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水晶の街  作者: iuと猫
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ネオスクリプト・水晶の組成と…

ナイルが、さて人体のどこから破壊しようと考えて、足を踏み出す。


(では、肋骨ろっこつを心臓の上から砕いてやろう)


動き始め、呼吸に入ったその一瞬だった。


彼は、ほんの僅かだったが、極めて薄いすり硝子を抜けたような感覚を味わう。パリンと何かに割って入った、いや。彼方あちらからやって来た何かが、今ここを抜き去ったのではないか?光の膜のようなものだ。


 ナイルが気付くと、景色が変わっていた。


丘の芝の感触は変わらない。美術館が、建物が変わっていた。古びた小学校風のコンクリートの建物がそこにあり、校舎正面の水飲み場の涼やかな陰を為す落葉樹の幹に、彼は背中をもたれさせていた。


目の前の芝生に2人の少年が座り込み、お喋りをしている。


 幻覚術に陥ったのだろうかと、ナイルはまず身の混乱の有無を確認してみる、が変化は無い。気持ちに動揺もなく冷静そのものだ。それどころか感覚は冴え、恐ろしく意識が沈静している。


どこかから、校庭で歓声を上げる子供の声が聞こえる、姿は見えないが、見えたようにも思う。自分が見ている景色は、望んで見ているという奇妙な達観がある。何にせよ、どうやら警戒を憶えない空気の中に今、ナイルはいるようだった。


 2人の少年の会話が耳に入る、そこに目をやると。


少年達は、すぐ傍の木陰にナイルが立っている事に気付かないのか見えないのか。2人で気ままにお喋りをしていた。


ブツブツと呟いている大柄な少年は、管理人・矢野龍介だった。白くぱんぱんに張った頬に、柔らかそうなピンクの唇。低学年の小学生だろうか。


ただの肥満児だな、とナイルは薄く笑う。楽しげな、お喋りに夢中の一方の子供はナイルだった。さらさらの髪にどんぐりの瞳。こちらも初々しい、とナイルの口元が緩む。


ねぇナイル、と少年管理人は少年ナイルに言いつのった。


「強さ、強さって。やっぱりそれだけじゃ、だめなんだよ」


「だってさ」


 モジモジの少年ナイルだ、そうだった私は内気な子供だった。


「だって、強くなりたいんだもん」


「うん、そうだね、そうだよね」


反論する管理人は、でもね、えーと、と考えて手に小枝を握る。彼は手のひらで芝から少し露出する地面をゴシゴシと整地して、何か描き始める。


「それじゃあ大事な人を守れないんだよ、お母さんとか、友達とか、好きな子とかね」


きょとんとしてナイル。


「でも、強くないと守れないじゃん」


「だからね、えーとね」


ブツブツは少年管理人の口癖だろうか。しっかりしろ矢野龍介、と腕組みのナイルは内心で彼を応援する、なぜだろうなと笑いながら。


「好きな人を守る気持ちから始めないとダメなの。お母さんは僕等ばくらが好きでしょう?あの子だって好いてくれてるでしょ?んで、僕らもみんなが好きなら。この点とこの点を結んでいくと」


 小枝で描かれる絵を覗き込む2人。


「ほら、綺麗な形になるでしょ?みんなの気持ちが一緒で、にごりがないから透明になる。ガラスみたいにキラキラしてて。これが水晶の組成。人を愛する、これが一番強いカタチなんだよ?」


「ふんゎー」


 2人の会話の結論に、(あっけにとられて)ナイルが苦く眉をしかめていると。


「ねー、ナイル」


すぐ傍らの校舎の窓から呼ぶ声がする、子供の声だった。


ナイルが声を探して辺りを伺うと、うきっと喜ぶ少年2人と少女の3人組が嬉しそうに、窓から顔を覗かせていた。


「コンニチハー!僕はケンイチ、この子がヨーコちゃんで、隣がケケ君」


赤毛の元気な少年が自己紹介と友達紹介をして、大人の反応を伺う3人は愛らしく身構えている。ナイルが「何だ、ガキんちょ共?」と笑顔を返してやると、うきっと3人は笑顔満開だ。


「ねえ。ねえってば、ナイル」


赤毛の少年が馴れ々しい態度だ。この子は、少しシャクに触る子供だ…


「ケケ君はね、ブラジル人なんだよ。でも話が日本語に聞こえるよ、変でしょ?」


「こんにちは、ナイル」


左端にいたケケと紹介された少年が、ペコリと頭を下げて微笑む。


 その少年の容姿に、ナイルは軽く目を見張った。


浅黒い肌に強いくせっ毛の頭髪は一見して日本人ではないと分かるが、双眸そうぼうがひどく落ち込んでいる。この子は、眼窩(がんかの奥に…眼球が無いのではないか?ポルトガル語が、日本語に理解できる不思議さに気付くよりも先に、ナイルはそれを怪訝に思うのである。


