お嬢は幼馴染護衛と買い物に行く
――トントントンッ…………
薄っすらと明るくなった部屋の中、遠く聞こえる軽快な音に意識が浮上した。
玄関からリビングに通じる廊下の途中にある部屋には玄関横の窓があるけど、方角の関係か目を刺すほどの光は入ってきていない。まだカーテンもない部屋でも必要以上に早く起こされることもないのは有り難かった。予定のない休日はゆっくり寝たい派だから。
床に敷いた布団の中でもそもそと寝返りを打つ。
卒業式から内覧、引っ越しまでが慌ただしくて最低限の家電と、食事をするためのソファーとローテーブルだけは喜助兄ちゃんが間に合うように手配してくれていた。ベッドは明日届く予定。他の家具は住み始めてから揃えるつもりだった。ベッドが来るまでの数日は来客用に回すつもりで持ってきた布団一式が私の寝床だ。
フローリングに布団直敷きだとマットレスがあっても少し硬くて体に響いている気がする。実家は畳ばかりでフローリングは初めてだし、こんなことならベッドも引っ越しに合わせて届くようにしておけばよかったな。
「お嬢〜、そろそろ起きませんかぁ」
………………ん?
「もうそろそろ9時になるよぉ、お買い物行くんでしょー?」
部屋の外から聞こえる間延びした声。
聞き覚えのありすぎるその声に半分寝ぼけていた脳みそが一気に覚醒した。
「な、……ッいたぁ!」
「なんかすごい音してるねぇ」
飛び起きたらすぐ横にあった段ボールに思いっきりぶつかった…………ッ、いたた…………。
「お、起きたからッ! すぐ行くから……ッ!」
「わかったぁ」
強打した脇腹を抑えながら答えると、部屋の外の足音はパタパタとリビングのほうへと帰っていった。
…………そういえば昨日から那知と二人暮らしすることになったんだった。
昨日はそれぞれの私物の段ボールを部屋に移動させて、那知が「引越そば食べよ!」とか言い出して最低限の食材だけ買いに行って……食べてお風呂入ってすぐ寝ちゃったのか。
ふと視線を下げると春用の薄い掛け布団の下に着古した部屋着兼パジャマが目に入った。数年間着続けてるから首元はよれよれだし、所々解れてる。胸には当時流行っていた女児向けアニメのキャラクターがプリントされているけど、もうガビガビで端のほうは禿げてしまってる。
「…………部屋着、買お」
とりあえず、着替えてからリビングに行こ。
「あ、おはよー、お嬢」
「……ん、おはよ」
「コーヒーと紅茶、それか牛乳。どれがいい?」
「…………牛乳」
「はぁい」
那知がパタパタとキッチンとダイニングテーブル――はないのでソファー前のローテーブルを行き来して朝食を用意していた。白いご飯にじゃがいもと玉ねぎのお味噌汁、焼き鮭と副菜にインゲンの胡麻和え。それからお漬物。ザ・日本の朝食という感じ。そこに暖かいお茶と牛乳が加わった。
「はい、どーぞー」
「……いただきます」
「どう? お嬢、どう? おいしい?」
「……うるさいわね。あんたも食べなさいよ」
「おいしい?」
「………………美味しい」
あまりにもうるさいから不本意ながらそう答えれば、しつこかった那知がにっこりと笑顔になる。へにゃ、とかふにゃ、とか擬音が付きそうなほどに締まりのない顔。なんかむかつく。献立が私の好物ばかりなのもむかつく。
「……あんたもさっさと食べなさいよ」
にこにこしながら私のことをじっと見つめているばっかりで全然箸が進んでない。見つめられ続けると食べづらいし、せっかくの温かいご飯が冷めてしまう。急かすように言えば那知も素直に従って食べ始めた。
「ふふ、おいしいね」
「…………」
「ね、お嬢。今日はどこ行こっか」
細々とした日用品を買いに行かないといけない。食材だって昨日と今日の朝ご飯分くらいしか買ってないし。あとはダイニングテーブルもやっぱりほしい。フローリングの上に座りっぱなしだとお尻がいたい。
「…………近くにショッピングモールがあるからそこでいいんじゃない」
喜助兄ちゃんと来た時に車で側を通った。確か家からもバスで行ける場所だったと思う。大きなショッピングモールだったし生活雑貨はもちろん、家具を取り扱っているお店もあるはずだ。
「ん、そだね。ここなら一通り揃いそう」
「食べ終わってからにしなさいよ。行儀悪い」
スマホを取り出してお店を検索しているのか、那知が画面に目を落としながら言った。
昔からご飯よりも遊び、食べること自体が苦手な子だったけれどいつの間にか私よりも身長が高くなっている。スマホを触る手もきっと私よりも大きい。胸は……私のほうがあるわね。少ない栄養が全部身長に持っていかれたみたいだ。
「あ、見て見て。ここ、たい焼き屋さんもある! ね、お嬢。たい焼き食べよーよ」
「わかったから、まずはご飯。ほら、後にしなさいって」
「はぁい」
那知が朝食を食べ終わったのはそれから30分後だった。
◇ ◇ ◇ ◇
「おっきぃねぇ」
「…………ひろ」
春休み中のショッピングモールは学生と家族連れで溢れていた。
この辺では一番大きな施設らしく、映画館や複合型のボーリング場まであるらしい。地元のショッピングモールも田舎特有の広さはあったけれど、そことは違った賑いだ。
「これだけ広いと何から見たらいいか迷っちゃうねぇ」
体を左右に揺らしながら那知が言う。揺れに合わせて彼女の金髪もふわふわ揺れている。
黒のオーバーサイズのパーカーと黒のスキニー。ハイカットスニーカーを履いた那知はまるでファッション雑誌から出てきたようだった。背が高く、すらりと伸びた四肢も相まってなんというか……カッコいい。中性的な顔立ちに短い金髪がちょっと不良っぽく見せてるのもカッコよさを際立てている。さっきから横を通り過ぎる人たち――特に女性からの視線が那知に集中しているのは気のせいかな。気のせいってことにしておこう。
一方の私は、一張羅とも言えるお気に入りのワンピースとカーディガンといったシンプルな格好。モデル顔負けの那知に隣に立たれると釣り合っていないような気がして落ち着かない。……周りからはどう見られているのかな。
「ね、お嬢。何から見よっか」
なのに那知は何も気にした様子もなく、ただただ嬉しそうに笑いながら私のほうを見ている。もしも那知に尻尾があったら千切れそうなくらいぶんぶん振ってるんじゃないかってくらい嬉しそうだ。実際には両手をぶらぶらさせてる。子どもか。
「……とりあえず、家具。配達してもらわなきゃいけないし。その後細々とした食器とか、かな」
「わかった! ふふふ、お嬢とデートだ」
だからなんでそんなに嬉しそうなのよ。
「デートじゃないから。あと、お嬢って言うな」
悔し紛れにそう言ってみるけど、未だ嬉しそうに体を揺らしている那知には届かないくらい小さな声になっていた。




