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復讐編15話 復讐前夜Ⅰ

 ──時は少し(さかのぼ)る。


***


「おねえ……さん、わらわ、ちがう」


 体中痣だらけになったシアノが、虚ろな目を私に向けていた。

 掠れたようにか細い声で、必死に何かを訴える。

 私は初め、スルガとの話し合いに夢中で、彼女の小さな声に気付くことが出来なかったが、彼女の言わんとしていることは私にとっては最も重要ともいえる内容だったのだ。


「わらわ、やってない」

「……? 何か言ったか、シアノ」


 私はうわ言のように何かを呟くシアノに気付いた。

 やっていないと聞こえたが、何をだ。


「わ、らわは」

「……うう……し、あの」


 シアノの声に反応したのか、ビアンカも意識を回復した。

 シアノに覆い被さっていたビアンカだったが、生まれたての小鹿のように力の入らぬ両腕でなんとか体をずらし、圧迫されていた娘の身体を解放した。


 シアノは重石が無くなって息苦しさが減ったのか、ゆっくりとした深呼吸の後、ぽつぽつと話し始めた。


「わらわ、火事のとき、ようす見にいった。おねえさんがちゃんと部屋にいるか見てくるように、あにうえに言われて」


 シアノは体を起こす。

 あばらが浮き出るほど細身な身体は、およそ女性らしさとは無縁であり、まともな食事が出来ているのか心配になるほど貧相な体つきをしていた。

 今がまさに成長期のはずだが、ニクスオットでは肉体改造のために食事を制限するという悪習でもあるのだろうか。

 ま、今はどうでもいいのだけど。


「……それで?」

「ほのおの中、おねえさんのへやをさがしたの。そしたら、イブリンがいた」

「待って、誰がいたって?」


 一瞬、聞き間違いかと思ったのでもう一度聞き返した。

 今、予想外の人物名が出てこなかったか。


「イブリン・プロヴェニア。おねえさんを守るためにたてものに入ってたの」

「イブが……どうして」

「イブリン、おねえさんのおともだちをかかえて、とんでいっちゃった。わらわはおいかけようとしたけど、あにうえの言いつけどおり、たてものをふういんしなきゃいけなくて、むりだった」

「!! アロエは、生きているのか!?」


 私は黙って聞いているスルガの方へ目配せした。

 彼は震え上がり、ブンブンと激しく首を振って否定した。

 どうやら彼は何も聞かされていないようだ。

 が、シアノが嘘を言っているとは到底思えないのもまた事実。

 

