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除外したもの倉庫

出会いは成り行き

作者: わやこな


 目の前で、人が浮気している瞬間を目撃してしまったときの正しい対処法はなにか。


(私の答えは単純明快! 全力で見ないふり!)


 たとえそれが学園でも名の知れたおしどりカップルと噂されている片割れ、エヴェンヌ・ウーコッカだったとしても。今まさにエヴェンヌがとろけた表情で男の胸に抱かれて口づけていたとしても。

 好奇心に負けてまじまじと見てしまっては、巻き込まれることは必至だ。

 予期せぬ遭遇に、ミモ・ボタナーは息を吐いた。


(私は草、私は壁、私は石畳……)


 こんなことなら真面目に魔術の勉強に励んでおけばよかったと、ミモは忍び足で廊下の壁に背をつけた。

 この廊下は、昨年あたりから幽霊騒ぎがあって利用する生徒は少ない。けれども、ミモにとってはお手軽なショートカットコースだった。ちょうど教室と特別教室を通るのに便利が良いのだ。


(まさか幽霊騒ぎが、ウーコッカ先輩とその浮気相手? 本命? との密会のためだったなんて)


 怪しい影も謎の話し声も、すべてがこの二人の仕業だったのだ。つい今しがた仲睦まじく話していた内容に、溜息をつきたい気分だった。

 しかし、それをするわけにもいかない。

 ミモに出来るのは、見ないふりをして息をひそめて壁伝いにこそこそ逃げるだけ。


(シドゥリオ先輩じゃ物足りなかったって。人の好みはわかんないわよねえ)


 エヴェンヌと一緒にいたのは、教師らしき男だった。ミモの記憶がたしかなら、今年入ってきた講師だったはず。ミモがとっていない講義の担当だったから顔しか知らないし覚えていない。黒髪の迫力ある美人のエヴェンヌと似合いに見えなくもない神経質そうな男だ。

 じりじりと足を動かして距離を取りながら進む。


(あと少し。角を曲がれば……)


 廊下に足音を響かせないよう、慎重に進む。そして、目の前に曲がり角が見えて安心した瞬間。

 その角に足を伸ばしかけたところで、猛然と飛び込んできた人物とぶつかった。


「わっ」

「あ、あっと、すまない。急いでいて。君、エヴィを見なかった?」


 ラルタル・シドゥリオだ。

 黄金に輝く小麦色の髪と明るい緑の瞳がチャームポイントらしい、一学年上の先輩。決まった相手がいたとしても間近で拝めたら最高だと、ミモのクラスメイトも黄色い声を上げていた。

 確かに納得の容姿の良さだが、今はそれどころではない。


(と、当事者揃っちゃった!)


 答えも返さずに、曲がり角のほうへミモは慌てて引っ込んだ。

 ラルタルはその様子を不審そうに見ていたが、すぐにミモがやってきた方向を見て固まった。すなわち、エヴェンヌの密会現場だ。


「エヴィ?」


 驚いた声に、ミモは見えていないその場の光景がすぐに浮かんだ。


「ラリー! わたくし……っ」

「どうして」


(ひええ……ド修羅場。ここから早く行かなきゃ)


 虫のように壁を這ってしまえたらと思うが、現実は足がもつれて早く進まない。

 そして曲がり角の後ろ側からは、エヴェンヌたちの自分勝手な釈明が聞こえてきた。


「だって! だって、あなたって退屈なんだもの! ラリー、あなたには悪いと思っているのよ。でも、心はごまかせなかった」

「エヴェンヌは悪くない。ただ、僕が彼女を諦められなかった」

「違うわ、チャム。わたくしがあなたの傍にいたくて」

「エヴェンヌ」

「ああ、チャム」


(うわあ、シドゥリオ先輩をだしにしていちゃついてる……)


 ミモは思わず、えずく真似をしてしまった。こういうのは好きではない。なにせ、近しい親戚が駆け落ちして、ミモたち家族に迷惑をかけられた経験があるからだ。あの時の苦い気持ちが蘇る。

 しかし、ここでミモが出しゃばって行くのも躊躇われた。


(胸糞悪いけれど……他人だし)


