第4話 男なら当然
(ヤク・・・ザ・・・)
この言葉が真っ先に出てきた。黒いスーツを身に纏った高身長でガタイのいい男集団。数人はサングラスをつけているが、顔の傷は隠れていない。そうでなくてもこの集団全員が厳つい。
「どうして・・・」
さっきまでとは違うレオさんの震える声。
「あー? んなもんどうでもいいだろ」
明らかにやばい雰囲気。どうにかしたいと思っていても、体は震えるだけで全く動かない。
「それよりこっちは逃げられっぱなしでうんざりなんだ。痛い思いしたくなきゃ大人しくしてろ」
そういってリーダー格の男がゆっくりと近づいてくる。こういうときに限って回りには誰もいない。というか、どうやらこの出口は人通りの少ない道に繋がっていたらしい。道の先に人の姿も見えるが、その全員がすぐにどこかへ行ってしまう。見て見ぬ振りだ。
(どうしよう・・・怖い・・・やばい・・・死ぬ・・・)
恐怖が襲う。世界がスローモーションになる。それでもやはり動けない。出来るのはこの後起きるであろう展開が見えるのみ。
きっと、漫画やアニメの主人公ならかっこよく切り抜ける場面。それでも。
(俺は・・・主人公じゃ・・・ない・・・)
当たり前のこと。俺には何も出来ない。ただこの状況に流されるしかない。
(いや・・・いやいやいいじゃん別に・・・それで・・・俺の・・・俺のことじゃないし・・・)
俺は何もしていない。俺には関係ない。俺はただ道を教えてもらっただけ。だからこの人達にもちゃんと説明すれば安全なはず。逃げたり抵抗せずに正面から言えば大丈夫だ。
(俺は・・・大丈夫・・・大丈夫だ・・・)
現実の住人は、現実を変えることが出来ない。
(そ、そうだよ。俺には何も出来ない・・・せ、せめてチート能力でも貰ってれば何か出来たんだ・・・けど、ここは現実だ・・・だからしょうがないんだ・・・レオさんには悪いけど・・・俺は・・・やっぱり自分が大事だし・・・もう何もせずに・・・ただこうやって・・・こう・・・やって・・・)
呼吸が乱れる。いくら心を落ち着かせようとしても跳ねる一方。自分で自分が制御できない。
「いやっ・・・」
そう、微かに聞こえた。
横を向き、見えたのは不安に押しつぶされ台無しになった顔。先程までは希望に満ちあふれていたそれが、今では絶望に瀕したように変わっていた。
(ダ、ダメだ・・・)
心臓が痛くなる。苦しい。
守らないと――
そんな言葉が脳裏を過ぎる。
ここで彼女を助け出せたらどれほどかっこいいだろうか――
どれほど感謝されるだろうか――
どれほど、好意を抱かれるだろうか――
出来ないくせに。ただ単にかっこいいから、それっぽいからとかいう理由で。いかにも自分勝手なことを考えている。
世界は俺にお構いなく元のスピードを取り戻す。
「なんだ。今になって怖がってんのか? ははっ。鬱陶しい。お友達も一緒に連れてってやるから安心しろ」
「ひっ!」
ギロリとこちらに視線が向く。
間違えても何もするなよ?――
言われなくてもわかってしまう。心臓が一瞬止まった錯覚。
男は視線を戻し、レオさんにあと一歩の距離で止まる。
「ちっ今まで散々逃げ回りやがって。・・・わかってんだろうな? ああ?」
「こ、来ないで・・・」
レオさんが一歩後ずさる。
「ははっ。いよいよビビって何も出来なくなったか。ガキはわかりやすいな。はっはっはっ」
ドクッ・・・ドクッ・・・
「その髪・・・売ったらどれほどの値段が付くと思う?」
「ぇ・・・」
「お前のその瞳も。興味ある奴に売りゃあ相当な額が付くんだぜ?」
「ぃゃ・・・」
それから男は楽しそうに、綺麗な水色のそれに手を伸ばす。
「へへっ。・・・ま、すぐに汚くなっちまって売れねぇかもしれねぇがなぁ。ははっ。そんときは残った部分で払ってもら――」
