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水晶の街  作者: iuと猫
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前編・5 前編の終り

 美術館のガラス壁面は100ミリもの分厚さで、屋外の音など、例えば付近が落雷に遭ったとしてもその音波さえ完全に遮断する高い防音を誇っているのだが、周囲の遠い山中のどこかでカラスが鳴いて、それがフロアに寂しく聞こえていたかのような、残る気配だった。

 何だったかな今のは、とポカンとする男達だった。

「彼女怒ってたナ、どうしたんだろう?」

 呟きながら、ケンイチがちらりと管理人を見て「アンタ何かしたか、おっぱい触った?」とか問うと、大男にも判らない風の苦笑いだ。

「私は何も。ただオーディオに興味があったようです。機械に何か驚いた風でしたね」

「ふむ。オーディオね」

 ケンイチは、幾分先程音楽に驚いた辺りを再現したくてか、オーディオ・アンプをいじってみる。電源を入れても音が出ない。ソースのボタンを選んでも、無音だ。

 どれどれ、と管理人も加勢するのだが、やはりその場は機能しなかった。

 アンプは小ぶりな造りだったが、セレクト・スイッチがそれなりに有った。すぐには鳴りそうにない。

(アンプは内臓する形で、堂々とプリとメインに分かれているのだ。しかもそれぞれ、電源スイッチが有った。ではなぜ、西野陽子が簡単に操作出来たのかというと、彼女はそれなりに詳しい人物であったからだ。それも後に明らかとなる)

 何で管理人が使い方を知らないんだ、とブツブツ言いながらケンイチは溜息をついた。

 オーディオが鳴らないと判ると、先程の西野陽子の様子に気が行く。諦めも早くそういえばと、管理人をまじまじと伺う。

 面子もあって、アンプにこだわっていた管理人は、遅れてそんなケンイチに気付き。

「どうしました?」

 ケンイチはニヤリと笑って「馬鹿が一人って、言われたゾ」

「ですからそれは」

 管理人が口をきつく結んだ。男達のちょっとしたにらみ合いとなる。双方引かず(馬鹿と言われた、それはお前だ)と、瞳が火花を散らすのだ。人差し指なんか立てるからですよ?お前が薬なんかかじるからじゃねーか。

 そんな時、ケンイチはフロア壁面のガラス越しに、芝生の小径を帰る陽子の姿を見とめる。その先にある黄色いミニ・クーパーが、彼女の乗りつけた車だろう。最新型のミニだった。

 いわゆる3号爺が何か声を掛けた様子だった。彼が怒鳴り散らされているのはその光景から明らかで、読めて笑える。

「あの爺さん、だけど」

 ケンイチの口調は、問うというより独り言のようだった。

「以前もいた、今朝もいた。ずっといるんだな」

 管理人も光景を見下ろしていた。あらかじめ質問の内容が分っていたという顔で。

「水晶の街に住まわれている老人です。資産家と聞いていますがごく普通のご老人です。晴れた日には、午前中の内にあそこに座り、日永おられます。彼に言わせると私が1号の管理人、2号はまた別の者がいて。ご自身は3番目。自称、3号の管理人なのだそうです」

 ミニ・クーパーが、徐行しながら敷地から出て行く。3号爺はめげない、手を振って見送っている。ケンイチは「へえ?」と了解しつつの、軽い失笑となった。

「あの女も言ってたが、此処は変な所だよな」

 ケンイチはこれも独り言のように。

「何か隠し事でもあるのか。例えばほら、金持ちの脱税用の施設とか?」

「いいえ」

 嘘がない由縁だろうか。管理人は柔らかな即答だった。

「ここは純粋に美術館です。確かにある財団の所有になりますから私設という事にはなります。ただし曇りひとつありません。お役所をはるかに離れた管轄ですから、世間ではなかなか理解できない形態かもしれません」

「金持ちの、悪趣味ってやつか?」

「イメージは近いかも知れません。いや、とても近いのかも」

 ケンイチのつっこみに、くっくっと笑う管理人である。

 彼はいつしか楽し気なのだった。ひと時笑顔で間を楽しんでから、おもむろに「ところで」と続けた。

 フェルメールを指で示しながら「ケンイチさんは絵に詳しいですね。ちゃんとしたゲストではありませんか」

「(ちゃんとしたってのは何だよ)普通、知ってるだろう?」

 このタイミングで、ケンイチが再び【恋文】へと歩み始める。異論なく従う管理人だった。

 その価値を知らないのか、管理人の癖に、と突っ込みかけて面倒くさくなるケンイチは「てか、あのな」と頭を掻きながら。

「中学、高校生時分は、これでも美術部員だった。絵が好きな仲間もいた。ヤクザになったのは?勉強も出来ずにただ喧嘩が強かったからだ」重ねる。

「4~5年位前、見た事がある。故郷の美術館だった。もちろんニセモノを見た。興味も無かったけど、たまたま読んだパンフレットであの絵にまつわるエピソードを知った。あの絵、というかこの【恋文】はいわくつきで特別なんだ、だから憶えている。フェルメールの名もそれで知ってるだけで、他は何も判らない。そして、興味もない」