 このことはきっと、近いうちに学園中に噂されることだろう。ラルタルが被害者ぶって話さえすれば、エヴェンヌたちはたちまち追いやられるはずだ。

 多少の罪悪感を抱いたが、それを振り払うようにミモは自分の教室へと足を向けた。


 鐘がなる。

 真昼を告げる鐘だ。

 後方の修羅場もじきに解散するはず。ミモは現場からすこし離れると、大急ぎで走り出した。






 しとしとと雨が降りだした。止む気配がない。

 今日あった出来事と重ねて、ツイてない日だと思わずにはいられない。教室から窓を眺めていれば、思わず溜息がでた。


(学園街まで抜けるのに、濡れるだろなあ)


 ミモはこの学園を中心に広がる街に家を借りて住んでいる。それはミモだけではなく多くの学生がそうだ。

 そもそも学園街は、国の指定学園都市へ各地から集まった者たちのため、商店や貸家が立ち並んだ街なのだ。

 下は貧民から上は貴族まで在籍する学園は、国一と評判も高い。

 もっとも、王侯貴族などはよほどの変人や勉学を志す者以外はいないのが現実だが。社会地位が高い者ほど自分の家の教育で事足りるからだ。

 だからこそ、ここのカーストトップに躍り出るのは裕福な一般市民や商家の出だったり、一握りの貴族家の者たちだった。

 さらに付け加えるなら、その一握りにエヴェンヌやラルタルらが含まれていた。


(シドゥリオ先輩、やっぱり見た目通り良い人なんだな……)


 講義が終わり、放課となってもミモの耳にはなんの噂も入ってこなかった。

 なにせ、耳ざとくておしゃべりな友人からの話にも上らない。入学時から仲良くしているので、彼女の性格をミモは重々承知していた。


(マァヤも知らないなら、誰にも言っていないのかも)


 マァヤお得意の音を集める魔術で噂も集めるのだ。煙たがれるような趣味だが、上手いことやっているらしく、むしろそれで小遣い稼ぎまでしている。ミモは友情価格だとかでたまに安売りの道具情報を融通してもらっていた。


(お、ウワサをすれば)


 ぼんやりと外を眺めていると、出入口となる学園門の通りをエヴェンヌの家の馬車が通って行くのが見えた。実家にお金がある学生はああして通学しているのだ。

 あれに乗っているのはエヴェンヌだけか、はたまたラルタルか浮気相手か。


(どっちにせよ、私には関係ないし。帰ろ)


 雨具を持ってくるのを忘れてしまったため、雨脚が弱まるのを待っていたが、むしろこのままだと強くなるばかりかもしれない。それに教室にはもう誰もいない。

 観念して席から立つと、ミモはのろのろと荷物をまとめてカバンに詰め、教室を後にした。

 諦め悪くねばっていたおかげで、行き交う学生の数は少ない。研究発表が間近の最上級生や課外活動をする学生くらいなものだ。自分も二年後はああして必死になるのかと思うと、またちょっとだけ憂鬱になってしまった。


 学園の正面広間に来ると、しんと静まっている。

 すでにほとんど帰宅してしまったのだろう。ぼんやりと光る魔灯の立派な広間に、人気はない。

 ミモが最後だろうかと思ったが、どうやらそうではなかったようだ。

 入り口近くでぼんやりと外を眺めている男がいた。


「あっ」


 つい、声が出た。

 ラルタルだった。広い背中がまるですすけたように落ち込み、無気力に立ち尽くしているように見える。

 ミモの声にちら、とだけ顔が動いた。


「君は……ああ、あそこにいた」


 ラルタルの体の向きがミモを補足して向き合う。


(ひい。認識されてる)


