16 過去とポーチと思い出と
暴動の後、リカードは自身の控室に入り、先ほどのことを思い返していた。
あの暴徒の叫び声が、脳裏にこびりついていたのだ。
ーーなんで!なんで、ここに2人もお!!
見開き血走る目、振り乱された髪の毛、揺れる亡国の装飾品、それらが頭の中で何度も繰り返される。
リカードは心の奥で、少し考え込んだ。
例え、ナヴァラが亡国する前に招かれし者が現れたとしても、本当に亡国を防げたのだろうか、と。
招かれし者に寄せられる絶対的な信仰を、ほんの少し疑った。
招かれし者と少し共にいたが、挨拶した時に感じた印象は変わらず、ただの娘だった。
ミナミという娘は、幼い。
ユウは年は近そうで、味覚の趣向は似ていそうだが、ただそれだけだ。
(それだけの娘たちに何がそんなに、
――いや、そう疑うべきではないのかもしれない)
人知れず静かに首を振った。
不意に、謁見の際ユウがヴァリタを気に入っていたのを思い出した。
周りの者もあまり好まず、飲んだものは、好みが分かれますね、などというヴァリタ。
それを、若草のような香りと表現したユウは、見る目があるものだ、と感心した。
そのことを思い出し、リカードは控えの間に向かう。
まだそこにいるだろうユウに冷えたヴァリタを渡すためだ。
扉が静かに開くと、メイドに促されたユウが出てきた。
令嬢の様な装飾された完璧な身なりではなく、白粉や香水の香りはしない。
まるで町娘のような女だ。
先まで泣いていたのか、寝ていたのか、髪は少し乱れていた。
「……お気に召したご様子でしたので、先ほどのヴェリダを。冷やしてあります」
「あ、わざわざ、すみません。
ありがとうございます」
差し出したお盆の上の瓶は、水滴を纏っていて、冷えているのが伺えた。
廊下は、静かな空気と、窓から溢れている光がほのかに夕日の色を帯びていた。
突然、ユウの頬に涙が落ちる。
驚いて何か言葉を、と顔を上げると、その涙はユウのものではなかった。
もっと年上の、幼い頃に毎日見ていた、ベッドに横たわるリカードの母の涙だった。
「こ、きょう...また........た....わ」
夕日が眩しい部屋に母の掠れた声が小さくこぼれる。
病のせいで満足に食事をとれなくなった体は、枝のように細くなっていた。
叔父上の様に栗色の髪はあんなにふくよかになびいていたのに、今や藁の様だった。
ざわざわと胸がざわついたリカードは、次の瞬間、息をのんで飛び起きた。
胸が強く波打ち、呼吸が浅い。
冷や汗が額をつたっていて、背中にまでじっとりと張り付いている。
汗をかいているのに、鳥肌が立っていて、まるで冷たい風の中で眠っていたかのようだった。
夢の中で聞いた掠れた母の声が、まだ耳に残って離れない。
――なんて嫌な目覚めだ。
ガシガシと乱雑に頭をかき、リカードはベッドから降りた。
それでも胸の奥には、言葉にできないざらりとした感覚が残り続けていた。
今日の目的は、招かれし者たちの民への顔見せだ。
神殿の「太陽の間」に集まることになっている。
太陽の間は広場に面した場所にあり、王族や神官が民に手を振るのにふさわしい広さを持ったポーチがある。
リカードが自身の控室を出ると、以前よりも多くの聖騎士たちが各所に立っていたのが目についた。
先日の暴動のせいか、おかげか、より一層厳かに警備をしているのだろう、とリカードは思った。
「本日はポーチに出て、民に顔を見せるだけで大丈夫です」
皆が集まった太陽の間でザイードがそう説明する。
窓は開いていないものの、多くの人のざわめきが聞こえてくる。
「声を出して挨拶する必要もありません。聖騎士の体制もより強化し、防御魔法も加わっています。どうか、ご安心ください」
「......さあ、参りましょう」
ポーチにすでに出ていた大司教がこちらを振り向くと、レオノールがユウとミナミを促して進む。
次いで、リカードとアルミン、ザイードもポーチに出て招かれし者たちの少し後ろに立つ。
民たちは一斉に声を上げた。
それは割れんばかりの声援だった。
体に音があたりビリビリと揺れる。
リカードはその景色を静かに見つめた。
招かれし者の背中はどちらも小さい。
この背中に今どれほどの信仰が覆いかぶさって、どれほどの緊張が体を強ばせているのか、リカードには検討もつかなかった。
「ユウさん!」
ポーチから太陽の間に戻ると、明るい声が空気を弾ませた。
ミナミが小走りで駆けてきて、ぱっと両手を広げる。
昨日の不安げな面影はどこへやら、薔薇色の頬を輝かせて笑っていた。
「昨日はありがとうございました!
