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10 期待と羞恥と垂れ幕と

「リカード様」



昨夜、夜も更けた頃だった。

書斎に篭っていた私のもとへ、伝令の者が訪れた。



「…何事だ」

「国内の神殿に“招かれし者”が現れたとのことです」



息を切らし額に汗を流した伝令のその言葉を耳にした瞬間、長年本の中でしか見なかった文字に心が躍った。

そのまま伝令に連れられ、王である叔父上の執務室に足を踏み入れた。


整えられた顎髭と鋭い目元。髪にはわずかに混じった銀が重ねた歳月を物語るが、その肩はなお逞しい。

剛健で、飾り気のない人だ。


だが、身内の事となると、どうも目尻がよく下がる。



「早かったな、リカード。相変わら仕事ばかりしていないか。また無理をしておるんじゃあるまいな。」



昔から変わらぬ声色に、思わず胸の奥がほぐれる。



「…お呼びとあれば、いつでも」

「固い、固い。まったく…姉に似てお前は真面目すぎる。そんなとこばかり似おって…」



そう言って、叔父上は立ったままの私の肩にそっと手を置いた。



「伝令を聞いたな?ちょうどいい機会だ。お前に歴史を目に焼き付けてもらおう。こういう役目は誰にでも任せられん」

「…恐れ入ります」


「それとな…アルミンも同席する。神殿に現れた招かれし者とは別に、アルミンの邸宅にも招かれし者が現れたのだ。あいつはそちら側に、お前は神殿側についてうまく立ち回ってくれ」



ちらりと視線を落とした叔父上の声が、ほんの僅かに父親の響きを帯びた。



「...あいつはどうも気が弱い。兄達が出来過ぎなのは分かるが、いや、ミゲルは...まあ、お前がいれば心強い。助けてやってくれ」

「心得ております」

「詳細は夜のうちに纏めさせよう。また明日の朝に声を掛ける。どうか頼む」

「畏まりました」



そっと一礼を返すと、叔父上は安心したように小さく息を吐いた。


叔父上の部屋を後に自身の部屋へ戻ったが、その日は寝れたものではなかった。

一体どんな人物だろう、やはり神のようなライメア様のような人物なのだろうか、はたまた神そのものではないだろうか、と色々なの事を考えた。




心躍るとは、まさにこのことか。

しかし、そう思ったのも束の間のことだった。




「......大丈夫ですか?」

「は、はい。……すみません、本当に、すみません……!」



翌朝、初めて対面した“招かれし者”は――

思わずため息が出るほど、ただの娘だった。


女神の使いでも、神託の具現でもない。

威光も、神秘も、奇跡の片鱗すらない。

拍子抜けという言葉では足りない。

これが、“招かれし者”だと?


魔力はともかく、その雰囲気は一片もなかった。



「それでは、式典の準備がございますので、これで失礼いたします。晩餐会には我が息子も出席いたしますので、その折にぜひお会いくださいませ」



挨拶を済ませた王妃がドレスの裾を静かに揺らし退場する。

叔父上と大司教様もそれに続いた。



「きれい…」



招かれし者がそう零す。

その漏れた呟きは、まるで王家の祝賀行列を遠くから眺める民のそれだった。


思わず眉間に皺を寄せてしまいそうになり、目頭を押さえる仕草で誤魔化す。

するとレオノール閣下がこちらに向けて声をかけた。



「お久しぶりです、リカード殿」

「ええ、お久しぶりです。レオノール閣下、トーカ殿」



ほんの少しだけ口角を上げて愛想笑いをする。

確か前に会ったのは、春の式典だったか。


このエルフも相変わらず年を取らず、末恐ろしい。

幼い頃から会ってはいるが、皺の1つも増えた気がしない。

そのきれいな顔の表情も薄く、何を考えているのかも分かりづらい。



「ユウとリカード殿は年も近いし、同じ人間だし、良かったよ。おっさんとおじいちゃんだけで同行なんて申し訳なかったからさ〜」

「ええ、ふふふ……そんなこと思ってたんですか」



招かれし者は、気後れしたように、それでも少しおかしそうに笑って返した。


きっと、彼女は隣に立つトーカが、かつて神殿を燃やそうと迫る反乱軍の軍勢を、一晩で殲滅した〈聖域の牙〉であることも知らない。

狼獣人の血の本性を覚えている者は今や少ないが、我が国にとってはまだ記憶にも歴史にも新しい。


神官たちが震え、王宮が沈黙し、彼だけが立っていた。


こんなにふにゃふにゃわらっているその姿に違和感を覚えるのは、きっと私だけではないはずだ。

知らずに笑っていられるのは、ある意味、幸せなのかもしれない。




「……では、謁見の会場に参りましょう。こちらへ」



愛想笑いのまま、踵を翻し、王宮のように湯水の如く金をかけた神殿の廊下を進んだ。

まるで嘲笑っているように光に当たった装飾の金細工がキラキラと輝いてる。



「すごく、きれいな廊下…」



また招かれし者が無邪気に漏らす。

騒がない分、世間知らずの貴族の令嬢よりは扱いやすそうだが、面倒なのには変わらない。



「…垂れ幕を下ろさせよ」



少し後ろを歩いていた侍従に声を掛ける。

侍従は黙礼し先を急ぐ。




歴史的瞬間だと、そう浮き足立つ気持ちを抑えきれなかったのは、誰でもない自分だったようだ。

昨夜など、まるで子どものように寝つけずに、何度も今日の段取りを繰り返し頭の中でなぞっていた。


年甲斐もなく、期待しすぎた。


拍子抜けするほど平凡な“招かれし者”を前に、湧き上がった感情は感動ではなく、むしろ小さな羞恥だった。

こんなことで心を浮かせていた自分が、少しだけ情けない。


漏れ出そうになったため息を噛み殺した。






次回 8/18(月)朝7時更新 予定!

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