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水晶の街  作者: iuと猫
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中編・2

 焼肉定食はテーブルの上に置かれると、唖然あぜんとするボリュームだった。

 普通、大盛りといえばどれ程を想像するだろうか。大皿に山盛り?皿からこぼれる位?

 では、その倍の量である(定食相対性盛論ていしょくそうたいせいもりろんである)

「冗談かい?」と、ケンイチが定食を睨み付けていると、横で「あの」と管理人が言うので、彼はそちらに目をやって、はうあっと驚く。

 今、運ばれてきた山盛りの焼肉定食だ。なのに、いつの間にかペロリと平らげてしまった管理人ではないか。

 大男はモグモグと頬を膨らませて「まだ食べているんですか?」と、口元を拭いていた。

 目が悪戯いたずらっぽい。という事は、驚かせようとしたのだろうか。だとすると、異様過ぎる上にまるで意味が判らない。

(チクショー、化け物め。噛んだか、いいや、さてはコイツ、呑み込みやがったな)

 食堂ここは、これから彼がずっと通う、馴染みの店となる女主人の大衆食堂だが。その出だしはいきなりのヤケクソから始まった。泡を食って、慌てて定食を食べ始めたケンイチだった。

 何人かの客達が、食事を終わらせて店を出て行く。彼らは一様に管理人に気さくに話し掛け、なぜかケンイチにも「こんにちは、ゲストさん」と挨拶をして行った。

 挨拶されるたびにナゼだと眉を寄せながらも、ぎこちなく笑顔を返すしかないケンイチだ。管理人は名が通っているらしいが、なぜ皆がケンイチを知っている、なぜゲストと呼ぶのだろう?焼肉をクチャクチャ、口一杯にほおばって、はたと気付く。

 吹聴なのだ、誰かが噂をき散らしたに違いない。となると当然、ギンッと大男に目が行って。

(管理人、テメーいい加減にしろよ)

 モグモグしたままのケンイチの抗議に、管理人は歯を見せて(気付くのが遅い)と笑った。

「何せ小さな街ですから、美術館の噂はすぐに広まります」

 彼はまったく悪びれず、それが何か?だ。続けて「さて」と、立ち上がっていた。

「私は、食料品を仕入れていくつか用事を済ませます。ケンイチさんは、ごゆっくりどうぞ?」

「モグ?(何?)」

 モグモグの、ケンイチの急いで食べるから待ッテクダサイ、という素振りの抗議にもおかまいなしだった。管理人は、笑顔でさっさと勘定を済ませてしまう。

「帰り道は分かりますね、街に早く慣れましょう?散策もいいものです」

 管理人は、始めからこれを狙っていたらしい。街の生活は習うより慣れろである。彼のニッと残した笑みは突き放しを匂わせるのだった。

 同伴した筈の大男が、笑顔の挨拶で店を出て行く。レジを鳴らし「又、夕方おいで」と、女主人が声を掛ける。その光景を、箸を握ったままに見送って。

 はあ、と息をつくケンイチだった。

 憎めない奴だが、アイツはデリカシーに欠けている。もう少し初心者に配慮があってもいい筈だ。付き添うと言わなかったか。添うとは暑苦しいが横にいるという意味で、とぶつぶつ。

 彼はペースを落として、まずは食事を楽しむ事にした。考えてみれば病み上がりで、数日まともに食事をしていないのだ。ボリューム満点というのは実のところ嬉しかったし、料理の味は掛け値なしに抜群だった。そして店内は、そろそろ客もはけてしまう。それならさり気なく市街の情報を聞き出せるかもしれない。

 ちらりと、女主人に目をやってみる。するとニヤリと笑う彼女と目が合い、ケンイチはギクリとする。市街の騒ぎ、ヤクザ連中から金を奪って逃げた事が知れているのだろうか、と。

 伺うと、其処の気配にぎこちないものはなく。

 どうやら、騒ぎは露知らず。唯、お喋りの頃合を見計らっていたに過ぎない女主人だった。彼女は早速。

「ゲストさん、あんた名前はケンイチさんっていうんだ。学生さんなんだって?」

(学生さん?)

