捨てても捨てても戻ってくる呪いの人形みたいに執念深く溺愛してくる、私の婚約者
ポチャン。
フレアたっぷりのドレスに水が絡みつき、池に突き落とされた私は小石のように沈んでいった。
銀色の長い髪が、銀の魚の尾みたいにうねり靡く水面が、ダイヤモンドの欠片のようにキラキラして。
水面は、空と雲と池の周りで葉を風に吹かれる木々と群れ咲く花々を映して、光の水晶の揺りかごに包まれるように青色や紺色やオレンジ色などの様々な色彩を透かして揺れていた。
花のような模様を描いて。
金の粒のように煌めいて。
降る光の波のような水が。
まるで虹を宿した星の雫みたいに美しくて、私は手を伸ばしてーーーー意識を失った。
王宮の池での出来事であったし、周辺にいた護衛にすぐに救出されたこともあって。息ができずに苦しかったはずなのに、私の記憶に残っているのは水の輝く美しさだけだった。
ただ、このことにより私と第三王子との婚約の話は成立することはなかった。
私の背中を押して池に落としたのが第三王子だったからである。
私は、筆頭伯爵家のひとり娘で両親は有能な入り婿を探していた。
伯爵家は王国の食糧庫と呼ばれるほどの穀倉地帯を保有しているが故に、王家は伯爵家を取り込みたかった。
しかし婚約のための顔合わせの席における、この事件である。
「お水が綺麗だった」
救助されて呑気に宣う私に両親は大泣きをして。
王家からの謝罪と。
第三王子の強ばった端麗な顔と。
それが私の5歳の思い出であった。
その1年後、6歳の時。
私は、隣の領地の子爵家の次男である5歳年上の幼なじみのサイラスと婚約をした。
子爵家は貿易で財を成して大金持ちであったが、次男のサイラスには継ぐ爵位はなかった。また貿易商である子爵は、自分の交易ルートで伯爵家の良質な小麦の取り扱いを望んでいた。
両親は、同年齢の子どもの中では賢く礼儀も正しく、何よりも私に優しく接するサイラスを数ある縁談から選んだ。
私のために。
子爵家よりも条件のいい申し込みは幾つもあったのに、サイラスが私に優しい、その一点のみを重要視して。
確かにサイラスは優しかった。
けれども成長するにつれ、その優しさは私以外に振り撒かれるようになっていった。
サイラスは自分の評判や優越性を気にするタイプだった。サイラスにとって、他者の目に高い評価で映る自分がとても大事だったのだ。
勉学も剣術も、努力するのは称賛を受けるため。
幼い私に優しくしていたのも、その方が大人から誉められるからだった。
私は自分の幸せは自分で決めれば良いと思うけれども、他人が羨む生活がすなわち自分の幸福と感じる人もいる。サイラスは後者だった。
人からどう思われているか、どう振る舞えば印象が良くなるか、サイラスにとって重視することはそれだったのである。
サイラスだけが特別ではない。
サイラスのような人はたくさんいるし、私だって他人の目は気になる。
けれどサイラスは、外面を優先し過ぎた。私を大切に想っているみたいな言動はするものの常に後回し。しかも本人には私を蔑ろにしている自覚はなく、苦言を呈する私をワガママだと言うのだ。
サイラスに寄り添おうとしても、
「君は5歳下なのだから大人しくしているように。だいたい女性は出しゃばるべきではない」
と言い、私が友人の令息と会話をしていると、
「君は幼いが婚約している身だ。貞淑を忘れないように」
と言い、私が約束を守って欲しいと言うと、
「彼らは友人だ。君との約束は次回でもいいが、友人は今相談を僕にしているんだ。来週、馬で遠乗りをするんだよ、ああ、君は幼くて危ないから行けないよ。女性もいるが友人だ、やましい事はしていないし、貴族なのだから社交の大切さを君も理解しなさい」
と言い、
「今度、埋め合わせはするから」
と何度も約束を破った後に言ったが口だけだった。
表面的にはサイラスは、それほど酷い事は言っていないし、私を粗略には扱ってはいなかった。
でも私の都合や気持ちを尊重してくれずに押さえつけた上で、サイラスは常に自分の友人など周囲を優遇するのだ。
