」


 ぶんっと頭を大きく下げる亜里沙。そんな彼女をまじまじと見つめる狼。


「人間相手ならいざ知らず狼相手にそんな大袈裟に頭下げてる奴ぁ初めて見たな」

「そうなの? 悪いと思ったらきちんと謝るものだって、パパが……」


 大真面目な顔でそんな事を言ってのけた少女の顔をしばらくまじまじと見つめたその狼は、やがてばうっと吼えて尻尾を振った。

 人間で言えば軽く噴き出したようなものだろうか。


「いやいや、すまん。いい親を持ったな」


 だがすぐに声を抑えたアールヴは、どこかさばさばした口調で告げる。


「俺は……追い出されたんだ。群れからな」

「ふぇ?」


 あっさりと彼が告げたその言葉には……だがなにやら随分と重いものが込められているような気がして、少女はそのまま受け流すことができなかった。


「追い出された……の? 群れ?」

「ん? ……ああなるほどな。人間だとよくある勘違いだ、それは」

「???」


 さっぱりわからず、目をぱちくりさせて無言で問いかける。

 アールヴはどこか苦笑めいたものを浮かべながら語り始めた。


「“感染者”以外で人狼はどうやって生まれると思う? つまり俺みたいな最初っからの人狼は、だ」

「ええっと、確か、普通の人間から……?」

「そうだ。まあそれじゃ半分方正解ってとこだが」

「半、分……?」


 今の答えのどこらへんが半分なのだろうか。人狼と人間のカップルとか、そういう話もあるのだろうか。

 少女は脳裏に狼に変身できる男と普通の人間の女性がイチャイチャしている様を思い浮かべ一人納得する。


 確かに種族的にはそうした組み合わせもあるにはあるには……が、実際にはそうした場合理性を失った人狼が人間族の女性を襲い犯して子を孕ませたりする少々陰惨なケースが殆どであり、あまり祝福される事例ではない。

 なにせ人狼族は危険な感染症を持っているのだ。

 罹れば人間ではいられなくなってしまい、挙げ句は凶暴になって仲間に襲いかかりさえする。

 つまりその意味で……この世界の人狼族は人間社会の敵なのである。

 その血を引いて生まれる事が確定している赤児は……だから大概母体から取り上げられた時点でその命運が尽きることになる。


 だが、アールヴの言いたい事はそういう事ではないらしい。


「人狼ってのは一つの種族で、人間にも狼にも変身できる。それはわかるな?」

「うん」


 こくり、と亜里沙は肯いた。

 こくり、と合わせるようにアールヴも肯く。

 やっぱり可愛い……などと思いつつも、頑張って口を閉じている亜里沙。


「人狼は人間同士の連れ合いから生まれる事がある。おそらく先祖が人狼の血を受けていたんだろう。それはお前の言う通りだが……それなら逆もあり得ると思わねえか?」

「逆……?」


 ぽく、ぽく、ぽく……としばらく思考を巡らせる亜里沙。


「もしかして狼と狼の間からも生まれるって事?!」

「そういう事だ。人から生まれる人狼は“人腹(ひとばら)”、狼から生まれる人狼は“狼腹(おおかみばら)”と呼ぶそうだが、つまりは俺はその狼腹ってわけさ」


 まじまじとアールヴを見つめる亜里沙。どうやら狼男は狼男でも彼女の知っているそれとは少々違うもののようだ。

 けれど言われてみればさっきからずっと狼の姿のままだし、おそらくこちらの方が居心地がいいのだろう。

 とすれば彼女が目覚めたとき、最初に人の姿でやって来たのは……


(あれ、もしかして……私を気遣ってた、のかな……?)


