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悪役令嬢とあぶれ騎士

作者: 一辻 雨紡

 ふと、前世の記憶を思い出した。と、同時に婚約破棄された。


「エステル・リンガード! お前との婚約は破棄だ!」

「ごめんなさい、エステル様。私、こんなつもりじゃなくて……」


 私の目の前にいるのは婚約者の王子と、彼を寝取った男爵令嬢。その周囲を取り巻くように三人の青年がいる。


 その顔の面々を見て、私は全てを思い出した。これ、私がやってた乙女ゲームの世界だ、と。

 だが、それにしては強烈な違和感。何かが違う、どこかがおかしい。


 婚約破棄されたというショック。自分が悪役令嬢だったという絶望感。そして、自分の前世の記憶との違和感。

 私がそれらに呆然として何も言えないでいると、王子が再び口を開いた。


「そしてお前もだ。ディルクルム・ハルメッツ! お前のような側近はもういらない!」


 王子がそう言ったのを聞き、私の思考がパッと晴れた。


 ディルクルム・ハルメッツ。ああ、そうだ。何がおかしいのか思い出した。

 一人足りないのだ。私がプレイしていた乙女ゲームは王子とその側近四人を攻略するものだった。


 さっきの違和感は攻略対象者が一人少なかったからか、と妙に納得していた私の耳に、慟哭を含んだ低い男性の声が届いた。


「何故ですか、殿下!? 私はこんなにも貴方に尽くしてきたのに!」


 その声の方を向くと、背の高い、がっしりとした体型の青年が王子と向かい合って立っていた。


 赤銅色の髪と金色の瞳。彼がディルクルム・ハルメッツ。男らしい体格をしているが、それもあくまで乙女ゲームの登場キャラクターとしての範囲。顔はそれらしくイケメンだが、その端正な顔は今、絶望で歪んでいた。


 だが、何故ディルクルムはこちら側なのだろうか。ハーレムエンドなら、彼も王子たちと同じように私を詰る側にいるはずだが。


 私はチラッとディルクルムを見た後、王子たちの方に目を向ける。男爵令嬢は王子と三人の側近に守られるように囲まれている。彼女も私と同じように前世の記憶を持ち、それを活用して彼らを攻略していったのだろう。


 だったら、彼女はさぞかし幸せだろう。私はそう思ったのだが、彼女はディルクルムにまるで汚物を見るような目を向けていた。

 そんな彼女を庇うようにして、王子が言葉を続ける。


「お前がいつ私に尽くしたのだ! いつもいつも場を読まない発言をして空気を白けさせ、さらには自分の仕事は殿下を守ることであってリリカを守ることではないと抜かしていたではないか!? だから、リリカはいつもお前に怯えていたのだ!」


 王子の言葉と男爵令嬢の表情から、何となくディルクルムの境遇を悟った。

 おそらく彼は、男爵令嬢であるヒロインのお眼鏡に適わなかったのだ。


 前の世界でも、今の世界でも、女性の好みというものは分かれる。その中で、ディルクルムはヒロインの好みではなかったか、かなり嫌いなタイプだったのだろう。


 まあ、ガタイのいいキャラだからな、とどこか達観した様子でこの騒ぎを眺めていると、王子が私とディルクルムの二人に向かって言い渡した。


「悪人であるお前たちには、北方の辺境地に行ってもらう! もう二度とその顔を私たちに見せるな!」

「……私も!?」


 自分を指さして、思わず叫んでから気づく。

 途中から観客のようにこの出来事を見ていたが、ヒロインをいじめていた悪役令嬢なんだから、そりゃあそうなるだろう、と。



   ♢♦︎♢♦︎♢♦︎



 ガタ、ゴト、と馬車が揺れる。リンガード家は侯爵家で、そこそこいい身分の家だった。

 その家のものとは思えないくらい乗り心地の悪い馬車に乗って、私は北方に向かう。


 リンガード侯爵家は、あの婚約破棄のあと、アッサリと私のことを切り捨てた。

 記憶の中にあるエステルは確かにヒロインのことをいじめていたが、ちゃんと王子の浮気のことを家族に相談していた。


 私はどうすればいい? 王子を説得したいから協力してほしい。


 そんな彼女の訴えを真面目に聞かず、婚約破棄されれば役立たずのように罵られる。

 リンガード家はエステルのことを庇いもしなかった。


 なんか、アンタ可哀想だよ。乙女ゲームのお邪魔キャラとか思ってごめんね。


 今の私はそう思うが、本物のエステルがそれを聞いてどう思うのかはわからない。そもそも彼女が今どうしているのか、何故こんなことになったのかもわからないのだから。


 一つだけ確かなのは本物のエステルの代わりに罰を受けるのが私なわけで……。


 なんか恨めばいいのか、憐れめばいいのか、さっぱりわからなくなってきた。


 ちょっと頭の中がゴチャゴチャしつつも、今の私は現実逃避を続ける。

 北方の土地に飛ばされると決まった時から腹は括った。もうこうなったものは仕方ない。あとは飛ばされた土地で頑張るだけだ。

 だから、今の私はこの自分の現状から逃げ出そうとしているのではない。今、私が目を逸らしたいのは、隣にいる暗い雰囲気を纏った奴からだ。


 ぐすぐす、と泣き言を漏らす声。私よりもデカい体を小さく折り曲げ、顔を覆って泣いている。これから寒い地域に向かうところだと言うのに、すでに馬車の中は薄暗く重苦しい空気に包まれていた。


