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お嬢は名前を呼びたい


「那……なんか食べる?」


「んん? お嬢お腹空いてるの? ご飯早めに作ろうか?」


「……大丈夫」


「そう? じゃあもう少ししたら夕飯作るね」


「………………」


「ふんふふーん」

 

 ただ名前を呼ぶだけなのになんでこんなに緊張してるんだろう。

 そもそも那知が『お嬢』なんて呼ぶから変に意地を張ってしまっていっつも『あんた』とか『ねぇ』とか曖昧な呼び方しかしてこなかった。だから数年ぶりに名前を呼ぶことを躊躇しちゃうのは那知が悪い。私だって普通に呼びたいわよ。

 …………別にナンパされた時に『和華』って呼んだくせにまた頑なに『お嬢』って呼ぶのが腹立つからとか、麗奈と芽依ちゃんが球技大会を機に那知のことを名前で呼び始めたことにもやっとしてるからとか、ましてや囲まれて逃げ回っていた那知が最近挨拶を返すようになったのが気に食わないってわけじゃない。決して。


 ちらちらと横目で那知を見る。当の本人は何も気にした様子もなく、ご機嫌に体を揺らしながら床に寝そべって漫画読んでる。足をパタパタしながら鼻歌まで歌ってるし。なんかむかつくわ。蹴飛ばしてやろうか。


 いや、落ち着きなさい。和華。ただ那知のことを那知って呼ぼうと思ってるのに蹴飛ばしてどうするのよ。

 那知なら「お嬢いたいよぉ」なんて言いながら蹴られたことも気にしない可能性もある。むしろ嬉しそうに笑うまである。……こいつがMとかそんなのでなくて。単純に私との触れ合いを楽しんでる節があるから。

 ほんと、犬みたいなのよね。構ったら構った分だけ表情筋が溶けてなくなりそうなくらいだらしない笑顔になる。普段は構ってほしそうにしないくせに。そういうところは遠慮してるの、かな。


「………………ねぇ」


「んー? やっぱご飯?」


「違うわよ。ちょっと起きて」


「なに?」


 私の言った通りに体を起こし、床にベタ座りになった那知が不思議そうに首を傾げた。定位置になりつつあるソファーの横。私に近い床の上。


「……こっち」


 だから私はソファーの上でお尻をズラして1人分のスペースを空ける。そしてさっきまで自分が座っていた場所をぽんぽん、と叩いた。

 私の手と顔の間を那知の視線が往復した。何を言われているのかわからないといった表情でぼんやり座面を見つめている。

 待ってみるけどソファーに座ろうとはしない。それどころか困惑しているように見える。

 …………あーもう! じれったい!


「早く、こっち座りなさい」


「ふぇ?」


 ぐいっと手を引いてソファーの上に引っ張り上げると那知は案外大人しく私の隣に収まった。体を硬くしているようにも見えるけど……何も敷いていない床に座るよりは全然マシだろう。

 一応2人用とはいえ、小さなソファーは私と那知の2人分の体重で少しだけ沈んだ。いつも私ひとりが座ってる時とは違う感覚に落ち着かないけど、隣に那知がいることは不思議と違和感はなかった。そういえば昔もよくこうしてふたり並んで縁側でおやつ食べたりしてたものね。あの時はもっと那知の距離が近かったっけ。


「あ、あの……お嬢?」


 懐かしさに思いを馳せていたら横から困惑した声が聞こえた。振り向けばほのかに顔を赤く染めた那知が落ち着きなくTシャツの裾をいじいじしてる。


「な、なんでこっち?」


「別に。ずっと床はお尻痛くなりそうだなって思っただけ」


「えぇ…………今更ぁ…………」


 別に床がいいなら床でもいい。私が那知を隣に置きたかっただけだ。なんとなく、下じゃなくて横にいてほしかっただけだ。

 さっきまでの緊張はどこかに行ってしまったらしく、今は冷静に那知のことを眺められる。自分より緊張してる人を見ると冷静になる、ということかもしれない。一緒に暮らし始めて初めて見る動揺する那知がおもしろくてもっとからかってみたくなる。

