お嬢は幼馴染護衛を応援する
「いけぇ! 那知!」
ボールが弾む音が体育館に響く。
それを操っているあいつは目の前に現れたディフェンスをいとも容易く掻い潜り、そのまま誰にも止められずにゴールポストへとボールを入れてしまった。これで那知が入れた点数は両チーム合わせても最多。アシストも含めれば間違いなくこの球技大会でのMVPだろう。
当の本人は無感動にTシャツで汗を拭ってるけど。そしてその仕草に周りから黄色い声が聞こえてくるけど。
「那知ちゃん、すごいね!」
今日何度目かわからないセリフを言いながら隣に座ってる芽依ちゃんが興奮気味に手をパタパタさせている。
「…………ね」
本当に。昔の那知からじゃ想像もできないくらいの活躍だもの。だいたい、今の那知でも普段からだと想像できない。やる気ない、協調性ない、結果なんて絶対気にしてない。何が那知を今みたいなやる気いっぱいのスポーツマンにしたのかわからない。ただ現役バスケ部ですらあいつの快進撃を止められる気配がないことだけは確かだ。
ホイッスルと共に試合の終了が告げられた。この試合は準決勝。那知の活躍でウチのクラスは無事、決勝へと進むことになった。
「那知! すごいじゃん! さっすがぁ!」
1階から麗奈の声が聞こえてくる。相変わらず那知は無表情だけど麗奈はそれを気にする様子もなくぐいぐいと那知に近寄り、ハイタッチを強請ってるみたいだ。渋々それに応じた那知を見て、他のクラスメイトまでも那知を囲い、ハイタッチしていっている。
……なんだかその光景を見てると胸の辺りがもやっとするのはなんでだろう。
短い休憩を挟んで、あっという間に決勝戦。相手は2年生のクラス。しかも現役バスケ部が4人もいる。
「さすがにバスケ部4人じゃ勝てないかなぁ」
「しかも先輩だものね。ちょっと厳しそうね」
なかなか点を入れられないままの状況が続いているくらいだし。ウチのクラスもバスケ部の子がいるけど1年生と2年生じゃ経験の差もあるだろう。それにさっきから那知ばっかり囲まれてる気がするんだけど。完全にマークされてて、試合が始まってから那知がボールに触れたのは最初のジャンプボールの時だけだ。
「あ、また」
ウチのクラスのボールが簡単に相手へと主導権が渡っていく。あっという間にゴール下へと運ばれていくボール。
短いホイッスルが得点を告げた。
「うー……なんとかもう1点くらい入れられないかなぁ」
「…………」
がっつり2人にマークされている那知を見る。フェイントを掛けてマークを剥がそうとしているみたいだけど、なかなか上手く行っていない。
「…………がんばれ、那知」
気がつけばぽつりと言葉が溢れていた。その瞬間、那知がこっちを見た気がした。1回戦の時と同じ。一瞬だけ目が合った気がして、それから那知が笑ったような気がして――
「あ」
またしても奪われた自陣のボールがゴール下に運ばれ、シュートを打たれるその瞬間。
――バシッ!
ボールが弾かれ、麗奈の足元に転がった。
弾いた張本人は着地と同時に反対方向へと走り出している。
「へいっ!」
ここまで聞こえる声量。普段からそれくらい大きな声で人と話せばいいのに。いや、さすがに大きすぎるか。
そういえばショッピングモールに買い物に行った時、私を呼ぶ声は大きかったっけ。
金色が宙を舞う。
天井近くの窓から差し込んだ光をキラキラと反射しながら誰よりも前を走り、そしてそのまま風を切ってゴールポストにボールを置き去りにしていった。
◇ ◇ ◇ ◇
「負けちゃったね」
「ま、相手チームはほぼバスケ部のレギュラーだったし、しょーがない。2位になれただけでもすごいよ」
「うん。麗奈、おつかれ」
教室へと帰る人の波に乗りながら、今日の功労者である麗奈に労いの言葉をかける。
結局試合は大差で負けちゃったけど、堂々の2位だ。他の競技も含めて1年生ではすごく健闘したほうだろう。
「にしてもやっぱり那知はすごかったねぇ。最後のほうなんて3人マーク付いてたのに振り払ってバシバシ決めちゃうんだもん」
「試合が終わった瞬間、バスケ部の子たちに囲まれてたね」
芽依ちゃんの言うとおり、試合が終わった瞬間に相手チームのバスケ部員だけじゃなくて試合観戦していた他の部員まで集まってきて那知を囲んでいた。背の高い子が多い部活ということもあってか、あっという間に那知が見えなくなっちゃって声をかける隙がなかった。……別に声をかけたかったわけじゃない。