 馬車に同乗しているのは、ディルクルム・ハルメッツ。私、エステル・リンガードと同じく北方の地に飛ばされる者だ。


 普通、貴族の女性は男性と二人っきりで馬車には乗ることはない。乗っていいのは、血縁者か婚約者くらいなもの。恋人とともに乗ることも勿論あるが、本物のエステルは身持ちが固く、王子と家族以外の男性との深い関わりはなかった。


 そんな初めてが、何故こんな男と。


 え? リンガード家を追放されてもう貴族じゃなくなったよねって? 罪人を二人北方に送るのに馬車は二台も必要ないよねって?

 はいはい、おっしゃる通りですね。ケッ。


 荒んだ心に追い討ちをかけるディルクルムの泣きべそ。確かに彼が王子に捨てられてメンタルブレイクするのはわかるが、それを私にまで強要しないでほしい。


 内心、イラッとしながら、私は彼に声をかけた。


「あの、いい加減、泣き止んでくれます? こうもうるさくちゃ眠れないので」


 かなりキツイ言い方をディルクルムにすれば、彼は真っ赤に充血した目で私を睨んできた。


「何故、貴女にそんなことを言われなければならない。俺はいずれ騎士団長になると期待されて、ずっと殿下のことを支えてきたのに。俺は貴女のようにリリカ・エイン嬢を虐めたりなどはしなかった。それなのに何故! お前のような女と同じ扱いを受けなければならないのだ!」


 メソメソと泣いていたのに、声は大きい。耳がキーンとする。

 いじめてたのは私じゃなくて本物のエステルです、なんて言っても頭がおかしくなったと思われるだけだろう。だから、そこの部分は訂正しないし、悪女だと思ってくれても構わない。

 が、それはそれとして、こうもメソメソと泣かれてはこちらの気が滅入るのだ。


「別に私のことをどう思おうが構いませんが、泣いて私のことを詰ってこの状況が解決するとでも? これから北方の地に行くのですから、少しでも眠って体力を温存すべきでしょう。大の男がメソメソと泣いてみっともない。男に捨てられて泣く特権は女のものだと思っていたのですが、未来の騎士団長と噂された方はこんなにも女々しかったのですね」


