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平凡夫ですが、天才小説家の妻に愛されています  作者: 小田原 純


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キャンプ男道と、僕らの夜空

キャンプ回です。

大変お待たせ致しました。

天気は僕たちに味方をしてくれたみたいだ。

部屋の窓を開けると秋の風が心地よく絶好のキャンプ日和だ。


 庭先にバイクと車が並び、キャンプ道具が次々と積まれていく。

「寝袋よし! ランタンよし!……って、一馬! 火消し壺は!?」

「えっ、あ、やべ……」

 慌てて倉庫から取り出した一馬に、皐月さんは呆れたように笑う。

「ほんっと危なっかしいんだから」

「いやー、皐月隊長がいないとキャンプも始まらんわ!」

 そんな掛け合いを見守っていると、ちょうど澪さんが到着した。


「おはよう!」

 澪さんは大きなリュックを背負い、目を輝かせている。

「澪さん、その荷物……」

 恐る恐る尋ねると、澪さんは胸を張った。

「キャンプは準備がとても大事だ。 アニメで予習してきた!」

何かかさばるキャンプ道具を僕が忘れていて、澪さんが持ってきてくれたのだということにしておこう。

荷物の量的に緩い感じのキャンプではなさそうな胸騒ぎがした。


 いよいよ出発の気配に胸が高鳴る。

 ツーリング組はバイクに跨がり、車組は荷物を積み終え、隣の家の人が「気をつけてなー!」と声をかけてくれる。

 全員で手を振り返し、いざ自然の中へと旅立っていった。


 エンジンをかけると、澪さんはスマホを接続して得意げに再生ボタンを押した。

 スピーカーから流れてきたのは――ぱち、ぱち、と木がはぜる音だった。


「……え、これ音楽じゃなくて?」

「焚火のASMR。キャンプ気分に入れると思って」


 僕はハンドルを握ったままぽかんとする。ドライブにしては妙にシュールで、静かすぎる。しかし、本人が嬉しそうだから否定できない。


「私が読んだキャンプ漫画の影響なんだ」

 澪さんが真剣な顔で説明を始める。

「タイトルは……『キャンプ男道』!山頂先生っていう人が言ってたの」

 澪さんが見せてくれた漫画の表紙が僕は頭を抱えたくなった。

 筋肉隆々の男たちが焚火を囲んで、真剣な目で鍋を見つめている絵。

「それ、キャンプ漫画なの?格闘漫画の派生じゃない?」

 だが澪さんは嬉しそうに続ける。

「山頂先生はね、目を閉じて落ち着いた雰囲気の坊主頭なんだけど、体はすっごく屈強で……その先生が言うんだ。『山に入る前に焚火の音を聞くのは、般若心経をとなえるのと同じ。精神を集中させるのに大切なのです』って!」