 イブが、アロエを助けた……。

 では、あの炭化した死体は宿の従業員のものだったのかもしれない。

 なにせ、性別が分からないほどに炭化していたんだからな。


「だから、わらわはわるくない。もう、いたいことをしないで」

「……でもさ、私のお腹の子を奪ったのは間違いないんだよ」

「あかちゃんがいたなんて、わらわ、しらない。わらわはわるくない」


 別に失った子供について執着はない──帰ってこないものは仕方ない──が、シアノの言い方には非常にイラっと来た。


 「お゛ッ」


 私がシアノの鳩尾をかかとで踏みつけると、彼女は短く呻き声を上げて口から泡を吹いた。

 そんなに強い衝撃を与えたつもりはないんだけど、相当痛かったようだ。


「カン……ナ、き、さま!」


 シアノに暴行を振るったことで、母親であるビアンカが反応した。

 が、私は腕力で彼女を押さえつけてこれを制し、今度はビアンカの髪を引っ張り上げ、顔を自分の方へと向けさせた。


「お前、娘にちゃんと(しつけ)をし直せよ」

「う──あ゛あッ、……わ、わかった、かラ……シアノには、もうッ」

「シアノの態度次第さ。少しくらい反省してもらわなきゃ、ロクな大人にならないだろ」

「うう……」


 シアノをこんなにしてしまったのはニクスオット本家だ。

 おそらくシアノは本家にとっての実験体。

 感情を抑制し、ただ人の言うことを聞くだけの人造人間もどきにしてしまった。


 自分で善悪を判断せず、すべての決断を人任せにしているから、何かあった時の責任は自分には無いとまで考えているのだろう。


 幸いこちらにはビアンカがいる。

 彼女ならばシアノをまっとうな人間に戻せるかもしれないな。知らんけど。


 それよりも、アロエだ。

 彼女が生きている。

 なんという朗報だろう。


「ビアンカ、八號(はちごう)を動かしても良いか? アロエを迎えに行かせたい」


 ビアンカはシアノをぎゅっと抱きしめながら、首肯した。

 本当に娘が大事なんだな。


「ついでにイブも呼べるし一石二鳥だ。……スルガ、さっき言ったこと覚えているよな」


 今度はスルガの方に声掛けをする。

 スルガは一瞬怯えたようにビクついたが、すぐに冷静さを取り戻した。


「あァ、わかっているとも。でもさァ、どうしてそんなことをォ?」


 スルガは気分が乗っているときの、あの妙な喋り方で質問を投げかけてくる。

 自分はもう助かった気でいるのだろう。

 甘い、甘いぞお坊ちゃま。


 私はスルガを指さすと、ちょっと魔法力場のスイッチを入れてやった。

 瞬間、スルガの身体が激しく痙攣した。


「あ゛ッ、あ゛ッ」


 そしてそのまま白目をむいてしまう。

 少し肺の中で静電気を弾けさせただけなんだけどな。


「あまり調子に乗るなよ、スルガ。私の射程範囲内ならいつでもお前を殺せるんだぜ」


 一度肺胞内に突き刺さった魔石粉末は、手術で肺を丸ごと交換するまでは私の影響下にある。

 永続的に相手を支配できるのは便利だな。


「さあ、服を着てさっさと行けよ。早くしないと毒が中和できなくなるぜ」


 私がそう言うと、スルガは床に散乱した自分の服をかき集め、慌てた様子て最低限のものだけ身に着けると部屋を飛び出していった。

 ここからは彼の腕の見せ所だな。

 彼が自分の家族をいかに説得できるのか、それが今後の私の活動方針に大きくかかわってくることになる。


「一体、スルガ様に何を命じたのかナ」


 ビアンカも若干心配そうに尋ねてくる。

 私は答えなかった。

 どうせ、すぐにわかることさ。


***


 そうして、アロエが帰ってきた。

 イブには本当に感謝してもしきれないくらいだ。


 彼女は一度、私達を裏切って帝国派の口車に乗ってしまった過去があるものの、それを差し引いても余りがあるほどの恩ができてしまったな。


 受けた恩は返さねば。

 と、いうのも、恩とは負債だからだ。さっさと返してチャラにしてしまったほうが気が楽になるというものだ。


「泊まっていかないのか、イブ先輩」


 その日、私達はエックスのコテージに宿泊をすることになったのだが、イブは自分が宿として借りているニクスオットの別邸に帰宅すると言う。


「ああ。私はこれにて失礼するよ。今のお前に関わりすぎると、帝国派としての私の立場も危うくなりそうだからな」

「それなのに、アロエは助けてくれたんですね」

「……気まぐれだ。魔闘大会のあと、スルガ様たちが怒りながら出かけたのを見て、嫌な予感がしたんだ。そこにアロエがいたのはたまたまで、助けたのも体が勝手に動いたからだ。深い意味はない」

「それでも、ありがたいですよ。この恩義は、いつか必ず」


 するとイブは首を振って否定した。


「いいや、これは私なりの罪滅ぼしだ。私が遠因となって、お前の子供は死んだようなものだ。ならば、お前の大切なものを守ったことは贖罪(しょくざい)の一つに過ぎないと思うんだ」

「そう、ですか」


 え、やば。ラッキー。

 これでイブに恩返しを考えなくても良くなるじゃん。


「じゃあ、私はこれで」

「ええ、イブ先輩。近いうちに、また」


 イブは小さく頷いた後、街明かりの方へと歩いて行った。

 私はその背中が小さくなるまで見送った。


 ──近いうちに、また。 


 おそらく今日か明日、彼女には再び会うことになるだろう。

 もしかすると、その時が今生の別れになるかもしれない。

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