 フン、とバカにするように吐き捨てれば、何も言い返せないのか、ディルクルムはあっさりと黙る。


 これでようやく静かになった。そう思い、私は近くにあった毛布を被った。


「私、到着するまで寝てますから。襲わないでくださいね」

「なっ、誰がそんなことを! 俺は紳士だぞ!」

「はいはい」


 ディルクルムの返事を適当にあしらい、私は目を閉じた。


 本物のエステルがどうなったか。元の自分はどうなってるのか。わからない事を考えても仕方ない。

 これから北方の地に行くのだ。エステルの記憶が正しければ、ひどく厳しい北方の地へ。

 だったら今考えるべきなのは、そこでどう生き抜くかだ。



   ♢♦︎♢♦︎♢♦︎



 北方の地についた私たちを出迎えてくれたのは、この地にある修道院の院長とその補佐を務めるシスターだった。


 ディルクルムは筋骨隆々の院長に引きずられていき、私は補佐のシスターの後に続く。


「貴女には孤児院の子供たちの面倒を見てもらいます。あとは一日に三度、神に祈りを捧げるように」

「はい」

「よい心がけです。もう一人の青年の方は修道騎士団の方に引き取ってもらいます。心身共に鍛え直し、神に祈りを捧げれば、貴方たちの罪はきっと許されるでしょう」

「はい」


 シスターの言葉に私は大人しく返事をする。だけど、心のどこかがささくれ立つ。


 罪ってなんじゃい! と。

 悪いことをしたのはエステルであって私じゃない、やってもいない罪をどうやって償うんだよ、と。


 それを叫ぶことはしないけれど、心がモヤモヤする。きっとこのモヤモヤはいつまで経っても晴れないだろう。


 シスターから貰った修道服に着替えて、孤児院に向かう。シスターがガチャリと扉を開ければ、中で騒いでいた子供たちがパッとこちらを見た。


「彼女が新しくやってきた修道女のエステルです。みなさん、彼女の言うことをきちんと聞くように」


 その言葉がちゃんと伝わっているのか、子供たちはわーっと私の方に雪崩れ込んできた。


「わーっ!」

「では、よろしくお願いしますね」


 シスターは子供に潰された私のことを助けもせずに去っていく。


 鬼め。この世界にいるかいないかもわからない生物の名を、シスターの背中を見て内心で呟いた。



   ♢♦︎♢♦︎♢♦︎



 はー、と手に息を吹きかける。息は白く、外は寒い。だから手を擦り合わせ、吐息を吹きかけて暖めるのだ。


「逃げ出す算段でも考えているのか?」

「ただ休憩してるだけよ」


 ザッと地面を踏み鳴らす音とともに、聞き覚えのある声が問いかけてきた。

 誰かを確認するまでもない。到着後すぐに筋骨隆々の院長に連れ去られて行ったディルクルムだ。


 彼の表情は泣き止んでいたが、まだどこか悲壮感が漂っていた。見るんじゃなかった、こちらまでどんよりする、と思いながらスッと彼から目を逸らす。


 だが、ディルクルムは私のそんな考えなどいざ知らず、何の許可も取らずに私の隣に座り込んだ。


「俺は帰りたい」

「それを何で私に言うのよ」


 休憩に外に出てみれば、一緒に追放されてきた男から突然の愚痴。一体何の罰ゲームだ、と隣を見れば、彼は諦めの表情で落ち込んでいる。


 行きの馬車で泣いて、到着してからも泣いて、ここでまた泣くのか、と呆れ顔で見ていると、それを知ってか知らずか、ディルクルムはポツポツと話し始めた。


「俺は、殿下に忠誠を誓ってきたんだ。あの方を守り、国に尽くすのが俺の使命だと思って、今まで鍛錬を続けてきた。それは決して、こんな場所でありもしない罪を償うためじゃないはずなんだ」


 ボソボソと弱音を吐き続ける姿に、私は先程とは違う意味で息を吐く。


 確かに将来を約束された男が突然こんな辺境の地に追いやられたら、文句の一つや二つ、言いたくなるに違いない。

 だけど、それを私に言わないでほしい。私だって、本物のエステルじゃない。いじめていたのは本物のエステルで、私には何の罪もないのだから。


「だったら一人で帰れば? 貴方だったら馬に乗って何とか帰れるでしょう?」


 淡々と言葉を吐けば、ディルクルムはキッと睨んでくる。


「冷たい女だ。さすがエイン嬢をいじめただけはある」

「そんなの関係ないわよ。他人の婚約者を取ったんだから、私があの子に悪感情を抱いたって何もおかしくないじゃない。それはアンタに対してもおんなじよ。グチグチ言うだけの男を、なんで私が慰めなくちゃならないのよ」


 言い返せば、ディルクルムはぐっと押し黙る。

 口喧嘩で言い返されて黙るくらいなら、喧嘩なんて売らなければいいのに。


 ディルクルムは一瞬悔しそうな顔をして、それからきつく口を引き結んだ。


「……。なんで、お前なんだ」


 しばらく黙っていたディルクルムがボソッと呟いた。


「何が?」


 強めに聞き返せば、ディルクルムはきゅっと口を結ぶ。


「王都のことを話せる相手が、なんでお前だけなんだ、と言っている」

「……知らないわよ、そんなの。一緒にここに飛ばされてきただけでしょう」


 彼の言いたいことはなんとなくわかる。知らない土地、知らない気候、すでに完成されている人間関係、その中に飛び込む勇気。


 信じてた人間から裏切られてメンタルがボロボロになっている時に、それを乗り越えられるほど強い人間はそういない。私だって、こうしてエステルに成り代わっていなければ泣き明かしていたかもしれない。


 同じ人に裏切られて、同じ土地に飛ばされて、同じ境遇を持っていて。それは確かに、好奇の目を向ける見知らぬ人間に話しかけるより、同じ立場の人間と話したいと思ってもおかしくはない。


「お前は帰りたいと思わないのか。殿下の婚約者だったあの場所へ」


 ディルクルムは何かを期待するように、私の顔を見た。慰めてほしいのか、自分の意見を肯定してほしいのか、それとも自分の同族を得て安心したいのか。


 彼が何を願っているのか、サッパリわからないが、私が言えるのはこれだけ。


「思わないわ」


 ディルクルムは虚をつかれたような顔をした。


 確かに、本物のエステルなら『帰りたい』と言っただろう。だけど、私はエステルではない。

 王子は私の想い人ではないし、リンガード家も私の家族ではない。


「私をフッて他の女を選んだ男に興味はないの。それに、家族ももう信用できないしね」


 そう。帰りたい、なんて思えない。誰があんなところに戻るものか。


 エステルの記憶にあるのは、どこか息苦しい家族関係。唯一の逃げ場であった王子も他の女に取られた。わざわざ社交の場に戻ったってただの笑い物になるだけ。


 確かにここはなかなかしんどそうな場所だが、王都にいるよりは精神的に楽だ。


「あとは腹を括ってここで生きるだけよ」

「エステルー!」


 ドンッと突然孤児院の子供が抱きついてきた。休憩だといって逃げ出してきたのに、追いかけてきたみたいだ。

 彼は私の腰に抱きつきながら、ヒョイと私の影にいるディルクルムを覗き込んだ。


「だれ、この人?」

「アホよ」

「アホなんだー」


 素直というか、何というか。少年は無邪気に私の言葉を繰り返した。

 それにむっとしたように、ディルクルムが口を挟む。


「俺はアホじゃない!」

「じゃあ、だれー?」

「俺は、……」


 一瞬、彼の言葉が詰まる。だが、彼はグッと苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、座り込んでいた場所から立ち上がった。