 端麗な顔にどこか投げやりな表情が浮かんでいる。


「すまない。みっともないところを見せてしまって」

「あ、いえ、通りがかったところで……むしろこちらこそ見てすみませんというか」


 巻き込まれるのだけは避けたいと、咄嗟に謝罪を返して頭を下げる。

 しかし、当たり障りなく謝って有耶無耶にしようとしたミモの努力は叶わなかった。


「君は、話さなかったんだね」

「あー……」


 確かに、エヴェンヌの浮気は学生たちにとって格好の話のタネになるだろう。ミモが言葉を濁すと、ラルタルはゆるく頭を振った。


「午後は生きた心地がしなかった。彼女に裏切られたこともだが、これまで培ったものが崩れるのではと」

「弱みには目ざとい人もいますから、しょうがないですよ」

「だが、そう思った自分が情けなくてね。自分は意外と冷たいのだなと自覚した」


 あまりに淡々と言うので、つい、ミモは慰めるように声をかけた。


「まあ、そう思う人も珍しくないですよ。私だって見なかったことにします。だから気に病まないでください」

「……そうか」

「え、と。シドゥリオ先輩は被害者でもありますし、いっそのこと先輩から言いふらしても大丈夫かと。むしろ、自分本位に生きるいい機会と思うとか。じゃ、私帰るので!」


 余計かと思ったが、ミモは口早に伝えた。ラルタルの様子や雰囲気が、まるでこのままつぶれてしまいそうだとも思えてしまったからだった。


(次の日来たら、冷たい体になってました……なんて後味悪すぎるし。もし、私があのとき言っておけばと後悔するのも嫌だし。後から詮索されるのも、ありそうだし……)


 ラルタルとは違って、ミモは保身第一だ。なにせその他大勢の一般学生と違って、ミモには後がない。

 ミモの実家は、名ばかり貴族だ。親戚の醜聞のせいで貴族の称号取り上げもあり得るくらいだが、まだかろうじて貴族だった。どんなに一市民と変わりない生活をしていてもだ。


(これ以上ちょっとでも家名に傷がついたら、駄目)


 かろうじてある貴族の地位のおかげで、地方から学園へ入る伝手がつかめた。そして、将来の職業もいくつか候補が広げられたのだ。

 名ばかりとはいえ、貴族の地位は決して使えないものではない。

 ここでもし貴族である価値が消えたら、将来の選択は減りに減るだろう。目ざましい成績を修めていたらなんとかなるかもしれないが、ミモはがむしゃらにやってみてもトップに躍り出たためしがない。

 容姿も売りにして成り上がれるほどでもない。ミモとしては自分だって悪くない容姿だとは思うものの、思い上がれるレベルではないと理解している。

 第一に、堅実ではない。

 ミモは堅実に、安定して、生きていきたいのだ。


 なにより。トラブルだとわかっている出来事は、全力で避けるに決まっている。


「先輩! さよなら、また明日元気で!」


 明るく手を振って、ついでにカバンからハンカチを探って押し付ける。家政の講義で作ったハンカチの余りがちょうど置いてあったのだ。


「これ綺麗な使ってないやつなんで。使ったら捨ててくださいね!」


(よし、労わったし、やることはやったわよ!)


 満足感を抱いてミモは急いでカバンを頭に掲げて、雨の中へと走り出した。

 後ろから追いかけてくる気配はない。多分大丈夫だろうと憶測をつけて、飛沫を上げながら大股で先を進んだ。




 次の日からは、いたって普通の毎日が始まった。

 しかし、ひと月ふた月と経つとウワサが立ち始めた。


「ミモ、聞いた? ウーコッカ先輩たち自然消滅らしいわよ」

「ふーん」

「それで、今、シドゥリオ先輩のせいだっていうウワサが出ててさ」


 昼食時に、食堂で訳知り顔をしたマァヤ・モングスマがそわそわと話しかけてきた。

 モングスマ商会の目玉商品だという掛け眼鏡の位置を直して、「浮気らしいわよ」と言う。

 あらかた食べ終わったところでよかったと、心からミモは思った。喉につまった水をむせてちょっと噴き出してしまった。


「げほっ、えっ、ごほ! は!?」

「やだちょっと汚い。ま、でも驚くのも無理ないわよね。あのシドゥリオ先輩がよ? 信じらんないわよねえ」

「あー、うん、うん」


(どういうこと? 逆でしょ、広まるなら)


 驚いたミモに、マァヤは得意げに続けた。


「どっちかというと、みんなウーコッカ先輩のほうが怪しいって思っているんだけどね。でも、私が集めた話では、物的証拠ってやつがあったみたいよ?」

「それ、なに?」

「シドゥリオ先輩がさ、ウーコッカ先輩が上げたものじゃない誰かのハンカチを大事に使ってたみたいでさ」

「ハンカチくらいで?」

「それが、私たちの学年で作ってた家政科課題の刺繍ハンカチなんだって」

「んえ!?」

「ここの生徒が作った物を持ってることだけでも珍しいのに、大事に使ってるみたいなの」

「へええ!?」


(私だー!? 原因、私か!?)