と、ゴミより汚らしい手が俺の現実を変えたその美しいそれに触れようとしたとき、俺の足の爪先もまた、男のドブより汚らしい生殖器に炸裂していた。
「触れんなっ!!!」
「ぐおっ!!!」
息を吸うと共に出た叫び声は風ですぐに消える。そして男は二歩三歩後ろにふらつき、その場に蹲る。
「「「た、隊長ー!」」」
一瞬の時を経て、周りのヤクザ達がまさかの事態に駆け寄る。
「逃げんぞっ!」
咄嗟にレオさんに手を伸ばす。
「ええ!? ああ、うん!!」
驚きながらも出された美しい手を取り、公園内へダッシュする。
そしてそのまま数十秒後、アドレナリンが切れた時点で振り返ると、すでに後ろから男達の心配する声が聞こえなくなっていた。
「はぁ・・・はぁ・・・レオさん! この公園もう一つ出口あるよね!?」
「え!? あ、あるよ!」
「そっから出よう!」
「う、うん!」
そしてレオさんの指示のもと、できるだけ最短距離でもう一つの出口へ向かう。
――――――――
「はぁ・・・はぁ・・・やっと・・・やっと着いた・・・はぁ・・・はぁ・・・」
出口。先程より少し大きめだが、相変わらず人通りが少ない。どうしてここを選んだのかは聞かないでおく。きっと何かあるから。
周りを見渡しても、ヤクザ達らしき影はいない。後ろから追っても来ていないし、未だにリーダーの介抱をしているのかもしれない。文字通りの脳筋で助かった。
「はぁ・・・はぁ・・・」
それにしても、走るなんて運動いつぶりか。全く息が整わない。心臓が痛い。横っ腹が痛い。足が痛い。くらくらする。頭も痛い。ずっと痛い。
「リン大丈夫?」
優しく背中を摩られる。HPが少し回復した。
「はぁ・・・はぁ・・・レオさんは・・・割と・・・平気そうだね・・・」
「まぁ・・・うん。今までも何回か逃げてきたから」
「そ、そっか・・・」
(すげぇな・・・って、あれ・・・もしかして俺・・・邪魔なだけだった・・・? ・・・いや、そんなはずは・・・もしかしてあれ全部演技の可能性も・・・?)
深くは考えないでおく。今はそれよりも次のことだ。
「っと、それよりももっと安全な場所に移動しない?」
「そうしたいけど・・・リンは大丈夫そう?」
「うん。バッチリ!」
息を止める。
すぐに出る。
「はぁ・・・はぁ・・・」
コマが変わっても、そう簡単に息は整わない。
「ははは・・・無理しないでね?」
「ホントに大丈夫だから。今はそれよりもそっちの心配。・・・ふぅ・・・ふぅ」
「ふふっ・・・そっか。じゃあ着いてきて」
そして俺は言われるままに着いていく。段々と息を整えつつも、ちらりとレオさんの横顔を見てみる。しかし先程からずっと、表情は暗いままだ。
(あのクソヤクザ共・・・俺のヒロインから笑顔奪いやがって・・・)
俺が人の悪口を言えるときは、その当人がいない限定だ。
そんな感じで少し歩き、レオさんの足が止まる。
「ここ?」
そこはよくあるバス停のような道路が歩道側へ凹んだような場所。時刻表のような置物もある。そしてレオさんはそのお着物に付いているボタンのようなものを押す。
「あ、もしかしてリンは乗ったことない?」
(ん~バス停っぽいけどそんなボタン着いてないし・・・しかもよく見たら時刻も何も書いてないし・・・)
「え・・・まぁ、うん。乗ったことないかなー・・・」
「そっか。じゃあ今までも大変だったでしょ?」
「た、大変ダッタヨ・・・」
頭を掻きながら何とか誤魔化す。俺の返答にレオさんはクスッと笑うが、まだあの笑顔にはなっていない。
「あ、来た来た。じゃあ中で説明してあげるね」
その言葉で聞き、レオさんの視線の先を見る。そこにはこちらに向かって走ってくる一台の車。それはすぐに目の前の凹みに入り、止まる。
(タクシー・・・?)