 

「何よ、私の隣は不満?」


「そんなこと、ない、んだけど……その、お嬢近くない?」


「近くないわよ。昔のあんたのほうがよっぽど近かったじゃない。ほとんど私に乗っかってたわよ」


「それはさすがに言い過ぎでしょ。ちゃんと隣に座ってたもん」


「そういうとこ、あんたは自分に都合のいいことしか覚えてないわよね。いっつも美味しいとこだけ食べて「いらなーい」って残したものは私が食べてたでしょ。たい焼きだって尻尾残すし」

 

「だって尻尾にクリーム入ってないじゃん」


「そこも含めてたい焼きでしょうが。そもそもたい焼きならあんこを食べなさいよ、あんこを」


「むぅっ、お嬢の和菓子好きを押し付けるのやめてよ」


「いいじゃない、和菓子。おいしいじゃない、あんこ。何がいけないのよ」


()()()()()のおうち行くといっつもあんこなんだもん。お饅頭か大福かなんてほとんど一緒じゃんか」


「生地が違うでしょうが、生地が。大体()()は好き嫌いが多すぎるのよ」


 お互いにお互いのことを見つめながらぱたりと言葉が止まる。


 …………あれ? 今、わーちゃんって言った?

 

 一瞬の思考停止の後、ぶわっと顔が熱くなる。那知のことを「那知」と呼べたことよりも那知が「わーちゃん」と呼んだことで頭がいっぱいになった。自分の顔が真っ赤になっているのを那知に見られたくなくて自然と顔を伏せてしまった。嬉しいような、恥ずかしいような、むず痒い感覚。

 

 いつまでも何もしゃべらない那知にちらりと視線を送ってみれば、顔を真っ赤にして固まっていた。手で口元を隠しているけど、それ以外は全然隠れてないから赤くなった顔が丸見えだ。耳の先まで赤い。

 ふたりして真っ赤な顔して何してるんだろ。那知を見たらちょっと冷静になったわ。まだまだ顔だけじゃなくて体中熱いけど。

 

「……なんか言いなさいよ」

 

「………………」


「ねぇ、那知ってば」


「………………那知って言った?」


「言っ……た、わよ?」


 そういえば私も自然と呼んでるわね。改めて言われるとなんだか恥ずかしくなってきたけど、そこはそれ。ここで動揺したらさっきと同じことになりそうだったので、できるだけ普段通りに答えたつもりだけれど……ちょっと声が裏返った。

 まだ那知をずっと見つめていられるほど私自身冷静にはなれてないから、ちらちらと様子を伺う。

 

「…………見ないで」


 恥ずかしそうにそう言われると見たくなっちゃうのは仕方ないわよね。

 

「も、もう! 見ないでってば!」


「なんでよ? またわーちゃんって呼んでくれないの?」


「呼ばないよっ!」


「えぇー」


「だ、だって、わーちゃんはお嬢、だもん。わた……あたしは、お嬢の護衛だもん」


 尻すぼみになっていく那知の言葉にちょっと楽しくなっていた気持ちに水をかけられた気がした。なんだか無性に腹が立って、気づけば那知のほっぺたを引っ張っていた。


「ひたひよ、ふぁにふるのぉ」


「うっさい。バカ那知」


 ほっぺたを上下左右に捏ねくり回せば那知の端正な顔が愉快なものになっている。


「ふふ、変な顔」


「おひょうのへいでひょぉ」


「何言ってるかわかんないわよ」


 ぷにぷにもちもちのほっぺたを思う存分弄くり倒したら少しは気が晴れた。その後那知に恨めしそうな顔で見られたけど、さっきまでのもやもやがどこかに行ったので良し。それに気づけば自然と「那知」って呼べてるしね。




 

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