「俺は、ディルクルム・ハルメッツ。この土地にやってきて、修道騎士として働いている者だ」

「騎士!? カッケー!」


 パッと少年の顔が輝く。男の子が騎士に憧れるのは、王都も辺境の地も変わらないんだと感心した。


「剣振って! 剣!」


 少年は私から離れ、ディルクルムにまとわりついている。体格がしっかりしている彼は、小さい子供にしがみつかれても倒れたりはしないだろう。


 困り顔をしながらも、少年の相手をしている彼を見て思った。

 これで、彼が少し元気になって、私に愚痴をこぼさないといいんだけど、と。



   ♢♦︎♢♦︎♢♦︎



 あれから数日後、ここの生活にも少しづつ慣れてきた。シスターは嫌味な人かと思ったら、案外こちらを気にかけてくれるし、他の修道女も気さくな人たちばかりだ。


 予想してた子と全然違ったと、仲良くなった若い修道女からそう言われた。

 それは何より。みんな噂よりも中身を見てくれるのですごく助かる。


 ディルクルムはあれから子供たちに懐かれ、いい遊び道具、もとい、いい遊び相手になっている。背が高く、もともと明るい性格をしているから、子供たちに好かれやすいのだろう。


 それが理由かはわからないが、他の修道女や修道騎士とも会話が弾むようになったと聞いた。


 初日に帰りたいとメソメソ泣いていた情けない男はもういない。

 いないのだが、じゃあ彼が私に話しかけてこなくなったかといえば、それは違う。彼は今も私に話しかけてくる。くだらないことや、今日一日にあったことや、ほんのたまに愚痴なども。


 何が目的かはわからない。ただ休憩中にポツポツと言葉を交わすだけ。私も私で、なんだかんだ付き合ってしまっている。


 今日も、修道院の裏庭でそんな話をしていた時のことだった。


「で、あの子の帽子を取ろうとしたら、木から落ちたと。……バカじゃないの」

「バカじゃない! たまたま手にかけた枝が凍ってたんだ」

「そりゃあ、凍るでしょうよ。ここ寒いもの。それを気にせず素手で氷を掴んだら怪我するに決まってるじゃない」

「だから!」

「エステル! ディルさん!」


 私たちのくだらない会話に割り込んできたのは、私と仲のいい修道女。

 彼女は息を切らして走ってきて、私たちの前で立ち止まった。


「今! 領主様が訪ねてきて、二人に会いたいって! シスターと院長が対応してるんだけど、二人を呼んでこいって言われて……!」


 息も切れ切れに話す彼女の言葉に、私たちは二人して顔を見合わせる。

 それから彼女を落ち着かせて、ゆっくりと修道院の中に戻った。


 私たち二人は、この土地の領主とは初対面だ。この地へやってきた日に一度面会するべきかと思っていたが、罪人と会う気はないと言われて向こうに断られたのだ。


 それが今更何故。二人して疑問に思いつつも、院長室へと向かう。

 扉をノックして、許可をもらい、二人で院長室に入った。


「お呼びにあずかりました、ディルクルム・ハルメッツです」

「エステル・リンガードと申します」


 ふたりともしばらくしていなかった貴族の挨拶をすれば、おおっ、と野太い声が上がった。


 何事だろう、と顔を上げると、醜く太った二人の男性が目に入る。よく似ているが、サイズが若干違うからおそらく親子だろう。

 二人は煌びやかな服からはみ出そうな脂肪を持ち、ぬくぬくと暖かそうな毛皮のコートを身につけていた。


 よくもまあ、この厳しい土地でそこまで太れるな、と顔に出さないように思っていると、小さい方の男性が私を見て声を上げた。


「なんと美しい! 罪は私が許すから、私の屋敷に来ないか?」


 は? と声に出さなかったのを褒めてほしい。

 ビシリ、と硬直した私の代わりに、シスターが声を上げる。


「彼女はここで罪を償うと決まっております。いくら領主様のご子息といえど、国の決定を覆すことはできません」

「良いではないか。王都の者がわざわざここまで確認しにくるわけでもない。普段は私の部屋にいて、王都の使者が来る時はここに戻ればいいのだ」


 コイツ、私の部屋って言った。流石にここまで言われれば、何を持ちかけられているのかわかる。いや、むしろ、理解したくなくてコイツの言葉を脳が拒むくらいだ。


「金色の髪、菫色の瞳、白磁の肌。リンガードの薔薇と呼ばれたその美貌! ああ、美しい! 罪人だと言うから無視してしまったが、もっと早くに会いにくればよかった。そうすればこんなところに置いておかずとも済んだのに」


