お嬢は家を出る
新連載です。
「お嬢」と呼ばせたかっただけの幼馴染百合。
桜舞う3月。
門前に集まった強面の男たちが大きなスーツケースを傍らに置いた私の前にずらりと一列になって姿勢を低くしていた。
「お嬢! 新しい街での生活、頑張ってくだせぇ! 藍沢組一同、心より応援しておりやす!!!」
「「「おりやすっ!!!」」」
「あはは………………ありがとう」
強面の男たち――藍沢組の組員である彼らに「お嬢」と呼ばれている私、藍沢和華は高校進学のために今日この家を出る。
私の家は一言で言うと『ヤクザ』だ。
あ、誤解してほしくないんだけどヤクザはヤクザでも真っ当なヤクザよ? ヤクザと真っ当っていう言葉が共存しなさそうだけど。
別に怪しいおクスリを売っているわけでもなければ、人を騙して大金を巻き上げているわけでもない。昔ながらのちょっとだけ後ろ暗い金融商売やお祭りのテキヤなんかをしている。法律は犯していない、らしい。そこのところはあまり詳しく教えてくれないけど、あえて言うなら『任侠』という感じの組だ。今は組長であるおじいちゃんの方針もあって真面目に商売をしている。
「和華」
「おじいちゃん」
強面舎弟たちの奥からおじいちゃんがやってきた。いつもの着流しに下駄を鳴らしながら歩いてくる。ビシッとした姿勢と白い髪を撫でつけ、精悍な顔立ちはとても還暦を超えているようには見えない。私の唯一の肉親で、自慢のおじいちゃんだ。
威厳があって、普段は怖いおじいちゃんも孫の私にはいつも優しく微笑んでくれる。
「忘れもんはねぇかい」
「うん。もし何か忘れてたら送ってくれる?」
「ははっ、いくらでも送ってやらぁ。困ったことがあったら遠慮なく言えよ」
「うん。ありがとう」
「休みにゃあ帰ってくるんだろ?」
「夏休みとか、長い休みのときは帰ってくるつもり。GWは……どうだろ。まだわからないわ」
「おぅ、おぅ。決まったら喜助に連絡入れてくれ。喜助経由で聞いとくからよ」
「うん、わかった」
おじいちゃんがぽんぽん、と私の頭を二度軽く叩いてから、ゆっくりと手を前後させて撫でてくれる。硬く、大きなおじいちゃんの手にちょっとだけ泣きそうになる。でも組のみんなが鼻を啜って手ぬぐいを目元に押し付けて号泣しているのが見えて涙はすぐに引っ込んでしまった。いつものことだけど、大の男たちがわんわん泣いてるのはどうなのよ。まぁ、そんなところもみんなのいいところなんだけど。
ちょっと白けた目でみんなのことを眺めていると、おじいちゃんが真剣な顔で私のことを見ているのに気づいた。
「和華、本当にあいつにゃあ何も言わなくていいのか?」
何度も聞かれた問いかけにぐっと拳を握りしめた。家を出ると決めてから今日まで言えないままだったけど、今更伝えるつもりもない。おじいちゃんだって私がそうしないとわかっていてもこうやって問いかけてくれる。きっと私が後悔するってわかってるから。
「……うん。言わない」
「そうか」
同じ答えを返し、おじいちゃんからも同じ答えが返ってくる。これでこの話はおしまいだ。
改めて手荷物を確認し、スーツケースの持ち手をしっかりと握る。
「じゃあ、おじいちゃん。みんな。いってきます」
「おぅよ、いってらっしゃい」
「「「お嬢、いってらっしゃいませ!!」」」
おじいちゃんの笑顔と舎弟たちの勇ましい声に見送られ、私は15年過ごした家を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇
私の家は少し変わっている。
それに気づいたのは私が小学校3年生の時だった。
授業参観の日。よくあるお題である『わたしのかぞく』という作文朗読。そこで私は喜々としてこう言った。
「わたしにはたくさんのかぞくがいます」と。
大きな屋敷に綺麗に手入れされた庭園。普段から出入りしている組員の何人かは住み込みだった。
