復讐編14話 三竦みの世界
夜の湖畔に冷たい風が吹く。
月明かりが水面に揺れて、青白く、幻想的な光景を作り出している。
波の音が耳に心地よい。
どう見ても海辺の風景なのに、潮の匂いは全くしない。
むしろ妙な腐臭のようなものが漂ってきて、そこだけは不快である。
「カンナ・ノイド」
コテージのベランダで佇んでいると、傍らから声がかけられた。
少女のような澄んだ声。
外国訛の影響で独特のイントネーションになっている、碧い髪の女の声だ。
「どうした、ビアンカ」
ビアンカ・カリームは、恭しく礼をした。
彼女は今、真新しい白のワンピースに身を包み、つばの広い帽子を被っている。
黒っぽい衣装のシアノとは、対になるような装いだ。
「シアノの治療は終わったヨ」
「そうか」
私の横に並んで、手摺に体重を預けるビアンカ。
一緒に、波間の月明かりに目を落とす。
「……悪かったな、あんなことさせて」
「本当に、ひどかったネ」
血を分けた実の娘の命を守るため、その娘を全力で折檻しなければならない、それが私がビアンカに与えた罰だ。
普通の人間ならまともな精神を保てない。が、それを乗り切ったのはビアンカ自身がこれまでに数々の修羅場を潜ってきたからだろう。
「デモ、命まで奪わないでくれてありがとう」
「……」
この状況でありがとうが言えてしまう時点で、彼女も相当サイコパスだと思うが、まあいいや。
「殺すよ」
「……ハ?」
私は彼女にならば、これから私がやろうとしていることを打ち明けても良いと思った。
真実を告げて、覚悟を決めてもらうべきタイミングだと思ったのだ。
「お前も、シアノも、スルガにも、きっちり死んでもらう。それが私の考えるケジメだ」
「そんな」
「少なくとも、世間的には、な」
私の直接的な目的は帝国派への復讐、ということになっているし、私自身もそう思い込もうとしている。
が、究極的には安定した生活さえ手に入ればよいのだ。
そこにロキがいないことは辛いことだけど、いくら復讐を成し遂げたって、失われた命は帰ってこない。
だからそれに縛られすぎるのは愚か者のすることだ。
「帝国派はこの国に不要な存在だ。だから、綺麗サッパリなくしてしまいたい」
安定のために、不要だから、消す。
私はそれに都合よく復讐を利用しているだけだ。
「それを、帝国派のあたしに言うのカ」
「ああ。アンタのことを試したいしな」
「それも本人に言うのカ。おねーさん、変な人だネ」
変。変かな。
ビアンカも十分変な人だと思うけど、私はそれ以上に変なのか?
「本当に死なないよう、抜け道のヒントは与える。……入社試験だとでも思ってくれ」
今後、“私の世界”に残しておくべき人間かどうか、ここで見極めさせてもらおう。
彼女は有能だ。少なくとも直接戦闘能力では私と同格か、それ以上。
加えてあの、初見殺しの植物魔法。
暗殺者としてこれ以上ない逸材である。
「そういえば預かってた植物の種、返しておかないとな」
私はポケットから小袋を取り出し、ビアンカに投げて渡す。
ビアンカは小袋を見ることもなく腕だけを動かしてキャッチした。
「ちょっと調べさせてもらったけどさ、特に魔石とかが仕込まれているわけじゃない、普通の種だよな。あの植物魔法ってなんなんだ」
ビアンカは私の方をちらりと見ながら答えた。
「これはそもそも、異世界の植物なんだヨ」
「異世界……?」
「信じられないだろうガ、この世はみっつの並行世界からできているらしいんだヨ……馬鹿げていると思うカナ?」
「いいや、信じるよ」
だって、その異世界とやらから私はやって来たのだから。
それにしても、魔女以外から異世界の……正確には異次元の話を聞くことになるとは思わなかったな。
「これはニクスオット家のルーツがアーケオ教の始祖にあることと関係するのだケド、三竦みの世界の伝承は、先祖代々継承されているのサ」
「ふーん」
アーケオ様=黒の魔女だって、スルガか誰かが言っていたっけ。
私にはその点だけが信じられないのだけど。
「あたし達がいるのは《魔法の世界》デ、ここよりも科学技術が発達しているのが《科学の世界》。それからもう一つ、あらゆる生物が凶悪に進化した世界があって、《異常進化の世界》と呼ばれているヨ」
その《異常進化の世界》から持ってきた植物の種が植物魔法に必要な仕込みってわけだな。
しかし疑問が一つ。
「異世界の植物が、何故ここにあるんだ」
ビアンカは体ごと私の方へと向き直り、自慢げな表情を浮かべた。
あ、こいつ、知識をひけらかすのに悦に浸っているんだ。
「次元の裂け目、そこから異世界同士、行き来ができるのサ」
「……それ、マジかよ」
もしそんなことが可能ならば、私は私が元いた世界へ戻ることもできてしまうのではないか。
いや、全然未練もないから戻る気はさらさらないのだけど。
私の予測に反し、ビアンカは首を横に振った。
「その次元の裂け目が、いつ何処で出来るのか観測ができないんだヨ。だから、この種も追加の仕入れは不可能だナ」
そんな貴重なものをぞんざいに扱ってスミマセンでした。
ビアンカはその後も、次元の裂け目について色々と話してくれた。
