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それが、わたくしの美を裁く夜会でございますわ。

王都の美術館は、昼の光に満ちれば市井の憩いとなり、夜の帳が降りれば貴族たちの饗宴を映す鏡となりますの。

 だが今宵、その鏡の奥には、青い深淵が静かに蠢いておりました。


 忠実なる執事クラウスが、白い手袋越しに静かに書面を差し出します。

 「お嬢様、最近の調査で“蒼き鎮魂歌”という結社の名が複数の不審死と結び付いております。

  被疑の中には、著名な貴族画家、聖職者、そして幾人かの作家の名がございます」

 「“蒼き鎮魂歌”……ですのね。理念は?」

 「『汚れた世界に静寂を与えることこそ、美である』とのことにございます」

 わたくしは杯の縁に唇を寄せ、微かに笑みを作りました。

 「美の名の下に死を飾るとは……なんと下品で、しかし――興味深いことですわ」


 美術館の夜会は、外套に銀糸を織り込んだ客たちで満ちております。

 蒼いシルクの仮面をつけた者たちが、淡々と筆談を交わし、香水の混じる空気は優雅に濁っている。

 壁には肖像画が並び、その多くは“失踪した女子学生の面影”を彷彿とさせる美しい肖像でした。

 しかしその下に隠された秘密を、展示主は誇り高く隠しているに違いありませんの。


 「クラウス、今夜はただの見学ではございませんわ。

  浅薄な“芸術”に慰められる夜に、ひとつだけ厳粛な判断を差し上げますの」

 「承知いたしました。警護は手薄に見えますが、内通者がいるようでございます」


 わたくしは静かに展示室を巡り、ひとつの絵の前で足を止めました。

 キャンバスに描かれた少女の瞳は、あまりにも生々しく、見る者の胸に針を刺すような痛みを与えます。

 わたくしの指先が小さく震えるのを、クラウスは気付いたでしょうか。


 「この絵は……最近行方不明になったアデル学園の少女と酷似しておりますの」

 「恐らくそうでございます。蒼き鎮魂歌は“素材”として命を扱うのです」

 わたくしは静かに息を吸い、夜の舞台へと立つ覚悟を整えました。


 舞踏会めいた会場の片隅で、蒼き鎮魂歌の主宰である青年画家が笑っております。

 その笑みは名声を享受するもののそれであり、目の奥は蒼く深い。

 「おや、お庭の薔薇が咲いておる。白薔薇の君か」

 「えぇ。美というものを語るならば、その根本を知るべきですわ。命を素材にする“芸術”など、わたくしは認めかねますの」


 やり取りの間に、薄い青い香が会場を満たし始めました。――幻術か、薬か。

 客たちの顔が一瞬ぼやけ、安堵と陶酔が交錯する。

 しかしわたくしは動じません。扇子の先が一閃し、銀の針が静かに光を集めます。


 「芸術とは、誰かの犠牲で成立するものではないですわ」

 「犠牲? むしろ“昇華”というべきだろう。私は美を見せる。彼女らは永遠に魂を絵に留められるのだ」

 「永遠とは、命の尊厳を奪う口実に過ぎませんわ」


 声が交わされるその瞬間、壁に掛けられた幾つかの肖像が、静かに滴るように歪み始める。

 ――クラウスの仕掛けた小さな装置が、空気中の蒼い粉を吸引し、幻惑の源を暴いているのでございます。

 客の瞳が急速に醒め、陶酔の残滓が顔面に浮かぶ。混乱の隙をついて、わたくしは歩を進めました。


 主宰は慌てず、狂気と優雅を混ぜた微笑を保つ。

 「うるさい、薔薇め。芸術は野蛮の皮を剥いで真実を見せる」

 「見せる……ではなく、奪うのですわ。返しなさい、さもなければ」


 刹那、宴は崩れる。絵画を担ぐ侍従が叫び、蒼き仮面の一部が床に転がる。だが主宰は既に背後に刃を走らせ、黒い霧を放ちました。幻術と毒が混じる不気味な波動です。


 わたくしは静かに目を閉じ、白薔薇の名のもとに深い息を吸いました。

 「クラウス、灯りを落としなさい。緩急は我らの舞でございますわ」

 「かしこまりました、お嬢様」


 暗がりの中、白いドレスは影と同化し、銀針が月のように光る。わたくしたちは連携して動き、幻惑に踊る客たちを救出しつつ、主宰へと接近いたします。

 主宰の周囲には、幾つもの肖像が積み上げられ、その中には目を伏せたくなる現実が潜んでおります。キャンバスの裏に仕掛けられた密封容器――それは、悲しき“証拠”でございました。


 「見てはなりませんわ、この“芸術家”の残したものを」

 わたくしはクラウスに囁き、慎重に容器を破壊して中身を曝しました。腐食性の薬品と、凍てつくような冷たさを残す痕跡。展示の正体が暴かれ、会場に凍りついた沈黙が落ちる。


 主宰はまだ諦めぬ。狂おしい筆捌きで幻を織り、私の視界を断とうとする。

 だが、我が舞は静かでありながら致命的でございます。針は唇をかすめ、刃は絹地を裂く。クラウスは客たちに覆いをかけ、被害を拡大させまいとする。


 最後に主宰はおずおずと膝をつき、眼帯の下で震える唇を動かす――本当は演者ではなく、弱い一人の人間であったことを、白薔薇は嗅ぎ取るのでございます。

 「貴方は、何を以て『美』と称したのですの?」

 「汚れた世界を静かにすることが、究極の美だと……」

 「では、それを貴方の手で成し遂げるのではなく、離れた人々の上に置くのは――」

 わたくしは言葉を止め、ただ静かに差し出した。白い布。そこに、主宰の小さな、しかし罪深い道具を包ませる。


 蒼き鎮魂歌の名は世に拡散しぬよう、わたくしたちは証拠を押さえつつ、関係者の多くを拘束に導く手筈を整えましたの。貴族の名も幾つか挙がりましたが、夜の裁きは昼の法で暴かぬ手もございます。だが――私はここで“美を裁く”ことだけは譲りませんでした。


 夜が明けるころ、会場の床に静かに一輪の白薔薇を置きました。そこに、少女たちの肖像は飾られず、空いたキャンバスが冷たく残るだけ。クラウスがそっと私の腕に触れ、低く告げます。

 「お嬢様、お心は乱れておられますか?」

 「えぇ……少しだけ。この香りは、いつまでも私の中で消えぬでしょう」


 白薔薇は咲いて、また散ります。だが私は知っておりますわ――真に守るべき“美”は、誰かの命を汚して得るものではないと。蒼き鎮魂歌はその理念を掲げ、貴族や聖職者という仮面の下で嘲笑を交わす。だが今宵、彼らの幕は少しだけ剥がれた。


 わたくしは夜の闇に一礼し、ふたたび夜を守る歩みを進めるのでございます。

 「静けさは、強制されるものではなく、与えられるものでございますわ」


 月はまだ高く、白薔薇の香りは冷たく空気を満たす。王都は眠りを洗い流し、新しい朝へと傾いてゆく――その端に、白薔薇は静かに微笑んでおりました。

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