「この子の目は」と、慌てて少女ヨーコだ。


「片方をお母さんの入院費に、片方を兄弟の学校のお金に使ったの。すごく優しい子なんです」


少年ケケが頭を掻き照れくさそうに笑い、ナイルはそれに答える痛ましげな、表情を曇らせてつつの笑みになりながら(この少年達は、何だ)


ナイルの疑念をよそに、少年達は清らかな笑顔をみせてナイルを見つめるばかりだった。


「あのねー、ナイル」


唐突に、ケンイチがニコニコして言う。


「コンセントレーションって、何だか、第六感に似てるね?」


何、とナイル。


眉を寄せ、この少年は何を言ってるのだろう、なぜコンセントレーションを知っているのか。


「ナイルさん」


今度は少女ヨーコだ。彼女はとても美しい娘だった。


「第六感はですね。第六感は、本当の事がわかる力、なんです」


 ナイルは軽い歯軋りになった。この幻覚は奇妙だと自覚を始める。私は何かに囚われているのではないか、思考をコントロールしようとする第三者がいるのか、と意識を張り巡らせようとした時、少女ヨーコは。


「コンセントレーションは、アミさんでしょう?」


 ナイルの時間が止まって彼の呼吸が止まった。彼の心を、何かが鷲掴わしづかんでいた。


「あの人は、貴方をまだ好きなんです、だから今もずっとナイルさんを守ってるんです」


鷲掴んだそれは。ゆっくり、穏やかに退いていく…うんうんと少年達が頷き笑い合っていた。


 ナイルは目を見開いたまま、何も考えられなかった。少年達は今、語ってはならないものに触れたのだ。心の奥底で鏡のように穏やかだった水面みなもに無造作に石を投げ入れたのだ。


少年達は何を言ってるのだろう、なぜ触れてはならない者の名を、それを知り、簡単に話したのか。


 どうしてくれようとこみ上げる怒りの炎が現れた筈なのに、それを覆い尽くすほどに胸に満ちるものがあった。久しぶりに想うアミの笑顔が、懐かしく心の隅々にまで拡がっていたのだ。


握り締める拳は、怒りでなく泣き朽ちそうな感情に耐える為、だが下を向いた途端、彼の涙が宙にこぼれ風に散っていた。


 僅かの時間だった。ひとしきりだけ泣いた、それがナイルの慟哭だった。


少年達はじっとナイルを見ている、心配をしていたのだ。


ナイルが気丈に持ち直し、複雑な想いの視線を上げると、ホッとした少年達の笑顔がそれを迎える。仕方なく苦笑いになり「いい時間だった」とナイル、軽く別離の手を上げる。


「行くの?」と少年ケンイチ。


「…決着をつけよう」


「ナイル」


ケケだった。彼は心配そうでかつ、安心もしている風だ。


「世界の王って、どんな気分なの?」


「世界の王、私がか?」


ナイルは考え込んでから、苦笑いを重ねる。


彼は優しい笑顔をして、誰もいないそこにいる筈の、笑ってくれているアミの幻に言ったのだった。


「惨めな私のどこが王だろう?テロは最低の行為だ。幾度生まれ変わっても、私は許されないだろう…」


少年ケケが最期に笑ったような印象が残った。再び擦硝子の光を抜ける感覚が来る、それを抜けると。


 丘の景色が戻る。ふらふらの管理人がファイティングポーズを取っている、その光景がナイルの目前にあった。


無言のナイルは拳をふるい、無防備な管理人の頭蓋骨を粉砕するほどに―打ち抜くその素振りだけをした。それで観念し動けなくなった大男の頚椎に、すかさず軽い手刀を打ち込んで。


 彼は、管理人・矢野龍介を気絶に至らしめる、にとどめていた。


足元に倒れる管理人を暫く見つめるナイルだった。これまで戦った相手を生かしておいた事はない、コンセントレーションは自身の魂魄こんぱくであるが故に。


だが、この男は最期まで殺意がなかった、少年のように。果たして敵であったろうか、とナイルは立ち尽くしたのである。


 そして、私は今この丘で何を見たのだろう、との自問になるナイルに、丘を往く一迅の風はそよいだのである…





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