 ミモはもう気が気ではなかった。握りしめた手はだらだらと汗がにじんでいたし、はたから見て動揺も露わだった。これほどまでに態度に現れていたら、すぐにわかっただろう。

 現に、マァヤはおしゃべりな口を止めた。切れ長の目が細くなりミモを見てくる。


「……ミモ? あなたまさか」

「わ、私じゃないわ。私じゃないったらマァヤ」


 大げさに手を振ってみるが、すぐに呆れたようにマァヤは溜息をついた。


「あなたって本当に腹芸が下手ね。名ばかり貴族をやめて、早く本当の市民になりなさいよ」

「そうなれてたらいいんだけど、弟の入学卒業までは頑張らなきゃ。それまでどうにか伝手とか作る必要があるのよ」

「ああ、貴族の在学規定だっけ。あれも変な規則よねえ。在学途中で身分剥奪や返還した場合、当人の退学だけじゃなくって、一族の入学も拒否なんだっけ」

「そうなのよお……昔の馬鹿貴族のせいで変な規則できてるの!!」

「だったら最初から爵位返還して入ってくればよかったのに。あと他の貴族の世話になるとか」

「田舎から都に出てくるのに貴族の地位は便利が良くて……そんな都合のいい知り合いいないし……」


 両手で顔を覆ってミモはうつむいた。しばらくそれを見ていたマァヤだったが、残りの食事を平らげた後に静かに言った。


「ちょっと、場所変えるわよ」

「うん……」


 言うや否や、片付けを早々にすませてマァヤについて行く。

 空き教室を目ざとく見つけたマァヤによって、ミモはこれまでの経緯を洗いざらい話す羽目になった。



「……ふうん。たしかにシドゥリオ先輩って顔はいいけど、そういうところいまいちよね」

「損をする人なのは確かかも」

「そうね、性格はいまいちねえ。私のタイプじゃないわ」


 好き放題言うマァヤは、「でも」と言って腰に手をあてた。


「義理を欠いて、相手を貶めるのはままあるけれど、やっぱり気分悪いわね。相手のチャムってやつの実家、うちの商売敵だし。いいわ。ちょうど暇して手も空いてるから、フォローしといてあげる」

「マァヤ、いいの?」

「いいっていうか、そうね。思わぬ利益が出そうだし、あなた肝心なとこでドジ踏みそうだし。私が友だちでよかったわね」


 呆れた、と言わんばかりのマァヤに、ミモはしおしおと頷いた。見捨てる選択も貶める選択もしないでくれるのだから、本当に頭が上がらない。

 ありがとうと繰り返して言えば、マァヤは胸を張って鷹揚にうなずいた。


「ねえミモ。ついでに教えてあげる。追加の情報よ」

「え、なに?」


 聞き返せば、マァヤはもっともらしく頷いて人差し指を立てた。


「シドゥリオ先輩、どうも最近様子がおかしいらしいのよ。ミモ、メンタルケアしてあげれば?」

「私が? なんで」

「ハンカチからミモだって割れると面倒でしょ。それなら前々からの知り合いですって顔をしてたほうがマシになるわよ。敵視は多少されるでしょうけど」

「えー……そうかな」

「事情知ってる相手と話して楽になるかもしれないし、恩を売っておきなさいよ。それに、もしうちの学園から自殺者が出て、将来にちょっとでも傷がついたら嫌じゃん」


(さすがマァヤ。損得勘定で動く)


