ネオスクリプト・流星群(終話後半)
まばゆい光を感じて気が付いたケンイチは、1Fロビーの長椅子に横たわっていた。
「…管理人?」
思わず、2人がそこにいた筈の場所に目をやり、同時に右手に鈍痛を感じる。
少し顔を歪めて、ケンイチは納得していた。そうだった、何らかのナイルの救援があったのだ。
しげしげと観察した右手には、やはり親指がない。巻かれた包帯は清潔でキッチリしていて、その先に血が滲んで、上手く止血されているようだ。麻酔の為か痛みは、痺れたような鈍いものだ。
頭痛を感じながらケンイチは上体を起こし、改めてフロアを眺めてみる。
静かで、張り詰めた空気感はいつもの深夜の美術館だ。唯、足元の床面に、痕跡を消す為か綺麗に磨きき上げられ凝視しなければ分からない程かすかに、ケンイチの血痕が白い床材の継ぎ目地に残っている、に過ぎなかった。
ケンイチは大きく息をついて、こめかみを押させて「…本当かよ」と、苦悶の声を洩らしていた。
この夜の出来事は本当だろうか。管理人は、倒れていなくなってしまった。これは現実の話なのか。いや、そもそも。オレがここにきて体験したもの全ては、本当に現実だったのかと自身に問い掛け、様々に考え始める。
しばらく頭を抱えていると、ふとケンイチは、耳に届いている異音がある事に気付く。丘で何か音がしている…
彼がふらつく足で丘に出てみると、夜はまだ続いていて、空は星が煌き渡っていた。こんな雄大な星空は久しぶりだった。子供の頃にしか見た事がない鮮やかさで、星の距離が近い、空が手が届くほどに低い、が。
丘のの中央に、大きな異形のシルエットがあった。異音として響く低い金属音を発し、鮮やかな蛍光を尾灯やら指示器やらのあちこちに輝かせるそれは、昆虫のような大きな羽根を持つ、昼間に見たあの戦闘機の威容だった。
星明りは、そこに人影がある事も浮かび上がらせている。
ケンイチが近付いていくと、その男はタバコをくゆらせて、地平線を眺めていた。
もちろん人影は、足元のおぼつかないケンイチには気付いていて、男が足元にタバコを捨て足でもみ消すのは、彼の応対の仕草だった。
男はケンイチと同じ背格好だ。迷彩ではないが軍服らしい姿、パイロットジャンバーを羽織っていたが、どこかぎこちなく似合っていない。肩上までの黒い長髪で、闇の中ながら凛々しい瞳の美しい容姿だ。
男の傍に近付いてから、まさかとケンイチは思う。管理人が言っていた美しい容貌の男とは…
男は、まさかのナイルだった。もちろん、彼が自ら名乗る事は最後までなかったが。
「1時間寝てたな?」
「うぁ…」
恐ろしいとも、驚いたとも言えずケンイチが顔色を失うと、ナイルは笑う。
「生理食塩水を輸液済みだと聞いている。かなり出血したらしいが、大丈夫か、顔色が悪いな?」
きっとナイルは、警戒させないように振舞っているのだろう、笑みに柔和な演出が感じられる。
内心殺されると、感じなくもなかったケンイチには安堵の想いで、ふとナイルに演出以前の親近感を感じてもいた。少なくとも、今この場にいなくなってしまった管理人とナイルは、拳を交えた遠いが近い男、と言えなくもない。
「管理人はどうなった?」と、ケンイチの警戒しながらの(それでもタメ口の)質問は、言わずと知れた人を選ばず話す、ケンイチの外交方針だった。
ナイルはケンイチの態度を気に止めない。彼が会話する人間は、敵か味方かのどちらかしかいない。前者であれば口の利き方だけでなく、行動まで生意気な連中ばかりであったし。
彼は、ため息を一つそこに落とした。
「状態は良くない、今も危険な状態が続いているらしい」
ケンイチが「そんな」と、挟む口に覆いかぶせて「およそ、世界最高レベルの治療が行われている、それでも危ない」
目を見開いて、唇を噛むケンイチだった。
「祈れ。お前にせよ私にせよ、今はそれしか出来ない」
祈るだって?意外そうなケンイチは「祈ってくれるのか、アンタが?」
ナイルは苦く笑って、新たなタバコに火をつけながら、その仕草の中に頷く様を醸してみせていた、ややあって彼は口を開く。
「私が一報を受けたのは太平洋上だった。ハワイから遅れて此処に駆けつけた」
