12 書記官と炭酸水と刃物と
垂れ幕の外から、ざわざわと人々の声が聞こえる。
直接は見えないものの、淡く揺れる影から、挨拶の様子がうっすらと伝わってきた。
夫婦なのか、着飾った影がふたつ並んでいたり、
一人で静かに立っていたり。
中には、やけに饒舌に語り続けている姿も見える。
「失礼を承知で……少しお尋ねしても?」
レオノールさんがこちらをまっすぐ見ていた。
「“招かれし者”が2人、というのは異例のことです。歴史的に常に1人でした」
彼の言葉に、ミナミちゃんもお菓子を止めて、きょとんとした表情になる。
幼さを残す顔がより幼く見える。
「お2人とも、神に仕える一族に生まれたとか……神殿にて奉仕されていた、などのご経歴は?」
「いえ……まったく」
私が首を横に振ると、ミナミちゃんも「うんうん」と頷いた。
「普通の家庭で育ちました。うちはごくふつうの会社員の父とパートの母です。神職とか、ぜんぜん……」
「うちもです。強いていうなら、両親が海外での仕事が多いので、お爺ちゃんとお婆ちゃんと暮らしています。神社とかも初詣くらいかな?」
ミナミちゃんが苦笑まじりに答えると、レオノールさんは短く頷きつつも、眉間にほんのわずかな影を落とした。
「……では、何か不思議な現象を体験されたことは? 幼少期に“見えないものが見える”とか、“手をかざすと怪我が治る”など、特別な力に心当たりは?」
「ないです」
「ないですね」
ミナミちゃんが笑いながら即答する。
「むしろ今こうしてここにいるのが、いちばん不思議体験ですよ」
「本当だねえ」
私もつい、気が抜けたように同意した。
レオノールさんは黙ったまま、何かを考えるように視線を落とす。
少し考えた後また顔を上げる。
「ご無礼を。気を悪くされたら申し訳ない」
「いえ、全然」
ミナミちゃんが笑顔で手を振り、私も軽く頭を下げる。
そんな様子をなんとなく眺めながら、また視線をテーブルの上へ移す。
目の前の細いグラスの中では、淡い金色の液体が揺れ、細かな泡が静かに弾けていた。
(シャンパン……かな?)
そう思ってそっと口を近付けた途端、意外な香りに少し目を見開いた。
果物や甘さではなく、若草のような、朝露をまとった緑の香りだ。
「……いい香り」
リカード様がこちらを見て、一瞬だけきょとんとした顔をした。
「…本当ですか?」
「え、ええ。こう、若草のような香りですね。青々しいとまではいかない爽やかな香りがすごく良いです」
「…良い趣味ですね」
会った時からほとんど表情を変えなかった彼が、わずかに口角を上げる。
その変化に気づいてか、横でアルミン殿下が得意げに笑った。
「リカード殿が同席するならと、好んで飲まれるヴェリダを無理を言って取り寄せてもらったんです。ユウ殿も気に入っていただけて良かったです」
「それはわざわざ…ありがとうございます」
リカード様が小さく会釈をした。
琥珀色の液体を口に含むと、若草の香りの奥に蜜のような甘い香りもあった。
しゅわしゅわと炭酸が舌の中で弾ける。
なんだか高級なサイダーみたいだ。
「このアストリア国の北端の村で作っているものです。寒い地方で、林檎や山葡萄の栽培が盛んで…ある木の葉を発酵させて蜜を加えた、先人たちの知恵で出来上がった希少価値の高い飲み物です」
少し嬉しそうにリカード様が饒舌に説明し始めた。
その横でアルミン殿下がザイードさんと目を合わせて、小さく肩を竦めて笑っていた。
「この蜂蜜もその村の養蜂家で……」
気がつけば、リカード様は楽しそうに、手の中のグラスを指先で小さく撫でながら語っていた。
レオノールさんもトーカさんもアルミン殿下のようににこにことリカード様を見守る。
ミナミちゃんは私と一緒に相槌をうつものの、珍しいお菓子に首ったけだ。
「それと季節によって口当たりが違うので、製造月を聞いてから飲むのもまた...」
「すごくお好きなんですね、リカード様」
「……はっ」
楽しそうだなあ、と思ってそう声をかけたら、リカード様はまるで我を忘れてた、とでも言わんばかりに息を呑み込んだ。
自分がどれだけ語っていたか、驚いたようだ。
解れてた眉間の皺がまたぎゅっと寄る。
「好きなものを褒められると嬉しいですよね〜」
朗らかにトーカさんが言う。
リカード様は耳を赤くして小さく息をつくと、立ち上がり椅子を引いた。
「……失礼。少し席を、」
「え、わ、私ごめんなさい。リカード様がただ楽しそうで、」
失敗した!と思ったその瞬間だった。
垂れ幕の向こうで、ざわりと空気が揺れた。
遠くで誰かの叫び声が聞こえる。
「…なになに?」
お菓子に首ったけだったミナミちゃんも不思議がって顔を上げた。
リカード様も足を止め、怪訝そうに垂れ幕の方をを見ていた。
ドタドタドタ
垂れ幕の向こうから、大きめな靴音が近づいてくる。
さっきまでとは違う空気が張り詰めた。
トーカさんの耳がぴくりと動く。
私がトーカさんに視線を向けた、その瞬間、布の向こうから鋭い光が差し込まれた。
刃物だ。
垂れ幕が刃物で切り裂かれて、その切れ目から青年が出てきた。
歯を食いしばり興奮してこちらを睨みつける。
「なんで!なんで、ここに2人もお!!」
短剣を振りかざした青年がそう叫びながら、1番垂れ幕の近くにいたレオノールさん目掛けて短剣を振りかざした。
眉1つ動かさないレオノールさんのそばから白い袖が伸びる。
音もなく、トーカさんが刃を受け止めた。
「っとっと――」
その直後、リカード様が私の腕を掴んだ。
「下がるんだっ!」
低く詰まった声。
掴んだ腕を引き寄られ、拍子に私の椅子がひっくり返り、甲高い音を立てて床を転がった。
「わっ……!」
リカード様の手が肩を押さえ、私をかばうように覆いかぶさる。
トーカさんの耳が立ち上がり、腕が短剣を絡め取った。
いつの間にかアルミン殿下とザイードさんの後ろにいたミナミちゃんが驚いて声を上げる。
「トーカおじさん!」
「はいはい、トーカおじさんですよ〜」
穏やかにそう返事をしながら、トーカさんの手が相手の腕を逆手に取って封じ、男を床に伏せさせて抑え込んだ。
男のくぐもった短い声が溢れる。
「びっくりしたね〜お嬢さん方。ケガはない?」
「な、ないです...ありがとうございます...」
「ない、ないです、トーカおじさん...」
ミナミちゃんが半泣きで笑った。
騒ぎの中、平然とお茶を飲んでいたレオノールさんがトーカさんに顔を向ける。
「……大丈夫ですか?トーカおじさん」
「怖い思いをさせてすみません、レオノールお姫様」
和やかに、まるで何もなかったように2人はそう振る舞う。
私はというと、リカード様の腕の中で心臓を落ち着かせるのでやっとだった。
椅子の転がった音と、遠くで続く貴族たちのざわめきもまだ耳に残っている。
心臓がバクバクと落ち着かない。
次回 9/1(月)朝7時 更新予定!