 その言葉と共に、脂ぎった手が私の方に伸びてきた。ゾワゾワゾワと悪寒が体を走る。

 気持ち悪い。と、思った瞬間、バッと領主とその息子の姿が見えなくなった。


 代わりに見えるのは、修道騎士の制服と赤銅色の後頭部。広い背中が私のことをあの二人から隠していた。


「彼女は私と共に罰を受けに来ております。国から許可が降りるまで勝手に修道院を離れることは叶いません」


 はっきりと耳に残る、堂々とした声。何度となく聞いたディルクルムの声が、ここまでしっかりしていると思ったのは初めてだった。


「お前は?」

「ディルクルム・ハルメッツと申します」

「そうじゃない! お前は何なんだと聞いている! 何の権限があって私の邪魔をするんだ!」

「……私は罪人です。ですが、騎士の矜持を忘れたことはございません。淑女を守るのは、騎士にとって当然の義務です」


 堂々と彼は言う。

 領主の息子がどれだけ背が高いのかはわからないが、騎士として体を鍛え続けたディルクルムの体格に勝てないのは確かだろう。

 ディルクルムに気圧されたように領主の息子がぐっと黙り込んだ。それでも彼は諦めきれないように、今度は私に声をかけてきた。


「だが、エステルがどう思うかはわからないじゃないか。彼女は私と一緒に居たいと思うかもしれない。それをお前に咎める権利があるのか? なあ、エステル」


 領主の息子に名前を呼ばれるたび、背筋がザワッとする。もう顔を合わせたくないし、声も聞きたくないが、ちゃんと拒絶しなければ彼はずっと私に付き纏い続けるだろう。


 気持ち悪い、と思いながらも、ツンとディルクルムの背中をつつく。彼はチラッと心配そうな視線を私に向けながらも、半歩、体を横にずらした。


 カツ、と踵を鳴らして、領主の息子の前に一歩踏み出て、私は深くお辞儀をする。


「私は罪を犯しました。今はここで自分の罪と向き合い、それを償おうと思っております」


 無理、という返事をオブラートに包んで、サッとすぐに後ろに引き下がる。

 それを聞いて、ぐぬぬ、と領主の息子が唸った。


 そんな息子を咎めるように、領主が息子の肩を軽く叩いた。


「まあまあ、落ち着け。ところで、そこの騎士。淑女を守るのが騎士の矜持と言ったな」

「はい」

「なら、守ってみるがいい」


 領主の言葉に皆が怪訝な顔を浮かべる。

 雲行きが怪しくなってきた、と思った瞬間、領主はとんでもないことを口にした。


「最近、ここから更に北の洞窟に巨大な魔物が出るのだ。それを狩ってこい。できなければ、エステル・リンガードを私の息子の花嫁にもらう。どうだ?」

「なっ!?」


 驚愕の声を漏らしたのはディルクルムだけ。だが、驚いていたのは彼だけではない。

 院長も、シスターも、もちろん、私も。


「人を物のように扱うなど!」

「まさか、あれほどの大口を叩いておいてできないのか? なあ、エステル嬢。こんな男よりも私の息子の方がいいだろう?」


 領主の息子はバカなようだが、領主はそうではない。まるで蛇のような仄暗い雰囲気を纏った目を私に向けてきた。


 グラッと思考がぐらつく。

 領主の息子の嫁は嫌だが、ディルクルムに迷惑はかけたくない。


「その話……」

「引き受けましょう」


 私が答える前に、ディルクルムの低い声が響いた。目を丸く見開いて、私は彼を見る。

 なんで、と私が口を開く前に、彼は言葉を続けた。


「私が魔物を狩ってくれば、彼女には手を出さないのでしょう? ならば、引き受けます」


 まっすぐに、迷いなく彼は言い切った。


「なっ……」

「そうかそうか。なら、三日間猶予をやる。その間に魔物を狩って私の屋敷に見せに来るがいい。その時はぜひ、エステル嬢も共に」


 私が反論する暇もなく、トントン拍子で話が進む。

 ディルクルムは何も言わずに、領主の言葉に頭を下げた。


 唖然としながら、助けを求めるようにシスターと院長を見る。だが、二人とも難しい顔をしたまま黙り込むだけだった。



   ♢♦︎♢♦︎♢♦︎



「どうして止めてくれなかったんですか!?」


 領主とその息子が帰ってから、私はシスターと院長を責め立てた。

 だが、二人から帰ってきたのは、あまり芳しくない答えだった。


「あの場でディルがやると言ったことを覆すことは俺には出来ん。矜持を守る戦いを、神への誓いを、自身の信念を貫くことをアイツは求めた。そして、その試練は領主との取引として神から与えられた。ならば、それは果たされるべきだ」

「私はこんな取引はどうかと思いますけどね。ですが、彼を止められなかったのも事実。……エステル。貴女、先ほどこう言いかけていたでしょう。ディルクルムを戦いの場にやるくらいなら自分は花嫁となる、と。それは彼が今していることと何が違うのでしょう? そして、貴女は言い淀み、彼は言い切った。貴女には迷いがあり、彼にはなかった。それが、私が彼を止められなかった理由です」


 聖職者だからか、二人はやけに難しいことを言う。

 私には信仰心なんてないし、本物のエステルもそんなもの持ち合わせていなかった。もしもそれがディルクルムを戦場へと向かわせるのであれば、私は一生、神なんてものは信じない。