 だがそういうところが分かりやすくて、ミモは嫌いでなかった。

 もちろんそれだけでなく、さっぱりとした性格も好きだ。あれこれ言われるのが嫌だという人もいるだろうが、ミモにとっては気楽なのだった。


「まったくそうは思わないけれど……マァヤがそう言うなら、様子を見に行ってみようかな」

「次、薬学講義でしょ。隣のルームで先輩たちのところもやってるはずだし、帰りに行ってきたら」

「うーん……マァヤは?」

「私は経営講義。じゃあね」


 片手をひらりと振って、ミモの肩を押すと、マァヤは空き教室から出て行った。


(……おかしいってどのくらいだろ)


 そこまでひどくはあるまい。

 そうは思うものの、あのときのラルタルの姿を思い浮かべたら、楽観しすぎるのも躊躇われた。


 そして、ミモの懸念どおり久しぶりに見たラルタルは一目で分かる憔悴ぶりだった。

 危なっかしく薬剤瓶を持って、時折思いつめたように眺めている。


(あれ、溶解薬剤なんだけど……!? 骨まで溶けるやつじゃないの!?)


 周りのクラスメートも完全に何かやらかす人を見ている目であった。声掛けをしているものの、ラルタルが無気力に返事をして追い返していた。

 ラルタルを狙う女子でさえも、遠巻きにしているようだ。それでもと声をかけているが一言二言話すと、離れていく。

 そしてとうとう、ぽつんとラルタルのみが残る状況が出来上がっていた。

 ミモの予想以上だった。

 あまりの様子に、片付けをするところまで見たものの、声掛けを躊躇ってしまったくらいだ。


(ほ、放課のときにしようかな)


 しかしそう思うのも束の間。ラルタルが薬剤瓶を傾けているのを目にしてしまった。


「命大事に!」


 咄嗟に飛び出せば、動きを止めたラルタルと見合ってしまった。

 しん、としばらくの間をおいてラルタルは瓶を机に置いた。


「……ああ、いや、そんなつもりはないんだ」

「えっ、あ、そうだったんですか……すみません急に、勘違いしてしまって」


 絶対そんな風には見えなかった。薬しか見えていないようにミモには見えた。


「構わない。君、前に会ったね。あの時も、心配をありがとう」

「え、ああ、いえ……すみません」

「いや、いいんだ」


 ふらりと薬剤を片付けると、ラルタルは足取り重く教室を出て行った。


(本当にやばくなってるとは。マァヤの言った通りだ)


 大丈夫だろうか。ミモは視線で背を追いかけて、放課のときも様子を見ようとひそかに決意した。



 案の定と言えばいいのか、放課も刃物や鈍器を思わせぶりに見つめている姿にひやひやした。

 翌日には呪術を読みふける姿を。

 さらに翌日には、拷問や暗殺の歴史なども。高所をむやみに歩いてみたりふらっと遠くへと視線を投げて、儚んでいるようにしかミモには見えなかった。

 時折思い出したかのようにメモを残すのも遺書なのかとしか思えない。


 そのころになると早くも噂がおさまり始めた。そして代わりとばかりに、エヴェンヌたちの噂が出回りだした。

 マァヤ曰く、二人の密会現場を目撃した他の学生たちがいたという。人目をはばかっていたとはいえ、学園内でああしていれば、いつかばれるものだろう。ミモはひそかにざまあみろと思ってしまった。