私はそれが不満であったし、そのことを伝えてもサイラスは私に対して上辺だけのおざなりで誠意がないとの認識はないから問題点をわかってくれないのである。もう、お互いに性格があわないと結論するしかなかった。
サイラスは、他人との人間関係はケアやサポートやフォローが必要であるが、身内枠の婚約者である私にはそれらがなくても良いと無意識に思っていたようだった。婚約者だから離れていかない、と。それに婚約者を指導し支配するのは当然のこと、と。
もしかしたら、それはサイラスの身内への甘えなのかもしれないが、ただの小娘にすぎない私にはそれを許容できる包容力などなかった。
世間から優秀ともてはやされるサイラスを子爵家は自慢していたし、体面を重んじる貴族にとって世評の高い入り婿候補は伯爵家も歓迎していたが、私の両親は次第にサイラスに眉を顰めるようになっていった。両親も何度かサイラスに注意をしてくれたのだが、悪意なくするサイラスの行動は直ることがなかった。
とはいえサイラスに大きな瑕疵はないため婚約は継続された。子爵家には利益の大きい婚約である。サイラスの父親は小麦の販売ルートを何年もかけて整え確立させていた。が、伯爵家には損失はないが経済的には旨みの少ない婚約であるので、表面上は不仲ではないが良好でもない私とサイラスの婚約に、私の幸福を第一と考える両親は頭を悩ませた。そして両親は伯爵家が不利益を被り婚約解消の代償を払ってでも、性格の不一致を理由に婚約を解消しようと決断した、私が13歳サイラスが18歳の時である。
「エヴァジェリーン、サイラスとの婚約を解消しようと思案しているが、エヴァジェリーンはサイラスとの婚約の継続を希望するかい?」
父親の問いに私は静かに首を横にふった。
「いいえ、解消して下さいませ。サイラスとは性格があわないと言うか、将来を見る方向が違うと言うか、私とサイラスでは重きを置くものが異なると感じることが多々ありまして。たとえば最近はお茶会も直前になって中止になったり、お父様のお仕事の手伝いもサイラスは断ってばかりでしょう、継承者の会の勉強会だの友人との付き合いだの理由をつけて」
性格の不一致で婚約を解消する貴族は少ない。
私は、両親の愛情の深さに感謝をした。
「私とのお茶会は理由が理由ですから納得もできますが、お父様のお仕事は……。サイラス的には貴族だからこそ社交はおろそかにはできないと言うのですが、限度があります。将来は伯爵家を継ぐのですから領地運営の知識は必須ですのに。継承者の会の勉強会は必要ですが、サイラスはまず伯爵家の領地について学ばなければならないのに」
「そうだ。他領よりもまず自領だ」
「はい。サイラスの態度を見ていますと不安になります。伯爵家の領民を守るべき場面において、はたしてサイラスはきちんと領民を守ってくれるのだろうか、と」
私は、自尊心と自己肯定感が非常に高く自分が正しいと譲らないサイラスを、やっぱり信頼する事ができなかった。
「ああ。エヴァジェリーンよりも友人を優先するサイラスの態度は、見方をかえれば伯爵家を軽視しているとも取れる。そんなサイラスが伯爵家の当主となって、いざとなった時に領民を最後まで守るのか、保身に走り真っ先に逃げ出すのではないか、わたしもエヴァジェリーンと同じ危機感を持っているのだよ」
「先のことなど誰にもわかりませんが……」
「だが、可能性の高い入り婿は最初から弾くに限る。エヴァジェリーンの婿候補はたくさんいるのだから」
そんな話を父親とした翌日の、招待された公爵家のお茶会で。
サイラスはエスコートはしても社交の交流のためにと言って、私を放置するのが常だったが。
お茶会の隅っこに座る私の元に、サイラスは金髪の女性の肩を抱きながらやって来て言ったのだ。
「彼女が体調が悪いらしい。送って行くから待っていてくれ」
と私の返事も聞かずに金髪の女性と身を寄せ合い足早に馬車へと向かったのである。
ありえない。
私はサイラスの家の馬車で来ているのに、その馬車がなくては伯爵家に帰れないというのに。
それにサイラスがどうして婚約者をほおっておいてまで、その女性を送って行く必要があるの?