「リンも入って。ここなら警察が動かない限り安全だから」
俺は言われるがままに後部座席へ。
(ほえ? 何コレ・・・?)
「え~っと。目的地は・・・とりあえず遠くでいっか」
レオさんは地球では本来運転席の場所に座り、ナビのようなものを操作する。すると車は勝手に動き出す。
(は? 何コレ・・・?)
目が点。その上に「S」の上半身を反転させてクエスチョンマークが完成。
「よいしょっと」
運転席が回転し、レオさんと向かい合う。
(え? 何コレ・・・?)
レオさんは両手を横に置き、足をぷらぷらさせている。何とも可愛らしい。
その間、車は信号で止まったり曲がったりして普通に走っている。
(うん。聞こう)
考えてもわからないとわかった。
「あの・・・運転は?」
「自動だよ。すごいでしょ」
「す、すげぇ・・・」
(自動運転? 何それ未来じゃん。地球でも聞いたことあるけどこんなにすごかったのか??)
「ほら、ここでいう自動車って自動運転車の略だから」
「な、なるほ~」
(じゃあ何だ? 地球のは全部半自動運転車だったのか? 略して半車ってか? なんだよこの世界!)
「す、すごいな・・・こういうサービスもあるのか・・・」
こんなものがあるならバスなど需要があったもんじゃないだろう。タクシーの完全なる上位互換だ。
「サービス?」
「え、ほら。こんなんじゃタクシーいらずだな~って・・・」
(あれ・・・これもしかして・・・)
「タクシー? ルオンにはそういうものがあるの・・・?」
この世界にタクシーは存在しないらしい。そこで一つ、少し怖い想像が思いつく。
「えっと・・・まさかこの車ってそれほど珍しくない感じ??」
「うん。そうだね。ロメントでは車はこれと同じ型のやつしか走ってないよ」
「wow・・・it`s so good」
「え?」
「いや、何でもない・・・ほ、本当にこれ以外の車は走ってないの?」
「そだよ~。ここでは自分の車を持つのは法律で禁止されてるし。みんなさっきみたいな停留所で乗り降りしてるよ~。まぁ一回で5時間しか乗れないけどね」
(マジか! どんだけ未来なんだよ! 本当に異世界かよ!)
現実は中世ヨーロッパとは真逆をいく。
車が大通りに出たので、初めから閉じられていたカーテンを少し開ける。そこから顔を覗かせ周りの様子を伺う。
(ホントにおんなじ車しか走ってねぇ・・・)
それでも見ていて飽きないのは、型は一緒でも色が個々で違うからだろうか。それを含めて街の様子を見るのも中々に楽しい。というか街並みがほぼ東京の都心で、嬉しくもある。
(って、いやいや。ここ異世界なんだから都会とかダメだろ。普通に考えて。何興奮してんだ俺・・・)
俺はため息をつきつつカーテンを戻す。そしてチラリとレオさんの方を見る。しかし彼女の美しい瞳は、暗いカーテンに吸い込まれていた。
そしてそのまま時間は進む。その間俺は気の利いたジョークすら、声をかけることすら出来ない自分を哀れんでいた。
何もない無音の時間がただ過ぎる。俺は窓の縁に肘を置き、頬杖をついている。視線はレオさん同様カーテンの闇へ。
この車、どうやら音もほとんど漏らさないようで、それが主にこの重い空間を作り出す原因となっていた。
(今更だけど、シートベルトないな・・・まぁいっか)
俺は車内を少し見渡した後、視線をカーテンに戻す。今日はいい妄想も浮かばない。
「リンは・・・」
と、唐突にレオさんが口にする。
「?」
「リンは・・・優しいね」
(え、マジですか。・・・あ、この雰囲気ってもしかして桃色?)