 しかし、それでもラルタルのぼんやり加減は変わらず、食事もおぼつかない日もあった。

 さらにはあの端麗な顔立ちも隈が目立ち、翳った表情も多い。

 マァヤにもラルタルの様子を話していたのだが、「そんなにやばそうなら、続けて見守ってあげれば?」と送り出されることが増えてしまった。


 結果。

 ミモは気づけば面倒と思いながらも、引き留めて声をかけて世話をするようになってしまった。


「シドゥリオ先輩、ちゃんと寝てます?」

「ああ、ボタナーさん。うん、これが終わったら……ちゃんと寝るさ」


 そう言って、またぼうっとした表情で本を読みふけったり危なっかしい道具や薬品を調べるのだ。


「もうあの二人は駄目みたいですし、先輩もそろそろ前を見て明るく生きたっていいですよ」

「……そうだね」

「先輩って、美人なウーコッカ先輩にも負けず劣らずの美形ですから引く手あまたですよ。羨ましいくらい」

「そうかな」

「性格も真面目ですし、義理堅いし優しいでしょう。まあ、損得勘定は下手そうですけど、私はいいと思いますよ」


 こうしてこの世からさよならしないように引き留めるくらいには、ミモはラルタルに情がわいてしまっていた。

 兄弟のお世話をやいたことを思い出したのだ。ミモには後々学園に入ってくる予定の弟がいる。ちょうどミモが順調に卒業すれば貸家を明け渡す約束をしていた。


(あ、卒業と言えば……ウーコッカ先輩もか)


 ミモの二つ上の学年であったエヴェンヌは、今年卒業だ。今はすっかり大人しいらしい。おそらく家からひどく怒られたのだろう。

 一方で、ラルタルはずっとこの調子だ。

 夏の祝祭に合わせて行われる卒業式典までには復活するか疑問だ。卒業生たちが華々しく旅立つためにも、健康に生きていてもらわなければ。

 できれば、再来年にラルタルも平穏無事に卒業できるとなおよい。


(ここまできたら、見捨てられないし)


 うんうんと考えていれば、視線が刺さった。自習室の机越しにじいとラルタルは見ている。やつれ気味だというのに、視線はまっすぐだ。眼差しにたじろいでしまう。


「な、なにか?」

「……いや、うん。本当に大丈夫。趣味なんだ、これ」

「はあ、それならいいんですけど」

「ああ、楽しんでいるんだよ。これでも」

「はあ……」


 言い聞かせるように言って、ラルタルは視線を外してもごもごと口を動かせた。

 けれども確かにその姿は、嫌々という様子とは違って見える。

 そのことにわずかながらも安心しながらも、ミモは「それならいいです」と笑い返すのだった。




***




 確かに、ラルタルの趣味というのは間違いではないかもしれない。

 かれこれ数か月経ち、そして一年と経った。

 交流を続けていると、なんとなくミモにも理解できてきた。

 一見、世を儚んであれこれ試そうとしているように見えるが、ラルタルはそういう知識を収集することが好きなようだ。


(これは、見た目のせいよねえ)


 今も、うっそりと微笑んだラルタルをよく知らなければ、ミモもそう思っていたままだっただろう。犯罪心理学の本や薬事辞典を抱えているのを見ると、本当にエンジョイしているんだなと今ならわかる。

 ラルタル曰く、「僕は、家で決められた婚約者の希望に沿っていただけ。そも、互いに努力しようという話だった」という。

 もっと簡単に言うならば、「両家の円満な関係を保つために演技をしていた」そうだ。それは大変だったのではというミモの疑問には、ラルタルは生まれつきそういうものだったからと大して気に留めていなかった。

 同じ貴族であるはずなのに、名家との差は大きいなと思わずにはいられない。


 ともかく、エヴェンヌの家と関係が悪くなったため、元の婚約話も流れた。そして、ラルタルは本来の趣味に走るようになったのだ。


「最終学年の研究は、人類が生み出した毒についてに絞ろうと思ってね」

「シドゥリオ先輩、だからってマァヤの商会にやばいのは頼まないでくださいね。あんまりなもの頼むと、面倒だって煩いんです」

「モングスマ商会に? 例えば?」

「えーと、これとか」


 付き合いも長くなれば、もはや研究助手のような資料手伝いもミモはするようになった。

 将来的にシドゥリオ家傘下の商売や利権のおこぼれもと思わないでもなかったが、単純に興味や情が続いた結果だ。

 ラルタルもミモの手助けは邪魔に思わなかったようだ。現在では、こうして他愛ない会話を楽しみながら笑っている図が出来上がっていた。図書館や実験室、いろんなところで談笑も気づけば数えきれないくらいしている。