友人とはいえ婚約者でもない夫婦でもない貴族の男女がふたりきりで馬車に乗ることは、後ろ指を指されても仕方のない行為なのよ?
今日は格上の公爵家のお茶会だから、軽はずみな行動は伯爵家の体面にも関わるから控えて欲しい、とお願いしていたのに。
サイラスと私の間には価値観のズレがあることは理解していたが、これほどとは。サイラスにとって必要度や緊急度が高いのは友人であって、婚約者への配慮は底辺なのだ。たった13歳の私をひとりで残す心配も心配りもしないサイラスに、サイラス自身が自覚に欠ける私を見下す傲慢さをありありと感じた。
ガラスが割れるように、私のサイラスへの最後の気持ちが粉々になって唇を噛んだ。
周囲の同情するような憐れむような視線が痛くて恥ずかしくて、私は俯いてしまった。俯いたまま、お茶会は終了の時間となったがサイラスは戻って来なかった。
公爵夫人をはじめ多くの夫人や令嬢が私を慰めてくれた。いつも私がお茶会でもパーティーでも壁の花になっていることを知っているのだ。
しかし、これはチャンスではないか、私は俯きながら思考した。
瑕疵のないサイラスに瑕疵をつけるチャンスでは、と。
それに高位貴族の夫人と令嬢の同情票を集めることは、婚約を解消する上で伯爵家に有利に働くのではないか、と。社交界の噂話はとてもとても恐いものなのだから。
「私、私は大丈夫です。サイラス様は幼い私の相手などご不満のようで……。いつものことですし……」
ハンカチを目元にあてて涙を耐える健気な様子の私に、
「使者を送ったので、すぐに迎えが来ますからね」
と公爵夫人は励ますように声をかけてくれた。
「わたくしサイラス様を見損ないましたわ。婚約者を置いてきぼりにする方だったなんて」
若い令嬢の憤りの声に、公爵夫人と親しい侯爵夫人が扇子を広げて口元を隠すと声をひそめた。
「実は、あの金髪の令嬢とサイラス様。先日の夜会でも二人で庭園に抜け出されて、木の陰に隠れて接吻を……」
「まあ! なんてこと! では浮気相手と堂々と姿を消したということではないですかっ!!」
ポロリと出た目撃情報に女性たちは口々にヒートアップしていく。
「わたくしも黙っていましたけど、サイラス様の浮気を見たことがありますの」
やはり公爵夫人と親しい伯爵夫人が意味深に口を開く。
「まあ! 貴女も!?」
「あの金髪の令嬢ではなく、別の方でしたけれども……」
「まああ! いつ、どこでですのっ!?」
「半年前の春の王宮大夜会です。相手は男爵家の令嬢でしたわ」
溢れ出た水のように次々と情報が言葉となって女性たちから発せられる。他人の不幸は蜜の味。不貞や浮気はお茶会において女性たちのお茶菓子であった。
しかも、このお茶会には伯爵家の小麦により急成長する子爵家の商会を苦々しく思っている、いわば子爵家の商売敵である家も幾つか出席をしていた。
故にサイラスの浮気話に、それでそれで? 許せませんわ! 女性の敵! と盛り上がること盛り上がること。天井知らずであった。
チャンスになればと考えたけれど、もしかしたらサイラス終わった……?