俺は平然と鈍感を装う。
「え? いきなり何ですか・・・?」
「だって助けてくれたじゃん。二回も」
「・・・・・・」
「それにあんなことがあっても何も聞いてこないし」
(おっ、この展開知ってるぞ! もちろんこの立ち回りも! 「俺はただ、人に言いたくないことを聞きたくないだけです。それに、助けることに理由はいりませんよ(イケボ)」的なことを言えば良いだよな! 来るぞ来るぞ! 落としてみせるぞ! 恋っ!)
「まぁそれは・・・あれですよ。俺はただ――」
「あ、もしかして僕にそんなに興味ないから?」
「・・・え?」
「はは・・・」
数秒の沈黙。
「・・・って、そんなわけないでしょ!!! なーにを言うとりますか!!!」
「え? いきなり何?」
「あんたみたいな二次元美少女誰が興味持たないって言うんですか!!! 次元越えちゃってるんですよ!? 自覚ないでしょ!」
「ええ、ああ・・・ええ?」
「そんなに自分を卑下して! ヒロインすぎるでしょ!!!」
「あ、あの~・・・」
「可愛い子が可愛いことしたらそれはもう可愛Eを通り越して尊Eなんですよ!」
「へ、へ~・・・」
「言いますよ!? 言ってやりますよ!!!」
「ど、どうぞ・・・」
「あんたに興味を持たないのはねぇ!」
口は心ほどにモノを言う。
「ゴキブリくらいですよ!!!」
「ゴ、ゴキブリ!?」
レオさんは「ゴキブリ」というワードを小声で反芻している。対して俺は、言ってやったという謎の達成感に浸る。そして満足しつつもため息をつく。
「はぁ・・・もうまったく。これだから・・・」
と、そこで冷静になる。
「って・・・」
名付けて、「聖者タイム」。
(やらかしたーーー!!!)
聖者(に無礼な振る舞いをしたので謝罪する)タイム。
「もーし訳ありませんでしたー!!!」
唐突な逆ギレからの謝罪まで、流れる仕草はまるで川の潺のよう。
「ひっ!」
後部座席で土下座をかました男として、最年少の世界記録を更新。
「リ、リンはいつもいきなりだね・・・」
今日何度目か、また引かれた。
(呆れられた・・・そうだ・・・俺はキモい・・・キモオタ乙・・・死にたい・・・よりによってレオさんの前で・・・なんの逆ギレだよ・・・俺おかしいって・・・死にたい・・・過去に戻りたい・・・忘れたい・・・顔見れない・・・恥ずかしい・・・絶対嫌われた・・・絶対キモいって思われた・・・確実に変な人だって思われた・・・笑われる・・・馬鹿にされる・・・はやく消えてなくなりたい・・・塵になって風に飛ばされたい・・・)
「ご、ごめんね変なこと言って・・・ほら、顔上げて?」
「いや俺は・・・俺は・・・」
そんな言葉も届いていないかのように、暖かく柔らかい手が両頬に触れる。効果音でいうと、「ポワン」。それはそのまま重力を忘れさせたかのように頭を持ち上げる。
正面に見えるのは、少し微笑みを含んだ何とも可愛らしい顔。その中でも一際美しい瞳は、カーテンの隙間から差し込む光によってさらに輝いていた。
そしてそれは段々と近づいてくる。頭は彼女の両手から動こうとしない。優しい香りが俺全体を包み込む。
ピタッ
俺のおでこと、レオさんのおでこがくっつく。そして一言。
「ありがとう・・・ヒーロー・・・」
俺は何故だか、目頭と股間が熱くなった。