裂け目がいつどこに出現するのかわからないこと、裂け目で繋がるのが三つの世界のどれになるのかランダムなこと。
「この世界のモンスターと呼ばれる生き物も、《異常進化の世界》から紛れ込んだ存在らしいゾ」
あれか、ドラゴンとかあのへんな。
「だが、マイコ様はやけに次元の裂け目にこだわっていたナ」
「マイコ・ニクスオットが?」
シズオカ マイコ。
おそらく、私と同じ《科学の世界》からやってきたと思われる、この世界にとっての異分子。
「彼女は異世界に移動する方法を模索して、色々と策を巡らす人だったんダ」
「……もしかすると、それが奴の最終目標なのかもな」
「世界を繋げてさらなる繁栄を、とかカナ?」
「いや、違う」
これは思いつきだが確信に近い。
マイコは、きっと元の世界に帰りたいのだ。
そのために、同郷である私に目をつけたに違いない。
私が異世界転移の鍵になると、そう考えているのかも。
しかし、そうなると疑問が浮かんでくる。
私は元の世界の名前を一切名乗っていない。
正体を明かしたのはロキただ一人だ。
だのにどうして、私が異世界人だと気づい……あ。
「タコヤキ」
「ン? おねーさん、急にどうしたノ。お腹がすいたのカ?」
「……いや、なんでもない」
──そうか、原因はタコヤキだったんだ。
私がマイシィの活動、寄食を一般化して食糧事情を改善するという策に乗っかり、それならばと作らせてみた故郷の食べ物。
それが世間に知られるようになり、私の正体を辿られることになったのだ。
迂闊だった、というより盲点だった。
まさか同郷の人間がこの世界にいるなんて思わなかったんだもの。てへ。
「おねーさん」
「ん、どうしたビアンカ」
ビアンカは湖の岸部の遠方に、わずかに見える人影を指さした。
大きな岩のような巨大な体躯の人造人間、ビアンカ曰く“八號”とナンバリングされた、強化改造型の個体らしい。
巨体故にかなりの遠距離にも関わらず姿が見て取れる。
彼はものすごいスピードでコテージに向かって走って来る。
近くまでくると、彼は腕に二人の人間を抱えていることが分かった。
「下に降りよう」
「そうだネ」
私達はコテージの玄関先で彼らを出迎えることにした。
──
─
「久しぶりだな、カンナ」
「お久しぶりです、イブ先輩」
八號が抱えてきたのは、数か月ぶりに会う学校の先輩、イブリン・プロヴェニアその人であった。
緋色のチュニックブラウスのようなゆったりめの装束に身を包み、白のロングスカートを履いている。
前回会った時もそうだったが、男装以外のイブを見ると何だか新鮮な気分になる。
彼女の腹はよく見なくてもわかるほどに大きく膨れており、中に宿る生命の力強さを感じさせるものだった。
心なしか胸もサイズアップしているような気がする。
本格的に、騎士としての身体から母親としての身体に切り替わっているのだ。
「身重なのに、すみません」
「私の事は良いんだ。……それよりも、お前の子は……残念、だったな」
私は下腹部のあたりをそっと撫でた。
本来ならば、私もそろそろお腹が目立つほどに膨らんでいたであろう時期だ。
しかしそこに、命は欠片も残っていない。
「まあ、ロキが子孫を残している可能性は、まだありますから」
「……クローラ様か。無事だと良いが」
ロキが浮気して作った子にはなるが、それでもロキの子だ。
愛した男の血を引く子供には、無事に育ってほしいものだ。
そもそも身籠っているかは連絡の取りようが無いからわからないのだけど。
「それに、イブ先輩のお腹の子にも、ロキの血はちゃんと流れていますよ」
「……どういう意味だ」
「イブ先輩とロキは姉弟ですから、半分は同じ遺伝子──因子を持っています。親子の間で共通する因子もまた半分なので、その子には四分の一だけロキと同じ遺伝子があることになります」
「博識だな」
どや、としたり顔で胸を張る。
実際は遺伝子うんぬんはよく知らなくて当てずっぽうなのだけど、間違った考え方ではないと思う。
「あまりカンナを褒めると付けあがりますよ、イブ先輩」
イブの傍らにいた少女が、ふてくされたように口をとがらせて嫌味なことを言った。
大男がこちらへ来る際に抱えていた、もう一人の人物である。
彼女はブラウンの髪をさっとかき上げると、胸の前で腕を組み、こちらを睨むように見つめた。
すると組まれた腕の上に大きな胸が乗り上げる形になり、私はついついそちらへと目が行ってしまうのだった。
ナイスおっぱい。
「……感動の再会だって言うのに、どこを見てんのよカンナは。ウケるんだけど」
私は舌を出して彼女に笑いかけた。
「ごめんごめん、つい……」
「ついじゃないんだよ! やっと会えたのにイブ先輩に先に話しかけるし、カンナは彼女の扱いをもっとちゃんとしたほうがいと思う。マジで」
そうやって頬を膨らませる彼女だが、その目は笑っているようだった。
私はたまらなく愛おしくなって、彼女に駆け寄るとそっと抱きしめた。
人前だろうが、関係あるか。
これが私の、私達の愛情表現なのだ。
「おかえり、生きててくれて本当に良かった、アロエ……!」
アロエは、私の体を下からそっと抱き返してくれた。
「ん、ただいま。カンナ」
耳元で、アロエがふっと微笑んだように息を吐くのが分かった。