私にとって彼らは兄であり、父であり、友であり、家族だった。だから胸を張って『わたしのかぞく』として紹介した。
それが普通の授業だったなら。学区内に新興住宅地がなければ。たら、ればを言い出したらキリがないし今が変わるわけじゃない。
ただ一般人からしてみればヤクザも暴力団も詐欺組織も全部同じような位置づけだったというだけだろう。そもそもそこら辺の線引も曖昧だしね。私もわからない。
ウチが真っ当なヤクザだってことを知らない多くの保護者が知ってしまって、当たり前ながらそうすると自分の子どもに言う。「あの子と付き合ったらだめ」と。そして私は見事に腫れ物扱い、というわけだ。
小学校3年生から中学卒業までの7年間、私には友だちと呼べる友だちもできず、常に周りから一歩引かれた環境で過ごしてきた。
ウチがヤクザだから。
思春期になれば大好きだったはずの家を、家族を段々と恥ずかしく思うようになってしまった。家の外で大きな声で「お嬢」と呼ばれ、女子中学生の周りに厳つい顔した男たちが囲んでいる絵面にヤバさを感じた。よく通報されなかったと思う。
ここにいる限り、何も悪くないみんなから距離を取ってしまう。友だちもできない。そんな自分が嫌で、環境が嫌で、私は高校受験を機に一大決心をした。
県外の、誰も私を知らないような土地に進学する。
そして普通の高校生活を送る。
高校生で一人暮らしするなんて何の理由もなくできるものかと頭を悩ませ、どうにかこうにか「将来のためにより学力が高い学校に行きたい」という理由をこじつけ、地元からふたつ県を跨いだ地方都市の学校を受験、見事合格。そしておじいちゃんを説得してこうして今日から一人暮らしだ。
決して田舎ではないけれど、繁華街のある街に比べると長閑な地元からローカル線と新幹線を乗り継いでおよそ3時間。
やっと着いたターミナル駅は地元のお祭り以上の賑わいがあった。
「……えぇっと……たしかこっちの線に乗り換えで……」
ターミナル駅からさらに主要路線へと乗り換え、電車に揺られること20分。実家の周りと雰囲気が似た、閑静な住宅街にたどり着いた。
若頭補佐である喜助兄ちゃんと一緒に内覧に来て以来だ。
記憶とスマホの地図アプリを頼りに住宅街を歩く。
駅前にはいくつかの商店と、比較的品揃えのいいスーパーがあった。家を出る少し前から家事全般を習い、一通りできるようになった。時間はかかるけど簡単な料理くらいなら一人でも作れる。後で食材を買いに来てみよう。喜助兄ちゃんと来た時にちょっとだけ覗いたけど、生鮮食品だけじゃなくてお惣菜も充実していたからどうしようもなくなった時はここのお惣菜頼りだ。マンションのすぐ近くにはコンビニもあるし、学校までは電車で3駅。駅徒歩10分圏内にあるオートロック完備のセキュリティが整った築浅マンションが今日から私の新しい城だ。
「……よし! これからここでがんばるぞ!」
マンションを見上げ、気合を入れてからスーツケースを引きずりながら中へと入る。事前に受け取っていた鍵を使ってオートロックを解錠し、エレベーターで4階へ。エレベーターから降りて一番角の一室が私の家になる部屋。
高鳴る心臓を服の上からぎゅっと握りしめ、鍵穴に鍵を差し込んだ。
「…………ん?」
おかしい。
解錠するために鍵を回したのに何も音がしない。そして何より、部屋の中から人の気配がする。まさか……泥棒?
まだ引っ越し屋さんも来てないから何もないのに? それよりどうやってオートロックのマンションに入り込んだんだろう。とにかく喜助兄ちゃんに連絡を――
「あ、やっと来た」
スマホを取り出そうとしたところでドアが開いた。そして間延びした声。中学1年の夏まで聞き続けていたその声の主は、キラキラと輝く金色を振りまいて、へにゃりと表情筋をとろけさせながら続けた。
「お嬢、遅いよぉ」
目の前にいたそいつにただただ私は叫ぶことしかできなかった。
「なんであんたがここにいるのよぉおおおお!!!!」