復讐編17話 仮面の騎士
「イブリン・プロヴェニア様、書状をお届けにあがりました」
「うむ、ご苦労だったな」
正午過ぎ頃。
ニクスオット家の使用人である人造人間の女は、ペコリと頭を下げて屋敷を後にした。
頭の角度から振り返り方、歩き方に至るまで、無駄な動きが一切無い。
人間の所作をなぞっているのにどこか無機質な感じ、これはフェニコールの屋敷でもさんざん味わった人造人間の特徴の一つである。
「ん」
私は彼女から手紙を受け取ると、ソファに腰掛けながら封を切り、中身を読んだ。
ニクスオット本家からの招待状。
なんの招待状かといえば、カンナ・ノイドが企てた“ニクスオット家の戦勝記念パーティー”のである。
元々魔闘大会の優勝が決まった段階で何かしらの祝勝会を催す予定だったそうだが、スルガとシアノが一時行方不明になった事で本家もパーティーの準備どころではなくなり、計画は中断。
夜になってスルガが帰着し、カンナ・ノイドと戦闘になって撃破した事、シアノが怪我を負い、ビアンカ・カリームに保護されて治療中である事を伝えたそうだ。
結果、ビアンカの犯した致命的なミスは許され、祝勝会も予定通り行われることになった。
ただし会場と内容はスルガとシアノの強い希望によって、飛空艇での仮面舞踏会へと変更された。
飛空艇ならば王都へ移動しながら会食ができると言うのがスルガたちの言い分。
そして仮面舞踏会なのは火傷の跡が目立つビアンカを慮った、と言うことのようだ。
無論、これらの理由付けはスルガが適当にでっち上げたもの。
彼はカンナ・ノイドに脅されて、これらの変更を父親に認めさせなければならなかったのだ。
恐ろしいほど、カンナ・ノイドの思うがままに事は進んでいる。
まるで運命という名の見えない糸に引っ張られているかのように、ニクスオットは破滅へ破滅へと転がり落ちていく。
ニクスオットの縁者たちは魔闘大会応援のために軒並み古都プレシオスに集結しており、そのほとんどがパーティーに招待されたはずだ。
敵対勢力が集結すると言う環境下でカンナ・ノイドが何をしでかすのか、乞うご期待というところだろう。
私は水色のワンピースタイプのマタニティドレスに着替え、化粧もバッチリと決めた。
ここまでおめかしをするのは私にとって珍しいことだ。今までは必要ではなかったからだ。
「うむ、これでよし」
着替えが終わり、姿見で自分の姿を確認する。
明るい黄金の髪は光の加減でどうしても白っぽく見えてしまうが、まず問題ないだろう。
化粧によって普段よりもいっそう凛々しくなった顔立ち。
あえて目鼻をくっきりとさせて、全体的にシャープな印象になるようにしてある。
もっとも、今宵は仮面舞踏会。口元以外は仮面で隠れてしまうのだけどな。
マタニティドレスは体型を隠してくれるものの、少しお腹が目立ち過ぎかもしれない。
臨月間近ということで、理解してくれることを期待しよう。
「やっぱり、袖は少し余るな」
今更衣装を替えることは出来ないので、これもまた目を瞑るしかない。
ああそうだ、剣を帯びないと。
そして少し辺りを見回したところではたと気づく。
──剣は必要ないか。
かつてジャン・フェニコールに仕える騎士であったイブリン・プロヴェニアは、もういないのだから。
騎士の役目を、裏切りという形で自ら降りたのだから。
「気を引き締めろ、今の私は、私じゃない。帝国派の新入りとしての役を演じ切らないと」
私は自らの両頬をぺしゃりとはたき、気合を入れると部屋の扉に手をかけた。
ドアが開く。
同時に差し込むは眩いばかりの午後の日差し。
サングラスをかけて、部屋を出た。
仮面をつけるのは、後でも問題ないだろう。
***
部屋を出てから流しの辻馬車に乗り約十分、飛空艇の乗り場に到着した。
色とりどりの楕円体が離着陸場に所狭しと並んでいる。
魔闘大会に参加する者や観戦者たちが全国から集まっていることの証拠だ。
その中でも一際大きく、かつ最も慌しく整備員が動き回っている船。
あれが今回のパーティ会場である。
慌ただしさの原因は、今朝方に急にチャーターが入ったからだ。
きっと整備が追いついていないのだ。
また、食材搬入のために料理人らしき人が出たり入ったり。こちらも大変そうだ。
参加者と思われる者たちもまた、大きな荷物を使用人に運ばせている。
パーティであるのとと同時に、彼らにとっては帰りの便でもあるわけだからな。
私は持ち物も少ないため、かなり身軽な状態だ。
仮面の入っている大きめの手提げが一つ。それだけだ。
「失礼、招待状を拝見いたします」
「ん? ああ」
船に乗り込もうとした私を、受付の男性が止める。
他の者はたとえ仮面をしていても受付をパスしているのに、私だけチェックが入った。
ニクスオットの縁者は青色系の毛髪の多く、髪の色だけで親族の証となる。
その中において金髪の私は特に目についたのだろう。
「お名前をお伺いしても?」
「イブリン・プロヴェニアだ」
私がそう答えると、間も無くして招待状が返却された。
「確認いたしました。ようこそ、イブリン・プロヴェニア様。控室は二階です」
「承知した。ありがとう」
問題なく船内に入ることができた。
用意された部屋には向かわず、船内を歩き回って探索をしよう。