「わかりました。だったら、私が彼を説得してきます」


 この二人には期待できない。ディルクルムを止められるのは私しかいない。

 二人が言っていたことに目を背けて、私は院長室を飛び出した。


「ディルクルム!」


 バンッと彼の部屋の扉を開けた。彼は自分の装備を確認し、王都から持ってきていた剣を眺めていた。

 ベッドに座っていた彼は特に驚いた様子もなく、平然と私の顔を見つめる。


「どうした? 急な来訪だな」

「どうしたもこうしたもないわよ! なんで私がここに来たのか、わかってるでしょう!?」


 噛みつくように詰め寄れば、彼は怯んだように一歩後ずさる。


「あれは仕方ないだろう。そういう約束を持ち掛けられたんだから」

「そんなの無視すればよかったじゃない! 向こうが勝手に言い出したことなんだから、こっちが全部言うこと聞いてやる義理はないわよ!」

「貴女の自由がかかっていたとしても?」

「それは……」


 ぐっと言葉が詰まった。思い出したくもない領主の息子が脳裏によみがえる。

 あの太った姿を思い出して、ようやく一言、何とか言葉をひねり出す。


「……ちょっとだけ、ありかな、とは思った」

「なっ!? あんなのが好みなのか!?」

「いや、全然」


 サクッと否定できてしまうあたり、ちゃんと自分でも嫌なのだと自覚している。だが、それを飲み込んででも、受け入れてもいいか、と思ってしまうものがあった。


「アイツ、お金持ってそうでしょ? 太ってたし、食料も十分に持ってて、毛皮のコートも着てて、暖かそうだった」

「……お前、それが理由か?」

「うん。だって、そうすればここに物資を送れるじゃない」


 呆れ顔をしていたディルクルムが軽く目を見開いた。それに気づかず、私は言葉を続ける。


「ここには物資がない。冷たい風をしのぐコートがない。飢えを癒す食料がない。十分な暖をとれる燃料がない。色んなものが足りない。だったら、私が身を売って、物資をぶん取ってくるのもいいかと思ったの」


 孤児院の子供たちはつぎはぎだらけの服を着ている。数少ない毛布を分け合って、互いの体温で暖を取っている。彼らの手足は細い。栄養が足りてないのは、普段から見ているからよくわかる。


 私は何の役にも立てていない。修道院の人たちは受け入れてくれているが、突出した能力がないのは自分でよくわかっていた。


 ただ一つ、自分でも自信があるのが、リンガードの薔薇と呼ばれたこの美貌。これが役に立つのであれば、それに越したことはない。


 ぐ、と唇をかみしめて、私は顔を上げた。


「だから、別に貴方が戦いに行く必要はないのよ」


 きっぱりと言い切った私の顔を見て、ディルクルムは、ふ、と微笑んだ。


「バカだな、お前は」

「はあっ!? 誰がバカよ!?」


 こっちが決死の覚悟で言ってるのに! と私が気色ばんだのとほぼ同時に、ディルクルムが立ち上がった。

 剣を持ち、彼は私の目の前に立つ。院長室で領主とその息子に会った時にも思ったが、彼は本当に背が高い。軽く私が見上げなければいけないほどに。


「それで貴女は何を得る?」

「……。ここの、子供たちの安寧?」

「それは俺が魔物の討伐に出るのと何が違う?」

「それは……。だって、アンタが戦いに行かなくても済むようになるじゃない」

「そうか。なら俺も、貴女が嫌いな人間の花嫁にならなくても済むように戦いに行きたい」


 バチッと彼と目が合う。私が不安げな顔をしているのに対して、彼は薄く笑みを浮かべていた。


 彼に気圧されるように、私は一歩引き下がる。それを見越していたのか、彼は私の前で跪いた。


「俺は弱い」


 ディルクルムの突然の言葉に私は唖然とした。いきなり何を言い出すのだろう。

 瞬きをして彼の頭を見ていると、彼は静かに言葉を続けた。


「俺は騎士として国に尽くすつもりだった。この力を殿下に捧げるつもりだった。だが、全ては受け入れてもらえなかった。そうして俺はこの地に来た。この地で俺は修道騎士になった。俺の剣は神に捧げるべきだと言われた。この地で志を共にする者たちのためにその力を使え、と」