「脳腫瘍だったらしい。機内で入手したデータでは、発病は5年以上前、奴(管理人・矢野龍介)は隠していたな?腫瘍は脳幹動脈を圧迫して、大きな動脈瘤を併発させて、その破裂が今回の症因だ。飲酒は即命に関わると、止められていた筈だ―と、こちらの医療陣は診ている」
ふぅっと煙を吐く。面白くないとそんな嘆息のナイルだった。やはり彼にとっても管理人・矢野龍介とは、気になる存在ではあったのだ。
「あの男は、自殺を図ったのか?なぜ酒に手を出したのだろうか」
「さ、酒…」と、口ごもるケンイチだ。
「オレの、あの、その。送別会だった」
何?とナイルは眉を寄せて「送別会、だった?」
会話に2人の思惑が交錯する間があった。しまった、知らなかったごめんよ、と後悔のケンイチと、なぜ?と呆れ顔のナイルだ。
しかしそれならと、ナイルは納得する、苦笑いだった。
「命懸けの酒だったのなら、あの男らしいのか」
ナイルはそこで足元にタバコを捨てる。グリリと、靴底でそれを消し潰す様子は(芝生を大切にしていた管理人に文句言われるゾ、ナイル)と、ケンイチの小声を誘うのだが、もちろん耳に拾わないナイルには、それが話題を変える動作のつもりだった。
「お前は公団の人間か?」
「いや」
ケンイチは力なく否定する、ナイルはおや?っと言う顔になる。
「では?管理人・矢野龍介とはどんな関係だ、名は何という?」
「オレは、赤毛のケンイチだ。美術館のゲストだ」
ゲスト…ケンイチ?ナイルは小さく呟くと、黙り込んでしまった。
ケンイチはナイルが何か考え込んでいると見て取る、どうした?と問いたいが、相手が相手だ、やはり気軽ではない。
ナイルには彼なりに想う処があった―数年前、管理人と戦ったこの丘で…
その最後に不思議な体験した、幻影の中に自分がいた。そこで会話した少年の一人が、確かケンイチだった。
10歳前後だったあの少年が目の前にいる青年だろうか、とナイルは当惑していた。ひと回りは違わない若さだが時間の経過はまるで合わない。更にとある事実にも考えが及ぶ。
F端末(管理人等がいう、ワンダフル・ナイルカードだ)のボイスエンコーダは、あの会話を克明に記録していた。それで体験が幻想でなかった、と後日ナイルが知ったのだが、そこに不思議な点があった。時間の経過がまるで符合しなかったのだ。
約10分間の音声記録は、高周波に変調後、256ビット長で圧縮、記録されていた。記録日時を検証すると、データはマイナス4億7千3百万秒、6百秒間の記録。つまり約十数年前に10分間記録されたデータであると、F端末は語っていたのである。何度検証しても、だ。
当時、ナイルの科学陣はそれに興味津々だった。当のナイルはご愛嬌だと独り首を傾げるばかりで、敢えて追及をせず、また追及をさせなかった…事だ。
「ゲストと言ったな?」
「…うん」
頷いた後で「多分そうだった」と言い添え、まるで自信のないケンイチを、何だ?と疑問に眺めるナイルだったが彼は構わず、探るように。
「どんな体験をした?」
「体験?」
「この丘はどんな所だ?ここの住民達はどんな連中だ、変わった点はあるのか?」
きっと実験の事を聞いているのだ、とケンイチは思い夜空を見ていた。
警戒して何も語るまいかと思う、だが(そうだった、ナイルは自称2番目の管理人だったナ)とも気付く。
隠し事はするまい、だからと言って誇張して語るものもない、えーと、どう表現しよう。
「変わってるといえば変わってた、そうだなぁ」と呟き、しみじみとケンイチ。
「…透明だった、かな」
この曖昧な表現はナイルは怒らせたかもしれない、とケンイチは言った端から肝を冷やし、ちらりとナイルを伺うのだが。
ナイルは、その言葉を待っていたかの様な、穏やかな顔をしていた。
「水晶の組成、か」
「え?」
今度はケンイチが、眉を寄せる。
ケンイチに答える代わりに、ナイルは「もう、朝が来る」
恐るべき男、ナイルは。遠く遙な山々の暗い稜線を眺め、不思議な笑顔を浮かべていたのである。
その時、暗く輝く星空から、白み始めた地平に向かって無数の流れ星が空を疾っていった。
この時期に見られるオリオン座流星群だった。
ナイルは軽く目を細めただけ、だがケンイチのその視認は、遙に違っていた。