 澪さんは熱を込めて語る。

 僕は……完全に置いていかれていた。


「……あのさ」

「うん?」

「もっと普通にキャンプ系の漫画、あったんじゃないの?」


 澪さんは真剣な顔で答えた。

「『キャンプ男道』が一番、心に火を灯すから」


 車内にはパチパチと焚火の音が流れ、僕は無言で遠い目をした。

 心に火を灯すと言うより、水で鎮静化され清々しくなった気分だ。


 その頃、二台のバイクは海沿いの道を並走していた。

 エンジンの唸り、肌を打つ風。皐月はサングラスの奥で目を細め、ハンドルを切る。

 バイクの醍醐味は景色を間近に見れること、海の爽やかな風をほぼ肌で感じられる。

 その隣で一馬が大声で叫んだ。

「ツーリング、やっぱ最高だな!」

 声はヘルメット越しでも届き、皐月は無言で片手を上げて応じる。風とエンジン音に包まれたその一瞬だけ、世界は二人のものだった。


 キャンプ場に着くなり、二台のバイクは地面を蹴って並んで停まった。

 一馬がグローブを外してニヤリと笑う。

「やっぱり音速丸おんそくまるの走りは最高だな。風を切るリズムが違うんだよ」

「はっ。爆速紅丸ばくそくべにまるの加速に比べたらまだまだだね」

 皐月さんは胸を張ってヘルメットを外す。その仕草がすっかりライダーの顔で、僕はただ圧倒されるしかない。

 二人の自慢合戦はしばらく続き、なんだかバイクが2人の我が子みたいだ。

 2人とも念願のツーリングを楽しめたみたいでよかった。

 あれ?ちょっと人に優しくなっている気がする…


 僕はゆっくりドアを開け、外の空気を吸った。

 潮風に混じって木の香りがする。深呼吸すると、不思議と心が静まり返っていく。


「……悟りを開いた顔してるけど、大丈夫か直人?」

 一馬がバイクを支えたまま心配そうに覗き込む。


「いや……車内で焚火の音を延々と聞いてて。心が洗われてた」

「は? 焚火?」

「澪さんが読んだキャンプ漫画の山頂先生が、『山に入る前に焚火の音を聞くのは般若心経を唱えるのと同じで大事』って」


「……山頂先生って誰だ?」

 一馬は目をぱちくりさせる。

 僕も、できることなら聞きたい。


 隣で澪さんはうんうんと真顔で頷いていた。

「大事なんだよ、精神統一!」

 自信満々に言い切る彼女を見て、僕はまたため息混じりに笑ってしまった。


 山道を抜けた瞬間、視界がぱっと開けた。

 湖が陽光を反射してきらめき、森と山並みが抱き合うように広がっている。空気は透き通り、ひと息吸うだけで体の奥まで洗われていくようだった。


「うわあ……!」

 自然と声が漏れる。澪さんも隣で目を輝かせていた。

「すごいね!こんな自然だとまたインスピレーションが沸きそう」

次回作も楽しみだけど、どうか山頂先生に引っ張られないでほしい…。


 キャンプ場に着いて荷物を下ろす。僕が「テントは僕と一馬で」と言いかけたそのとき。

「テントは私がやる!」

 澪さんが胸を張って宣言した。


「……え?」

 僕も一馬も思わず硬直する。だがすかさず皐月さんが腕を組んで、うんうんと頷いた。


「澪なら大丈夫だな」


 ……いや、なんでそんなに自信満々なんだ。


 ところが澪さんは予想を裏切って手際よく布を広げ、ポールを組み立て、的確に指示を飛ばしていく。まるでベテランの登山家だ。

 僕たちがぽかんとしている間に、あっという間にテントが完成していた。


「……ほんとにできてる」

「しかも早い……」


 驚く僕たちに、澪さんは得意げに言った。

「お父さんの放浪についてったとき、毎回テント張ってたんだよ」


 僕は心の中で天を仰ぐ。

(迷惑しかかけない放浪癖だと思ってたけど……こんな形で役立つ日が来るとは)