 いつもの調子でミモが指摘をすれば、なるほど、とラルタルは呟いた。


「そうか。それも取り扱っているのか……ではこれも?」

「あー……見たことあります。そっちは商会じゃなくて、私の地元にある店で」

「君の伝手は頼もしいな」

「木っ端貴族ですので、人脈は大事なんです」


 ミモの事情も、月日が経てばあらかた理解したのだろう。ラルタルは、納得した風に本を閉じた。


「人脈か……ボタナーさん、そういえば卒業後は何を目指すんだい」

「まだ先ですけれど、都で募集している名家の侍女とか家庭教師くらいを目指します」

「えっ」

「出仕もしたいんですが、身分が一定以上でありつづける必要があるというか……我が家は弟が卒業したら晴れて市民ですので」

「そうなのか」


 意外そうにラルタルがミモをまじまじと見た。


「てっきり、嫁ぐつもりなのかと。すまない、馬鹿にしているわけではないのだが」

「家政科とってる貴族女子はまあ、そういう希望が多いですもんね。シドゥリオ先輩にもたくさん来ましたか」

「ああ」


 そう言って、今度はラルタルは呻いた。眉間をもんで、深く息を吐く。思い返させてしまったらしい。


「……一度、好き勝手を満喫してしまうと、なかなかやめられないものだな」


 それからぽつりとつぶやいた。


「あはは、わかります。でも、やらなきゃ生きてけないですしねえ」

「ずいぶんわがままになってしまった気がする」

「そうです? もっとわがままでもいいんじゃないですか?」


 ミモから見れば、わがまますぎるというふうには見えない。あのとき見た浮気をしていた二人のほうがよほどわがままなふるまいだった。

 ミモの疑問に、ラルタルは本の表紙を撫でてゆっくりうなずいた。


「もっと……そうか」


 ためらいがちに途中まで口にして、ラルタルはミモを見た。

 向かい側から改まった様子で見られると、なんだかこそばゆい。空気にのまれそうで、ミモは無意味に何度か瞬きをしてしまった。


「……これは、提案なのだが」


 ラルタルが真面目な顔で手を差し出した。

 そして、そのまま机の上にあるミモの手を取って強引に握手をする。


「打算ありきだが、情はある。君は僕にとって信が置ける人だ」

「それは、どうも」

「何より、後ろ盾もつけようがない地位だ。だが、伝手は使える」

「はあ」

「ああ、ちがうんだ。いや、事実そうだが、言いたいのはそうでなくて」

「そうではなくて?」


 それから周囲を見た後で、誰もいないことを確認したラルタルは息を吸ってため込んだ。

 握られた手が汗ばんでいる。


「僕のところに来ないか」

「はい……? かまいませんが」


 すわ就職先かとうなずけば、ラルタルは緩く頭を横に振り続けた。


「君をもっと知りたい。近くにいてほしい」


 これにはミモも言葉が出なかった。

 ただの冗談にも、ましてや勧誘とも思えない。


「ミモ・ボタナーさん。強制はしないが、選択に入れておいてほしい」

「……え、と。正気です?」


 大きくうなずかれた。

 近頃の研究一辺倒な鬱加減と比べて、至極まじめに見える。かつてのようなきらきらしい表情でないのは、ラルタルの素からの感情なのだろうかとミモには思えた。


「君の傍は心地よく、気が楽だ。もちろん、それだけで言っているわけではないと知ってほしい。だが、みだりに口説く行為を君は好まないと知っている。もちろん無理に手出しもしない」


