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水晶の街  作者: iuと猫
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後編・12 後編の終り

「これは、慎重に話すべき件なので」と、中村弁護士は前置きをした。


「妻の言った事は本当です。ゲストなら土地や家屋が無料タダになる。けれどもケンイチさんは、そんな理由で水晶の街に住んではいけません。皆はそれが目的でこの街に来た訳ではありません、住んだ後、公団に助けられた。私達を含めて皆さん、そうだったからです」


 ケンイチは眉を寄せる、何の話が始まったのだろう?


理解はのちほど話の中で、と構わぬ弁護士の視線は管理人に向けられていた、管理人は緊張する。実は、管理人に聞いておきたかった事があります、と弁護士は言い。


「水晶の街・住宅公団―ご存知ですね?」


ハイ、と頷く管理人は腕組みになり「直接の関係はありませんが、美術館の母体事業団の一つです」


中村弁護士は、場の不思議そうな空気に構わず質問を続ける、彼自身幾つかの疑念があるのか。


「美術館のゲストは、管理人が決めているのですか?」


「はい、私の一存ですが?」


「ゲストになる、その基準は何ですか?」


ゲストの資格というかそのような物です、と弁護士が重ねると、未だ話がつかめない風の管理人は腕組みを組替える。


「それはですね。美術館に訪問された方で、懇意になった皆さんがゲストです。前任者から強く指示されていたのは「弱者はゲストとして親しく守るべき事」これ位です。但し、ゲストが悪しき人物だと、後々にでも判明した場合、撤回する事はあります。ケンイチさんはヤクザでしたが、行動はまぁ(本日を以ってヤクザを辞めると、強く決意しましたから)申し分なく、立派なゲストです」


 うーむ、ゆるい基準ですね、と弁護士。


 はい、大変ゆるくて恐縮です、と管理人。


 オレはゲストらしいが、ゆるくて悪かったな、とケンイチのやけくそ。


「では公団は?管理人がいわば独断で決めたゲストを、どう把握しているのでしょう?」


「多分、美術館に毎日届く書類で把握している、と思います。黄色い封筒に入った調査票が届きます。ゲストですか?と同封される写真に間違いなければ、この方はゲストですと、公団にはお伝えしています」


 ここで弁護士は、考えを巡らせていたのか、視線を宙に移していた。やり取りに、やや間が空く。


目前の男達が顔を見合わせていると、それに気付いた弁護士は「質問ばかりして申し訳ありません」と詫びて「管理人に、最後の質問です」


「公団が、ゲストに対して特別な諸、便宜べんぎを計らう事を、管理人はご存知でしたか?」


は?と管理人の目が点になる。特別な便宜?という彼の唸りが、彼の腕組みを解いていた。


「便宜とは、何の話でしょうか?」


 管理人の何も解らないさまに、中村弁護士は、大きく息をつく。貴方がそれを知らないのか、と呟きになって。


「不思議な話です。もしかしたら、私情を差し挟ませぬという目的が在るのかもしれない。では、これからお話する事実を、管理人は聞かなかった事にしなくてはなりません。きっと、貴方に作為があってはならない事柄なのです」


 では、お話しましょうと言った弁護士に、ケンイチはしかめっ面(前置き、長すぎデス)


「妻が言った事は本当です。ゲストとして水晶の街に住む場合、購入家屋や土地は無料タダとなるようです。いえ、誤解なきように言えば、相殺されるのです。私の場合を説明しましょう。2千万円で、土地付きの住宅を公団の住宅ローンを利用して購入しました。20年で返済の計画でしたが20年後、口座には消えていなければならない筈の2千万円が丸々残っていました。理由はローン支払額と同金額を20年間、公団が協力助成金という名目で振り込んでいたからです」


