お嬢はキレる
「わっ、すっごい低スコアじゃん。何あれ」
ケラケラと甲高い笑い声が耳に届いてくる。落ち込んで下を向いていた顔を上げると、私たちのレーンの後ろに大学生くらいの男女グループがいた。モニターを見ながら笑っているのはそのグループの女子みたいだ。
「よーたでもあんなに低スコアになんないよねー」
「うっせ、オレだって本気出せばターキーくらい余裕だし」
「連続ガター王がよく言うぜ!」
「ぎゃははっ、ガター王っ!!」
「あ、でもあのスコアの子は女の子みたい」
集団の視線がそのまま私たちのほうへと向く。誰が犯人なのか探すような、笑いを含んだ視線。隣に座っていた大人しめ男子が居心地悪そうに椅子に座り直した。
「えー、かわいい子だったらいいけどさぁ、ブスだと残念感が増すだけじゃね?」
「としき、ひっど」
…………早くどっか行ってくれないかな。楽しく遊んでいるところに水を差されたことも、見た目を揶揄するような発言をされていることも気に食わない。まだ続くようなら私も我慢の限界が来そうだ。
「てかあの子かわいくね?」
さっきから声が大きいんだよ。できるだけ視界から外して、話してる内容も聞かないようにしてるけど全部耳に入ってくる。
「うお、まじだ。いいねぇ、ゆるふわJK! おいゆーた、声かけてこいよ!」
誰に声かけるつもりか知らないけど、本当にどこか行ってほしい。
「ねぇ、キミ! そこのカーディガンの子っ! オレらと遊ばない?」
ほら、カーディガンの子。誘われてるわよ。
周りを見てみるけど、カーディガンを着ている女子は何人かいる。私もそのうちの一人だ。
「おい、ゆーた行け! 行け!」
うるさい集団からチャラチャラとした雰囲気の男性が一人、私たちのレーンへと近づいてくる。そして私――の目の前にいた羽山さんの前に立った。
「ね、一緒に遊ぼーよ」
「え…………」
突然のことに驚き、体を硬くしている羽山さんに男性は気にした様子もなくぐいぐいと近づき、終いには手を取ろうとしている。羽山さんの顔は完全に引きつっている。
「え、やばくない?」
「お店の人、呼ぶ?」
他のレーンから心配する声は聞こえてくるけど誰一人として羽山さんを助けようとはしない。さっきまで騒いでいた斎藤くん率いるグループも同様だ。
なんなのよ。せっかくクラス会で遊びに来て、他の子たちと仲良くなれると思っていたのに。ガターばっかりだし、変なナンパ集団がかわいい女の子を怖がらせるし、男どもは率先してかばおうとしないし――
ぷつん、と何かがキレる音が聞こえた。
「いい加減にしなさいよ」
腹の底からドスの効いた声が出た。へらへらとした笑顔だった男がきょろきょろと周りを見渡している。どこから聞こえたのかと探しているみたいだ。
それを無視し、私はゆらりと椅子から立ち上がってナンパ男のほうへと歩み寄った。
「嫌がってんの、見ればわかるでしょ。さっさとその汚い手を離しなさい」
「…………へ?」
呆然とするナンパ男を見下しながら、ふんっと鼻を鳴らしてやる。さすがにメンチは切らない。
「ナンパするにしてもそんなかわいい子があんたなんか相手にするわけないでしょ。鏡見てから来なさいよ」
「んだとッ!!」
よし、羽山さんの手を離した。そのまま拳を握りしめて私のほうに向かってくるけど、これくらいの相手ならどうとでもなる。伊達にヤクザの孫娘をやってないんだから。
おじいちゃん直伝の合気道で振りかぶられた拳をいなそうとしたその時――
「おにーさん、相手ならあたしがするけど?」
ゾクッとするほど冷たい声が割って入ってきた。いつの間にか那知がすぐ側にいて、笑いながらナンパ男の腕を捻り上げている。いつものふにゃふにゃした笑顔じゃない。笑っているのに笑っていない。
「いて、いてててててっ!!! いってぇ!! 離せっ!!!」
喚く男の肩を後ろからぽん、と軽い調子で押しながら那知が手を離す。………………肩、外した?