 そんな話になっているのかとケンイチ、ややキツイ目になる。少し怖いヤクザ顔をして、女主人に向け威嚇を試みると。

 彼の瞳に映った女主人の姿に何一つ変化はない。彼女はカウンター越しのどんぐり目で「ん、どうした?」風に返答を待っている。

 ケンイチは肩を落とす。この手合いにハッタリが通用しない事は彼の経験則にもある。婦人というものは何を言っても大笑いして、最後はバンバン体を叩いてくるものだ。

 早くも客として優位に進める会話(ちやほやされる会話)を諦めたケンイチの態度は、ぶっきらぼうだった。

「そうだよ、オレがゲストさんだ。学生さんも、まあそんな所だ。ところで、みんなオレの事を知ってるんだな?」

「当たり前さ」と女主人、笑い飛ばしで。

「美術館の事は、みんなが知っている。この街の一番の関心事だよ?」

「ヤツか、管理人だな?何を喋ってるんだアイツめ」

「管理人は口の軽い男じゃないよ?私だけに喋ったんだ。でも此処で話したら最後、街はその話題でもちきりになる」

 変な話だねえ、と爆笑になる女主人。何が可笑しいんだと、ケンイチが口をへの字に曲げると、彼女は更に腹を抱えるのだ。

 と、そこに。食事を終わらせた最後の客も、笑いながら席を立って来る。

「こんにちは、ゲストさん」と。

 自然に会話の間に割り、レジに立ったのは、静かな感じの老紳士だった。

 彼は、会計をしながらにケンイチを見て「中村です」名乗る挨拶をした。女主人に談笑して支払いを済ませると、もう一度ケンイチに笑顔を向けてその場を辞したのだが。 

 老紳士は印象に残る人物だった。ケンイチはなぜかこの時、ひどく優しそうな人だなあ、と感じたのだ。会釈ともとれない位に頭を下げつつ、勿論口では「なれなれしい連中だ」と誤魔化したのだが。

「なれなれしいのは善い事じゃないか。皆、人が善いという事さ」

 女主人は言いとがめる、とばかりにレジをチーンと鳴らした。それで少し黙る風だった。

 カウンターの奥は、皿洗いの気配となる、ケンイチはここぞ、と黙々と食べ始める。

 ケンイチの盆の上の定食が八割方片付いた辺りで。気を向けると、女主人は厨房との仕切り台の端に頬杖をついて遠い目をしていた。

「中村さんはね」と、彼女は切り出す。

「街の弁護士さんだよ。山の向こうのZ市街に事務所が在るけれど、この街に住んでいる。渋くていい男だろ?アタシは好きだねぇ。管理人にも熱くラヴ。なんだけどね」

 箸を休めたケンイチだったので、タイミング良く吹き出して。

「管理人に?アレのどこにラヴなんだ?」

 大笑いのケンイチと同じように、女主人もくっくっと笑うのだ。管理人が決して見た目カッコ良くはない点には、彼女も同意して。

 でもゲストさん、ケンイチさん?と、ひとしきり笑ってから「キミは、管理人の事を知っているのカナ?」重ねる。

「管理人はどんな人物なのか、キミは知っているのかい、と聞いているんだよ?」

 そこで考え込むケンイチの反応を、女主人は興味津々という目で待っていた。勿論、何も知らないケンイチだから、返答出来ない間となる。すると、それで善し。待ってましたとばかりに。

「管理人・矢野龍介。その本当の姿は?……謎の失踪をとげた元・空手世界チャンピオンだ」

 女主人はグッド・ジョブ、と親指を立てた。これはどこかで見たケド。

「管理人はこの話をしたがらないけど、皆が知ってる事だ。あの人は昔日本空手界、無差別級のホープだった。5年位前――ああ、週刊誌の受け売りだよ?彼は、突然その世界から姿を消した。向かうところ敵無し、破格の強さで世界一になって、その去就は注目されていたのに、だよ?行方不明になった当時、管理人を、格闘系のプロのスカウト達が探したらしい。体格も日本人離れしていたから、当然ワールドクラスの世界的な話になったんだけど、結局足取りはつかめなかった。でも?フタをあけてみるとなぜか、彼はここ水晶の街にいた――水晶の塔・美術館の管理人におさまっていたって、こんな話さ」

