お嬢は新しい友だちをつくる
「お嬢、ほんとにひとりで大丈夫? 途中で迷子になって泣いたりしない? お菓子あげるって言われても知らない人には付いて行っちゃダメだからね?」
「あんたの中で私はいくつなのよ」
朝起きた瞬間から何度も念押しをしてくる幼馴染に盛大にため息をつく。何なら数日前からこの調子だ。いい加減うざい。
「だってお嬢はすんごくかわいいんだもん。誰だって連れて行きたくなっちゃうよ、きっと」
私より大きいくせにもんもん言うな。
しかもご丁寧にほっぺたまで膨らませて。
「……はぁ。わかったわかった。気をつけるから。じゃ、先行くわよ」
「むー、ほんとは一緒に行きたかったのに」
未だに駄々を捏ねる那知へと雑に手を振りさっさと玄関から出た。扉が閉まる寸前まで何か言っていたけど全部無視してエレベーターへと向かう。
4月2週目の月曜日。
満開だった桜は既に散り始めている中、私は初めて高校へと向かっていた。今日は入学式だ。
ショッピングモールで買い揃えた家具もやっと家の中に馴染み、私自身も那知との二人暮らしにも徐々に慣れてきた。新しい街はまだまだ知らないところも多いけれど、家の周りのお店は大体把握した。学校までの道のりは、街の探索のついでに確認もしている。那知が心配することなんてひとつもないのに、3日前からあの調子だった。
「……あいつまで過保護なんだから」
ホームで電車で待ちながら、ぽつりと言葉が漏れる。
家のみんなが過保護なのは今に始まったことじゃない。私が幼い頃から過保護なみんなはやっぱり一人暮らしに猛反対してきた。おじいちゃんから許可を得た後はセキュリティガチガチのマンションを用意されたし。一人のつもりだったのに那知と二人になるし。
みんなの気持ちは嬉しいし、大切にされてるんだってわかってる。けど、私だってもう高校生だ。3年後には成人年齢になる。いつまでも守られているだけのお嬢で居続けたくない。だから家を出た。
「まずは、友だちをつくる」
第1目標。高校生活を楽しんで、たくさん遊んで、それから――
「……ん?」
違和感があった。お尻のあたりに。
乗っている電車は比較的空いていて、私が乗ったのも乗車率はそこまで高くない車両。人と人との間に余裕もある。降りるのは3つ先の駅だから入口付近に立っているのにやたらと後ろの人の距離が近い気がした。
………………もしかして、痴漢?
ちらりと視線を向ければ後ろにいたのはサラリーマン風の男性だった。スーツを着た、多分喜助兄ちゃんよりも年上っぽいから30代くらいの人。右手でつり革に捕まっていて、左手は下ろしている。腕の先は見えない。
体を少しだけ横にズラしてみるけど、お尻の違和感は消えない。
……ほう。私相手に悪事を働くとはいい度胸だ。
ぎゅっと拳を握りしめ、お尻を這い回ろうとしているその手が決定的な犯行を犯すその時を狙って左手を後ろに伸ばす――
「おっさん、何やってんの」
私の手が犯人に届く直前、横から凛とした声が聞こえた。同時にカメラのシャッター音。
慌てて引かれる手をさらに横から伸びてきた手が捕まえる。
「はい、現行犯。すみませーん、痴漢でーす」
ざわざわとする車内でも正義感に溢れた人は即座に行動してくれた。何人かの男性が男の両脇に控え、威圧する。
「ほらほら、次の駅で降りて素直にお縄につきなさい」
「ぐっ…………」
私を助けてくれた子――同じ制服を着た、ロングヘアの女の子が証拠の写った画面を見せながら男に詰め寄っている。
でもこういう時の人間って浅ましくって、そして短慮だ。
火事場の馬鹿力というやつだろう。停車して扉が開いた瞬間に痴漢男は周りの制止を振りほどいて飛び出していった。そのまま人混みに紛れて行ってしまう。