控室など、手荷物程度しかない私には必要がないからである。
飛行船など初めて乗ったが、その大きさには目を見張る。
海の船がそのまま空を飛ぶようなものなんだな。
予想通りといえばその通りなのだが、実際目にしてみると“こんなものがそのまま空へ浮くのか”と感心してしまう。
飛空艇の一階部分のほとんどは巨大なホールになっていて、二階部分まで吹き抜け式になっている。
その二階部分はホールを見渡せる手すり付きの通路と、さらにその外側に配置された客室で構成される。
船の前方には一階へ降りるためのカーペット敷の大階段、後方と側方は小さな螺旋階段でホールと繋がっている。
手すりにしろ、客室の扉にしろ、螺旋階段の構造体にしろ、良い木目の高級そうなしつらえである。
この船そのものがいわゆる“豪華客船”に分類されるものなのだろう。
手配したのが四大貴族なのだから当然か。
貴族たちは急な呼び出しでバタバタしており、私のような異分子が紛れ込んでいても意に解することなく忙しなく動き回っていた。
しかしやはり何人かは私を呼び止める者があった。
例えばそう、今まさに目の前にいる、妙ちくりんな仮面をつけた小太りの貴族夫妻とかな。
「おい、そこの女。どこかで見覚えがあるぞ。金髪に紅い瞳、そしてその身長。はて、誰だったかな」
「おほほ、貴方ったら、この女が誰なのかわかっていてお声をかけたのでしょう? お人が悪いわよ」
瞳が紅いのはなぜわかったのだろう、とコンマ数秒だけ考え、すぐにまだ仮面をつけていなかったことを思い出す。
両目をサングラスが覆っているだけで、頭頂眼は露出しているのだ。
私は夫妻に対し、恭しく礼をした。
腹に重たいものが詰まっているせいで多少ぎこちない動きになってしまうが、正式な貴族の礼の形を取る。
「イブリン・プロヴェニアと申します」
私が名を名乗ると、貴族の男性は嫌味ったらしい笑顔になる。
悪意を笑顔の形に封じ込めたような、そんな顔だ。
「おやおやァ、おかしいなァ。イブリンといえば復権派の懐刀のハズ。なぜにこのような場所でうろちょろしているのですかなァ?」
ニクスオットの男性というのは、調子に乗るとこのような話し方になるのが基本なのだろうか。
スルガといい、この男といい、やけに耳障りな話し方をする。
「実はかつての主君、ジャン・フェニコールには散々な目に遭わされまして。そこをマイコ様にお救いしていただいたおかげで今の私があるのです。ですので、かつての復権派の切り札たる私のことは、どうかお忘れください」
「ほほゥ、ではあの噂は本当だったのか」
「あの噂、とは」
私は若干眉間に皺が寄ってしまうのをなんとか我慢しながら男に尋ねた。
男の視線が私の腹や胸の方に移ったかと思えば、やけに卑しい顔つきに変わったからだ。
「復権派のイブがジャンの慰みモノになっている、という噂だよ」
やはりそういう視点での噂だったか。
まったく自分の配偶者の前でよくもまあ下世話な話ができたものだ。
もっとも、その奥様も一緒になってニヤついているのだから救いようがない。これだからニクスオットは。
私はやれやれとため息をつくと、少々威嚇してやることにした。
こういう輩は、力で黙らせたほうが良いのだ。
「確かに、私は奴の性欲処理に使われていましたよ。──だから」
瞬間、私は周囲に殺気を放つ。
言葉の端々に殺意を込めて、続けた。
「だから私はジャンとフロルを殺したのですよ。死の間際のアイツの顔、面白かったァ!」
「……!」
目の前の夫婦が息を呑むのがわかった。
こんな殺気程度で震え上がってしまうなど、とんだ小物だよまったく。
帝国派の連中は、もっと死線を掻い潜ってきたものだとばかり思っていたが、ただ自分の生まれ持った家柄にあぐらをかいていただけの者もいるようだ。
これでは、復権派と何ら変わらないではないか。
「ところでご主人」
「へ? ……あ、ああ」
男性は先程までの勢いを失って、しどろもどろになりながら返事をした。
「マイコ様にご挨拶を差し上げたいのですが、どちらにいらっしゃるのかご存じでしょうか」
すると男性は船の前方、大階段の方を指で示し、震えながら答えた。
「ふ、船の前方に操舵室と貴賓室がある。貴賓室の右翼側がマイコ様の控室のはずだ」
「でも、わ、私達もご挨拶に伺おうと思ったのだけど、い、今はお着替え中だったわ」
女の方がそう言うので、私は確かにと思い直し、会釈した。
「では、この船が空に浮くのを待ってからにします」
そう告げて、私は踵を返し、船の後部へと向かった。
あまり歩き回って悪目立ちするのも嫌だから、せっかくなので控室を使わせてもらうことにしようか。
あるいは途中でラウンジのような場所があれば、そこで待機すればい良いか。
本番は、船が空を飛んでから。
私は鞄から仮面を取り出し、目を瞑るとサングラスを外して仮面へと付け替えた。
顔の上半分だけを覆う、妖艶な狐の面。
丸太を魔法で削り取り、白く彩色したオリジナルの面だ。
多少歪だが、これで良い。
実際、私など歪んだ狐のような存在なのだから。
「私も少しばかり、人を化かしてみるか」
私は窓の外を眺めながら、そっとほくそ笑むのだった。