「ふぇ」

 ケンイチは女主人のお喋りの端から、既に驚きの声を洩らしていた。空手の事は見たし聞いたし、何だか少し手合わせもした。その実力が世界チャンピオンクラスだったとは、とゾッとする。そして有名人なのかと考えると、自然に疑念が口をついて。

「だけど、なぜだ?なぜそんな男が、美術館の管理人なんだ?」

 不思議そうなケンイチを女主人は笑った。意味ありげに。

「それ程、立派で凄い美術館なのさ」

 女主人は軽くウインクしたが、似合わない。自覚があったか彼女はそこで少し照れる、だからケンイチに、少しだけ暖かく判った事があった。自覚をして照れる事ができるのなら、話し易い女性なのだ。

 見ると、彼女の目元のやや目立つ笑いじわは優しげで。

(この女性は、今も昔もきっと人気者なんだろうな)

「エヘン。ともかく世界一の美術館だよ。だから世界一強い男が守ってる。それで十分答えに成っているじゃないか」

「うーん。世界一、か?」

 【恋文】が本物ならそうかもしれない、とケンイチは考えて含み笑いになって。ところで、何でエヘンなんだ?いやさね、何となく自慢したくてさ、てへ。

 しばらくとりとめのない会話をし、何とか食事を完食させると、彼は食堂を後にした。

 女主人の話の断片からは、市街のヤクザ仲間がケンイチを探してこの街に来た様子は、未だないようだった。安心顔で店を出ようとしたケンイチに、女主人は「ゲストさん、ケンイチさん?晩ゴハンも食べにおいで。特別定食を作ってあげるよ」と、快活に声をかけてくれたので悪い気はしなかった、だが。

 通りに出て色々見て回っていると、通行人がケンイチを見止めて笑顔を向けてくる。小声の「ゲストさん」という言葉が耳に入ってくる事があって、度々あって。もう慣れた、特に不快ではなくなった、そうなのだが。

 ケンイチは、幾つめかの路地ですれ違った婦人に「アラ、ゲストさん、ごきげんよう」と挨拶され、ついに其処に立ち止まり、空を見上げて頭を掻くのである。

「調子が狂う所だな、此処は」

 歩道のずっと向こう側に、何人かの婦人と談笑している管理人の姿が目に入る。大男は街の人気者らしいが、2メートルの巨体を婦人達が囲む光景は、目立つというよりまるでマンガだった。

「美術館の街、か」

 苦々しくそう呟いてみる。滑稽な光景だが、優しさをどこか認めるしかなく、何時いつしかケンイチは微笑んでいた。

 煙草を買おう。酒は?いや、いっそ両方を止めて置こうと思う。何となく美術館は持ち込む場所じゃない。そうだ、何か道具がほしいな。

 彼は通りをウロチョロした。青いプリントの長袖のカッターシャツと珍しい藍い色のM1ジャンパー、リンゴを紙袋で小脇にひと抱え買う。通りの外れにスポーツ用品店があって、其処で金属バットを買う。

 それがほしいと求めた道具、護身用の武器だ。誰の何に対する護身用かって?もちろんケンイチの、対・管理人用の護身アイテムに決まっている。相手は元・空手の世界ヂャンピオンだと、素敵な情報も入手したのだ。

 彼は、M1ジャンバーをバサリと羽織った。そして背中に金属バットを差すいでたちになる。

 そうやって意気揚揚と、美術館へと帰る道を歩み始めた。すれ違う小学生に変な目で見られながら。





2011年11月、加筆。改行スペースを削除しました。

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