突然人が飛び出してきたことに乗ろうとしていた人たちが驚いたのも一瞬だけ。朝の通勤時の人波は一瞬途切れただけですぐに動き出した。こうなると逃げてしまった痴漢を捕まえることはもうできない。見失った犯人は追えないし、被害に遭って泣き寝入りになってしまうのも悔しいけどどうしようもできない。
「あ〜………………ありゃ常習犯っぽいね。大丈夫だった?」
釈然としない気持ちで閉まる扉を見つめていると、隣に立った女の子が声をかけてくれた。
「あ、うん。まぁ、大丈夫。スカートの上から触られてただけだから」
「……強いんだね、キミ」
女の子が目を丸くしながら言った。強いというか……うん。日常的に怖い顔の家族が口悪く喧嘩してたりするから、ちょっと精神的に丈夫になったというだけだろう。痴漢自体は初めてのことだったから内心動揺はしてる。してるけど、怒りのほうが強い。
「助けてくれてありがとうございます」
「ううん。同じ制服だったし、なんか震えてるっぽかったから。もしかして、新入生?」
「あ、はい」
「そっか! うちも同じ! 大人っぽいから先輩かと思っちゃった」
にっこりと笑いながら手を差し出してくる女の子を改めて見る。
明るい茶髪にナチュラルながらしっかりとされたメイク。同じ制服を着ているはずなのに垢抜けた雰囲気で、スカートの丈も私より短い。髪の間から見える耳元にはピアスも見えた。なんというか――ギャルっぽい。でも笑顔は人懐っこい。
「うち、大河内麗奈っていうんだ! よろしくね」
「私は藍沢和華。よろしく」
手を取りながら自己紹介をする。久しぶりの同年代の女の子にちょっとドキドキした。
大河内さんはその後もにこにこしながらたくさん話しかけてくれた。ずっと同級生から遠巻きにされ続けていたから上手く会話を広げられなかったけれど、それすらも気にせずに話を振ってくれるから助かった。学校に着く頃にはさらっと名前呼びにまでなっていた。
「和華と同じクラスだといいなぁ」
下駄箱近くに貼り出されたクラス分けを人集りの後ろから見ながら大河内さんが零す。私も一緒のクラスだといいなと思っていたからそう言われて嬉しかった。
「あ、空いたよ。ほら、行こ」
ぐいぐいと手を引かれながら掲示板の前まで辿り着いた。1組から順に自分の名前を探し出していった。「藍沢」だからクラスの頭のほうだけを見ればいいから楽だ。
「あった! 2組!」
「私も2組だ」
「やった! これからよろしくね、和華!」
大河内さんがいえーいと右手を差し出してきた。少しだけ躊躇ってからそこに自分の右手を合わせると、ぱちりと音が弾けた。同時にじわじわと嬉しさが胸に広がってくる。高校で初めての友だちと同じクラスになれた。これから先の高校生活が輝いて見える。
やっと、やっとだ。普通の高校生活。友だちと一緒にお昼を食べて、放課後には遊びに行って、休みにはどこかに出かけて。そういう普通の、イマドキの女子高生としての生活が始まるんだ……!
――そう思っていた。
「小森那知、よろしく」
よりにもよって那知が同じクラス……ッ!!
しかもあいつ、素っ気なさすぎるッ! ちょっと遅刻して来るし……なんなんだ、あいつ。
「……なんか怖そうだね」
「あはは…………そうね……」
隣の席になった大河内さんが声を潜めながら話しかけてきた。確かに校則にないし染髪している生徒も多い。でも高校に入学したばかりの新入生にあそこまでの金髪はいない。しかもHR中に堂々と入ってきて教卓の真ん前の席にどかっと座るし。どう見ても問題児だ。朝までの大型犬感は全くと言っていいほどない。
ちらりと那知に視線を送ってみるけどそれに気づいた様子もなく、こちらを一瞥もしない。話しかけるなって言ったのは私だけど、ちょっとくらい気にしてくれたっていいのに……。
自己紹介が続く中、私は誰にも気付かれないようにため息をついた。