「私達夫婦が、たまたま美術館を訪問したのは20年前です。当時の管理人が、私達をゲストと評して下さった。程なく公団から、水晶の街の格安住宅物件の購入勧誘パンフレットが届くようになり、引っ越しを決めた或る日、公団から黄色い封筒が届きました。「貴方はゲストですか?」簡単な質問票でしたが、それに「イエス」と答えました、すると数日後、電話帳程もあるぶ厚い手続き書類束が届き…パズルのように難解なそれは、おぼろげに。街はいわば公団の実験都市であり、その協力には様々な特典があり貴方は保護される…それは出来るだけ難解に奇妙な事を告げる?書類でした」


「公団はゲストに対し、協力助成金、協賛金、調査礼金、様々な名目で、例えば一般的な税金まで補填・相殺します、個人の銀行口座に、一方的に振り込まれます。個人事業主などは―食堂の女主人さんはそうですが、売上赤字分がいつの間にか公団により補填されているらしいのです。彼女は10年前ご夫婦で美術館のゲストとなり、この街に住むようになった…」


「なぜ、ゲストがこのように手厚く保護されるのか?管理人、この理由は何でしょう?」


 はっ?気が付くと管理人が質問されている。管理人はアワアワ、慌てていた。


「私には解りません。私はただ、業務だと思って黄色い封筒を受け取り、返信を続けてきました。ゲストと認める事は、実は大変な事だったんですね」


「それを知らなかったのなら、この事実はプレッシャーになりますね?ゲスト認定も大変になる、けれども貴方の方針を変えてはなりませんよ?貴方はこれからもずっと、貴方らしい大らかさで人に接していただきたい」


 中村弁護士は笑うのである。


「ゲスト保護の理由は私にも、誰にも解らないのです」と継いで。


「私には公団のようは不可解です、とてもじゃないが公序とは言えず、異様にすら見えます。しかし、いたずらに資金をばらいている訳でもなく、手当てするべきところに見事に為され、行き届いている。例えば、食堂の女主人は、お客にたっぷり料理を食べさせようと、安価な料理料金をを設定するので、毎月数十万円赤字なのだそうです、そこが過不足無く補填されている。どういう風に調べてるんだろうね、と彼女は笑っていました。スポーツ用品店のご長男は、今年大学入学です。入学金が、下一桁まで、きっちり補填されたらしく、我が家のプライバシーは無いぞ、と親父おやじは笑顔の憤慨です。年収500万円の人が、1000万円になるのではなく、秘密裏に詳細な調査が行われ、綺麗に穴埋めが為されるようです。もちろん、お金が全てではありません、しかし否応なくそこから始まる事は、実に多い。街の皆さんが、助かっている事は事実です」


あの、と小声でお茶を汲み直して勧めてくれる弁護士奥さんは、ニコニコニコニコ笑っていた。士はそれがまた嬉しそうに。


「街の住人は。私達も、この話題についてあからさまに触れません。隠しているつもりはありませんよ?この恩恵に本当に感謝出来ているのです。町内会の集まりで、皆さんと話した事もありました。公団は、なぜこんな事をするのだろう?ぼんやりと、食堂の女主人が言いました「…生きろって事かねぇ?」皆で、大きく頷いたものです」


「暗黙の感謝があります。妻が話したように、皆、苦しんで苦しみ抜いて、やっと此処に安住の地を見つけたのです。ですから本当の意味で隣人を愛せる。苦労した仲間であろうから信じる事が出来る、無言の連帯がある」


 この街は、不思議な色をしたコミュニティーかもしれません、と弁護士は湯呑みを握る。彼の瞳は畳の上に座りながら尚、優しい風の中に笑い合い石畳を往く住人達の、個々に向けられていたのだ。


「美術館に惹かれて、皆が自然に此処に集まって来ました。恩恵があるからと、ほくそ笑む者は一人もいません。みなさん、ならばその恩恵を以って社会に貢献できないかと考えています―今、思うのです。公団によるこの不思議な仕組みの真意は、実はそんな、住む人の意識の変革にあるのかもしれない、と」


 弁護士はグイとお茶を飲んだ。その深い、澄み切った眼差しでケンイチを見る。


「ケンイチさん、貴方はそんな水晶の街を、どう思われますか?」


ケンイチは無言だった。ただ驚くばかりで、口がきけないでいたのである。

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