 私はその場に縫い止められたようにじっとしながら、彼の独白を聞いていた。悲哀か、諦めか、失意か。彼の言葉にはそんな何かが混ざり込んでいた。


「俺の意志は受け入れてもらえず、俺の信念は他者の言葉に捻じ曲げられた。何のために戦えばいいのか、何を守ればいいのか、俺はわからなくなった」


 彼は少しだけ俯き、やがて顔を上げた。


「俺は弱い。芯がなければ戦うことなど出来はしない。だから、真っ直ぐな折れない芯が欲しい」


 彼の金色の瞳がまっすぐに私を見ていた。


「俺は貴女に剣を捧げたい。貴女に忠誠を誓いたい。だから、どうか。俺の決意を受け取ってはもらえないだろうか。俺に、私のために戦えと言ってくれないだろうか」


 彼は剣を掲げて、深く頭を垂れた。


「俺は貴女を守りたい」


 私はそれを陶然と見ていた。まるでお芝居を見ているような、御伽噺の中にいるような、そんな感覚。だが、これは現実なのだ。


 彼の決意も、言葉も、行動も、全てが真実で現実。今の彼は本気で、真剣に、覚悟を決めていた。


 だから、私も本気で、真剣に、覚悟を決めて彼に答えなければならない。彼の言葉を否定するなら、それ相応の覚悟を持って答えなければならない。


『貴女には迷いがあり、彼にはなかった』

『アイツは求めた。そして、神から与えられた。ならば、それは果たされるべきだ』


 今になってシスターと院長の言葉が思い出される。

 本当はどこかわかっていた。わかっていたから目を背けていただけ。


 私のために戦えと、彼にそう願う覚悟がなかっただけ。


 私は彼の剣を受けとり、三度、剣の平で彼の肩を軽く叩いた。

 騎士の叙勲。主君に剣を捧げ、騎士として忠誠を誓う儀式。

 詳しいやり方など知らない。これが正しいのかもわからない。


 ただ一つ正しいといえるのは、私が彼の誓いを受け入れたことだけ。


 求めたのであれば、与えられるべき。受け入れてもらえなかった彼の過去を知っていて、それを拒絶することなんてできやしない。


 彼が案外弱いことを知っている。彼が案外強いことも知っている。その二つを知っていて、それでも彼がもう一度、誰かに剣を捧げるというのなら、私はその覚悟をへし折ることなんてできない。


「生きて帰ってこなかったら、許さないから!」


 私が差し出す剣を受け取って、彼は満足そうに微笑んだ。彼は剣を収め、私の手を取る。


「仰せのままに。マイ・レディ」


 その言葉とともに、軽い口づけが手に落ちた。



   ♢♦♢♦♢♦



 立会人も、誓いの言葉も、儀式のやり方も、恰好も、何もかもが適当だった騎士の叙勲式から三日後。あの後、すぐに準備を整えて出て行ったディルクルムからは何の連絡も来ない。


 そもそも三日という期間が短すぎるのだ。こちらに連絡する暇があったら、その分、キチンと魔物について調査して、安全に倒せるようにしてほしい。


 そんな彼とは違って、領主の息子からは毎日プレゼントとラブレターが来る。おいしそうな食材は修道院のみんなと食べ、暖かそうなマフラーは外に出るときにみんなと共有で使っている。


 ペラッペラの寒そうな面積の少ない下着と、それについて書かれたラブレターはとっとと暖炉にくべて燃やした。しょうもない妄想をこちらに垂れ流されても困る。


 はあーっと白い息を吐いた。北方の地は寒い。休憩に外に出てみれば、冷たい雪に音は吸われ、シンとした静寂が耳に痛い。


 普段はもっと騒がしいのだ。声の大きい男が隣にいたから。


 なんだかんだで私も、彼がいたことで救われていたのかもしれない。同じ境遇の人間がいたこと、話しかけてくれる人がいたこと、毎日顔を合わせる誰かがいたこと。


 私は彼に救われていたのだ。


 はあーッと息を手に吹きかけて温める。


 だから待とう。彼が帰ってくるまで。

 彼はちゃんと戻ってくると言ったのだから。


 ディルクルムのことを信じて、私はまっすぐ前を向いた。



   ♢♦♢♦♢♦



 休憩を終え、炊事室で夕飯の準備を手伝う。


 あの日から今日で三日目、魔物の討伐期限の日だ。今日の夜か、明日の朝には賭けの結果がわかる。ディルクルムと領主が交わした賭けの結果が。


 私、エステル・リンガードを景品にした賭け。それは最早どうでもいい。そんな勝手を言い出したことにすら怒りは湧かない。


 思うのはただ一つだけ。ディルクルムが無事で帰ってくること。

 それだけを思いながら、私は今日の夜のスープを作るために材料を切る。


「エステル!」


 バンッ! と炊事室の扉を開けて、あの日と同じように若い修道女が飛び込んできた。


「領主様の馬車が!」


 それを聞いて、私はすぐに作業を放り出して院長室へと向かった。


 ここに先に来たのはディルクルムではなく、領主の馬車。

 その事実にサッと血の気が引く。


 魔物の討伐が期日に間に合わなかったというのであれば、それはしょうがない。だが、そうでないのなら、ディルクルムの身に何かあったというのなら、それはどうしようもなく受け入れられない。


 エプロンをつけたまま修道院の廊下を駆け抜けて、院長室にノックもなく飛び込む。


「ディルクルムは!?」


 バンッ! と勢いよく扉を開けて部屋に飛び込めば、ドンッと目の前の誰かにぶつかる。


 太い腕、大きな体、見慣れた修道騎士の制服。

 私を抱きとめた相手の顔を見上げれば、金色の瞳と赤銅色の髪が目に入る。


 は、と私が呆然と息を零せば、彼は嬉しそうに笑って、耳元でただいま、と囁いた。


 ずるいじゃないか。いつもはあんなに騒がしいのに。


 少しだけ頭が真っ白になって、けれど、すぐに安堵の感情が帰ってきた。冷たかった手に熱が戻って、ずる、と足から力が抜ける。


 そんな私の体を支えて立たせ、ディルクルムはくるりと部屋の中にいた人物たちに向き合った。


「これで、もう二度と、彼女に近づかないと誓っていただけますか?」


 彼の言葉を聞いて、ジワリと顔に熱が上る。

 完全に失念していた。この部屋にはディルクルム以外にも、院長と、シスターと、領主と、領主の息子がいたのだ。ついでに部屋の外から修道女と子供たちのひそひそ声が聞こえる。


