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水晶の街  作者: iuと猫
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中編・5

 陽子が男達を引き連れてやって来た先は、やはり2Fのオーディオ・システムだった。前回、彼女が何がしか感じたのであろう場所だ。

 ケンイチが対面するソファーの中央に座り、管理人が中腰になって様子を伺いながらで、陽子はまずシステムのアンプから操作を始めた。ケンイチが、此処か?でも音が出ないんだゾと言ったから、その種明かしをする。

 中央にメインのボリュームつまみ、アンプパネル左隅に上からプリ次にメインと電源スイッチが在る、それが入らなかった点を再現してみせる――電源は、プリ、メインの順にスイッチを入れないと入らない、また、必ずメインボリュームをゼロ位置に絞っておかなければ、そもそもプリのスイッチから入らない……

「機械的にも、電気的にもインターロックが有る仕様です。機械を壊さないクラッシックな手法なんですけど、慣れれば儀式のようなもので、違和感はありません」

 スピーカーが、陽子の操作の応じて強弱に音を出していた。ケンイチは感心しながら管理人に嫌味たっぷりに「そういう仕様だってさ」と言う。

 応じる管理人は頭を掻き「詳しくなくて申し訳ありません」そして愚痴っぽく「来館者は問題なく使えるものですから」と言った。来館者がいると聞いてケンイチがキョトンとしたので、彼は「街の食堂の女主人です。彼女はよく遊びに来られますよ」と、明かす。

(へえ、あねさん?(彼は何時しか女主人をそう呼んでいた)よく此処に来るのか)

 ケンイチが新事実を呑み込みつつ、陽子の説明が始まった。

「あの日、私はある発見をしました。このオーディオです。凄いというか特別というか。論より証拠なのでまずはヤクザ屋さん、聴いてみて下さい」

「そのヤクザ屋さんって、ヤメロ」

「貴方だって私を役人さんって呼ぶじゃないですか。おあいこです」

 簡単な口論だと楽しそうな陽子は、一度ディスクを停止させると適度にボリュームを上げ、曲の始めから再生をした。

 流れ始めたのはJポップだ。確か少し前のヒット曲でよく街中に流れていた。女性シンガー、誰だったかな?とケンイチが考えていると、陽子が馴れ馴れしく隣に座る。彼女も良いポジションで聴きたいのか、中央に顔を寄せてきて何だか寄り添うようになって(近いゾ)とケンイチが焦る中で。

 システムは美しいメロディを奏でていた。音が満ちフロアへ、そしてロビーへとこぼれていく。シンガーの歌声は高く澄み切って、鳴るピアノは芯を太く軽やかに、弦楽器は繊細に桐と空気を震わせていた。消え入りそうな小さな音までが明瞭なので、背後にある静けさは深淵の底のようだった。豊かな音量で、静寂もまた聴こえていた。

 聴き入るケンイチに、やはりあの感覚が寄せていた。なぜだろう、心がザワザワする……【恋文】から受ける正体不明のイメージだ、それによく似ていた。前回も偶然だったが(西野陽子にオーディオを聴かされて)それに驚いたっけな、と思う。

 始めの内ぼんやりとして、何か違う場面を見ていると自覚すらしなかったが……何だ?その異変に、唐突に気付いたケンイチだった。錯覚だろうか?今オレは、演奏場面を目の前に見ていたゾ、と。

 彼は慌ててまばたきをした。目を凝らす。勿論、視界にはオーディオ・システム以外に何も在りはしないのだ。しかし脳裏に、まるで違う視界が在るという奇妙な確信が有った。幻であろうと、何か見えているのではないか、そんな筈はないと思うから消えてしまうだけで。

 試しに、見えるかもしれないと意識してみる。すると難なく、其処に忽然と演奏風景が現れていた。目前でシンガーが歌っている、楽器が演奏されている。

(何だ、これ?)

