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水晶の街  作者: iuと猫
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中編・7

では、注目っと西野陽子は人差し指を立てる。親指でなく人差し指である、であっけに取られるケンイチ。


言葉に出そうとして、弁当を頂戴している手前それはやめるが、ワナワナは止めらず(誰ノ真似ヲシテイル?)


 はにかんでキラキラした瞳、少女のような清らかさで、優しく柔らかな笑みを浮かべる口元―これが今後、度々彼女が見せる事になる、陽子スマイルというやつだった。


ケンイチをよそに、管理人はここで遂に恍惚となり、魂を持っていかれたのか?それにもケンイチはゲンナリとなりながら(管理人スマイルの他に、陽子スマイルだと?ああ、なんて形容句は自由で簡単なんだ)歯軋りする。


「何にも揃っていない田舎のZ市役所で、書類をひっくり返しながらずっと考えてました。この変なポーズ、今度は私が絶対決めてやるって」と、そんな陽子はケンイチの歯軋りを嬉しがり。


「あの【恋文】が本物だったら大変です」


そして、彼女の説明が始まった。


「そもそも、フェルメールの作品は現存するものが少なくて。【恋文】に至っては本物だとするとその価値は数十億どころか、数百億円とも言われ、要は値がつけられない程貴重な作品なの」


(説明の下で、ソレ見ろ、それが本物だって?のケンイチは管理人を一瞥しつつ、金額には改めて肝をつぶして軽い感嘆をもらす。管理人はまた本物うんぬんの話ですか、と渋い顔をしている)


「貴重な理由は、絵を取り巻いた出来事も関係していて。【恋文】は1度盗難事件に遭っています」


「知ってるぜ」とケンイチの合の手は、ハイ!と手をあげる小学生のタイミングだ。


「オレも昔、【恋文】の贋作を見たことがあった。その宣伝ビラにあった事件だ。どこかのバカが【恋文】を盗んでボランティアに使おうとしたって話だ。管理人はそれを知らないがな?」


「ボランティア!そうねぇ?」


陽子は苦笑しながら、もっぱらメモに目を落とす感じになっていた。


「ヤクザ屋さんが言っているのは…失礼、ヤクザ屋さん?でもホントだし、コホン。1971年、ベルギーで発生した義賊「ティル」による【恋文】盗難事件…。義賊「ティル」ていうのはベルギー版のねずみ小僧みたいなものかしら?」


「義賊「ティル」の本名は、マリオ・ピエール・ロイマンス。男性、21歳、ベルギー人。…彼はブリュッセルで【恋文】を盗み出して、それを楯にしてオランダ、ベルギー両政府にとんでもない要求を突きつけた。絵画を返してほしくば、東パキスタンの難民を救済せよ。当時の金額にして実に400万ドル!もの支援要求。…盗んだ手口はハチャメチャで、なんとナイフで画枠からキャンバスを切り取り、絵画をポケットにねじ込み逃走―結果【恋文】は致命的な損傷をこうむった」


 陽子がメモから顔を上げて、凄くない?


ケンイチはそうだそうだと相槌しながら、ふふんと鼻を鳴らして。


「後日談があるんじゃねーか?オレが知っている話では、その後、犯人はバカなヒーローになった」


「バカな?ヒーローですか?」


ここで、食べる専門の管理人が疑念を挟む。オヤ?見ると管理人の半径1メートルエリアの料理が、跡形もなく片付いている、さすが管理人、ヤッタゾ怪獣とケンイチ内心で大喝采しつつ「当たり前だ。身代金で難民の支援だぞ、ボランティアだろ、バカだけどヒーローだろ?」


それを説明します、と受け取る陽子だった。


「ヒーローなのかどうかは良く分からないんだけど。義賊「ティル」ことロイマンスは、程なく当局によって逮捕された。ところが彼は、自分は無罪だと主張、監獄からメッセージを発し始めた「きっとフェルメールなら、自らの作品を貧しい人々を救う為に使っただろう」と。かくして、マスコミを巻き込んで、当時のベルギー国内は大騒ぎになった。有罪か無罪か、賛否両論真っ二つ。結局世論はロイマンスに味方して、彼は6ケ月で保釈になった、事実上の無罪放免です。ロイマンス青年は【恋文】を損傷させた事にも悪びれず後日、友人にこう語った「どんな高価な絵画よりも、人ひとりの命のほうがはるかに尊い」と」


 これが事件の全容ですと、もうおどけてしまう陽子だ。ケンイチはニヤニヤして、どうだと言わんばかりの顔を管理人に向けた。


「バカバカしい話だろ?でも天晴あっぱれだ、そんないわくつきの名画なんだ」トーンを落とし「それなのに、これが此処にあると言い張る奴がいる。本物オリジナルの【恋文】が日本国内に?名も知れない山中のこの美術館にある…」


 もちろん、からかうケンイチだったのだ。実はいつしかケンイチは、絵画の真偽にこだわりを感じなくなっていた。美術館で過ごす中で、それは一つも重要な事ではない。むしろそれよりもそれがチョイスされた事に意義があってと、そこが上手く説明出来ないのだが。


管理人は真面目な顔で未だ反論しようとするので、ケンイチは冗談だ気にするなと慌てて、からかってゴメンナサイの反省色の笑顔を作った。


「いいんじゃねーのか、本物、ニセモノとか。結局、価値観の矛盾を事件がいてる。その「ティル」って奴の言い分なら、絵の価値なんてクソ食らえって事じゃねーのか」


 ここで、陽子は真面目な顔になったのである。おもむろだった。


「私は、本物だと思う」


彼女はもうおどけていない。ピクニックムードの雰囲気が(いや、場面は本当にピクニックだが)少し変わっていた。


@参考「盗まれたフェルメール」朽木ゆり子・新潮社(新潮選書)

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