死神が笑う夜、薔薇は静かに泣きますの。
王都の朝は、いつもと変わらず穏やかでしたの。
市場には果物の香りが満ち、職人たちの声が飛び交い、パン屋の窓からは焼きたての香ばしい匂いが漂っております。
──けれど、その中に、ひとつだけ異質な“笑い声”が混じっておりました。
「ひひ……あっはっはっは! 運命を、ひとつ買っていかないかい?」
奇抜な仮面、紅と黒の衣装、手には道化の鈴。
その男は市場の中央で、人々に“運命のコイン”と称する金貨をばら撒いておりました。
拾い上げた者たちは皆、一瞬のうちに笑い出す。
そして、次の瞬間には──倒れ伏す。
「お嬢様、被害者は二十名を超えました。笑いながら意識を失うとの報告です」
クラウスが報告書を差し出す。
わたくしは静かに紅茶を一口。
「ふふ……“笑う死神”とは、ずいぶんと趣味の悪い戯れですこと」
「王都警備隊も混乱しております。……どうなさいますか?」
「決まっておりますわ。死神が笑うなら、薔薇が泣く番ですの」
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夜。
王都の市場は静まり返り、昼間の喧騒が嘘のように沈黙しておりました。
屋台の影に潜みながら、クラウスが囁く。
「毒の反応、微弱ですが周囲に残留しております。笑気毒かと」
「笑いで人を狂わせる毒……まぁ、悪趣味な芸術家ですわね」
その時、鈴の音。
どこか愉快で、どこか不気味な音色が夜の空気を震わせました。
「おや……お客様? お嬢さん、夜の市場に咲く花とは珍しいねぇ」
「まぁ、ご丁寧にどうも。けれど──貴方の笑い声、少々下品ですわ」
男は肩を揺らし、仮面の下から嗤いを漏らす。
「下品? それは褒め言葉さ。人間は皆、死ぬ時こそ滑稽で美しい!」
「美しさを語るには、まず品格を学びなさいな」
わたくしの指先が、扇子を弾く。
銀の針が月光を裂き、彼の仮面を掠める。
鈴の音が途切れ、静寂が満ちる。
「おお……“白薔薇の君”、噂以上だな。王都の闇を舞う麗しき刃!」
「……その名を知っているということは、死ぬ覚悟はおありですのね?」
「ひひっ……死神は笑うために生まれた。薔薇は泣くために咲く。どちらが美しいか、試そうじゃないか!」
彼の手から無数の笑気玉が放たれ、市場中に白い霧が広がる。
人の幻影が嗤いながら踊る中、わたくしはただ一歩、前へ。
「笑いという仮面の下に、どれほどの孤独が潜んでいるのかしら?」
「孤独? そんなもの、笑い飛ばせばいい!」
銀の音が響き、霧が裂けた。
彼の鈴が転がり、仮面が砕け散る。
その下から現れた顔は、ひどく若く、そして怯えておりました。
「……怖かったのですのね。自分の“声”が、誰にも届かぬことが」
「笑うしか……なかったんだ……」
「ええ。けれど、もうお休みなさいませ。笑顔は、死神の仮面には似合いませんわ」
わたくしは彼の胸に白薔薇を一輪置く。
毒の香りが夜気に溶け、静寂が戻る。
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帰路、クラウスがそっと問いました。
「お嬢様……貴方は、なぜ彼のような者にも慈悲を向けるのです?」
「ふふ……だって、人は皆、笑いたくて泣くのですもの」
「それでも、殺めることに変わりはございません」
「ええ。けれど、それがわたくしの“優雅なる死のマナー”ですわ」
月明かりの下、白薔薇が風に揺れる。
嗤う死神が消えた夜に、ひとつの祈りが残りました。
──この世界が、もう少しだけ優しくあればいいのに。