 むずむず、と口元が綻ぶ。

 なぜだろう。妙に嬉しい。

 この一見気難しくてぶっきらぼうな狼は、どうやら随分と気のいい人物……もと人狼らしい。


 まあそうでもなければこうしてわざわざ家に連れ帰ってまで介抱してくれなかっただろうから、当たり前と言えば当たり前の話なのだが。


「えっと、ひとばら? の人狼さんとおーかみばらの人狼さんは……やっぱり同じ人狼なの?」

「種族的にはな。だが考え方はまるで違う。人間に育てられた奴ぁ自分が人間だと信じ込んでやがる。狼の側面を忌み嫌って、野性に必死に抗おうとする」

「……ってことは、狼に育てられるとその逆、ってこと?」

「あたまいいなお前。まあそういう事だ。狼に育てられた俺みたいな奴はテメェが狼であり、自然に生きる獣だってちゃんと理解してる。だが人間らしい知恵や理性がそれを邪魔して……まあ結局は群れにもいられなくなっちまうのさ」


 どこか自嘲めいた笑みを浮かべながらアールヴが小さく唸る。

 それは自分を捨てた群れに対する遠い怒りか、それとも己自身への悔恨か。


 ……先刻彼は少女が狼と話せるようになった、と言っていた。

 とすればそれもまた狼の言葉なのだろうか。亜里沙にはアールヴの、つまりは狼の表情がなんとなくわかるようになっていた。


「追い出され……ちゃったの?」

「そりゃな。人間の中で人腹の連中が暮らすならまだ目はあるんだ。連中は見た目でしか判断できねえからな。人前で変身しなけりゃまずバレねえだろ。だが……狼は鼻が効く。人狼なんざどんな狼だって一発で嗅ぎ分けらあ。糞生意気な人間の匂いを紛れさせてりゃあな。んで、相手が人狼だってわかった上で、咬まれりゃ病気に感染して考え方がテメェらとまるで違う化け物になっちまう、っつー連中を、狼がわざわざ群れに引き入れると思うか?」


 無論戦えば人狼の側が勝つだろう。彼らには月の魔性の加護があり、その皮膚はなまじな狼の牙などろくに通らぬ呪わしき加護がある。

 けれど……己を狼の一員だと信じている者にとって。己を信用せず牙を剥き出しにしてくる同族は敵ではない。理解し合えぬ同胞なのだ。

 狼腹の人狼は……だから、殆どの場合彼のように自ら群れを去り、孤独に生きる事になる。


「うく……ひっく、ふぇ……」

「ってそこでどうしてオメエが泣くんだよっ!」


 突然泣き出した少女に思わず大声で突っ込むアールヴ。

 気付けば亜里沙は、彼の体に身を預けながらひっく、ひっくとしゃくりを上げていた。


「だって……そんなの悲しいもの。悲しすぎるよう。あーるぶぅ……ひっく」


 両親や友だち……たった二日離れただけでこれ程に寂しいのに。

 会いたい、触れ合いたい、声を聞きたいって辛いくらいなのに。


 そんな彼らと、幼い頃から断絶しているというのは一体どんな気持ちなのだろう。

 両親から捨てられ独りで生きてゆくというのは、一体どんな気持ちなんだろう。

 昨日一日、誰にも会えずにひたすら森を歩いて感じていたあの絶望的な孤独……あんなものが毎日毎日、ずっと続くのだろうか。

 いや、それでもそんな自分の事を両親や友人はきっと心配してくれているはずだ。彼にはそれすらもないのだという。


 狼の群れには受け入れられず、自分が狼だと思っているならいくら人の姿になれたとしても人間の世界で生きてゆくのは難しいだろう。


 誰からも認められない、誰とも相容れない……それがどれほどに途方もない絶望なのかは彼女には理解できないけれど、それがとってもとっても寂しく、悲しいことだということは……なんとなくわかるから。


 だから少女は泣いた。その狼のために。

 まるで彼の代わりに涙を流しているかのように、顔をくしゃくしゃにしてしゃくりを上げたのだ。


「……お前が泣くような事じゃねえよ」

「だって、だってぇ……ひくっ」


 なんでこんなに悲しいのだろう。こんなに涙もろい性格ではなかったはずなのに。

 彼女自身理解できない情動に突き動かされるように、彼女は涙を零し続けた。


「ホレ、涙拭く布切れなんざロクにねえからな」

「うん、ごべんばざい……」

「だから謝んなっつの」


 肉球で彼女の頭を撫でるように優しく叩いたアールヴは、彼女の顔を己の毛皮に軽く押し付ける。

 ぐず、と鼻を鳴らした亜里沙は、鼻腔に漂う獣臭さと……同時に彼の体温の暖かさを感じて、そっと目を閉じた。



 己のために涙を流した少女を……その狼は、何か不思議そうなものを見るような瞳で見つめていた。






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