 ケンイチは【恋文】の前に立ち戻っていた、軽い腕組みとなって。

「興味もない?」

 管理人も先程と同じ立ち位置となる。彼は変だという顔をしていた、ケンイチと同じく軽い腕組みで。

「あの女性に説明した絵画の判別方法は、面白かった。真偽はともかく名画はとそういうものか、と唸りましたが?」

「あれはオレの必殺の表現だし」

 苦笑いのケンイチに「そうでしょう、近年の贋作は簡単には見破れない」と、管理人は相槌のつもりで笑ったのだが。

 軽いやり取りの流れに反して、其処でケンイチは真顔だった。彼は薄く反論する。

「本当に、贋作を見破れないか?」と。

 その瞳には不敵が浮かんでいた。アマノジャクの茶目っ気か(帝釈に挑み続けた)阿修羅王のような哀しみか、疑念とも嘆息とも、何かに抗議しているとも受け取れる色があった。

 彼は、じっと管理人を見つめた後(仕方のない大男め)という顔になって「管理人、アンタ絵心はないだろう?」

「私はただ、管理を任されているだけなので」

 苦くうなずく管理人だった。ケンイチは、そりゃ大変だナと笑う。ただし、それは嘲笑ちょうしょうでなくいたわるように。

 2人はバツの悪い苦笑いとなっていた。

「上手い絵は確かに人を感動させるかもな?」と、溜息交じりのケンイチ。

「でもそれだけじゃ、続かない。名画のコピーを見ろ、寸分違わない筈なのに人は通り過ぎてしまう、ただの感動は長く続かないんだ。贋作の場合も同じだ。贋作作家っているんだよ。ヤツラはオリジナルと同じ絵の具を使う。キャンバスもタッチも当時を再現して、構図に1ミリの違いもない仕事をする。でもそれなら機械のコピーと何も変わらない」

 静かに無言の管理人、だが耳を傾けている。

「はっきり違うのは、描いたのが作者じゃない。その一点だ。でも考えてみれば決定的な違いだ。作者の心はこれっぽっちも描かれてない」重ねる。

「多分アンタは、オレもそうだ。いや人は、みんなか?どこか壊れてる、それで。簡単に見破れる事が、簡単な筈なのにそれが出来ないでいるんじゃないのか」

 理屈じゃないとケンイチ伝えたかったのである。

 果たして気持ちは届いたのか「いえ、見破れるのかも知れません」と、答えた管理人だった。

 彼は微笑んでいた。

「実は、ケンイチさんに言われて【恋文】を改めて見た時、確かに心がザワザワとしました。お恥ずかしい話、管理人の私が、此処で初めてそんな体験をしたのです。貴方の判別法は案外正しいのかも知れません。貴方は純粋ですね?ケンイチさん」

 大男は照れくさそうに頭を掻き「さて」と、声の調子を変えた。

「私はそろそろ、芝の手入れに戻ります。敷地は広すぎて、順番に片付けていかないと終わらないものですから。ケンイチさんはごゆっくり、絵を鑑賞して下さい」

「……おい」

「3Fフロアには所蔵図書もあります。それもご自由にどうぞ?」

 一度背を向け他に何か?と振り返る管理人に、真顔のケンイチ、ちょっと待っただ。

 ケンイチは納得出来ていない。【恋文】に指弾を浴びせながら。

「これは本物なのか?天下のフェルメールだぞ、冗談が過ぎねえか」

 管理人は眉を寄せて不服を見せる。何度も言いましたが、とそんな顔をして「私は冗談を言っていません。天下の【恋文】は本物オリジナルです」と、よどみなく言い放つ。

 抵抗を止めたが未だ不信露ふしんあらわのケンイチに、仕方なく「奇跡かもしれません」と告げたのは、憐憫れんびんのようにだった。

 彼はワイシャツの袖をめくりながら階段を降り始め、一度立ち止まり「昼食は水晶の街へ。初めは私もご一緒しましょう」と言うと、階下へと消えてしまった。

 ケンイチは一人、其処に取り残されるところとなった。

 辺りは静まり返っている。ケンイチが【恋文】の前に立ち尽くし言葉を失うと、フロアは更に静寂の度を増す。

(本物、奇跡だって?)

 ややあって視線を投げると、ガラス壁の向こうに管理人の姿が現れていた。芝刈り機を肩に担いだ彼が3号爺に近づいて行き、老人も立ち上がって気さくに応じている。

 ケンイチは【恋文】をもう一度見つめ「此処は、何だ」と呟く。

 水晶の塔・美術館と口にして、彼は何度かその言葉を反芻はんすうした。




2011年11月、加筆。改行スペース削除しました。

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