きっと明日になれば社交界中にサイラスの浮気は広まり、明後日になればあることないことくっついた噂話が巨大魚に成長して泳ぎ回っていることだろう。
思わぬ成り行きにちょっと冷や汗が背中に流れたが、サイラスの有責につながる情報は正直ありがたかったし、はっきり言って自業自得。入り婿予定なのに浮気なんて。サイラスの娼館通いは黙認していたが、貴族の令嬢との浮気は把握していなかった。半年前からと言うと、私とのお茶会や父の仕事の手伝いを断り出した頃だわ。屋敷に帰ったらお父様に報告して証拠固めを、と手順を頭で巡らしていたら。
「お迎えが来ましたよ」
との公爵夫人の声に顔を上げて視線を向けた先には。
青い顔色の父の伯爵と、にこやかに微笑む第三王子の姿があった。
頭の中で、東洋から伝わり大流行しているソロバンがカチャンカチャンと音をたてた。
公爵家は第三王子の母親である王妃様のご実家で。
サイラスの浮気の目撃証言をしたのは公爵夫人と親しい夫人たちで。
お茶会には子爵家と対立関係にある家が多数招かれていて。
くわえてサイラスの現在進行中の浮気相手の令嬢も招待されていて。
以前のサイラスは私を目立つほど蔑ろにしなかった。が、半年前から優等生らしからぬ行動が増えてきて。
そして13歳の私が、大人の令嬢や夫人たちのお茶会に招待された理由は?
ポチャン。
耳の奥で水音がした。
あら? サイラスってばハニートラップの罠にはめられた?
でも、獲物はサイラスではなく王家にとって伯爵家であり、私?
私は微笑む第三王子を見た。
太陽をとかし月光をとかしたように煌めく水がよみがえる。
光と水が交わり透ける色彩は、青い薔薇の花びらみたいな青色が、砕け散る紫水晶みたいな紫色が、滴る万緑みたいな緑色が、さまざまな色が織り混ぜられて瞬時に変化して揺らいでいた。
水の底には、水草の小さな小さな森があって。
そこには風ではなく水が流れ、鳥ではなく魚が泳いでいて。
水底から、ゆらゆらと虹の如く多彩に輝く水面が見えて。水面から差し込む五線譜のような光が音のない音楽みたいで。
落ちた私を追って、池に最初に飛びこんだのは第三王子で、彼の金色の髪が光を纏ってキラキラしていた。
思い出した。
私は、虹を宿した星の雫みたいに美しい水面へではなく、私が手を伸ばしたのはーーーー第三王子へだった。
私の銀の髪と第三王子の金の髪がからんで。
絵本の、泡になって消えた人魚姫みたいな気泡が私と第三王子を取り巻いて。このまま銀と金色の魚に変身して、池の森で第三王子といっしょに暮らすのかな、と思った私は、ぎゅっと水の中で第三王子に抱きしめられて安心して気を失ったのだった。
そうだった、目覚めた私は魚に変身していない事にガッカリして、あまりにもガッカリしすぎて第三王子もろとも忘れてしまい、綺麗な水の記憶だけが残ったのだ。
私は過去から意識を戻してもう一度、第三王子を見た。
第三王子の熱に潤んだような眼差しはずっと私を捕らえて放さない。とろり、と甘いのに双眸の底には飢えた獣みたいな光を灯している。
私は溜め息をついた。
王家が介入してくるならば、婚約の解消ではなく浮気をしたサイラスの有責による破棄が確定である。その証拠も用意されているはずだ。おそらく子爵家は破棄料として、時間とお金をかけて開拓した小麦の販売ルートを取られてしまうことだろう。
王家は木に実がなり種となる時期を、じっくりと狙っていたのではないか? 重要なのは食べればなくなる実ではなく次代に続く種だ。商人として辣腕のサイラスの父親によって、販売ルートが確立されて安定した利益を、それも莫大な利益をうむ種となるのを待って収穫を計画していたのでは?