泣いて寝たらすっきりした!」
「そう、良かった。本当に良かった」
ユウの声は心底ほっとしたように温かかった。
ミナミはユウに寄り、少し小声になる。
「……だからね、帰ってきたら、またユウさんとたくさんお話ししたいな」
「うん、絶対に。いっぱい話しましょう」
その言葉にユウはすぐに柔らかな笑顔を浮かべた。
それを見たミナミもより嬉しそうに微笑む。
「では、私は少し調べ物がありますので。出発前には合流します。何かあれば資料室へ」
「は、はい!」
「リカード殿、ユウをよろしくお願いします」
「承りました」
レオノールの表情は普段とあまり変わらないが、何処かそわそわと嬉しげで浮足立っているようだった。
挨拶もそこそこに、レオノールは護衛のトーカを連れ、振り返ることなく太陽の間を後にした。
それを皮切りに、皆が太陽の間を後にし、それぞれの持ち場へ散っていった。
「......それでは、私たちも準備を始めましょう」
「は、はい!」
リカードとユウも太陽の間を後にし、廊下へ出た。
廊下に出ても変わらず人々の声が聞こえた。
「......ええと、昨日レオノールさんから聞いたんですけど、私の行き先はアズハル神政国って聞いたんですが、リカード様の故郷ですよね。どんなところですか?」
歩きながらリカードが呟く。
「……暑い」
「......ああ、砂漠の国ですものね」
頷くと、リカードは思い出すように、懐かしむように目を伏せて続けた。
「夜明けは冷える。だが陽が昇れば、肌を焼くように照りつける。空は……澄みすぎていて、雨が少し降るだけでお祭り騒ぎだ。
アストリアに王国ではなく、大司教や神官たち国を治めている。世襲制の神官も多い。
近隣諸国の中では、1番信仰深い。
食事は肉が多いな。肉と香辛料と、それから日持ちするドライフルーツや根菜がよく出る。
それからーー」
先ほど、顔を見せるだけで良いと言われポーチに出た時、ユウは軽い気持ちのつもりだった。
ーー顔を見せれば良い。
ーー立つだけ。
そう思ってポーチに立つと、想像以上の光景がユウを待っていた。
身体にも響くほどの大きな声援。
神殿の広場には、数え切れないくらいの人がいた。
そのみんながポーチを、招かれし者を、ユウを見ていた。
自分に向けられた期待や祈りのようなものが、ひどく重くて、胸のあたりがざわついたままだった。
けれど、隣を歩くリカードの表情は、そんなユウの気も知らず、どこか懐かしい景色を語る人のものだった。
ずっとあった眉間のしわがほどけ、時折、何かを思い出したように楽しげに口角を上げる。
その横顔を見ていると、重かった胸の奥が、少しほぐれていくような気がした。
「それと、夜空が綺麗だ」
「ふふ、良いですね。すてきです」
次回 9/29㈪朝7:00 更新予定!