「ぎゃあっ!!!」
「あぁ、大丈夫? あんまり無茶するから肩外れちゃったんじゃない?」
またも軽い調子でナンパ男の肘に触れる。あ、今度は関節キメてる。
「ひっ! ご、ごめんなさい!! もうしませんっ!!!」
「うん、謝る相手が違うよね。ま、みんな怖がっちゃうからあっちでお話しよっか。おにーさんのお友だちも一緒に」
終いには泣きながら謝る男をズルズルと引きずって、完全にドン引いてるお仲間のほうへ連れて行ってしまった。
残されたのはぽかんとしている私とクラスの面々。
「小森さん、すご………………」
誰かの声で我に返った。
さっきまで怯えていた羽山さんに振り返る。
「羽山さん、大丈夫だった?」
「う、うん。藍沢さん、助けてくれてありがとう」
「ううん。結局那……小森さんが相手してくれたし」
「それでも、すっごく怖かったから。藍沢さん、かっこよかった」
そう言いながら羽山さんがふわっと笑った。身長が小さく、パーマをかけているのかふわふわとしている髪の彼女は全体的にほわほわした話し方をしている。話してると癒やされる。なんというか…………お菓子をあげたくなる。ちまちまと何かを食べているところをずっと見ていたい。
「ほんとだよ! 和華すごいね!!」
麗奈が私の背中に飛びついてきた。興奮しながらぐわんぐわん体を揺らしてくる。あんまりやられると酔いそうだ。
「大したことしてないわよ」
「そんなことないって! なんかもう、すごかった!! 女番長って感じで!!」
ぎくっ。
あんまりそういう印象は持ってほしくないんだけどなぁ……キレたら言葉遣いが雑になるところは気をつけないと。どうしても素が出ると乱暴な言葉づかいになっちゃう。家のことがバレるとせっかくこっちに出てきた意味がない。
「わ、わたしもっ、和華ちゃんって呼んでもいい?」
羽山さんの声に麗奈の揺すぶりが止まった。羽山さんって大きな声も出るんだな、なんてどうでもいい感想が頭に浮かんだ。突然言われたことが脳を理解できなかっただけだ。
だって顔を赤くして上目遣いの羽山さんがすごくかわいかったから。この破壊力はやばい。羽山さんの小動物感も相まって余計に。
「だめ、かな?」
ああああ、自信なさげにしょんぼりすると余計にかわいいっ!
……なるほど、こういう感じで下から見るといいのね。あ、でも私がやってもかわいくないかしら。
「だめじゃないわ。私も、芽依ちゃんって呼んでいい?」
「あ、うちも! うちも芽依って呼びたい!!」
横からにょきっと麗奈の手が生えてくる。こうやって便乗しながらも距離を詰めていく麗奈のことは見習いたい。
羽山さん――芽依ちゃんの表情がぱぁっと明るくなった。頬を染めながらも嬉しそうに笑んでいる。
「うん! よろしくね! 和華ちゃん、麗奈ちゃん」
友だちが1人増えた。
◇ ◇ ◇ ◇
トラブルはあったけど、無事終わったクラス会の帰り道は麗奈と芽依ちゃんと3人で並んで駅まで歩いた。那知と来た時はショッピングモールの目の前のバス停からすぐにバスに乗ったけど、今日は電車で途中までふたりと一緒に帰ることにした。せっかく初めて友だちと遊びに行ったんだもの。遠回りでも余韻を楽しみたい。
「じゃあね、また来週」
「うん、またね〜」
手を振り合いながら別れるのは少しだけ寂しかった。でもこれからはまたいくらでも遊びに行ける。そう思うと自然と頬が緩んだ。
「……あ」
駅を出たところで前を歩く金色を見つけた。
相変わらずふわふわと揺れる毛並みに思わず足を速めてしまう。
「ねぇ」
「ん? あ、お嬢〜」
後ろから声をかければふにゃりとした笑顔。ボーリング場で見た鋭さはもうなくなっていた。
「……同じ電車だったの?」
「そうみたいだねぇ」
「…………」
「お嬢、楽しかった?」
「……うん」
眠たそうな那知の目が一瞬見開かれた気がした。でもそれは本当に一瞬のことで、瞬きした後にはもういつものふにゃっとした笑顔だった。
「……あんたは? 楽しかった?」
「楽しかったよ。お嬢が暴投しまくってたの、めちゃくちゃおもしろかった。よっ、ガター王」
「歯ぁくいしばれ」
「あはははっ」
笑いながら逃げる那知。追いかける私。
いつの間にか全力の追いかけっこに発展していた。結局お礼を言えなかったな、なんて思いながらもただ那知の後ろ姿を追う。
「お嬢っ」
那知が振り返る。キラキラと金色が流れた。
「なによっ!」
「友だちできてよかったね!」
なんで、那知のほうが嬉しそうなのよ。
自分のことじゃないのにまるで自分のことのように笑う那知が眩しい。少しだけ胸の辺りがぽかぽかしてる。気がする。
「……ありがと」
「どういたしまして」
きっと那知は私が何に対してお礼を言っているのかわかってない。わかってないはずなのに、嬉しそうに笑うから追いついてから背中を三度小突いておいた。