それほどに複数ある販売ルートは王国にとって重要度が高く、それほどにサイラスは第三王子に壊れた硝子細工のように修復不可能なほど憎悪されていたのだろう。底無し沼みたいに深く掘られた穴に突き落とされるぐらいには。
私は思い出してしまったのだ。
私が池に落とされたのは、第三王子以外の子どもと池の周りで花を摘んで遊んでいたからだ。
「僕以外と仲良くするなっ!!」
と。
私と婚約したばかりにサイラスも可哀想に。
簡単にハニートラップにひっかかるようでは、私と結婚して伯爵位を継承するどころか貴族として失格だけど。ちょっぴり性格に難ありなだけで、お先真っ暗な将来になるほど性格が破綻しているわけではないのに。
私が5歳のあの時、嫉妬と苛立ちを陽炎のように立ちのぼらせていた子どもだった第三王子は、その面影もなく、礼節をわきまえた騎士のように凛々しく息を呑むほど美しく微笑んでいる。一枚の絵画のごとき麗しい立ち姿である。
けれども美麗な第三王子に私は、悪寒が這い上がってきて背筋が震えた。
双眸が、8年間の熟成を重ねて重ねて煮詰まって、熱いような冷たいような執着の煮凝りみたいな瞳孔全開になっていたからだ。
私の父は噴き出る汗をハンカチで拭いつつ、第三王子の顔色をうかがっているし。父の様子を見るに、外堀はあの手この手を駆使されてもう埋まっているみたいだし。
カチャン、とソロバンが計算を終える。
サイラスよりはマシ、かも?
貴族の結婚は政略ありきが普通。
まずは、にっこりと笑って歩み寄ることから。
5歳の時に「一目惚れだ」と言われたけれども、8年ぶりの再会だから、お互いを知ることから始めて。
と思っていると、第三王子が近付いて来た。
あわててドレスを摘んで礼をとる私に、
「顔を上げて言葉使いも昔のように楽にしてくれ、エヴァジェリーン嬢。久しぶりだね」
と第三王子が狂おしいような、でも真摯な声を発する。誰が聞いても、私に対してどのような感情を抱いているのか、たとえ目を閉じていようと聞いてわかる熱情にあふれた声だった。
「8年前は申し訳なかった。僕は自分の欲望を抑えることのできない子どもだった。父王から、感情のコントロールができるようになるまで、エヴァジェリーン嬢との接近を禁止されて。寂しくて、寂しくて。それで会えた時に喜んでもらおうと、これを作ったんだ」
そっと第三王子が差し出したものは。
「防護メガネ!?」
私は驚いて声をあげた。
軍部で砂塵や粉塵を防ぎ水中でも目を開けていられると採用されて、徐々に民間にもひろがっている防護メガネであった。
「うん、防護メガネ。8年前、エヴァジェリーン嬢が水中が綺麗だったとニコニコしていたから、安全に水中を見れるように小さいけど水に潜れる船も作ったんだよ」
あの綺麗な水の中をまた見れる!?
私は舞いあがるみたいな高揚感に胸を押さえた。
「水の中を、私のために?」
「うん、エヴァジェリーン嬢のために。ううん、エヴァジェリーン嬢といっしょに見たいと思って」
「私といっしょに?」
「うん、エヴァジェリーン嬢といっしょならば、水の中であろうと火の中であろうと僕は行くよ。だから僕の船に乗ってくれるかい?」
私は、頭の中のソロバンを元の形も残さないくらいに砕いた。
サイラスの1億倍ステキ。
凄いわ、水中を進む船よ!
「もしかして、来年に公開が予定されている海底展望台も?」
「うん、もう建設は終わっているからいっしょに遊びに行かないかい? それから僕のことルドラントと呼んでくれる?」
「喜んで!!」
ちょろい私を父の伯爵が複雑そうな目で見ていたけれども、気にしないわ。
だってお父様、婚約が決定しているのならば、仲良しの方が100億倍いいでしょう?