 ケンイチの狼狽を察知して「ほら、ね」と言った陽子だった。彼女はケンイチの反応が折込み済みだったと嬉しそうに「克明に、演奏シーンが見えるのでしょう?」

 どうして、と絶句になるケンイチ。一方、管理人は首をかしげていた。

「ケンイチさん、演奏が見えるのですか?」

「管理人、これが見えないのか?」

「管理人さんには見えないかも、です」

 やり取りを引き取った陽子で「今は、ヤクザ屋さんだけがベストポジションに座っているから」と添え、続けた。

「正確に定位した音は音像を結びます。正しい位置でそれを聴くと、例えば歌う口元が見えるような気がする、楽器の配置はこう、今何が鳴った位は解る。いわば擬似トレースが出来るんです。でも、このシステムはそんなレベルじゃない」

 ケンイチが説明を聞きたくて陽子に顔を向けるが、彼女が丁寧に(実際には無造作に顔をわし掴んで)両手でそれを戻す。「おい」少し怒るケンイチに構わず「確かめたいんです」

「何が見えますか?見える景色を話して下さい、何でも構いませんから」

 見える景色と言われてもな、とケンイチは幻を眺めつつ、何でもいいのなら簡単かと了解になる。そこから目を凝らし始めて「よし」と、始めた。

「……シンガーの女は。長いストレートの黒髪に白い肌、痩せていて凄い美人だ。ひらひらの白いドレスはワンピースみたいだ。おお、気合いが入っているゾ、裸足で歌っている。ピアノは左側にすぐ傍にあって、タキシードのおっさんが演奏している。髪型がどんぐりのヘタみたいな親父で、実に楽しそうだな。右側に、椅子に座った女達がバイオリンやビオラやらの演奏をしている。3人だ。一番左のバイオリンの女は、まだ若いな。少しぽっちゃりで、うむむ、なかなか哲学的な顔で演奏している。凄く上手だ」

「部屋の感じはどんな風ですか?例えば、壁の色、床の造り……」

「はっきりしない。だけど後ろは濃い緑色のカーテン、重そうな緞帳どんちょう?だ。床はすんなり板張りだ、チークかオークか。ともかくピカピカの綺麗なフロアだ」

 続く質問がない、陽子は沈黙している。ケンイチが目をやると彼女は、いつの間にかレジ袋から取り出した雑誌を広げて見せているのだった。

「ブルー・ノート(音楽情報の専門誌、本来はジャズ系)です。ディスクについて記事と写真があります。ディスクは、女性シンガーとカルテットのセッションという形で、都内の某クラブの舞台を使い生録音されたものです。参加しているミュージシャンは国内屈指の奏者で、特にピアニストは私もファンなのに、どんぐりは非道いと思いますけど。ともかく、写真はヤクザ屋さんの見えた通りの風景です。ほら、証明出来ました」

 陽子は嬉しげで、盛んにホラホラと雑誌を見せたが、交互にそれを眺めても反応が薄い男達だった。幻が見えていない管理人には、まずケンイチと陽子の会話から解らなかった。ケンイチにしても何か呑み込めず、見えているのだ、写真通りで当たり前だろう、だ。其処に思いついたように管理人が「なぜ髪型や緞帳の色まで解るのでしょう、擬似トレースですか?髪や色から音は出ていないのに」

 だから見えているんだってば、ととがめかけたケンイチが、改めてハッとする。動画データとか有る筈だ、そうじゃないと、と独り言になる。そこに陽子から「ですから、これは市販の音楽CDです。映像信号が入っていない純粋な音楽データです。なのに、まるで動画のようでしょう?」と告げられて、ようやく色を失ったのだった。

「じゃあ、なぜだ?」

 何時しかシステムは、ディスクの数曲目を再生していた。女性シンガーのピアノの弾き語りだった。髪型がどんぐりの親父は、違うメンバーの女性達に混じってバックコーラスに回って、あまり背が高くなく少し太い胴回りという容姿を揺すり、やはり楽しげにケンイチの目の前に立っていた。