そのまま部活に入るようなことになればきっと那知に友だちができるだろうな。昔っから私にベッタリだったけど、那知は人当たりもいいし愛嬌のある性格をしてるから。見た目だって悪くない。というか、むしろ美人だと思う。今は金髪でヤンキーみたいな見た目だけど。
周りとコミュニケーションを取れって言ったのは私だし、それは歓迎すべきことだ。なのにどうしてか、胸のあたりがもやもやする。
「和華? どうかした?」
「ん、いや、なんでもな――」
視界の端に金色が見えた。気がした。
「――ちょっと、忘れ物したから先に行ってて」
「え、和華」
ふたりの声を背中に聞きながら、一瞬見えた金色を追って私は体育館の裏へと向かう……前に自動販売機でスポーツドリンクを買った。
ペットボトル片手に人の波から逸れて体育館裏を進む。普段はこんなところに用事はないから来たことがなかったけど、裏手に回ると一気に喧騒から隔離されたような気がした。建物に囲まれて薄暗く、砂利の多い道を進んでいくと急に視界が開けた。小さな中庭のようになっている空間の中、段差に座り込んだ那知がいた。項垂れるような姿勢で深く息を吐き出していた。とめどなく流れる汗がぽたぽたと地面にシミを作っていっている。
近くに立っても気づいている様子はない。下を向いたまま、息を整えるというよりは疲労を吐き出すようにゆっくりと息をしている。
汗でしっとりした金色に、首に巻いていたタオルをかける。私が使うつもりで持っていたものだけど、大して汗もかいてないからいいでしょ。
「あ、お嬢」
「汗、ちゃんと拭かないと風邪ひく。あと水も飲みなさい」
ペットボトルを差し出す。珍しく疲れた様子が隠しきれていない那知の視線が私とペットボトルの間を行ったり来たりしているばかりで一向に受け取らない。
「なんで?」
「何が? いらないならいいわよ。私が飲むから」
「…………ううん、飲む。ありがとう」
引っ込ませようとしたペットボトルをやっと受け取り、蓋を開けようと格闘し始める那知からまたそれを奪い取る。キャップを軽くひねり、緩く締め直してから手に持たせてやる。どうやらそれすらもできないくらい疲労しているらしい。
眉を垂れ下げながらにへら、と笑ってからペットボトルの中身を一気に半分ほど煽った。嚥下するために上下する喉元を見つめていると何だか落ち着かない気持ちになった。目を逸らし、那智が人心地つくまで待つ。
横からふぅっと息をつく音が聞こえたところでさっきからずっと気になっていたことを投げかけた。
「…………なんで、あんなやる気満々だったのよ」
私が知る那知はあまり運動に興味がない。苦手、ではなく興味がない。大抵のことは器用にこなすくせに興味がないからやらない。疎遠になっていた間のことは詳しく知らないけど、私が知る限りでは「やる気になる」なんてことはほとんどなかったはずだ。ましてやここまで疲れ果てるくらいにやるなんて。
ちらりと那智に視線をやれば、頭からかけたタオルの両端を引っ張るようにしてもじもじしていた。あんまり引っ張ると伸びそうなんだけど。それ、私のタオルだし。
「…………がんばれって聞こえたから」
タオルの行末を見守るほうに意識が割かれていたところでぽつりと呟く声が聞こえた。顔は見えないし、タオルの端を指でいじりながらだけど、その声音はどことなく普段の飄々とした那智とは違って聞こえる。
「お嬢の、がんばれって聞こえたからがんばった」
「………………」
「応援、してくれたでしょ?」
タオルの下から覗く瞳は潤んでいて、熱が引いているはずの頬も薄っすらと赤く見えた。その様子はまるで何かを期待しているみたいで――
「あ、当たり前でしょ! 同じクラスなんだから! するわよ! 応援くらい!!」
「えー、あたしのじゃなくて?」
「クラスの!!! …………あんたもクラスのうちに入ってるけど」
「ん、お嬢なんか言った?」
「なんでもない! ほら、早く戻って着替えないと風邪ひくから!!」
「お嬢、いたい、いたいって! 優しく拭いてよぉ」
那智の頭にのせたタオルをわしゃわしゃっとさせてから引ったくり、鳥の巣頭になった那智が髪を整えている間にさっさと立ち上がる。どうしようもなく熱くなった顔を見られる前に早くこの場を去りたかった。




