第8話 女性用風俗、行くか行かぬか、それが問題だ
※注意※
この作品には性的サービスに関する描写が含まれていますが、直接的な性行為の表現はありません。
登場人物はあくまで取材・フィクションの範囲で描かれており、実在の人物や団体とは関係ありません。
内容の性質上、15歳未満の方の閲覧は推奨いたしません。
「直人くん、今度取材で女性用風俗に行ってくるね。」
土曜の落ち着いた朝、コーヒーを飲みながら澪さんからこの雰囲気にそぐわないワードが出てきた。
「今日は洗濯物干してくるね」のノリだったぞ、ちがうちがう!
「えっと…、ごめんどういう事?」
だめだ、僕は混乱しすぎて理解が追い付かない。
「女性用風俗だぞ。ただ体験するか、インタビューだけにするかはまだ迷ってるんだけど。」
「迷ってる時点で怖いよ。」
嫉妬は……もちろんする。めちゃくちゃする。
でも、澪さんは作家として波に乗っている。
ネタになるなら止めたくない――いやでもこれはどうなんだ僕。
胸の奥で“夫”と“作家・澪のファン”が、脳内で口論を始めた。
「すまない。もちろん変なことを言っていることは重々承知なんだけど、女性向けの雑誌に”女性用風俗に行って人生が変わった。”ていう記事を見つけて気になって調べていたんだ。」
人生が変わったか…。
思慮深い澪さんのことだからただの興味本位ではないんだろう。
「セックスレスの女性が救われたとか、男性恐怖症が緩和されたというのもあるらしい。」
「そうなんだ。悩んでる女性も少なくないのかもね。いいよ!僕は澪さんを信じてるから。」
「あ、体験や取材さえも嫌なら逆に直人くんが男性用の行って、その体験を書いてもいいけど…」
「い、いやいや!僕は全然興味ないから大丈夫!!」
澪さんが僕を信用してくれているってことなんだろうけどな。
でも、妻から行って来て良いよ!て言われるのは言語化できない複雑な気持ち。
悩んだ末、澪さんは「デートコース」というものを選択した。
いきなりホテルではなく、カフェでお茶をしながら話すのだという。
「じゃ、行ってくるね。」
澪さんは颯爽と出かけていった。
……待て。
夫たるもの、見送るだけでいいのか?
澪さんのことは信じている(2回目)。
でもそのセラピストさんが澪さんをホテルに無理に誘ってしまうという危険性があったら…
結論:無理!
僕はマスクとサングラス(※もらい物)で変装し、尾行開始。
が、逆に怪しいらしく、何度か警備員にチラ見された。
カフェの隅、澪さんの向かいには柔らかい笑みの清潔感あるイケメンの男性。
僕も興味本位でチラッとサイトを見てみたけど、ほとんどモザイクで隠れている人も多いので写真では分かりづらかった。
他の職業と兼業をしている人もいるらしいから身バレ防止というものらしい。
しかし、澪さんの前にいる男性は顔が整ってるのはもちろんなんだが、清潔感が溢れている!
周りの空気も心なしか澄んでいるように見える。これがセラピスト!?
いくら澪さんでもこんなイケメンさんに誘われちゃったらコロッといってしまっても仕方ない…
「事前に女性用風俗を調べてきたのですが、女性の悩みに寄り添うというのは具体的にどんなことをするのでしょうか?」
「お客様の女性は何をきっかけにして来られるんですか?」
「お客様に言われて嬉しかったことは?」
うん、大丈夫だ問題ない。
澪さんは作家魂で質問責めを繰り返している。
イケメン…見えてないのかな?