 背中に冷や汗が伝う。だが、体は熱いままだ。ディルクルムがぎゅっと私の手を握っているから。


 領主と領主の息子は私たち二人のことをどう思っているのか、苦々しい表情を浮かべていながらも何も言わなかった。

 ディルクルムはそれが気に入らなかったのか、次の言葉を畳みかける。


「私は当初の約束の通り、魔物を三日で討伐いたしました。それでもあなた方は、やはり彼女の意思が大事だと言い、私とともにこの修道院へとやってきました。先ほどの彼女の第一声が聞こえませんでしたか? それでもまだ何か言いたいことがあるのであれば、次は剣を用いて、話し合いをいたしましょう」

「……。帰るぞ」

「でも! ……クソッ!」


 ディルクルムが剣に手を添えれば、領主の息子は悔しそうな顔をし、領主はそんな息子を引きずるようにして挨拶もなしに部屋を出た。


 部屋の外にいた子供たちと修道女は蜘蛛の子を散らすように慌てて壁に張り付いたり、修道院の出口とは逆方向に走っていく。


 ちょっとした騒ぎの中、領主親子の背中を見送って、私はディルクルムと顔を見合わせた。


 呆然と彼を見上げれば、彼は先ほどと同じように満足そうに笑う。


「ただいま」


 そうやって、にやけ面を見せる彼の頬を、私はグイと引っ張った。


「ただいま、じゃないわよ! バカッ! 何の連絡もよこさずに、なんで先に領主のところに行ってるのよ!?」

「いひゃい、いひゃい! ……仕方ないだろう! 期限もギリギリだったし、先にこっちに寄ったらお前も領主への報告についてくるって言い出しそうだと思ったんだ!」

「言うに決まってるじゃない! ついでに文句とお礼の一つでも言ってやろうって思ってたのに、私、さっき何も言えなかった!」

「文句とお礼って何だ!?」

「プレゼントとラブレターの文句とお礼」

「なっ!?」


 頬を引っ張っていた手はいともたやすく引きはがされ、あとはいつも通りの口喧嘩。まるでお約束みたいに私の言葉に彼は押し黙る。


「だ、だからアイツ、あんな自信満々に……。何を貰ったんだ!? ドレスか? 花か? 宝石か!?」

「いろいろよ。おいしそうな食べ物はみんなと分けて食べたし、服で使えそうなのはみんなと共有で使ってる。アクセサリー類は全部送り返す予定で、ラブレターとかいらないのは全部燃やした」

「燃やした!?」

「燃やした」


 本当は服や下着も送り返そうと思っていたが、いくら一度も袖を通してないとはいえ、私宛に送られた服を領主の息子に返す気にはならない。


 ディルクルムはまた愕然と黙り込んでいたが、思考を切り替えるようにブンブンと大きく頭を振ると、すぐに私に向き合った。


「つまり、あの男に未練はないんだな?」

「未練もなにも、迷惑だとしか思ってないわよ」


 私がそう答えれば、ディルクルムは安心したようにほっと溜息をついた。


 何を安心してるんだ。あの時ちゃんと、領主の息子は私の好みじゃないと答えたのに。

 何故かそのことにモヤッとしたが、あの時の彼の言葉を思い出して顔が少し火照る。


 あの時、彼は私を守りたいと言って、それを本当のことにしてくれた。生きて帰ってこい、と言った私の言葉に応えてくれた。

 彼は誓いを、私との約束をちゃんと守ってくれたのだ。


「……ああ、そうだ。領主が狩った魔物の死体を買い取って、いろんな物資と交換してくれたんだ。ぜひ、ここの修道院で使ってくれ」


 ディルクルムが院長とシスターに向かってそう言った。その言葉を聞いて院長室の外にいた修道女とその子供たちが歓声を上げて駆けていき、それを咎めたり窘めたりしながら院長とシスターもその後を追う。


 ディルクルムも後に続こうとして、立ち止まったままの私に気づき、振り返った。


「……来ないのか?」


 少し不安そうな、喜んでもらえると思っていたサプライズが失敗したときのような子供の顔をしながら、ディルクルムが私の顔を覗き込む。


 そんな彼に何を言えばいいかわからないまま、私は押し黙り、やがておずおずと口を開く。


「……心配した」


 私の言葉に彼の金色の目が驚いたように丸くなる。


 私が心配するのがそこまでおかしいか。これでも、この三日間本当に不安だったのだ。いつも隣にいた人間がいなくなることが、私のために戦ってくれる人が危険な場所へ行くことが、こんなにも不安だったのだ。

 それをコイツにぶつけて何が悪い。


 ほんの意趣返しのような視線をディルクルムに向ければ、彼はさっきの驚きの表情から、顔をフッとほころばせた。


「心配するまでもないだろう。俺はいずれ騎士団長になると言われていた男で――」


 そう言ってディルクルムが私の手を取った。


「今は貴女の騎士だ」


 その言葉とともに手の甲に口づけが落ちる。


 彼がしたのはあの時と同じ行動。けれど、私の内心はあの時と同じではいられない。

 不安や焦りなんかに支配されていたあの時とは違い、その負の感情がふわりと解消されていく。


 私は彼の手をぎゅっと握り返した。


「……おかえり」


 その言葉に彼がぱっと顔を輝かせる。


「ただいま!」


 何回言うのよ、と内心悪態をつきながら、私とディルクルムの二人はみんなの背中を追っていった。

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