 理解が追いつかないミモに、畳みかけるようにラルタルは言葉を重ねる。


「あのとき気にかけてもらえて、嬉しかったんだ……僕は彼女のことを責められなくなってしまった」

「ええと」

「薄情で移り気と思うかな」

「いや、先輩の場合は演技だったというなら、私は別にそこまで。義理は果たした的な感じで」

「……うん、そういうところが僕はいいなと思う。だからね」


 ゆっくりと丁寧に手を放してから、ラルタルは立ち上がるとミモに向かってほほ笑んだ。


「君が望む未来に、僕を入れてくれたら嬉しい」


 そう言って言葉を締めたラルタルは、本を抱えて背を向けた。


「今日の手伝いは大丈夫だ。また、ボタナーさんがいいのなら会いに来てくれ。君なら歓迎だ」


 歩き去るラルタルの背中を見送って、ミモはようやく硬直から戻った。


「う、うっそだ……」


 だが、ばくばくとうるさくなる心臓や熱くなる顔、感触の残る手のひらが、先ほどまでのことをまざまざと思い知らさせてくれた。




 そしてさらにそれが現実だとミモへ突き付けたのは、翌日以降のラルタルの態度と行動からだった。

 ラルタルは宣言通り、所かまわずミモに対して口説いたりモーションをかけたりしなかった。

 誰かが気付くか気づかないかくらいの些細な仕草で、ミモを尊重した。それは数日経とうと数か月経とうと尽きることなく続いている。

 演技では? だまされているのでは? そうも考えた。

 だが、日常のさりげない仕草……たとえば、ミモを驚くほど優しく穏やかな眼差しで眺めているのと目が合うとき。たとえば、ふと触れた指先から色づいた首や耳元の赤さとほころぶ口元。

 それが嘘だというのなら、ミモは人間不信になるしかない。だって、これだけの例は一部でまだまだほかにも上げれるのだ。


(あー、やっぱりシドゥリオ先輩は真面目でマメな人だわ)


 そうミモが思うのも致し方ない。

 告白以来からずっと続いているのだ。あれこれと言葉で言われるよりも、ミモにとってずっと胸の内に届く。


 二人の関係は穏やかに続いた。

 目立った出来事と言えば、ラルタルの研究が終えたときに、ミモを抱えてくるくる回したくらいだろうか。

 ラルタルがかつて言ったような、飾らなくて自由で気が楽な関係は、ミモにとって得難いものと化していた。

 卒業するラルタルの姿に笑顔で送り出しながら陰で泣いたのも、しょうがないだろう。そうミモは思えるくらい。


「あのときした提案を、覚えておいてほしい」


 そう言って握手をしたラルタルに、ミモは友人たちに冷やかされながらうなずいた。





***





 ラルタルの卒業後からしばらくして。

 実家にシドゥリオ家から婚約をとミモの家に持ちかけられた。

 かつてミモに持ちかけられた言葉が、改めての申し出となって届いたのだ。

 事前に言われていても、自分たちの身分よりも上にあたる貴家の登場に、ミモの家族は唖然としてラルタルを迎え入れてしまった。

 はにかむラルタルの姿は、かつての端麗な面立ちに完全回復したものだった。


「選択は決めてくれただろうか」

「先輩にしては、かなり強引で急です。それに答えを直接聞きに来るなんて」

「そうだな。正直に言おう。もっとわがままになろうと思って。あと早く君に会いに来たくなった」

「それは……どうも」

「少なくとも嫌われていないと知っていたから、欲張ってみたのだが……駄目だったかい」


 申し訳なさそうだが、決まりきった事柄を確認するようだ。けれども、ミモは悪い気がしなかった。

 告白を受けてから、ラルタルの人となりをまた一年かけて知ったから。

 好かれて嫌いになることもなく、ミモは成り行きに任せるがまま、ラルタルの気持ちを受け取ってしまっている。そうでないと卒業式での涙の見送りなんて、ミモはしない。


「シドゥリオ先輩は良い人だと思ってましたけれど、そういう強引な手段をみると、やっぱり上の貴族様だなあと思います」

「やらなきゃ生きていけない気がしてね」

「大袈裟では」

「そうでもないよ」


 にこやかに言い切ったラルタルは、跪いてミモへと愛を乞うた。



 そして、とんとん拍子に進んだ婚儀で招いた一番の友人は「今までで一番いい儲けだったかもね」と言った。

 あのとき。それこそラルタルが言った、ミモがラルタルをなぐさめて以来。

 実はミモに興味を抱いたラルタルの手がひっそりと回っていたと知ったのは、披露目も終わった後のことであった。




2022年の書き収めです。

ふわっふわかつ後半わりとかっとばした内容となりましたが、ひとまず終わりまで書けたのでよしです。




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[一言] 本当に「終わり良ければすべて良し」 ラルタル先輩は、目先の盛り上がりよりも、長い時間をかけお互いを知り合って根回しをして反論を潰し、といった真に貴族らしい行動をされる方なんだなぁと思いまし…
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