ケンイチに見える流星達は、皆、遠近感と質感を伴っていた、何かを発していた、声だろうか、呼ぶ声、だ。
ふいに腰の辺りで子供の声がした、初めて聞く子供の声、誰だろう。
「第六感は、子供の頃みんな持ってたよ?」
ケンイチにしか気付きようのない幻が、彼とナイルの横をすり抜けて、丘を走っていた。
子供達だ、A男、B子、西野陽子…みんながいる、食堂の女主人も中村弁護士夫妻も、皆子供の姿で走っていて、幼い姿の管理人がケンイチに、ニカッと笑って走る先を指差した。すぐに無数の子供達が続けて現れ、聞こえないが上げている筈の歓声と共に走り行き、そして大きな群生が、それを追って今度は走り抜けていった。
驚くべきそれは、鯨や象や猛獣や、野生生物の群生?それどころか更に、無機有機を問わない大きな川が大河の濁流となって、歓声は轟音となってすり抜けていく。
第六感がその姿を見せていた。それは…憧れだった。
星々が空間を巡る、その痕跡を記録としてそこに残す。多くの悲劇や、数え切れないの悲しみや、痛みまでもそこに刻まれるが、遙に膨大にそれを圧倒するものがある、それを人は、愛や、希望、夢だと表現する、別名はあれども。
それが変化する期待に満ちた、次へのエネルギーの流れだった。
息を呑むケンイチは、実にこの時大地の自転すら感じ、その大きな力を体感していた。もちろん、それはナイルに伺い知れるものではなく、だ。
ナイルは、ケンイチを一度見て、空に感じ入る姿を不思議そうに眺めたが、彼に干渉するつもりはない。程なく彼は、芝を汚したタバコの吸殻を拾い片付けて始めていた。
「そろそろ、私は戻るかな…」とは、別離の空気である。
ケンイチは、ふいに寂しくなって「コーヒーでもどうだ、インスタントだけど。管理人室で休んで行けよ?」
強がっていても、オドオドしていたぞお前は?と、くすりと笑ってのナイルだった。
彼は戦闘機のボディをコツコツ叩いて「夜明けのコーヒーはどこかのダイナーで。コイツを降下させていただくとしよう」
それがケンイチが出会った、ナイルという男の最後のセリフだった。
こんな物が駐車場に降りてきたらどうすんだ?と、ケンイチが痛快に感じ見守る中で、このようにしてナイルが操る戦闘機は、丘を去っていったのだ。
暫く上空に留まっていた戦闘機だった。それは夜空の中でゆっくりと滞空旋回をして星のように煌くと、ひと時に消えていったのである。
☆
数時間後、3号爺が朝の訪問にやって来る。
出迎えたケンイチだった。
「お?早いなケンイチ、早起きは3文の得と言うんぢゃ、偉くなったな」
笑わせる3号爺だ。
3号爺が丘の敷地に入るのと入れ違いに、ケンイチは山道に出る。
「出掛けるのか、こんなに朝早く」
「うん、あのな」
右手を上げるケンイチは軍手を嵌めている。勘の鋭い3号爺はそこに気付き、首を傾げるがそれ以上は窺い知れない。
「管理人がぶっ倒れた。多分公団の施設で入院、だろうと思う」
「何!何ぢゃと?」
ぴょんぴょん飛び跳ねて驚く3号爺に、ケンイチは舌打ちして歯痒がる。
「大体、アンタの変な自己紹介から、全部始まったんだよな?」
「はぁ?朝っぱらから何ぢゃ」
ケンイチは、厄介な男を丘に閉じ込めるように、鉄柵をきつく引き閉じていた。
「ヨーコさんが今日もやってくるだろう。だから伝えてくれ、出かけるけど、必ず帰って来るってな」
「はぁ?やっぱり、朝っぱらから何ぢゃ」
相変わらず面白い3号爺の反応に、ケンイチは大きく笑った、そして。
赤毛のケンイチはそれきり美術館から姿を消したのである。
彼はおよそ4週間、此処にに滞在した。これはそんな彼の、不思議な物語だった。
(了)
ご愛読をいただきました。ありがとうございました、ぺこり。
数年後…という後日談が1話残りますが、それはどこかでひっそり描きます。
iuは、YouTube中のカバーシンガーRayuさんの大ファンです。ぜひYouTubeでRayuTubeと検索してRayuさんの歌を聴いてみて下さい。損はさせません、本当に上手いんですから。
お気に召したら是非チャンネル登録を。そしてコメントしてみては?「水晶の街から来ました~♪」とか素敵すぎる。(2021,10月)