 そのあと、一馬と皐月さんが薪を取りに向かった。

 その間に僕と澪さんは料理に取り掛かった。

 前から一度やってみたかった“キャンプ飯”の数々。

 スキレットで焼くチーズハンバーグに、ホイル焼きのサーモン。デザートはマシュマロサンドの予定だ。


「澪さん、せっかくだから一緒にやろう」

「わかった! じゃあ、どれ手伝えばいい?」

 袖をまくった澪さんの目がきらきらしている。僕は包丁とまな板を渡した。

「じゃあ、このピーマンと玉ねぎを切ってくれる?」


 ――数分後。

 僕は、思わず手を止めた。

 澪さんが、テンポよく包丁を動かしている。

 トントントン、と軽快な音。野菜がきれいな薄さに並んでいく。


「……澪さん、包丁、けっこう上手なんだね」

「え、そう? お父さんの放浪についてったとき、食べるもの作らなきゃだったから。こういうの、けっこう慣れてるんだ」

「なるほど。つまり、サバイバル適性高め…?」

「えへへ、そうかも」

 もしかして澪さんって電化製品が苦手なだけでそれ以外はできるのかも…


 澪さんは照れ笑いしながらも、手元の動きは正確だった。

 僕がフライパンの火加減を調整している間に、野菜がすべて下ごしらえ済みになる。

 ――この分担、意外とバランスがいいな。


 バターが溶ける音。

 肉が焼けると同時に、香ばしい匂いが広がる。

 その瞬間、澪さんが顔を上げて言った。


「直人くん、これ……すごくいい匂い。お店みたい」

「でしょ? でも、これ外で食べると三割増しなんだよ」

「キャンプ飯の魔法ってやつか」


 ふたりで顔を見合わせて笑う。

 焚火の火がぱちぱちと夜気を揺らしていた。


 ――こうして並んで料理している時間が、なんだかすごく心地いい。

 家でも台所に立つことはあるけど、自然の中だと、不思議と一つひとつの動作が新鮮に見える。

 澪さんの横顔も、炎に照らされて少しだけ柔らかく見えた。


「よし、完成!」

 スキレットをテーブルに置くと、澪さんが拍手をした。

「おおー、見た目も香りも完璧!」

「じゃ、いただきます」


 一口食べた澪さんが、目を丸くした。

「……おいしい!」

「よかった。火加減、ちょっと心配だったけど」

「やっぱり直人くん、頼りになるなぁ」

 そう言われると、なんだか心の奥がくすぐったくなった。


 ――挑戦してよかった。

 “澪さんが隣にいてくれてよかった”と思う瞬間が、またひとつ増えた気がした。


 その時、皐月と一馬は薪を取りに、少し離れた薪置き場へ向かっていた。

 戻ってきたら焚火の準備を手伝うためだ。


 薪置き場に到着すると、管理人のおばあちゃんが微笑みながら待っていた。

「ほら、三束あるよ」


 一馬は、薪を見てさらりと言った。

「俺が二つ持つから、皐月は一つよろしく」


「一馬は優しいな。私に女の子扱いしなくても大丈夫だぞ! 元レディースなんだから力はあるぞ」


 一馬は立ち止まり、真っ直ぐに皐月を見た。

「俺女の子だから優しくしてるんじゃないぞ」

そうだよな、私は女子らしくないたくましい男みたいだからなと諦めの表情を皐月は浮かべた。

「皐月だから優しくしたいんだぞ」


 皐月は一瞬立ち止まった。

(男扱いされるのに慣れてたけど……私だけを大切にしてくれる人がいるんだ)

 その思いが頬に出たのか、見る見る赤く染まっていく。


 一馬はにやりと笑った。

「……俺の妻、きゃわー! もう一生大切にする!」


「う、うるさい!急いでいくぞ!」

 声を裏返しながら薪を抱え直す皐月。耳まで真っ赤で、否定に説得力はなかった。


 そのやり取りを遠くから見ていた管理人のおばあちゃんが、薪置き場の陰からそっと呟いた。

「アオハルってやつね。頑張ってね、お二人さん」


 皐月は気付かず顔を赤くし、一馬はどこか誇らしげに笑った。

 ――ほのかに、森の空気が温かくなった気がした。


 戻ってきた二人を見て、僕はすぐに違和感に気づいた。

 一馬はデレ顔全開、皐月さんは真っ赤な顔で不自然に前だけ見ている。


「皐月ちゃん、顔が赤いぞ。風邪か?」

 澪さんが首をかしげる。


「な、なんでもない!」

 皐月さんは慌てて否定した。


(あー……あの二人、なんかあったな)

 僕は内心で察しつつ、薪を受け取り、テントへ向かった。


 見上げると、青空はどこまでも澄んでいた。

 ――自然に囲まれたこの時間が、四人にとって特別な一日になりそうだと、僕はほんの少しだけ胸を高鳴らせた。


 焚火の周りに座り、4人で作った料理を頬張る。

 香ばしい匂いと熱々の食感に、みんな自然と笑顔がこぼれる。


 一馬はチーズハンバーグが特にお気に入りらしい。

「うまい!香ばしくしっかり焼けててアクセントのチーズもトロトロでうまい!」

 皐月さんはホイル焼きのサーモンに感心していた。

「鮭はいつも塩焼にしてたけどホイル焼きはまた新鮮な味だな。自分もやってみよう」

 澪さんはマシュマロサンドをほおばる。

「マシュマロの柔らかさとビスケットのサクサク感で食感だけでなく、マシュマロの甘さをビスケットがほのかな塩みが引き立ててておいしい」

 良かった。昨日は一馬と皐月さんに振舞ってもらったから恩返しになったかな?


 あっという間に時間は過ぎた。夜空は澄み渡り、星が吸い込まれそうなほど近くにあった。

焚き火の赤い揺らめきが、みんなの横顔をやわらかく照らす。


 僕は炎を見つめながら、そっと隣の澪さんに視線を移した。

 テントを張る姿も、料理を作る姿も、全部新鮮だった。

 …そうか!

 僕は気が付くとテーブルを勢いよく叩き立ち上がって言葉が溢れた。


「澪さんはいつも新しいことに挑戦して、そのたびに違う一面を見せてくれる。

未知に挑むから魅力的なんだ。僕も…澪さんみたいに世界を広げてみたい。

僕に楽しい毎日をありがとう!」


 他の3人がかなり驚いた顔をしていて、澪さんも…赤くなっていた。

 焚火の揺らめきに混じって、ほかの三人の視線が一斉に僕に向く。


 一馬がにやりと笑い、茶目っ気たっぷりに声をかけた。

「あれあれー、急なプロポーズどうしたのさ、直人?」

 僕は自分でも驚き今になって照れがこみ上げてきた。

 澪さんはふっと笑った。

「…こちらこそ楽しい毎日をありがとう。私も直人くんが一緒だと毎日が新鮮」


 言葉よりも、視線と空気で、この時間を胸に刻むように。

 焚火の炎と星空に包まれた夜。四人の距離が、また少しだけ近づいた気がした。

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