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09 大司教と王族と書記官と

固く目を瞑る。

わんわん、と頭の奥で犬が遠吠えをしているような響きが反響した。

一拍おいて、これは耳鳴りだと理解する。



(すぐ終わるって言ってたのに……!)



その耳鳴りが不意に静かになり、目を開けると、視界が白く染まっていた。


ただ、ただ白いだけ。

石造りの神殿の壁も、転移装置も、レオノールさんやトーカさんも、シスターたちの姿さえも見えない。

ただ、空間全体が、ふわりと霞のかかったような優しい白に包まれていた。


そして、その中に――彼がいた。


あの夢で何度も出てくる、黒髪の男の子。

今までで一番はっきりとした笑顔で、まっすぐにこちらへ駆け寄ってきた。



(ユウ、また会えたね!)

(あれ……夢?いや、これは……?)



少年は何の迷いもなく私の腕に飛び込んできて、くすぐったいほどの勢いで抱きついた。



(夢じゃないよ。でもまたちゃんと、会えた!

 僕の名前覚えている?)



ぱっと離れて、にこにこと嬉しそうに笑う。

それを見た私は、ふと、前に名前を教えてくれたことを思い出した。



(ああ、セオ。セオくん、だよね?)

(ふふっ、あたり!)

(ユウに僕のかわいいかわいい  を紹介するね)


(……え?なにを)



ーー何を紹介するの?

そう聞こうとした次の瞬間、私の視界を占めたのは、深い、深緑というよりは夜に沈む森のような色の布だった。



「...え?」



艶やかな光沢のある織地に、糸で縫い取られた紋様が光を受けてきらりと揺れた。

それが服だ、と気づくまでに少し時間がかかる。

見上げるとその服の向こうから、ぬっと見知らぬ人物が現れた。


夜の闇を湛えたような黒い癖毛。

日焼けとも違う、まるで砂漠の砂のような褐色の肌。

そして、瞳は薄く澄んだ水色。ビー玉のように整っていて、それでいて鋭い光を宿していた。



「リカード様!!」

「ユウ!!」



まるで時が止まったような静寂を、誰かの怒鳴り声が裂いた。

反響する叫び声でようやく我に返る。


硬い軍靴の音が何重にも鳴り響き、周囲にいた人々の衣擦れが次々に動く気配。

視線の先にいた彼が、じっとこちらを見つめていた。

眉一つ動かさず、唇を一文字に引き結んだまま。


ほんの腕一本分の距離。


その近さに慌てて身体を引こうとした。

けれど、足がうまく動かなかった。



(わ……!)



視界が傾いた。ぐらりと重心がぶれて、そのままバランスを崩す。


とっさに手を伸ばしたけれど掴むものもなく、私はそのまま、彼の胸元にもたれかかるように倒れ込んでしまった。



「リカード様、危険です!!」

「下がってください! 今すぐこちらへ!」



騎士たちの鋭い声が、次々に飛ぶ。

鎧が軋む音と、剣がわずかに鞘から抜ける音が聞こえた。


ぐっと強い力で肩を掴まれる。

息を呑み、その痛みに眉を寄せた。



「下がれ」



その瞬間、低く落ち着いた声が耳に届いた。

空気が変わった。


騎士たちが一斉に動きを止めた。

先ほどまで鋭く殺気立っていた気配が、一転してぴたりと静まり返ったのだった。


私の肩を掴んでいた誰かの手が静かに離れていった。



「っ、ご、ごめんなさい……!」



あわてて体を起こし、距離をとって深く頭を下げる。

声がうわずって、うまく口が動かない。

恥ずかしさからか、申し訳なさからか、手足が火照っている。顔も耳も、きっと真っ赤だ。



「……大丈夫ですか?」



その声に顔を上げると、先ほどの人物――リカードと呼ばれていた青年が私を見ていた。


まっすぐな水色の瞳が、揺れもせずにこちらを見つめている。



「は、はい。……すみません、本当に、すみません……!」



必死に頭を下げると、駆け寄ってくる足音が聞こえた。

レオノールさんとトーカさんだ。



「ユウ、大丈夫か!?」

「……すまない。招かれし者に転移装置を使ったのは初めてだった。不具合があったのかもしれない……」


「だ、大丈夫。なんとも……ないです……」



熱を持った顔を手で仰ぎながら、そっと周囲を見回す。

奥には、絵画のように荘厳な人々がいた。




最前列には、まばゆいほど白くたなびく髪を後ろに結い、長く広がった法衣をまとった高齢の司祭。

その隣には、堂々とした体格の男性――王だろうか。重厚な衣装に、厳格な表情。

その傍らには、金糸の髪を結い上げ、レースと宝石に彩られた美しいドレスを纏った王妃らしき女性。

そして、私がさっき――水浸しにしてしまった青年が、深緑色の軍服のようなかっちりした装いでまっすぐに立っていた。


背後には、控える騎士たちと神官たち。

誰もが、息をひそめてこちらを見ている。


レオノールさんが一歩前に出て、静かに紹介を始めた。



「...我らが王、エリアス=サラディア陛下。そして妃、リーナ=サラディア様。

 神殿の柱たる大司祭、ヴェルグリス猊下にございます。


 そしてこちらが、招かれし者のユウです」



「……初めまして。ユウと申します。お会いできて……光栄です」



精一杯、深く深く頭を下げた。

その後、王が静かに私を見て、口を開く。



「我が国にご足労賜り、まことに光栄の至り。神の導きがあらんことを」



リカードさんが一歩、前に出る。



「この者、我が姉の遺児リカード。王宮にて文官として務めさせております。以後、貴殿の案内役として従わせますので、必要とあらば頼っていただきたく存じます」



リカードさんは静かに一礼し、口を開いた。



「リカード・アストリア=エル・ファリドと申します。僭越ながら、お見知りおきいただければ幸いです」



その表情は、まるで仮面のように整っていた。

赤くなって取り乱していた私が稚拙で恥ずかしい。



「よろしく……お願いします」



私はまた、深々と頭を下げた。



(今日一日で……あと何回お辞儀するんだろう……)



そんなことを思いながら、まだふらつく足を踏ん張った。

騎士たちの視線が痛いほど刺さるけれど、

隣にいるレオノールさんとトーカさんの姿に、少しだけ心が落ち着いた。


小さく息を吐いて、私はゆっくりと顔を上げた。



次回【8/11(月)朝7時】更新予定!

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