前編:【キングオーガの国】--怒れる王の鎖も、心に溶ける春の如くですわ。
――鉄と荒野に刻まれた王の誇り
大地が揺れる音で目を覚ます――そんな夜でございました。
王都より南へ数百里、荒涼とした火山地帯を抜けた先に広がるのは、オーガの国――〈グラニス〉。
赤黒く煙る大地には、岩石と炎の匂いが充満し、空は常に灼熱の橙色に染まっております。
「お嬢様、砂塵がひどうございます。ご足元にご注意を」
「ありがとう、クラウス。でも……この熱さも、悪くはありませんわ」
セシリアは口元に微笑を浮かべ、荒野に足を踏み入れた。
「どこか、人の心に似ておりますの。熱く、暴れ、しかし決して消えぬ炎のよう」
その荒地には、鉄鎖に繋がれた巨体が横たわっている。
――いや、鎖は単なる装飾ではなかった。
キングオーガの王〈グラハム・レッドハンド〉が、炎の祭壇の中央で、全身を焼ける鎖で縛られていたのです。
「……ふむ。ようこそ、人の国の娘よ」
低く響く声に、地が震えた。
灰褐色の肌に赤い傷痕が刻まれ、目は溶岩のように光る。
その存在は、荒野に生きる者すべての誇りを象徴しておりました。
「セシリア・フォン・アルバーンでございますわ。あなたの国に、いかなる混乱が生じているのか――見極めにまいりました」
「我が誇りを、誰が犯した?」
王の声は雷鳴のごとく荒々しい。
「契約を破り、民を縛る者か……」
クラウスがそっと呟く。
「お嬢様……この方の怒りは、フェンリル王以上に深く、熱いです」
「ええ、それもまた、国の形なのですわ」
セシリアは杖を構え、軽く一礼した。
「誇りとは、鎖に繋ぐものではございませんわ。熱情は心で導くものでございますのよ」
グラハムの目が揺れる。
「……心で導く、とな? 愚かな人間め。力なき言葉が、何を変えられるというのだ」
その瞬間、祭壇の火が激しく燃え上がり、鎖が赤く光った。
炎の中から、巨大なオーガの戦霊が姿を現す。
筋骨隆々の巨躯、両手に鉄塊を握り、荒野の地を踏みしめるたびに大地が震える。
セシリアは杖を一閃。
紅い光の魔紋が火炎の戦霊を包み、炎が一瞬にして蒼白に変じる。
しかし、戦霊の咆哮は止まらない。
それは王の誇りそのものを体現した、烈火の化身でございました。
「王よ、その怒りを国民に向けてはなりませんわ」
「愚か者め……怒りを抑えれば、誇りは死ぬのだ!」
セシリアは静かに足を進める。
火と光が交錯する中、銀髪が揺れ、紅の瞳が炎を映し出す。
「誇りは、心の中で守るものですの。鎖に縛ることで誇りを示す必要はございませんわ」
グラハムの表情が変わる。
「……お前、氷の国の娘と同じか。心で誇りを導く……」
「ええ。その力は、冷たさでも熱さでもなく、心の温もりから生まれますの」
祭壇の火が揺れ、戦霊が一瞬、動きを止める。
その隙にセシリアは杖を掲げ、魔紋を全身に展開した。
炎の中に咲く白薔薇――紅の光を帯びたその花は、王の心に深く届く。
「あなたの誇りも、怒りも、無駄ではありませんわ。
しかし、誇りは民を縛る鎖ではなく、民を護る力でございます」
キングオーガの鎖がきしむ。
炎の戦霊が崩れ、赤い光がゆっくりと鎮まる。
王の胸が重く上下し、やがて深く息を吐いた。
「……わかるのか、人の娘よ。
我が誇りは、怒りに飲まれ、民を縛るだけのものだったか……」
「ええ、王もまた、温もりを忘れてはなりませんの」
荒野に、わずかな雨が降り始めた。
鉄の香りと土の匂いが混ざり、熱気を帯びた空気が柔らかく変わる。
「……春のような柔らかさだな」
「ええ、荒れ狂う炎も、心が温まれば鎮まるものですわ」
セシリアは杖を収め、銀髪を整えた。
「キングオーガの誇り――その熱も、愛で導くものですのよ」
荒野の空に、赤と金の光が交差する。
炎の国にも、白薔薇が咲く。
その花は――戦でも怒りでもなく、ただ美しい光でございました。