 管理人をソファーの真ん中に座らせてもう一度システムを再生すると、彼にもはっきり演奏シーンが見えたのだろう。すっかり合点がって「ワオ?」とか「まじかよ?」(彼の地のセリフ、であろう)と口走り、雑誌を見ては又驚きで、見守る2人の失笑を誘った。陽子もまた、交代して其処に座った。管理人をさんざん笑っておきながら喜びようは似て(彼女自身、まさかここまで再現されるとは想像だにしておらずで)証明が出来たと嬉しさも手伝って、何もない筈の空間を恍惚として見つめるばかりだった。

 小一時間程経ったろうか。

 陽子の持参したCDを取っ変え引っ変えに再生し、盛んにソファーのセンター・ポジションを奪い合っていた3人はひと息ついていた。ディスクをあらかた再生し、各人それぞれに、凄い凄いと騒ぎ尽くした感があったからで。

 最後のディスクの半分程が再生された辺りで、ふう、と溜息をついた陽子だった。それを頃合いと見た管理人が「では、そろそろ」と言ったので、彼女はソファーを離れた。ゆっくりとアンプを操作して、丁寧にオーディオ・システムの電源を落とすと、元の場所に戻る。

 管理人は、そろそろ終わりましょう、楽しかったですねとそんなセリフを用意していたのだが、それを「はい、分かりました」と、引き取った陽子だ。彼女は「では、そろそろ」と、復唱して「本題に入ります」と、言った。

「え?」と、またもやの、男達の顔の見合わせとなった。ただし、ケンイチはそこに頷けるものがある、という顔だったが。

「まだ、本題があるのですか?」

 視聴が終わったと思い込んだ管理人だったので、彼は膝の上にディスクケースと雑誌をひと固めにして、片付けようとしていた。その手を止めさせた事と、彼の発言の中の「まだ」が(勿論、口調に呆れた調子は微塵もなかったが)陽子を恐縮させて「ごめんなさい、お時間はありますか?」

「いえ、私は大丈夫です。管理といっても、業務は雑用です。私は問題ありませんが」

「いいや、オレも大丈夫だ」

 ケンイチは、伺う管理人を無視して答えていた。いくらかムッとしてだった。気にするまでもなく、ケンイチが暇である事を十分知っている癖に展開を振る管理人のいやらしさに、また日頃忙しいとケンイチを放置している癖に、自ら暇だと明かした管理人の調子の良さに憮然としたのだ。そして何より、管理人の勘の悪さが気に入らなかった、なぜなら。

「彼女は、まだ何も話してないよな?例えば前回、なぜ怒って帰ったのか理由を明かしてない。それに――」

 彼は「オレの勝手な思い込みかもしれない」と、呟きになって「オレには、オーディオ・システムと【恋文】が何だか同じなんだ。なぜだろうか、心がザワザワする。2つは何かが同じだ、それが最大の謎だ」

 【恋文】というキーワードに、意外な顔になる管理人だった、では陽子は?

 彼女は、その変化が見て取れるほどに穏やかな表情になって、静かに考え込んでいたのである。まるで、白い花のように其処にたたずんでいた。

 周囲の何事か?という気配に、陽子は伏せていた視線を上げる。おもむろに「では、もっと大きな証明をします」と言い、更に続けたのは、聞き手が耳を驚かせるにわかな提案だった。

「場所を変えましょう」間髪を入れず訂正し「いえ、変えていただきます」で、最後はにっこりと笑って。

「ピクニックをやりませんか?外の芝生で、お弁当です。私、作ってきましたから」

 この時、男達は顔を見合わせる暇もなかったのだ。陽子はすぐに立ち上がって、管理人の膝の持参品を手早くレジ袋にまとめてしまうと、「さあ、準備準備、忙しい」のセリフとパタパタの足音だけを残し、そそくさと1Fロビーに降りていったから、だった。

2012年6月、加筆。改行スペースを削除しました。

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