先天性幸福感欠乏症
「あなたは先天性幸福感欠乏症です」
「はあ」
齢十六にして、何の病気もなく、大きなけがもなく生きてきた俺だったが、どうやら生まれつきの病があったらしい。
俺は一般的な家庭に生まれ、普通の高校に通っている。家庭内不和があるわけでもなく、いじめがあるわけでない。本当に、ごく一般的な高校生であると考えてほしい。
だけど、少しだけおかしな点があるとすれば、異様に喜びずらいということだけだ。皆が幸せと思うことはたいして幸福とは思えず、また、自分しか理解できない趣味嗜好というものもない。
他者から見て少々鬱気味であると精神科に誘われて、ついていったら先ほどの診断が下されたのだ。
「あなたは今まで、生きづらいと思ったことはありませんか?」
「それはありますよ、でも些細なことなんです。課題が多くてだるいとか、生きている意味が分からないとか。でもそんなの思春期によくあることだし、同級生だって同じ悩みを抱えているでしょう?」
一応の反論、一般人があまりプロの医者に歯向かうものではないが、なんだか自分の人生を否定されたようで気に食わなかった。あるいは、自分は病気なんかではないと信じたかったのかもしれない。
しかし、医者はゆっくり首を振り、とても残念そうに一枚の紙を見せてくれた。
「この数値が見えますかな。平均よりかなり低いこの数値。これは脳波です。つまり、あなたは人間が幸福だ、と感じる脳波の出力が異常に低いのです。あなたは、他人が感じる幸福感を得るのに何倍もの資源を使わなくてはなりません」
そう言って、俺にいくつかの薬を処方するとため息交じりにつぶやいた。
「知っての通り、私たちの国は数年前に安楽死を合法化しました。もし、あなたがそうしたいのなら、いつでもおっしゃってください」
馬鹿を言うな。心の中で罵倒して、診察室を出た。
家に帰り、家族に診断結果を伝えると、誰もが悲しんだ。いつもは反抗的な妹でさえ涙を流し、母親は泣き崩れた。
その姿に俺はたまらず胸が痛くなった。この病のいやなところは、他の感情は正しく働く点だ。人並に悲しむ、人並に怒る、人並に嫉妬する、でもうれしくはない。
父親は俺の背中にそっと手を当てて「頑張って生きていこうな」と励ました。同じ病の安楽死を含む自殺率は50%だった。
朝、学校に行くとクラスの皆が俺の病を知っていた。誰もが同情し、慰めの言葉をかけてきた。いつも俺を目の敵にするやつでさえ、涙を浮かべていた。
俺はそれが無性に腹が立った。「こんな時ばっかりいい人ぶりやがって」。でも、この病気じゃなかったら素直に喜べたかもしれないと思うととたんやるせなくなった。おかしいのは俺の方かもしれない。
幼なじみが手を握って涙を浮かべて言った。
「絶対に生き続けてね」
幼なじみは美人だった。そこで初めて、彼女のような友達を持つことはとても幸福であるはずだと知った。でも、今までそんなことには気付きもしなかった。
その夜、自宅に知らない女性が来た。どこからか俺が例の病だと聞きつけてやってきたらしい。親が家に上げて話し合いをすることになった。
「うちの息子はあなたと同い年ぐらいで、膵臓の病にかかっています。もはや移植をするほか助かるすべはありません。もし、似たような年の人が安楽死すればその内臓を頂けることになっています。どうせ幸福を感じずらいことですし、私の息子のために死んでくれませんか」
俺は当然嫌悪感を覚えたし、母親は話を聞いた途端激怒して、彼女を家から追いやった。なんともばかげた話に家族の誰もが憤りを感じ、妹は「誰かのために死ぬなんて馬鹿げてる」とまで言ってくれた。
翌日、学校に行くとクラスメートがサプライズをしてくれた。病気な俺を元気づけるために幼なじみが提案してくれたらしい。
あまりに突然なことで、いつものようにうれしい時のリアクションを演じることができなかった。ぎこちなく喜んだ振りをする俺を見て、クラスの誰もがいかに愚かしいをことをしたのか悟った。
幼なじみは泣いて、
「ごめんね」
と言った。
何も感じなかった。ただ罪悪感があった。
幼なじみにがんが見つかった。肝臓らしい。もう、移植をするほかない。俺は考えた。
家族はバカげたことを考えるなと言った。特に母親が強く言った。それでも俺は考えた。
幼なじみに考えていることを話したら「バカなこと言わないで」と言われた。
「たとえ幸福を感じずらくても、君の人生は君のものでしょう?あなたが亡くなって悲しむ家族もいるのよ」
彼女は笑っていた。俺はただ申し訳なくなって、いつものように生きる意味を、自身に問い続けた。そしていつものように、ただ苦しいだけだった。
妹に心臓の病気が見つかった。口から血を吐いて病院に運ばれた。緊急の事態で、代わりの心臓が必要だが変わりがないらしい。
俺は再び考えていることを話した。
誰も反対しなかった。
けど、人生で一番、その瞬間が幸福だった。