目の前の空気清浄機系のセラピストさんはニコニコして丁寧に受け答えをしていく。
「まずきっかけとしては、ネットの広告からお店に問合せですかね。他にはSNSでDMを送ってやり取りをしてからとか、最近は女性用風俗の漫画やドラマも出ているのでそこをきっかけに知ったという人もいます。DMは顔が分からないからこそ、やり取りの中でフィーリングを確認するのに役立っていますね
。」
「悩みは本当に人の数だけ違うので、僕はまずお客様の話を聞くことに集中します。お客様は家族や友達は関係を大事にしたいからこそ悩みを吐き出す場がなくて、本当に赤の他人の僕たちに話してスッキリという人もいますね。セックスレスに悩む女性は自分の体がおかしいのかなと聞く人が多いので、そこをほぐして夫婦生活が順調になったという人もいました。」
「嬉しかったのは、シンプルに”今日会えて良かった。明日も頑張れる。”て言われると、自分のしたことはお客様の人生に少しでも貢献出来てて嬉しいと思えますね。」
セラピストさんは澪さんの怒涛の質問に一つ一つ丁寧に答えていた。
すごい深い職業かもしれないな、女性用風俗。
時間が来たので澪はお礼を言ってお開きになった。…と思った。
「もっとお話しされたいなら……このあとホテルに行って、施術を体験しながら聞きますか?」
清潔感100%のこの人がこんな艶っぽいことを言う時の色気がすごい…。
僕の心臓が、嫌な意味で跳ねた。
澪さん仕方ない。僕が女性ならこの誘いコロッと乗ってしまう。
でも、澪さんが乗ってしまうのは嫌だ!お願い、澪さん!断ってくれ…
「うーん……」
澪さんの眉間にシワ。作家魂と、妻としての感情が綱引きしているのが遠目にも分かる。
そして――彼女は立ち上がった。
「……私は意気地なしです。直人くんという大好きな夫のことを考えると、できません。今日はありがとうございました。」
その場面を見た瞬間、僕の目の奥が熱くなった。
同時に”直人くんという大好きな夫”の言葉が嬉しすぎて脳内で反芻していた。
「そうですか、素敵な旦那様ですね。素敵な作品ができるのを僕も楽しみにしています。」
別れ際、セラピストはこう助言してくれたという。
「そうそう。SNSの体験談や口コミがリアルな感情の宝庫ですよ。参考にしてみてください。」
数か月後――。
澪さんの新刊は「女性用風俗で癒された女性たち」をテーマにした短編集だった。
SNSの投稿を軸に紡がれた物語は、多くの女性の共感を呼びヒットを記録。
「澪さん、やっぱり天才だ。」
僕がそう呟くと、澪は頬を赤らめ、照れた笑顔で言った。
「体験取材できなくて意気地なしだけどな。やっぱり、触れたいのも触れられたいのも直人くんだけだなって。」
澪さん…もう本当好きだーーーーー!!
おまけ
澪の父・俊彦さんは書店で澪さんの新刊を買ってスキップしていた。
「澪ちゃんの新刊だー。「保存用」「布教用」「読む用」として3冊買っちゃった!」
しかし、読んでみると内容が”女性用風俗”だった…。
え!?娘が、そんな、まさか…。
居ても立っても居られない俊彦さんは澪さんに鬼電話をした。
「澪ちゃん!新刊見たんだけど女性用風俗ってどういう事!?いや、否定したくはないんだけどお父さんめっちゃ気持ち複雑よ!どういう事なの!?」
「お父さん、私は取材だけしたんだよ!取材したセラピストさんからSNSとか口コミを参考にしてというアドバイスもらって書いている。」
「お父さん、大丈夫です。僕も証人です!」
後日、僕は澪さんに尾行していたことを白状していたのである。
「な、直人くんもそういうなら大丈夫か…。ごめんね!お父さん早速読むね!」
勘違いが解けて安心した俊彦さんは、結局最後まで読破した。
「真に女性に寄り添う職業か……」と呟き、なぜか自分も同じセラピストに取材依頼を出していた。
「あ、もしもし。取材をお願いしたいんですけど、いえ、違います。決して利用ではないんです。私こういうもので…」
後日――僕は柳川俊彦の新刊情報を見つけて急いで書店に走った。
見つけたお父さんの新刊『時をかける艶療法士』。
帯のあらすじにはこう書いている。
「女性用風俗のセラピスト・時生は天からの女性の「助けて」という声が聞こえ、異空間に飛んでしまう。辿り着いたのは大正時代の吉原の遊郭だった。セラピストが時代を超えて、あらゆる時代の女性を癒す連作短編。」
お、親子そろって女性用風俗の新刊!?
驚きもつかの間、僕のページをめくる手が止まらず気が付いたら読破してしまった。
「……普通に面白いじゃないか。」
僕は思わず、悔しいような嬉しいような笑いを漏らした。