私は幸福になりたいし、何よりも領民を守る責任と義務があるのだから。利用できるものは自分自身でも利用するわ。
そしてルドラントは、捨てても捨てても戻ってくる呪いの人形のように私に執着して激愛してくる、粘着の婚約者になったのであった。
【ちょこっと】ルドラントと父王、お茶会の1年前
「父上、まだエヴァジェリーン嬢に会いに行っては駄目ですか?」
「では、試験だ」
国王はサッと布をはらった。
そこには等身大エヴァジェリーンの絵が。
「かわいい~~っ!!」
ルドラントがエヴァジェリーンの絵に飛びかかる。
僕の天使! 僕の妖精! と絵に頬擦りしていたルドラントだが、ハッと我にかえると身体を折り畳むように座りこんだ。
「やってしまった……」
しょんぼりと立ち上がると絵を抱き抱えて、とぼとぼ歩き出した。
「父上、御前を失礼します。研究に没頭して煩悩を減らしてきます。また試験をお願いいたします」
部屋からルドラントが退出すると国王は、隣に立つ宰相に話しかけた。
「エヴァジェリーン嬢に水中を見せるんだ、と研究したルドラントのおかげで、ガラスや機械や建築素材などの工学が100年以上は進んだと学者たちが騒いでいたな」
「医学もです、陛下。令嬢が病気になった時のためにとルドラント殿下が研究をなされまして」
「今は伯爵領のために農業を?」
「はい。ハッキリ言ってルドラント殿下は天才、いえ、大天才でございます」
「だが、ルドラントはエヴァジェリーン嬢がいなければ狂うぞ。エヴァジェリーン嬢に影の護衛はつけておるな?」
「陛下付きの護衛よりも人数が多いか、と」
「それでいい。エヴァジェリーン嬢は我が国の命綱だ。ルドラントが狂えば我が国はどうなることか」
「それから子爵家からも目を離すな。あの小麦の売買ルートは素晴らしい。何とかあのルートを国の方で抱き込めぬものか……」
「実は陛下、子爵家の息子のことでご相談が……」
ヒソヒソと宰相が国王に耳打ちをする。
「うむ、うむ。それはルドラントも喜ぶであろうな。降りかかる火の粉をサイラスとやらは貴族らしく対処できるか賭をしないか、宰相?」
国王と宰相は悪辣にニヤリと嗤った。
【ちょこっと】サイラスと子爵、お茶会の5日後
「愚か者がっ!!」
バン! と父親が机を叩く音にサイラスは首をすくめた。
「でも、待っていてくれと言ったのに、待っていなかったエヴァジェリーンだって悪い……」
サイラスの言葉が終わらぬうちに父親の子爵が怒鳴る。
「当たり前だっ! おまえは公爵家の茶会が終了の時間になっても戻らなかったのだぞっ! それなのに、待っていなかったエヴァジェリーン嬢が悪いなどとっ! 言っていて恥ずかしくないのかっ!!」
「しかも浮気相手とふたりで、婚約者を置き去りにお茶会から消えるなんて。もう社交界ではサイラスの浮気話が蔓延して、子爵家の立場が……」
母親が顔を覆って嘆く。
「伯爵家から婚約を破棄する、と。年齢差がある故にサイラスの娼館通いは黙認してくれていたと言うのに、なぜ浮気など……。わたしは小麦欲しさにこちらが有責の婚約破棄の場合、伯爵家が有利になる契約をしたのだ。ああ、破棄料は莫大な金額になるだろう、どうしたら……」
父親は頭を抱えた。
「は!? 婚約破棄? 継承者の会でも優秀と評される僕を手放すなんて伯爵家こそ愚かでしょう」
継承者の会は、貴族家の嗣子の勉強会で古い歴史があった。
「安心して下さい、父上、母上。僕は継承者の会の友人たちもたくさんいます。伯爵家以上の婿入り先などすぐに見つかります」
「つくづく失望したぞ、サイラス。おまえは大海を知らぬ稚魚だったのだな。継承者の会の評価は伯爵家が背後にいたからだと理解していないのか。おまえは子爵家の次男で、継ぐ爵位はない。将来は平民なのだ。お家騒動の原因となるような振る舞いを、つまり浮気をしたおまえの婿入りを望む家もない。その友人とやらも、次からはおまえに挨拶をしてくれるかさえ怪しいのだぞ」
サイラスは父親を信じなかったが、後日、父親の言葉が正しかった事を痛感したのであった。
読んで下さりありがとうございました。